第120話「けじめと決意」

「――状況はわかっているか」


 部屋の天井で揺れる灯火。

 その光に照らされた〈白神〉メレア=メアを、ザラスは地べたに座り込んだまま見上げていた。


 ――……なるほど。どうしてあの白い髪の魔神に〈白神〉なんていう二つ目の号が与えられているのか、わかった気がする。


「……状況か。ああ、わかってる。たぶんな」


 答えながら、ザラスはすぐにメレアから顔をそむけていた。それ以上、その姿を直視していられない。――否、『してはならない』。


「つまりは、ムーゼッグが介入して来たんだろ? ……狙いはあたしの〈光魔〉としての能力。特殊な術素回路。あとは――ジュリアナも」

「そうだ。やつらはサイサリスのヴァージリアでの活動に介入してきた。狙いは〈魔王〉だ」


 メレアはその点を決してぼかさなかった。

 ザラスはメレアの言葉を受けて力なく笑う。


「で、サイサリスはムーゼッグの介入に気づいて、――逃げた」

「ああ。まともにムーゼッグとやり合うのを避けることにしたらしい」

「良い判断だ。普通の国家としちゃそれで合ってる」


 ザラスは肩をすくめて、続けた。


「とはいえ、サイサリスだって簡単に魔王を手放したくはない」


 特にジュリアナは、〈魅魔〉としての能力を特にサイサリスに買われている。サイサリスの教化活動に、ジュリアナの魔眼はとても有用だ。

 対し、自分は術機を使うアルターとのセットで護衛としての力を買われているが、


「ジュリアナほど重要ではないってわけだ」


 別に、そのことについてとやかく言うつもりはない。

 こんなことですねたりもしないし、むしろジュリアナには同情すらする。


「そうだ。だがムーゼッグにとっては――『逆』だったらしい。ムーゼッグはむしろ〈光魔〉であるザラス=ミナイラスの方をこそ欲した」


 ――もうあたしの名前も知ってるのか。


 もしかしたらこの男の裏には優秀な諜報員がいるのかもしれない。あるいはレミューゼと結託しているからこその情報網か。ザラスはわずかに冷静さを取り戻した頭でそんなことを考えながら、再び声を放った。


