第1話 入社初日、会社に向かう道程で
通勤途中の社会人や登校途中のごった返す朝っぱら。
本日、社会人となるスーツ姿の青年──
スパゲティサンドをくわえて。
「……ねえ、あの人変じゃない?」
その姿は、あまりにも異質だった。
当然、走っていく赤田の間の抜けた姿にすれ違う人々から、主に女性から向けられる奇異の目を向けられる。
むしろ、今の赤田の姿を見て、好意的に受け止めることの方が異常だ。
「「「……でもかっこいい!」」」
「……彼女はいるのかしら」
「……私、彼女になれなくてもいいからお近づきになりたいな〜」
だがこの場において、異常こそが正常だった。
奇異の目が、好意の視線に裏返る。
別になんてことはない。
赤田はそれでもイケメンだった、ただそれだけのことだ。スパゲティサンドをくわえても尚、魅力的に映るほどに。
赤田のイケメンっぷりに魅了された女性たちの、熱に浮かされたかのような視線が多く向けられる。
(ふっ、今日から俺も社会人か……)
そんななか、赤田は周りからの視線など意にも介さない。
それどころか、走る速度を緩めるずに、あまつさえ走りながら感慨にふけってさえいた。
図太い神経だ、意に介さないにも程がある。
ここまで周りの声を気にもせず思考できるのは、もはやそれは長所といえる。
だが走りながら考えごとはやめるべきだった。
「──きゃっ」
「──っと」
案の定というかなんというか。
曲がり角を曲がろうとした時、ちょうど赤田から見て死角になるところから、こちらに向かって歩いてきていた女性とぶつかった。
盛大に転ぶ二人。
その絵面はもはや、きょうび、少女マンガですら見かけることがなくなってきたお約束以外の何物でもない。
違うところといえばせいぜい、物をくわえながら走っていたのが
「ちょっとアンタ! ちゃんと前見て走りなさ──あぁ! わたしの服がー!!」
──ぶつかった衝撃でくわえてたスパゲティサンドが、赤田本人ではなく女性の服の上に落ちたぐらいだ。
「ちょっとアンタ! なんでパン……いやこれは、スパゲティ……サンド……え、なんで……? とにかく! なんで食べ物なんかを咥えながら走ってるのよ!? わたしの服をどうしてくれるのよ、今日は入社式なのにー!」
どうやら赤田と同じく今日が入社式らしい女性は赤田に向かって「弁償しなさいよ!」と涙目で叫ぶ。
当然の反応だ。大抵の人が似た反応をするだろう。
天下の大通りの真ん中で年甲斐もなく、子供のように泣く女性に誰もが同情の目を向けるのみだ。
(うるっせぇな〜、このブス)
元凶である赤田を除いて。
赤田は女の子を顔だけしか見ず、自分の好みに合わない外見の女子をひたすら見下し侮蔑する、クズな類の男だった。
そしてそれは、自分のせいで泣いてる女性を前にしても同じわけで──。
ペッ、と。
苛立ちを隠しもせず、まるで自分に非がないとでもいいたげに、唾を路上に吐き捨てる。
見事なゲス野郎だ。
誰もが
周りの人間もげんなりと、あるいは非難めいた表情を浮かべる。
本来ならこのまま、どちらが悪いか悪くないかの押し問答が始まるところだ。
だが、
周りの視線や、無駄に大きな騒ぎを聞きつけた警官がこちらにやってくるのを確認すると、舌打ち一つ。
「大丈夫ですか、すみませんよそ見してたものでな」
豹変した。
先ほどと打って変わって優しげな、紳士然とした笑顔で手を差し伸べる。
「あ、はい……」
さっきまでの怒りはどこへやら。
優しげなイケメンフェイスを前に女性は顔を赤らめて、差し伸べられた手を取り立ち上がる。
その顔に怒りは既になく、恋する少女のような表情を浮かべていた。
そしてそれは、周りの人間も同様だった。
非難めいた視線はなくなっており、全員──特に女性が赤田の姿を見つめていた。
全員が、赤田のイケメンっぷりに、それだけのことに魅入られてしまったのだ。
だが一体、どれほどの人が気がついているだろうか。
優しげなその顔に、女性を見る瞳に、口にした謝罪の言葉に、しかし後悔や申し訳なく思う感情が一切含まれていないことに。
これは再演だ。
意図せずのものと、意図したものの違いはある。
だがこれは、スパゲティサンドをくわえて走っていた赤田に向けられた奇異の目が好意に変わった時と同じ。
まさしく、悪意と好意の裏返る瞬間に他ならなかった。
赤田はそんな簡単なことに気づかない愚かな女性に、しかし笑顔で──そうまるで、新世界の神が勝利を確信した時のような、そんな笑みでポケットからハンカチを取り出す。
「服も汚れてしまったな。あまり意味はないだろうが、よかったらこのハンカチを使ってくれ」
「……その……あ、ありがとうございます」
手渡されたハンカチを女性は本当に、本当に嬉しそうに受けとる。
それを見た赤田は満足そうに、邪悪な顔で地面を指さして言う。
「お詫びと言ってはなんだが、
ありえない提案。
だが。
「え、あの、それって……か、関せ──」
女性は地面に落ちていることには何の反応も示さないし、眼中にも無い。
ただ、まるで気になる異性との関節キスを気にする
赤田は女性の反応に満足したのだろう。微笑みながら女性の横を通り過ぎ──。
(俺の邪魔をしてんじゃねーよ
周りの人間を──正確にはその顔面をゴミを見るかのよう目で見下し、心のなかで悪態を吐き捨ててその場を立ち去る。
「……スゲー、アイツが一方的に悪いはずなのにカッコよすぎだろ」
「……マジやば〜、超紳士じゃん」
「……わ、私も彼に汚されたい!」
「……恋人じゃなくても、愛人にしてもらえないかしら?」
「……残飯処理を押しつけただけなのにかっこいいとか異常だろ──って誰か止めろ! あの女の人、地面に落ちたモンを本気で食おうとしてるぞ!」
後ろから、何やら騒がしい音が聞こえてくるが赤田は振り返らない。
その様は他人が自分を賞賛するのは、自分の思い通りになるのは当然だと、確信していることを物語っていた。
赤田は悠然と、会社に向かう道を歩いていく。
必要ないと思うが改めて、そして
青年の名は
本日社会人となる、どんな醜態も魅力に変え、あらゆるメスを顔で判断する面食いで、有象無象の他人を見下す。
そして、そういった傍若無人を許されるに足る容姿の持ち主。
俗にいう、イケメンである。
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