第119話「魔神との再会」

「守る? おもしろい冗談だな。ムーゼッグが魔王を守るなんて、最高に笑える冗談だ」


 ――あたしたちはジュリアナっていう宝石から目をそらさせるための撒きか。


 ミハイの言葉に答えながら、ザラスの内心に思った。


 ――さすがのサイサリスも、現状でムーゼッグと真っ向から敵対するのは避けたかったんだな。


 強国ムーゼッグ。その名前を聞いて、ザラスのめぐりの良い頭はすぐに今の状況の答えを導き出す。


 サイサリスはこの芸術都市ヴァージリアで魔王を利用した教化活動を行っていた。

 だがそこへ、予期せぬムーゼッグの介入があった。

 ムーゼッグが首を突っ込んできた理由は、


 ――疑う余地もねえ。こいつ自身が言ったじゃねえか。


 魔王だ。

 ムーゼッグ王国は魔王の力をもっとも積極的に集めている国家である。

 東大陸を制圧するためとも言われているし、他大陸との巨大な戦で利用するためとも言われていた。

 端的に言えば、世界を征するためにあらゆる力を求めているのだ。


 そんなムーゼッグが、同じく魔王である〈魅魔〉を『ついで』と称した。

 ムーゼッグが真に求めるのは〈光魔〉であると。

 〈光魔〉の血を求める理由なんて、もう言われなくてもわかる。


「……術機か」


 ふと、ミハイを前にしてザラスが言葉をこぼした。さきほどよりも少し声が弱々しい。

 対するミハイは、アルターの喉元に剣の切っ先をつきつけながら、軽く眉をあげてみせた。


「なるほど、頭は回るらしいな」


 ミハイは微笑を浮かべて続ける。


「そうだ、術機だ。運が悪かったな、〈光魔〉。――時代が悪かったんだ。近頃の術機の発達がなければ、お前はまだずいぶんと放っておかれただろう。だが、話が変わった。術機は術師とともにこれからの戦争を左右する。術機は術師としての才能がない者までも、術師に匹敵する戦闘者にしてしまうのだ。これが量産されれば驚異的な戦力になる」

「だろうな」

「まあ、いまだに術式の反作用やら、事象の相反効果やら、燃料確保のむずかしさと共にいくつかの問題が残っているが、すべてを解決すればムーゼッグはさらなる高みへ昇れる」

「戦うことしか考えてねえんだな、お前ら」

「お前ら?」


 ミハイは鼻で笑った。


「〈光魔〉の末裔がよく言う。お前の身体だって、もともとは戦いに飢えた人間が造ったものだろうに。さも自分がこの戦いの螺旋の外側にいるような言い方はやめろ」

「黙れ!」


 そこでアルターがミハイに怒声を飛ばした。


「喋るな。斬るぞ。お前が〈光魔〉の燃料回路を持っていないのはわかっている。お前はそこにいる姉のおかげで、ぎりぎり生かされているんだ。お前が死んで後追いするように自死でもされたら面倒だからな」

「っ!」


 ミハイの剣の切っ先がまた一寸、アルターの喉元に近づく。


「黙ってな、アルター」


 ザラスがアルターを一瞥して言った。

 それからすぐ、ミハイへと視線を戻す。


「そうだ、あたしの先祖は、戦いばかりを考えてた。その上クソなことに、ずいぶん頭が良かったらしい。術機産業が隆盛する時代を予想し、それを先取りしてこんな燃料回路を一族の身体に刻んだ。だが頭が良かった一方で――バカでもあった。思ったほどすぐには時代が追い付いてこなかったし、理論を実際の形にするまでに時間が掛かりすぎた」

