第122話「道化師の秘密」
「さっきからずっと追われてる!」
「なにっ!? ムーゼッグは〈光魔〉の方に釣られたのではないのか!」
メレアがジュリアナを追って動き出した頃、〈道化師〉シーザーはヴァージリアの一角でわざとらしい焦り声をあげていた。
「わからない! でもずっと嫌な気配を感じるんだ!」
位置は都市の中央広場からやや南西に寄ったあたり。ときおり秘密の地下通路を通りながら、シーザーはほかのサイサリスの白装束たちと肩を並べて走っていた。
「地下通路を使ってもまだ追ってくるのか!」
「もしかしたら何らかの能力者かもしれない! 術師である可能性も考慮しておいた方が良さそうだ!」
斜め後方から聞こえてくる白装束からの抗議じみた声に、シーザーはまた演技ぶって答える。
「ジュリアナ、急げ!」
そんなシーザーは、片手にジュリアナの手を握っていた。
集団の先頭。シーザーの今の役回りは、ジュリアナを守る『サイサリスの手先』である。
――表面上は。
「わ、わかっています!」
ジュリアナの方も走り続けで多少息が弾んでいるものの、特に苦しそうな表情はしていなかった。シーザーに手を引かれながら、なされるがままという体で走っている。
「シーザー! 何か心当たりはないのか! 相手が本当に術師であったらかなり面倒なことになるぞッ!」
そこでまた、白装束の声があがった。
声をあげた白装束の男は、額に汗を浮かべ、顔に隠しきれない焦りを浮かべている。
「これはボクの憶測だけど、匂い、かもしれない。――いずれにせよ、地下通路を使ってもまだ追ってくるということは、視覚以外に頼った方法での追跡である可能性は大いにある」
シーザーは神妙な面持ちで答えながら、内心では『これは本当のことだけど』とこぼしていた。
「匂い? ――ありえん! どれほど鼻がよければ匂いで人間を追跡できるというんだっ!! 獣でもあるまいし……」
――ハハ、まったくだ。
シーザーは先頭を走りながら、小さくほくそ笑んだ。振り向かなければ自分が笑みを浮かべていることもバレはしない。
――でも、彼の仲間の一人が自信を持ってできると言ったからね。そして実際に今、こうしてしっかりとボクたちのことを追ってきている。
すさまじい追跡能力だ、とシーザーは改めて思う。
まだ気配を隠しきれていない点に多少向上の余地が残されているが、それでも十分すぎるほどだ。
――それにしても、あれだけ綺麗な顔を持っているんだから鎧なんて脱いでしまえばいいのに。
シーザーはあの健康的な褐色の肌と、艶美な桜色の髪を持った美女の顔を思い出した。
一度だけ、『協力するなら』、ということで顔を見せてもらっている。
兜の中から出てきた美貌と、その美貌に乗った少女のようにおどおどとした表情を見て、シーザーは思わず息を呑んだ。
――鎧の表と裏でギャップがすごかったな。
しかしそのギャップが、ミステリアスな魅力にもなっている気がした。
――って、こんなときに考え事は良くない、良くない。
シーザーは笑みを苦笑に変えて、意識を今に戻した。
「――だめだ! やっぱり正確に追われてる!」
ちょうど広場を西に抜けて、西の都市門へ続くいくつかの路地のひとつに入ったところで、シーザーはまた大声をあげた。
さらに、足を止める。
「こうなったら二手に分かれよう!」
それは計画された提案だった。
シーザーは視界の端にあるものを見つけて、次の手に移る。
「なに!?」
後ろを振り向いて言ったシーザーを、後尾についていた白装束たちがわかりやすい驚きの表情で見つめた。
「ジュリアナの匂いを追われているのかもしれない。でも、見てくれ。ちょうどよくあそこに衣装店がある。ここでジュリアナの衣装を変えるんだ。キミたちはジュリアナが着ていたものを持って囮になってくれ」
シーザーが見つけたものとは、路地の横に立っていた一軒の衣装店だった。
自分も、劇に使う衣装をよくオーダーメイドしていた店だ。
「ダメだ! わざわざ衣装を変える時間は作れん! それならこの場で服を脱げ!」
白装束はシーザーの提案に首を振って答えた。
「それこそダメだ! 彼女は女性だぞ! しかもすぐ隣は多くの人目がある大通りだ! これが心の傷になって魔眼の力にまで影響を及ぼしたらキミたちは責任を取れるのかっ!」
シーザーは内心で「その程度なんともないだろうけど」と加えた。
魔王としての苦難を死なずに乗り越えてきた彼女が、その程度で心を壊すわけがない。彼女は強いのだ。
しかしシーザーは、これでもかとおおげさな身振り手振りで言った。
「ぐっ……」
そしてサイサリスの白装束たちは、シーザーのその言葉に引っかかる。
実際に、ジュリアナが精神的なダメージによって魔眼の力を使えなくなるという状況になった場合、サイサリスは重要な手駒のひとつを失うことになる。
そうなれば、今こうして〈光魔〉を囮にしてまでも逃げている意味もなくなるのだ。
「くっ、な、なら早くしろ!!」
ジュリアナが一度白装束たちの目の前でその力の有用性を示したことが、かえってこのとき良い方向に作用していた。
――よし。
シーザーは白装束たちの返答を聞き、内心で短く声をあげて踵を返す。
