第十一幕【最後の救出劇】

第118話「最後の舞台の幕が上がる」

「あんなことがあったせいか、今回はなかなか外に出してもらえませんね。いつもなら定例の集会のあとすぐに自由にしてもらえたのに」

「お前を狙ってるやつらがいるってわかっちまったからな」


 あの騒動からすでに三日ほどが経っていた。ジュリアナは、ザラス、アルターとともに、いまだにサイサリス教信者たちの隠れ家にいる。

 地下の、迷路のように入り組んだ施設の一室。窓のない地下であるためか、ご丁寧に外の景色を連想させる絵画が部屋の壁にかけられているが、かえってそれらの気遣いは今の三人に鬱陶しさを感じさせていた。


「これ、サイサリスの連中が掛けたものだと思うか?」


 ザラスは三日前と比べるとずいぶんと活気を取り戻していた。

 左眼を前髪で隠しながら、露わになっている右眼の方でジュリアナを見る。

 ジュリアナはジュリアナで、三日前と比べるとさすがにやや身だしなみが崩れてはいるが、それでも十分すぎるほどの美しさをいまだその身にたたえていた。


「どうでしょう。あの方々がそこまで気を遣ってくれるとは思えませんが」


 ジュリアナは小さく首をかしげながら、ザラスの問いに答える。

 別段怒っているふうでも、悲しんでいるふうでもなく、純粋に不思議がっているような様子だった。


「それもそうか。じゃあ、この地下拠点を作った人間が、最初に掛けたのかな」

「そうかもしれませんね」


 ザラスのぼんやりとした言葉に、またジュリアナが答える。

 すると、今度は机に突っ伏して大きく腹を鳴らしていたアルターが、情けない声音で口を挟んだ。


「姉ちゃーん、腹減ったー」

「我慢しな、バカ弟」


 ザラスがすかさず言う。


「でもー」


 アルターは机に突っ伏した状態で右に左にと首をまわし、その額を机上に押し付ける。


「もうすぐだ。いずれ、たぶん――もう一度『やれ』と言われる。新派サイサリスの連中は、旧派と真逆ででかい欲があるからな。たとえ多少の危険があるとわかっていても、たったの一回だけで終わり、ってことにはしねえだろ」


 ザラスが言った。


「……もう一回かぁ」


 その言葉にアルターはうんざりとした表情を見せる。一方で、姉が珍しくハッキリとした言葉を使わなかったことに、内心で少し驚いていた。もしかしたらそのあたりがジュリアナに対する罪悪感の表れなのかもしれない。


 ともあれ、『やれ』というのは、例の『公演』のことだろう。


 アルターは先日の劇中に起こった出来事を思い出す。

 ジュリアナの〈魅魔の魔眼〉に魅入られて、ひとたびに意識を失っていった観客たち。

 あのあと、何もなければ、彼らにサイサリスの教化術式をかける算段だったが、自分たちはそれを見る前にジュリアナの護衛として外に出てしまったから、実際にどうなったかはわからない。また、部外者に近いから、くわしいその後を改めて聞かされたということもない。


 ――でも、あの白い髪の人がいたなら、うまくはいかなかっただろうな。


 自分たちが外に出てから、追われている、という感覚を覚えるまでに、少し時間差があった。

 その間に劇場の方で何かが起こった可能性は高い。たぶん、あの観客たちは無事なのだろうと思う。漠然とした予想だ。


「それにしても、教化術式って、改めて考えるとひどい代物だね」


 アルターが言った。

 実際にその術式に明確にそんな名称があるわけではなかったが、あえて言うならばそう呼称するしかない。

 アルターはあの術式に嫌悪感を抱いていた。


「本当に、昔のサイサリスとは真逆だ。もちろん、積極的な教化が悪いとは言わないけれど、ここまでくると教化ではなく洗脳だし」

「サイサリスはムーゼッグほど直線的ではないにしろ、最近やっていることはやつらとそう変わりないからな」


 ザラスがアルターの声に答えた。

 それから続ける。


「いや、この場合、むしろムーゼッグの方が例外なんだ。あんな真正面から、堂々と、『力をよこせ』だなんてやってるの、『国家』としちゃ異例だろ。太古の悪徳の魔王がひとりで力を振り回してそういうことしてるってんならありがちな昔話っぽくて信じやすいんだが、国家単位でそれをやるとなるとまた別だ」

「そうかもしれませんね」


 ザラスの言葉に、今度はジュリアナがうなずいた。


「国家ってもっと陰湿に、からめ捕るようにまわりを捕食していくってイメージがあったんだが、この場合サイサリス教国のほうがそういうイメージに合致している気がするよ、あたしは」


