第123話「その男は完全無欠の救世主か」

「なぜ男装を?」

「その方がいろいろと都合がいいのさ。こうしてサイサリスの中で動き回るにも、ボクの目的を遂行するのにも」

「きっとあなたは、普通に女として振る舞うと目立つのでしょうね」

「そんなことないさ」

「いいえ。あなたはとても綺麗な人です。私だっていろいろな役者を見てきたからわかります。あなたが本気でこのヴァージリアで役者をしていたなら、〈魅惑の女王〉と呼ばれたのは私ではなくあなただったと思います」

「はは、キミにそこまで褒められると照れるな」


 言いながら、シーザーはまた衣装を脱ぐ手を動かしはじめた。

 急ぐ動きで襟元まで整えていき、あっという間に着替えを終える。

 するとシーザーは、すぐにジュリアナの衣装替えを手伝いはじめた。


「キミはとても強い。だけど、心だっていつまでも強靭なわけではない。摩耗もするし、疲れたら休む必要がある」

「……そうですね」

「だから、無理をしてはいけないよ。キミはメレアを頼るといい。彼は――『大丈夫』だ」


 シーザーは、『大丈夫』と、先にその言葉を残した。

 あとにどんな言葉が続くのか、ジュリアナにはわかっていた。


「彼はキミを裏切りはしない」

「はい。それは私もあの方と話をして確信しました」


 ジュリアナは力強くうなずく。


「でも、彼が失敗しないというわけでもない」

「……それは?」


 しかし、次にシーザーが口にした言葉に、ジュリアナは首をかしげた。


「彼はとてつもなく大きなことをしようとしている。大きくて、おそろしく難しいことを」


 ふいに、ジュリアナの脳裏にあの時計塔で交わしたメレアとの会話が蘇った。



 『あなたには命を懸けるほどの信念がありますか?』

 『――あるよ』



「メレアはキミを裏切らない。だけど、メレアが倒れてしまったら、結局キミはまた苦しむことになるだろう。――あの集団はメレアがいるから存在できているんだ。ボクはそれを彼らと話して確信した。そしてたぶん、彼ら自身それを知っている」



 『あなたは強いのですね』

 『俺には、いざとなったら傾いた天秤をもとの位置に戻してくれる仲間がいるから。だから思い切った行動をとれるんだ』


 

 会話の断片が光り輝いて、ジュリアナの頭の中を駆け巡る。


「だから彼らは、メレアを支える。もちろん打算じゃあないんだろうけど」

「そうですね」

「つまりキミは――」


 シーザーは、ついにジュリアナの衣装の背中部分の紐をしっかりと縛って、「はい、終わり」とつぶやいたあと、言いかけた言葉の続きを紡いだ。


「彼らの一員になるつもりがあるなら、同じくメレアを助けてやるといい。それがキミの生き残れる可能性に直接つながるし――」

「『大丈夫』です、シーザー」


 ジュリアナはふと、シーザーの方を振り向いた。

 その表情には、断固とした決意が映っていた。


「私はどこまでもあの方についていくと、決めました。あのとき、私をもう一度サイサリスへと戻さねばならない状況に陥ったとき、彼は言いました。『必ず助けるから』と」


 ジュリアナは自分のためにあそこまで悲痛な思いをした者を、かつて見たことがない。

 

 ――いえ。


 一度だけ、見たことがある。かつての養父は、そういう顔をした。

 けれど、メレアのそれはその養父よりも苛烈なものだった。


「あの方はあやういのです。かつての私の父は、私のために自分の身とほかの領民を犠牲にはしませんでした。父にはまだ良識があったのです。……いえ、常識、と言いましょうか」

「……そうだね」


 世間的には、おそらくあれが『正解』だった。


「しかし、あの方はたぶん、自分の身を簡単に懸けます。あの方の意志は苛烈すぎるのです。正直に言えば、私はあの方が心配でなりません」


 ジュリアナは虹色石のような輝きを放つ目を伏せた。

 両手を胸の前で握り、まるで神にでも祈るかのような仕草を見せる。


「あの方の周りにいる方々の気持ちが、私にもわかりました。あの方は『完全無欠な救世主』ではないのです。昔の英雄譚の中に出てくるような英雄でもありません。あの方は、どちらかと言えば英雄譚の『外典』の方に出てくる英雄です。生々しく、いくつもの傷を負って、失敗もして、それでもなお何かをなそうとする、泥臭い英雄」