「そうだ、光魔回路は理論ばかりが先行した。しかしこの時代になって、ようやく完成した」


 ――クソ親父が、完成させた。


「まるでムーゼッグのためにあつらえたかのようなタイミングの良さだ」

「都合の良い解釈するんじゃねえよ。たしかに親父はクソだが、別にお前らのためにこれを完成させたわけじゃねえ」

「なら誰のためだ。何のために、お前の父は光魔回路を完成させた」


 ザラスはミハイの問いに、


「――」


 答えられなかった。


 ――あたしだって……わからねえよ。


 背中に刻まれた気味の悪い術式が、ほのかに熱を持った気がした。


◆◆◆


 自分の父は、いかにも〈光魔〉の家系らしい人間だった。

 狂気的な学者気質とでも言おうか。

 理論の完成と、回路の実現のために、ほかのあらゆるものを犠牲にしてしまえそうな男だった。

 ついでに言えば、術式学者としては、〈光魔〉の家系随一の天才でもあった。


 ――結局あの男は、あたしの身体に光魔の回路の完成を見て、すぐに死んだ。


 この忌々しい回路を完成させるためだけに神に生を与えられていたと言わんばかりの幕切れ。

 この力を使って『人の役に立て』、なんてありきたりなことも言わなければ、『戦争を止めろ』とも言わないし、『この術式理論を世間に発表して名誉を』とすら言わなかった。

 とかく、人間味がない。

 本当に、ただ先祖代々引き継いできた術式の完成だけを目標にしてきたのだろう。

 自分という子供を作ったことさえ、たぶん光魔回路の完成のためだったのだろうと思う。


 そんなものだから、特段に願われもせず、命令もされず、ただ身体にこんな術式だけ刻まれて、野に放り出された自分は、何がなんだかわからない。


 自分はなんのために、こんな能力を身体に宿しているのか。

 これならいっそのこと、何か理不尽な使命でも与えてくれた方が良かったかもしれない。

 持て余すこの背中の術式をどう使うべきかに答えがあるのなら、


 ――教えて、くれよ。


 ザラスは心の中で思った。


「教えてやる」


 と、再びミハイから声があがる。

 まるで、すぐに答えられなかったザラスを見て内心の逡巡をすべて察したかのような言葉。

 その顔にはほのかな笑みがあった。少年の色が残る無垢な美貌と相まって、その笑みはとても美しかったが――同時に、ひどくおそろしくも見えた。


「『ムーゼッグに使われるため』だ」


 次いで放たれたミハイの言葉に、ザラスはカっとなった。

 身体の奥でぐつぐつと煮えたぎった何かが飛びあがって、喉を伝って口から漏れ出そうな感覚。

 だが、


「ッ……!」


 違うと、言えなかった。

 ほかに明確な答えを持たない自分は、なにも言えない。

 でも、違うと言いたい。


 ザラスは拳を握って、鋭い視線でミハイを貫く。

 しかし、意図せず目尻に熱いものが込み上げてきたのを感じて、


 ――やめろ、みっともねえ。


 ザラスは袖で目元を拭った。


 ――涙なんか……


 これではあまりに情けない。

 思いながらも、身体は言うことを聞かない。じわりじわりと身体の奥から何かが染みだしてくる。

 ザラスの心は、自身で思っている以上に、限界が近かった。

 

「――お前は絶対許さない」


 と、不意に、今度はアルターの声があがった。

 アルターは今まで聞いたことが無いような低い声で、言葉に怒気を表していた。

 そしてアルターが、手に持った術機銃の銃口をミハイに向けようとするのを、ザラスは見た。


 ――だめだ、アルター。


 その銃口をミハイに向けた瞬間、アルターは斬られる。

 この男には、偉そうな口を利くだけの力がある。

 自分でもそれがわかるのに、よりそういうものに敏感なアルターが気づいていないわけがない。

 ザラスはとっさにアルターを止めようとした。


「アル――」

「姉ちゃん、俺、絶対姉ちゃんを逃がすから」


 しかし、一転してとても優しげな声がアルターから飛んできて、言葉の頭を押さえられる。


「だから、姉ちゃんは振り向かないで逃げてね」


 ――やめろ。


「俺、姉ちゃんの弟で、本当に良かったよ。口はちょっと悪いけど、こんな優しい姉ちゃんほかにはいないと思うから」

「やめろっ!! アルター!!」


 ザラスはその瞬間叫んだ。震える足で立ちあがり、とにかくアルターをミハイから遠ざけようとする。

 しかし、ザラスが駆けだす前に、アルターとミハイの間で殺気にまみれた視線のやり取りがあった。

 アルターがついに、術機銃を掲げる。

 瞬間、ミハイの目に嫌な鋭さが宿った。


「――なら死ね」

「お前が死ね」


 二人の言葉と武器が、交差する。


 一瞬の攻防。

 ミハイの剣が目に見えぬほどの速度で舞った。

 掲げられていた術機銃が遠くへ弾き飛ばされた。

 もう一本の術機銃がミハイに向けられる。

 即座に放たれた弾はミハイの頬をかすめるに留まった。

 再び銀閃が術機銃を弾き飛ばし、なめらかに走った刃はそのままアルターの喉元へ―― 


◆◆◆


 最初にやってきたのは、隣の部屋からの判然としない声だった。


 それからすぐに、音と衝撃が来た。

 三人は同時に、それを見る。

 ミハイとアルターの攻防が最後の一幕に差しかかった瞬間――


 部屋の壁が、轟音とともに砕け散った。


 そして、一瞬にして瓦礫と土煙が舞い上がった中から、


「――」


 白い髪と赤い瞳を持った男が、白い雷をまといながら突っ込んできていた。


◆◆◆


 その男は、この隔離されていた部屋の立地など関係ないと言わんばかりに、すべてをぶち壊しながら一直線にやってきた。


「ッ!!」


 ザラスは、ミハイがその男の姿を見て気圧されたのをたしかに見る。

 その一瞬の隙に、とっさの反応でアルターを自分の懐に抱きこんだ。

 あとは――二人の対峙を見ていることしかできそうになかった。


◆◆◆


 ――こいつ……!