ジュリアナの手を引っ張りながら、ついに衣装店へと走った。
「シーザー……」
「大丈夫だよ、ジュリアナ。ここからは
白装束たちが離れたところで、ジュリアナが心配そうな声をあげた。
それはジュリアナが自分の身を案じてあげた声ではなく、シーザーの立場を気遣っての言葉だったが、シーザーはそうとは取らなかった。
今のシーザーは、ジュリアナのことだけを考えていた。
◆◆◆
衣装店に入ると、中はもぬけの殻だった。
「あらかじめボク以外の誰かが手を回しておいたのさ。いやはや――『金の力は偉大』だね」
シーザーが所狭しと飾られた衣装棚を奥へ抜けながら言う。
「ここで衣装を脱いで」
「しかし、これを渡してしまったら本当にあのシラディスさんが惑わされてしまうのでは?」
ジュリアナは水色の髪を揺らしながら、同じ色の瞳に不安げな表情を乗せて言った。
「いいや、白装束たちに渡すのはキミが脱いだ衣装じゃない。その衣装とまったく同じ『新品』さ。もちろん、多少しわを作ったりして工作はしてあるけど」
シーザーの返答に、ジュリアナが「なるほど」と小さくうなずく。
「とはいえ、キミが同じ衣装のまま外に出たら白装束たちが不審に思う。ボクもここで少し衣装を変えていくから、その間にキミも着替えてしまった方がいい」
シーザーは適当な衣装を掛け棒から外しながら続けた。
「それにキミ、あの劇場での一件からずっと軟禁されていたんだろう?」
「ええ」
「なら、着心地という観点からも変えた方がいいんじゃない?」
シーザーがジュリアナの方を振り向いて楽しげに言った。
そのシーザーの笑みは、ジュリアナを少し安心させる。
「シーザー」
「ん?」
「その劇場での一件に関して、どうしても訊いておきたいことがあります」
「なんだい」
ジュリアナはそんなシーザーへまっすぐな視線を向けながら、両手を胸の前で合わせて言った。
「私があの劇場で魔眼の力に掛けたほかの観客たちは、どうなりましたか」
ジュリアナはそれがずっと気がかりだった。
メレアと再会したときに、そのことを聞ければ良かったと思うが、あのときはあのときでそう悠長にしている時間がなかった。
それに、なによりも、
「あのときは、怖くて訊けませんでした。でも今は、少し覚悟ができています」
自分の魔眼のせいで、彼らがサイサリスに無理やり洗脳されていたりしたら、その罪は自分が背負わなければならない。
そしてできることなら、償いをせねばならない。
ジュリアナの心の中には、静かなれど炎のように燃え盛る決意と覚悟があった。
シーザーは、そんなジュリアナを見て一瞬きょとんとする。
しかし、すぐに微笑を浮かべて答えた。
「ハハ――大丈夫」
シーザーは選んでいた衣装を片手に持ち替えて、空いた手でジュリアナの肩を優しくなでた。
「大丈夫だよ、ジュリアナ。彼らはメレアたちが助けておいてくれた」
「嗚呼……良かった……」
ジュリアナはシーザーの答えを聞いて、大きく息を吐いた。
「こんなときまで自分ではなく観客の心配とは、劇場役者の鏡だね」
シーザーがジュリアナに苦笑を向けながら言う。
「まあ、ボクもメレアたちのてきぱきとした手腕には結構驚かされてるよ。金の力に優れた参謀を中心としながら、なによりも凄まじいのはその行動力の方だ。あのメイドさんとかも、おそろしく身のこなしが軽やかだったしなぁ」
「そうですね。あのメイド格好の方は、素人の私から見ても只者ではないとすぐにわかりました」
「それでいて、ときおりメレアを見る目が尋常じゃなく熱っぽいけど」
――向こうは向こうでいろいろありそうだな。
シーザーはそのあたりの感情も見抜いていた。男の気持ちはそこまで敏感に察知できないが、女の気持ちは手に取るようにわかる。
それはきっと自分が――
「あ、シーザー、すみません。この衣装とても脱ぎにくいので、少し手伝ってください」
不意に、ジュリアナがシーザーの方に背中を向けて言った。
「ん? ――いいけど、ボク男だよ?」
シーザーは自分自身衣装を脱いでいる途中にその声を受けて、ジュリアナの方を振り返る。
「構いません」
「そっか。……わかった。ちょっと待ってね」
シーザーは結局、ジュリアナの許可を受けて彼女の傍へと歩み寄った。
「この紐が絡まってるんだね」
さらに、衣装を脱ぎにくくさせている部分をすぐに見つけ、細長く綺麗な指でそれを解いていく。
すると、
「わっ」
紐が解けたところで、ジュリアナが急に振り向いた。
そしてシーザーの胸元に、
「――やっぱり」
ジュリアナはシーザーの胸に手をおいて、納得の表情を浮かべる。そこには少し、困ったような色も混じっていた。
「あなたは『女』だったのですね」
シーザーはジュリアナの行動にまだ衝撃を受けているようだったが、ややあって観念したようにため息をついた。
「まったく、キミも策士だね。ボクが着替えているところを狙っていたなんて」
「あなたほどではありませんよ」
シーザーが困ったように笑うと、ジュリアナもまた小さく笑った。
〈道化師〉シーザーは、ジュリアナの言うとおり――実は女であった。
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