第121話「魔王たちの繋ぐ道」
メレアはザラスを抱えてヴァージリアの地上に出た。
あとからついてくるアルターを引き上げ、ついに地上で待っていた仲間たちと顔を合わせる。
「お二人とも〈
軽妙な声音と仕草でそう言ったのは、縦穴の出口の傍に立っていたシャウだった。
「ああ、『嘘でした』なんて言われなければその認識で大丈夫なはずさ」
メレアはそんなシャウの方を振り向いて言う。
「では、もしこれで嘘だったら相当な演技派女優ですね」
シャウはメレアの言葉を受けて、楽しげな笑みを浮かべて見せた。続けてその視線はメレアの腕の中のザラスへと向かう。
「あたしは演技が苦手だ」
「はは、そういう顔をしています」
シャウの視線に気づいたザラスがぶっきらぼうに言うと、シャウは遠慮なしにうなずいた。とはいえザラスにとっては、その遠慮のなさがかえって心地よくも感じられて、どう反応していいかとっさにわからないというふうに、バツ悪く視線を地面に落とす。
「さて、まずひとつ、事が済んで一息つきたいところですが――」
そんなやり取りのあと、ちょうどメレアがザラスを腕の中から降ろしている間に、シャウが話題を移した。
「例によって、さほど悠長にしている暇はないようです」
シャウは
「ああ、わかってる。――ジュリアナは?」
メレアもまたその顔に鋭い気迫を乗せ、シャウに訊ねる。
「アイズ嬢とシラディス嬢が『それぞれの方法』で追っています」
「アイズとシラディスか」
「シラディス嬢はどちらかというと保険です。絶対に逃がしたくありませんからね。まあ基本的に、アイズ嬢だけでも追えそうですよ。……いやはや、おそるべきことに」
シャウの感嘆のこもった言葉に、メレアもまたうなずいた。
――最近また一段と遠くまで見えるようになったって言っていたな。
アイズの〈天魔の魔眼〉は、こういう追跡や諜報活動のときに、おそるべき能力を発揮する。
そのこと自体は今に知ったことではなかったが、最近は認識距離の向上に加え、把握できる視野も広くなったという話だった。
「しかし、サイサリスの白装束たちが地下通路等を使うと、〈天魔の魔眼〉による追跡は一旦切れることになります。今のアイズ嬢なら再度地上に出てきたときにすぐ見つけられるかもしれませんが、迅速さと確実性を考慮して、シラディス嬢にも鼻で追ってもらうことにしました」
「なるほど」
「もし白装束たちが地下に潜った場合は、再度地上に出たときにシラディス嬢にわかりやすい合図を出してもらうことになってます。そうすればアイズ嬢も再追跡しやすいですし」
シャウは口角をあげて、『この
「西にある大きな建物の屋根上へ行ってください。そこにアイズ嬢がいるので」
「わかった」
メレアはシャウの言葉にうなずく。
それからすぐつま先を西へ向け、両手を開いていつもの術式装填の初動を取ろうとした。
だが、メレアはそこで思い出したようにシャウの方を再び振り向く。顔にはほのかな笑みがあった。
「――やっぱりシャウは俺とは出来が違うな。俺は何も考えずに突っ込んでばかりだ」
メレアはザラスたちに魔の手が迫っていたことを知ったとき、ほとんど衝動的に動いた。まったく後のことを考えていなかったわけではなかったが、少なくともここまで周到ではなかった。
対し、シャウはいつのまにか、驚くべき早さで手を回している。メレアはその敏腕ぶりに自分が何度も助けられていることを決して忘れない。
「ハハ、あなたはそれでいいのです」
そんなメレアの言葉に、シャウはきょとんと目を丸くしたが、すぐさま口を開いて言葉を続けた。
「なによりもまずは、魔王を守らねばならないのですから。私のようにいちいちあとのことを考えながら動いていたのでは、間に合わないこともあります。たぶん、今回はそうでした」
だから、ちょうどいいんです、とシャウが繋げる。
「それに、私たちはあなたのために道をつけるのが役目なのですから」
シャウは少し嬉しそうに、それでいていつも通りのわざとらしさを伴わせながら、妖しい笑みとともに優雅な一礼を見せた。
「――ああ」
メレアはあえて言葉を短く切ってうなずく。掛けようと思えばいくらでも声は掛けられる気がしたが、むしろ今はそれだけで十分な気もしていた。
「じゃあ、行ってくる」
そしてついに、メレアはアイズがいるという建物の方へと一歩を踏む。
「あ、一応言っておきますが――気をつけてください。ムーゼッグが絡んできてから、少し嫌な臭いが鼻につきます。さきほどのムーゼッグの手先もエルマ嬢が追っていますが、まだ何がどうなるか未知数な部分が多いです」
メレアは背中側から飛んできたシャウの真面目な声に、片手をあげて応えた。
「私たちはあらかじめ決めておいた待ち合わせ場所にまっすぐ向かいます」
「わかった。ノエルには〈竜鳴〉で知らせておくよ」
メレアはそう言いながら、
だが、実際に掌が合わせられる寸前、メレアのもとへまた別の人影が近づいて、その気配に気づいたメレアはとっさに動きを止めた。
「――マリーザ」
近づいた人影に視線を向けたメレアが、短く声をあげる。
メレアの傍にやってきたのは、それまで会話の邪魔をしないように整然として後ろに控えていたメイド衣装の女だった。
「……メレア様」
マリーザ=カタストロフ。
〈暴帝〉の号を背負った彼女が、その冷たい美貌の上に心配そうな表情を乗せて、メレアを見上げていた。