 ミハイは不意をつかれた。

 壁を突き破ってやってきたこともだが、なによりもその姿を見て驚愕を覚える。

 忘れもしない。


 ――〈メレア・メア〉……!!


 自分の敬愛する主の腕を吹き飛ばした男。

 〈魔神〉の号を持つ、忌々しいあの魔王。


 ――なぜこいつがここにいる!


 いや、もはやその過程を考えることに意味はない。

 ミハイは即座の動きで剣の切っ先をメレアに突きこんだ。

 狙いは喉元。まだ向こうの手は動いていない。出会いがしらの一撃は通る。

 そう、思った。


「ッ!」


 だが、突きこんだ剣の切っ先が、おそろしい速度で稼働したメレアの片手に弾かれる。

 予想を上回る速度。そもそも素手で剣をいなすこと自体がどうかしている。


「くっ!」


 ミハイは弾かれた剣を急いで戻しながら、今度は横に一閃した。

 再びそれを、手刀で弾かれる。

 その間にミハイは逆の手でももの横に差していた暗器短剣を飛ばした。


 瞬間、懐で暴風が吹き荒れた。


 あのとき見た『風の翼』。

 六翼を前に畳み込むようにして、壁を作った。

 暗器短剣は風の翼にぶち当たって逆方向へ弾き飛ばされる。刃がミハイの頬をかすめた。


「くッ……そ!!」


 そこからメレアの動きがさらに加速していく。

 ミハイは一瞬一瞬に命をかけているような感覚を覚えはじめていた。

 濃縮された時間の中で、かろうじて追いつく自分の剣。

 攻撃の手が、徐々に防御の手に転じていく。

 〈魔神〉の白い雷をまとった両の手刀は、まるで本物の剣のような切れ味をともなっていて、手刀が触れた瓦礫は真っ二つに割断されていた。


 ――当たれば死ぬ。


 端的な予測がミハイの脳裏をよぎる。

 そして、


「――退けッ!!」


 一瞬の攻防ののち、ミハイが出した結論はそれだった。

 自分の後ろに控えていた部下たちに、ミハイは叫んでいた。


「しかし〈光魔〉がそこに――」

「死にたいのかッ!!」


 部下からあがりかけた抗議の声を、ミハイが怒声で遮る。

 

 ――お前らはこの化物のおそろしさを知らないから……!!


 ミハイはメレアを憎んでいた。

 そして同時に――おそれてもいた。


 ――斬れるものならとっくに斬っている。

 

 だがこの時点で自分にこの男を斬る手段がないことも、ミハイは冷静に自覚していた。

 セリアスから国家の戦力を預かった身として、このまま部下たちを全滅させるわけにもいかない。


 『仮にアレと出会ったら、お前らは真正面からやり合うな』


 大きく後方へ下がる一歩を踏みながら、ミハイはセリアスの言葉を思い出していた。


 『魔王を求めれば、おそらくまたどこかでアレと出会うことになるだろう』


 それを予測していたがゆえの言葉。

 そしてまさに今、そういう状況に直面している。


 『別段、攻撃を仕掛けることは禁じない。だが――アレの髪が黒くなったら、すぐに逃げろ。兵たちを無駄死にさせるのは忍びない』


 セリアスはそんな言葉も残していた。セリアス自身は『いずれアレは私が殺す』と言っていたが、部下に対しては入念に注意を与えた。


 ミハイはその言葉を思い出しながら、ぎりぎりの時間の中で、もう一度メレアの方へと視線を入れる。土煙がずいぶんと落ち着いて、視界はだいぶ良くなっていた。


 直後、ミハイはその良好な視界の中で、あるものを見る。


 ――メレア=メアの髪が……


 一瞬、黒く明滅した。


 そして残った土煙をすべて払うように、そして牽制を入れるように、大きく剣を振るったとき――


 ミハイはその〈魔神〉の顔に、冷たいながらも強烈な怒気が表れているのを見た。


 子を守る猛獣。

 否、


 ――これはそんな生易しい生き物じゃない。


 獣と称することさえ、ミハイには躊躇われた。


「退けッ!! 早く!!」


 そしてミハイは、部下たちが全員外の通路に走っていくのを見ながら、それに続いた。

 後ろからメレアがすぐに追ってくるだろうかと思ったが――


 意外にも、あの〈魔神〉は自分たちを追ってこなかった。


 しかしそのことがかえって、ミハイに強い敗北感を与えた。


「――くそッ!!」


 ミハイの悪言が、芸術都市の地下に強く響いた。

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