第124話「剣士、二人」

「〈光魔〉がダメとなったらすぐに〈魅魔〉か。相変わらず節操がないな、貴様らムーゼッグは」


 エルマはシーザーを見送ったあと、視線を正面に戻しながら言った。

 視界の奥、鋭い殺気を纏いながら走ってくる男の姿が一つある。その男はシャウの黄金に寄った金髪とは少し色味が違って、より黄色によった金糸の髪をさらさらと揺らしていた。


 やがてついに、その男が目の前にやってくる。


「貴様、あの戦のときに見た覚えがある」


 先に言葉を発したのはエルマだった。

 エルマはその男に見覚えがあった。


「セリアス=ブラッド=ムーゼッグの側近か」


 エルマは切れ長の目に険しさを乗せて、刺すように鋭い声で言った。


「――〈剣帝〉エルマ=エルイーザ」


 対し、金髪の男――〈ミハイ=ランジェリーク〉もまた、剣を片手に眉をひそめて言った。


「そうか。そうだな。知らないわけがないか」


 エルマは、自分一人何かに納得したような口ぶりで言葉をこぼした。


 ――霊山での一件のとき、私を追っていたのは、まさしくこのムーゼッグなのだから。


 忘れでもしないかぎり、自分の姿を知っているのは当たり前だろう。


「〈魔剣クリシューラ〉は捨てがたいが、今は貴様といちいち戦っている暇がない。邪魔だ、そこをどけ」

「この状況で素直にどく馬鹿がどこにいるのだ。私はお前にあの者たちを追われると困るんだ」


 エルマは魔剣クリシューラの切っ先をもたげ、ミハイの顔に突きつけながら言った。


「……はあ。いつもいつも貴様らは僕と殿下の邪魔をする。大人しく狩られるのを待っていればいいものを」


 ミハイはわざとらしいため息をつきながら、肩をすくめて言った。


「こちらの台詞だ。貴様らはいつも魔王の道行みちゆきの邪魔をする」


 エルマはその安い挑発には乗らず、同じ台詞を返した。


「もう一度言う。そこをどけ、〈剣帝〉」


 直後、ミハイの身体からひときわ鋭い殺気が漏れだす。

 視線だけで人を射殺せるかと思うほど邪視。

 空気が張りつめる。


「断る」


 だが、エルマは一歩も退かなかった。

 濃い紫色の瞳に戦人に相応しい剣気を乗せ、ミハイの眼から一瞬たりとも視線を外さない。


「通りたければ私を倒して行け、ムーゼッグ」


 エルマは剣を正眼に構え直して言った。

 さらに、思い出したように言葉を続ける。


「それと、貴様もいい加減に名乗れ。貴様だけ私の名を知っているのはなんだか癪だ」

「そうだな。お前にも自分のことを斬った相手の名前を覚えておく必要があるだろうからな」


 ミハイの返答に、「ぬかせ」とエルマが小さく毒づく。

 そのあとにミハイはマントをひるがえして言った。


「僕の名は〈ミハイ=ランジェリーク〉。ムーゼッグ王国の第一王子、セリアス=ブラッド=ムーゼッグ殿下の忠実なる臣下だ」

「ミハイ=ランジェリーク」


 エルマはその名を反芻し、脳裏に刻む。

 それが自分の斬るべき敵の名だと、認識させる。

 それから、エルマは改めて告げた。


「私の名は〈エルマ=エルイーザ〉。〈剣帝〉の名を継ぐ――」


 一拍。


「〈魔王〉だ」


 エルマは自分が魔王であることをもう偽らない。

 今は剣帝の名を継いでいることに誇りを持っている。

 そして魔王であり続けることに、もはや躊躇ためらいもなかった。


「ならばその魔剣をおいて折れろ、エルイーザの末裔。帝号という過分な序列はもとより、そもそも貴様ら一族にその剣は相応ふさわしくない」

「貴様らムーゼッグにはもっと相応しくない。クリシューラは私の半身だ。この身に宿ったエルイーザの血とともに、一滴ひとかけらすらやるものか」


 そしてついに、二人は剣を構えた。

 二本の剣から放たれた銀光が交差する。

 剣気が空間を走った。


 〈剣帝〉と若年の天才の戦いが、はじまる。


◆◆◆


 最初に動いたのはミハイだった。

 ミハイは片手剣を右手に、斜め方向からエルマへ迫る。

 下段に構えた剣の切っ先が地面を撫でて、かり、と音を鳴らした。


「散れ!」


 斜め下からの斬り上げ。


「っ」


 エルマはその一撃を魔剣を縦にして受ける。