「マリーザ、ザラスたちを頼むよ。俺はジュリアナのところへ行く」
「……はい。しかと、承りました」
マリーザは両手を胸元で組んで、はっきりとうなずく。
そこには主人の命を忠実に実行しようとするメイドとしての矜持と、そんな主人の方をこそ心配するもう一つのメイドとしての矜持が混在していた。
そんなマリーザを見たメレアは、ふっと微笑を浮かべて、マリーザの頭に片手を伸ばす。
「大丈夫だよ、マリーザ」
言いながら、メレアはマリーザの頭を優しくなでた。
「ええ。……そう信じております。そしてこんな状況ですから、無理をするなとも言いません。――ですが、やっぱり少しだけ、言わせてください」
マリーザは慈しむようにメレアの手をとって、そこに自分の手を重ねた。
「どうか、ご無事で」
「うん」
メレアはまた優しげに笑って、最後にザラスの方を振り向いた。
「――ザラス」
「……ん?」
「安心してくれ。絶対にムーゼッグにもサイサリスにも手は出させない。俺の仲間はみんな優秀なんだ」
ザラスはその言葉を受けてすぐに答えた。その顔には苦笑があった。
「もう疑ってねえよ」
ザラスはそう言ったあと、すぐに襟を正して続ける。
「それよりも、ジュリアナを助けてやってくれ。……あたしがこんなこと言うの、都合が良いのかもしんねえけど」
「いいや、〈
メレアはまっすぐにザラスを見て言った。
そしてついに、胸元で拍手の音を響かせながら、西への二歩目を踏む。
「こっちは任せた」
その場に残る仲間たちに言葉を残し、メレアは白雷を纏って駆けだした。
一瞬のうちに猛然と加速した身体は、数度瞬きをするうちに街路の奥へと消え、屋根へと登り、暗い空の中を一筋の軌跡を描きながら翔けていく。
その白い光に夢を見せられた魔王たちは、ただ静かに、その背中を見守っていた。
◆◆◆
メレアがシャウの指差した高い建物の屋根上へたどり着くと、そこにはサルマーンと双子、そしてアイズがいた。
「よう」
サルマーンがメレアの到着にまっさきに気づいて、短く声をあげながら片手をあげる。
「アイズは?」
メレアが同じく手をあげて返すと、サルマーンはすぐにその手で自分の後ろの方を指差した。
サルマーンの促しにしたがってメレアがその先を見ると、
「すげえ集中力だぞ」
サルマーンの言葉どおり、微動だにせず、じっとして何かに集中しているような一人の少女の姿があった。――銀色の瞳に淡く光る術式陣を浮かばせたアイズだ。
「声、掛けても大丈夫そう?」
瞬き一つせずに宙へ視線を飛ばしているアイズを見て、メレアが少し驚きながら、サルマーンに訊ねる。
「大丈夫、だよ」
と、そのメレアの問いに、サルマーンではなくアイズ自身が答えた。
いまだに視線は宙へと飛ばされているが、メレアの声はしっかりと聞こえているらしい。
「そっか。早速だけどアイズ、ジュリアナが今どこにいるかわかる?」
「うん、わかる、よ」
アイズはまた目を開いたままで答える。
その様子はいつもよりどこか毅然としていて、むしろそこには力強ささえ見て取れた。
「今、広場を抜けて、西の大通りに差し掛かったところ。まっすぐ、そのまま都市門の方に、向かってる」
「そこなら〈白雷〉と〈六翼〉を使えばすぐに追いつけるな」
メレアはアイズの返答を受けて、再び合掌をした。
二度の合掌のあと、身体に白雷がまとわれ、同じく背中に風の六翼が展開される。
「気を、つけて。西の方、なんだか人が、少ない気がするの」
「サイサリスがなにかしたかな。あるいは、ムーゼッグが」
「わからない。けど、少し、嫌な予感がする」
アイズは無暗に不安を口に出すタイプではなかった。そんなアイズがあえて口に出すということは、その違和感に看過しがたいものを感じ取ったということでもある。
「わかった。気をつけるよ。こっちも気をつけて」
「うん」
アイズは〈天魔の魔眼〉を使用しながらで、メレアの方を向きはしなかったが、小さく、しかしたしかにうなずいた。
「サルマーン」
次にメレアはサルマーンの名を呼ぶ。
対するサルマーンは名を呼ばれただけで、メレアの言わんとすることを察し、すぐに答えていた。
「アイズは任せろ」
さらにそんなサルマーンの答えに傍らに控えていた双子――リィナとミィナが続く。
「任せろ!」「任せろ!」
「ああ、『任せる』」
メレアはサルマーンとリィナ、ミィナに一度ずつ視線を向け、それからまた視線を西に戻した。
「ここからの段取りはシャウに任せてある。もしかしたらこのままノエルに乗ってレミューゼまで戻ることになるかもしれないから、そのつもりで」
「そうだな。長居するよりもそっちの方がいいかもしれねえ」
サルマーンが重くうなずいた。
「じゃあ、俺は行く」
「お前も気をつけろよ」
「ああ」
そしてメレアは再び、夜空へ飛んだ。
跳躍で斜め上に飛び――直後、空中で風の六翼を羽ばたかせる。
それは鳥のように飛ぶための翼ではなかったが、その代わりに爆発するような勢いの風をメレアの背部で生み、その身体に莫大な推進力を与えた。
メレアは瞬く間にサルマーンたちがいる建物から一区画隣の建物群へと跳躍し、着地と同時に今度は街中をかける奇妙な
「毎度のことながら、ホントはええな……」
「メレアもう見えない」「横に走る
サルマーンと双子たちの呆れたような声がアイズの耳をついた。
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