 否、それこそが昔の英雄たちの本当の姿だったのではないだろうか。ジュリアナは思った。

 すべてがすべてとは言わないが、英雄譚の英雄は美化されている。

 彼らの多くがのちに〈魔王〉になったことを考えてみても、やはり綺麗なだけの英雄ではいられなかったのだ。

 彼らには、国家によって『でっちあげの名目』をつけられるだけの、隙があった。

 かつての悪徳の魔王を討ったことだって、言ってしまえば誰かの命を奪ったことになる。

 その悪徳の魔王が実は悪徳ではありませんでした、とでも言われてしまえば、善悪は逆転する。


 ――おそろしいものです。


 だから彼らも完全無欠の救世主ではなかった。

 そもそもそんなもの、


 ――人間であるかぎり、存在しないのかもしれません。


「でも、あの方の意志は、とても美しい。ほかにもいろいろ思うところはありますが、気づいたら私は――あの方を好きになっていました」


 唐突にジュリアナの口から漏れ出た言葉に、シーザーはきょとんと目を丸めた。

 そしてすぐに、笑い出した。


「あはは! それはいいね! そういうのでいいよ。人間なんてそれくらいシンプルな方が力が出せるものさ」


 シーザーは本当に楽しそうに笑っていた。


「わ、笑わないでくださいよっ」

「だ、だって、こんなところでいきなり告白されても――あはは」

「も、もうっ! これは言わなければ良かったですっ!」

「いやぁ、楽しいなぁ。――あ、でも、今メレアの周りにいる女の子たちがいる場では言わない方がいいよ? ボクの見立てだとすでにずいぶんと見えない火種があるからね」


 「もちろん彼らの根本的な繋がりがダメになる火種じゃなくて、もっと俗な、いわゆる女としての火種だけど」とシーザーはすぐに付け加えた。


「わかっています。私もなんだかんだとこの街で多くのロマンスを見て来ましたからね。――うまいことやります」

「キミって結構こういうところでしたたかだよね。それだけの美貌がある上にしたたかだと、彼女たちからしたらかなり手ごわい相手になりそうだ」

「私はほかの方よりもスタートが遅いわけですからね。これからがんばります」

「うんうん、期待しているよ」


 シーザーは演技ぶってうなずき、最後にジュリアナの肩を叩いた。


「さて、あんまり遅いと外の白装束たちが怪しむ。突入されても困るからね。そろそろ行こうか」

「はい」

「大丈夫、ボクが責任を持ってキミをメレアのところに送り届けるよ。そしてメレアも、今にキミを迎えに来る。――大丈夫」


 シーザーはその言葉を何度も重ねる。


 それから二人は衣装店を出た。


◆◆◆


 シーザーはさきほどまでジュリアナが着ていた衣装と同じ――しかし匂いのついていない新品の――ものを白装束たちに渡し、彼らを別行動にさせることに成功する。


「行こう。あとは西門の方まで走りながら、メレアが来るのを待つだけだ」


 そういってシーザーはまた走り出した。


 

 それからいくばくか走ったところで、シーザーは後方から気配が近づいてきたことを確信する。

 だが、


 ――少し重いな。


 殺気を含んでいるような気がした。

 追跡に集中するあまり漏れてしまった攻撃心のようなものか、あるいは本当に殺気か。

 シーザーには判別がつかない。


 確認のためにシーザーは後方を振り向いた。


「っ」


 そして、目を凝らして気づく。

 路地の向こうから、こちらを追ってきている人影があった。

 それはシラディスでも、ましてやメレアでもない。


 ――金髪……


 嫌な予感がした。

 直後、その金髪の男が腰に帯びた剣を抜いたのを見て、シーザーはもう後ろを振り向くのをやめた。


「ジュリアナ! 走って! このまま大通りに抜けるんだ! 人にまぎれて西門まで走れ!!」


 あれは『敵』だ。


 シーザーはその路地から横に続いていた細い道へ、ジュリアナを押しこむ。

 こうなると人通りのある中央通りの方が良い。ちょうど今は歌劇の開演時間とかぶっていて、少し人気が少ないが、今の路地よりはマシだ。遮蔽物を作れる。

 そうしてジュリアナを押しこんだシーザーは、その間にまた自分たちを追ってきている人影の方を見た。


「――あっ」


 すると次の瞬間。

 今度は見慣れた人影がその金髪の男の前に立ちはだかるように現れたことに気づいて、短く呆けた声をあげた。


 黒髪。

 しなやかに躍動する身体。

 彼女もまた絶世の美女と形容できるだけの美貌を持っていた。


 〈剣帝〉エルマ=エルイーザ。


 メレアに付き従う黒髪の麗人が、金髪の男を迎え撃つように横の路地から飛び出てきて、即座の動きで腰の剣を抜いていた。

 その剣は芸術都市の街燈の光を受けて不気味に輝く。

 おそろしく美しい刀身。


 と、その〈剣帝〉がシーザーの方をわずかに振り向いた。


 『行け』


 彼女の口がそう動いたのをシーザーは確信し、


「――わかった!」


 シーザーは先に行かせたジュリアナをすぐに追いかけた。


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