「そういう色々が重なって、あたしはサイサリスの連中がジュリアナを連れて逃げるための『囮』にされたんだな」

「――ああ」


 やはりメレアは事実をごまかしたりはしなかった。

 だがザラスにとっては、かえってその断言がありがたかった。変な希望を、持たずに済む。

 願望や夢想に寄り添うと、魔王という立場の者は簡単に死ぬ。

 だから生き残るためにはこれくらいでいい。


「……居場所を失くしたと思っているか」


 メレアからの声。ザラスは視線を落としながらも、さきほどより少しメレアの位置が近いことを音の強弱で察した。


「別に、そんなんじゃねえよ。もともと居場所ってほどの場所でもなかった。クソ広い荒地に佇んでるよりはマシだから、そこにいただけだ」


 サイサリスというのは、寒風の吹く荒地に立てたボロ小屋のようなものだった。ないよりはマシだが、あったからといって安全というわけでもない。


「でもまあ、そんな自分がそういうギリギリの小屋の中からも追い出されて、また荒地に投げ出されたってことだけはちゃんとわかってる」


 ザラスは言った。頭の中ではすでに、どうやったらアルターをもっと良い場所にいさせてやれるかを考えていた。せめて、アルターだけでも。

 しかし一方で、


 ――まあさすがに……少し疲れてきたな。


 正直に言えば、今回のはいつもよりこたえた。それは裏切られたからではない。裏切られるのはいつものことだからもう慣れている。

 今回こたえた原因は、あの強国ムーゼッグが自分たちを追っている、ということを突きつけられたせいだ。そのせいで、いつもより事態が重く感じられるのだ。


 不安と焦燥がいまさら同時にやってくる。ザラスは嫌な胸のムカつきを感じた。

 すると、


「居場所が、欲しいか」


 そこでまた、声が来た。


「そりゃあ、そんなものがあるならな」


 もうずっと探している。

 でもまだ見つからない。

 そんなもの本当はないのかもしれない。


「なら言おう」


 そこで、白神が言った。


◆◆◆


「俺が居場所を与えてやる」


◆◆◆


 ザラスは再び顔をあげ、メレアの顔を見た。


「俺の名は〈メレア=メア〉。レミューゼに拠点を置く〈魔王連合メア=ネサイア〉の長だ」


 まるで舞台上の主演役者のようだった。地下の薄暗い闇の中で、たいして光なんてないのに、不思議と白く輝いているように見える。

 そしてザラスは、メレアが手を差し出してきたのを見た。その手は戦闘者のものとは思えないほど綺麗な手だったが、それでいてとても、大きく見えた。

 ザラスは思わずその手に自分の手を重ねてしまいそうになる。

 しかし、


「……ダメだ」


 伸ばしかけた右手を、左手が押さえていた。

 それから首を振って、ザラスは言った。


「あたしはお前にとても『良くないこと』をした。あたしはな……お前の思いを一度踏みにじったんだ。利用したんだよ。あれは本当に、良くないことだった」


 ザラスは自分の思いを正直に吐露した。


「だからあたしには、お前の手をつかむ資格がない」


 それは彼女なりの、けじめだった。


「……お前はたぶん、すごく強いやつだ。身体がって話じゃねえ。意志とか、心が。ついでにたぶん、ものすげえバカだ。現にムーゼッグに狙われてるってのを見ておきながら、あたしみたいなのに『ついてこい』なんて臆面おくめんもなく言えるお前は、すごくバカで――強い」


 ザラスは偽りなくそう思っていた。あの噂はいつの間にか、自分の中で真実へと昇華している。


「恥ずかしげもなく、変な見栄も張らず、クソ真面目に。たぶんその上でいろいろ、現実的なことも考えてるんだろうけど――」


 レミューゼを拠点にしている、ということがそのあたりのことを証明していた。最初から魔王だけがどこかの場所で独立するのは無理がある。


「でもやっぱり、『居場所をやる』なんて言えちまうお前はすごいよ。だから、ほかにも居場所のない魔王がいたら、そう言ってやれ」


 ザラスはそう言って、またメレアから顔をそむけた。

 しかし、その直後にあることを思い立って、最後に言葉を繋げる。


「ただ、そうだな……、もし正式に魔王じゃなくても受け入れてくれるってんなら――」


 ――せめて、アルターだけは。


 そう思ってすぐに言葉を口にしようとしたら、不意に向こうから、声が飛んできていた。


◆◆◆


「なら、俺が勝手にその手をつかむ分にはいいんだな」


◆◆◆


 気づいたら、誰かに手を取られていた。

 ザラスがとっさに顔をあげると、自分の手を優しげな笑みで引っ張るメレアの姿が近くにあった。

 そして声をあげる間もなく、自分の身体が彼に、抱き上げられていた。


「……あっ!?」

「今の話しぶりからすると、絶対に嫌だってわけじゃないんだろう? 前みたいに、サイサリスとの関連があるから敵対するんじゃなくて、自分の良心の呵責かしゃくがあるからあえて手を取らないわけだ」

「そっ、いやっ、ちょっ――」

「嫌だというものを無理やりさらうのは、さすがに俺も躊躇する。個人の意志を捻じ曲げることになるから。でも、嫌でもなく、前向きでもない、いわば中立であるというなら――俺は踏み込むよ」


 メレアは真面目な顔で腕の中のザラスを見下ろしながら言った。


「判断はあとでしてくれればいい。もしこれから一緒にいて、信頼に足らないと思ったときは、好きなようにしてくれ。ほかにもっといい居場所を見つけたときも、好きなようにしたらいい。正直に言えば、そうなったとき俺はたぶん引き留めると思うけど、でも無理に引き留めることはしないとも思う」

「……」

「だから、今現在どこにも行く場所がないなら、とりあえず俺のところへ来るといい。今この場ではっきりと嫌だと言うのなら、もう一度君を降ろそう」

「っ……」


 メレアのまっすぐな視線を受けて、ザラスは唇を噛んだ。

 

「っ、い――」


 ――けじめだ。嫌だと言え。


「姉ちゃんを連れて行って!」


 否定の言葉を紡ごうとした瞬間、ザラスの耳を、アルターの声が穿うがっていた。

 声がやってきた方を見れば、アルターが地べたに膝をついたまま、メレアに向かって頭を下げようとしていた。

 ザラスはその弟の姿を見て、


「――」


 何も言えなくなった。


 すると今度はメレアが、ザラスを抱えたままアルターに近づき、下げようとする頭を手で制する。


「アルターって言ったっけ。別に魔王じゃなきゃ引き入れないってわけじゃないから、一緒に来るといい」

「えっ?」


 アルターはきょとんとしながら、メレアを見上げた。


「俺は君を尊敬するよ。よく今まで一人で魔王を守ってきたなって。たった一人なのにその思いを捨てなかったことは、本当にすごいことだ。俺だってみんなに支えられてやっとなのに」