「さすがに一撃では死なないか」

「ぬかせ」


 間に短いやり取りを挟み、今度はエルマから動く。

 エルマはミハイの剣を受けた状態のまま強力ごうりきでその剣を外側に弾き、すぐに逆側から袈裟掛けにクリシューラを振り下ろした。


「その程度の剣撃で――」


 ミハイは外側に流れた態勢を即座に振り戻し、袈裟に振り下ろされたクリシューラを自分の剣でいなす。


「やはり貴様にはもったいない剣だ! 僕よりも技量のない女が魔剣など!」


 金属同士がこすり合う音が響いたあとに、ミハイが三歩ほど間を開けながら言った。


「やかましいやつ……っ!」


 たしかにミハイの剣の技量は優れていた。

 体勢を崩した状態から、エルマの斬撃を楽々といなす。

 エルマ自身、今のほんのわずかな攻防の中ですでにミハイの天賦の才には気づいていた。


「剣帝が帝号を与えられた理由は剣技に優れていたからではない。〈七帝器〉という偶然の賜物をその幸運によってたまたま得たから、囃し立てられた。それだけだ。貴様らの功名はそこにしかない。今の時代になってしまえば〈剣帝〉の名など――」


 続けて放たれた言葉に、エルマの眉がぴくりと反応した。

 同時、エルマは前に走り出す。

 一瞬で間合いを詰め、目にもとまらぬ四発の剣撃を放った。


「なんだ、怒ったのか?」


 ミハイはその斬撃を余裕の笑みを浮かべながらすべていなしていく。

 ――が、


「っ!」


 四発目の斬撃のあとに、剣に隠れて飛んだエルマの鋭い蹴りが、ミハイの腹部を襲った。


「ぐっ」


 剣の打ち合いの中に混ぜこまれた打撃。

 ミハイは思わぬ攻撃に数歩後退し、小さなうめき声をあげる。


「本当に、斬り合っている最中によくそこまで舌が回るものだ」


 そのときエルマは、やや呆れたような表情でミハイを見下ろしていた。

 決して余裕というわけではなさそうだが、かといって焦燥等は見られない。

 ただ毅然きぜんと、そして凛として戦いに臨む一人の剣士の姿がそこにはあった。


「ふむ。貴様の言うとおり、もしかしたら細かな剣の技量は貴様の方が上なのかもな」


 「私と違ってそこまで舌が回るのなら」そう付け加えてからエルマは続ける。


「だがそんなものはどうでもいいのだ。いいか、戦場ではどんな形であれ斬れば勝ちだし、斬られたら負けだ。たしかに私はまだ剣の技量が〈剣魔〉や初代〈剣帝〉と比べると劣るかもしれんが、今、この場においてはそれもどうでもいい」


 エルマはそこでふっと息を吐いて、それから今までの言葉をまとめるように、短くはっきりとした口調で言った。


「私は、貴様が斬れれば、それでいい」


 エルマは毛ほども油断のない表情でミハイを見据える。

 瞳に宿る光は鋭く、立ち姿は超然としてさえいた。

 そしてエルマは、再び魔剣を構える。


「だが、貴様が私の先祖たる初代〈剣帝〉を馬鹿にするというのなら――『ついで』だ、今、この場で雪辱を晴らしてやる」


 エルマの構えは、両手持ちによる上段の構えだった。

 エルマがとっさに取ったその構えは、


◆◆◆


 メレアが一度だけ見せたあの〈剣魔の一閃〉の構えと、よく似ていた。


◆◆◆


「言われなくてもッ!」


 ミハイがエルマの売り言葉に反応し、すかさず剣を片手に突進する。

 さきほどまでの流麗な払いの斬撃から一転して、突きこむような刺突の一撃。

 それはエルマの視線に対し平行に繰り出された距離を計らせない絶妙な突きであった。

 切っ先が、エルマの目前に迫る。


「ッ!」


 と、ミハイの突きがもう数瞬もあればエルマに触れようかというところで、不意に上段に構えられていた魔剣クリシューラが――『消えた』。

 その、次の瞬間。


「――」


 エルマの顔面に突きこまれたミハイの剣が、縦に走った一筋ひとすじの銀閃に両断される。


 ――ありえない。


 天稟を持つゆえに目の前で起こった出来事を正確に捉えていたミハイは、その一瞬の間に内心でつぶやく。


 ――剣が、剣を切り裂くなど。


 目の前の光景を、ミハイは最初、信じることができなかった。


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