 アルターはメレアの言葉を受けて、不意に泣きそうな顔を浮かべた。

 だがすぐに目元を服の袖で拭って、


「俺の、大事な、姉ちゃんだから」


 そう小さく言う。

 ザラスはそのとき、自分がこの弟に思っていたよりもずっと『守られていた』ことを悟った。


「まあ、ひとまず外に出よう。上でほかの仲間も待ってる。俺にもまだ、やるべきことがあるから」


 そう言ってメレアが部屋の壁に開いた大穴を顎で指した。


「隣の部屋の天井をぶち壊してきたから、そこから上に上がれる」


 メレアに抱きかかえられたまま大穴を抜けると、言葉どおり、見事に天井がぶち壊された部屋に出る。

 いったいなにをどうすればこの地下までこんな穴を開けられるのか、とザラスは思いながら、上を見上げた。

 するとそこに、芸術都市の夜空と二つの人の顔が映る。

 三日前の邂逅のとき、ちらと見た顔だ。

 

 ――……あいつらも魔王なのかな。


 ザラスはなんともなく思いながら、腹の底から込み上げてくるものを感じた。ひとかたまりの熱のようなものだ。それは目元までやってきて、ついに視界を霞ませる。


 ――そういう柄じゃねえのに。


 どうにもここ三日は、泣いてばかりいる気がする。

 でも今は、隣に感じるメレアの温もりが――涙を止めるのに邪魔だった。


◆◆◆


 ――意気地がないのか、それとも自分で思うよりずっと頑固なだけなのか、自分でもよくわからない。


 メレアは結局、許すことしかできなかった。

 ジュリアナに関連した諸々があって、まったくザラスたちに文句がないとは言わない。

 それでもメレアは、許した。

 それがメレアの選択だった。


 ムーゼッグの介入をシャウが突きとめてから、メレアは即座にザラスたちを救いに行くことを決断した。彼女たちを説得する材料はさほど揃っていなかったが、もはやそれも関係ない。足踏みはもう、嫌だった。


 ――やっぱり俺は、甘いのだろうな。


 確実に今手元にあるものだけを守るのなら、これからこういう許容を見せる必要はないのだろう。

 でもそれは、メレアの目指したものではない。

 それでは単に、仲間を守るだけなのだ。

 それが悪いとも言わない。十分に立派だ。

 しかし、自分がそこに甘んじたとき、


 ――魔王を救うなどという言葉に、意味はなくなる。


 それはひとたびに妄言へと堕ちる。

 

 ――だから、まだ。


 高空に張られた、細いつなの上を渡っているのだ。

 どこまで続いているのかもわからない、綱の上。

 失敗したら落ちて、間違いなく後悔する。

 そんなこと誰に言われなくたって自分が一番よくわかっている。


 ――でも俺にはまだ、この綱しか見えないんだ。


 だから、その場その場で綱の上から落ちないように必死でバランスを取りながら、そこを進む。まったく馬鹿みたいなやり方だ。


 ――俺は、彼らの優しさに支えられている。


 自分は、〈魔王連合メア=ネサイア〉の魔王たちや、ジュリアナのように行く先々で関わった魔王たちが『いいよ』と言ってくれるかぎりは、その綱を渡るだろう。

 もしかしたら彼ら彼女たちは、無理をして『いいよ』というのかもしれないけれど、十分な力のない今の自分は、その優しさに甘えるしかない。


 ――いずれ、その優しさに必ず報いよう。


 このままでいるつもりはない。周りのみんなが無理をしなくていいように、自分はより大きくなる必要がある。


「……ジュリアナは?」


 ふと、縦穴を登っている途中、ザラスが問いかけてきた。


「助けるよ、絶対に」


 メレアは彼女の問いに答える。


「あたしはジュリアナにも、ちゃんと謝らなきゃいけないんだ」


 ザラスが視線を落としながら言った。


「ああ。――俺もだ」


 メレアはあの水色髪の彼女の姿を思い浮かべる。

 誰よりもすべてに優しかった、彼女の姿を。


「大丈夫。すぐに会えるから」


 メレアは最後の救出へ向けて、意識を研ぎ澄ませる。

 今はただ、前だけを見た。

 もう迷っている暇はない。迷う必要もない。


 ムーゼッグからもサイサリスからも、魔王を守る。


「必ず、会えるから」


 メレアの意志の光が、その赤い瞳の中で力強く輝いていた。

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