 ザラスはこの部屋に弟とジュリアナ以外がいないことを確認してそう言った。


「とにかく、サイサリスも大きな力を求めてる。何のためかは知らない。教皇や大司教の考えなんてあたしにはわからねえからな」


 ザラスが肩をすくめる。


「もしかしたら、最初は身を守るためにやっていたのかもしれねえが――結局それがどこかで、侵略のための力に傾いていったのかもな。……よくある話だ」

「力というのは、魔性ですから」

「魅魔がいうとなんだかグッとくるよ」

「そういうあなたも魔王でしょう?」

「……ああ、そうだよ」


 ザラスはジュリアナの問いに正直に答えていた。

 もしかしたらサイサリスの信者たちに知らされていたのかもしれないが、面と向かってそのことについて話したことはない。


「だから、わかるよ。あたしは自分の身体に宿る力をうまく扱えないから直接的にはわからないけど、あたしを追ってくるやつの顔とか目を見れば、力ってのがどれだけ魔性なのかはわかる」


 いずれにせよ、もはやそれを隠す意味もないように思えた。


「……どうして、あんたはサイサリスにいるんだ」


 ふと、ザラスがジュリアナに訊ねた。

 今になって、似た境遇の魔王としての共感が芽生えている。

 だからこそ返ってくる答えはほぼわかっていたが、明確な言葉として、彼女からその理由を知りたかった。


「追われたからです。戦う力のない私には、あの絶望の中で差し伸べられた手を振り払う勇気はありませんでした。たとえその手が――黒ずんでいるとわかっていても」

「……同じだな」


 完全に同じではない。

 しかし、理屈は同じだ。


「あたしにはアルターがいたけど」


 ザラスは机の上に突っ伏したまま動かなくなっているアルターへ視線を送る。気づけばアルターはその体勢のまま眠りこけていた。

 「器用なやつだ」とザラスが苦笑して、またジュリアナの方を見る。


「こいつはあたしを一人にしないために、こんな過酷な道に付き合ってくれてるんだ。バカだけど、まっすぐな弟なんだ。……できればあたしは、ついてきて欲しくなかった。いや、ついてきて欲しかったけど――やっぱりついてきて欲しくなかった」


 矛盾したその言葉に、ジュリアナはうなずきを返した。彼女の言いたいことは、よくわかっていた。


「こいつは血のつながった弟だけど、実は――半分なんだ。種違いってやつでな。あたしの〈光魔〉としての能力は親父側から継いできたものだ。どっかでご先祖サマがこの血に呪いをかけて、それが親父側から流れてきた」

「――呪い」

「術式にくわしくないやつから見れば、こんなのはわけのわからねえ呪いと同じだ」

「そうですね。私もそう思います」


 ジュリアナも〈光魔〉であるザラスと似た能力の持ち主だった。

 後天的に継がれる術式の力などではなく、生まれつき身体に組み込まれいた――先天的な力。

 互いに身体の一部に術式が刻まれている共通点を思うと、どこかの時代でこういう手法が盛んになっていたのかもしれないとも思えてくる。

 もしかしたら、互いの先祖は、同じ時代に生きていたのかもしれない。


 ――確かめようなんて、ありませんけど。


 少し強引にでもそう考えると、不思議と親近感が湧く。

 だから、今はそういうことにしておこうと、ジュリアナは心の中で思った。


「ともかく、弟は、そんな呪われた血は継いでない。そんで、こいつは泣き虫だけど、結構いろんな才能があるんだ。手先も器用だし、手に職ってのも悪くない」


 ザラスはアルターを優しい目つきで見ていた。


「こいつには、いろんな道があった。……いや、まだある。だから、できれば早めに――」


 と、ザラスがそこまで言ったとき、アルターが座っていた椅子の足がぼきりと一本折れて、アルターはそのまま顔面を机にこすりつけながら床に倒れ込んだ。


「んあっ! 痛い!! ――えっ!? なにっ!? あっ、顔痛い!! えッ!?」

「あは、あはは、お前、本当に運がないな、アルター」

「なに笑ってんだよ姉ちゃん! うわっ、この椅子ボロボロじゃん! もっと早くに気づいておけばよかった! せっかく気持ちよく寝てたのに!」


 アルターは顔をさすりながら、今にも泣きそうな顔で自分と一緒に倒れた椅子を見る。

 そしてすぐに椅子にぶつくさと文句を言いはじめた。

 その様子を見て、ザラスとジュリアナは一緒に笑う。


 さきほどまでの二人の会話は、そこで自然と途切れた。


◆◆◆


 それから、数十分が経った。

 三人は適当な雑談を重ねながら、部屋の外からのアクションを待っていた。

 すると、さらに数分が経ったあと、ようやく動きが起こる。


「ジュリアナ、出ろ」


 ギギ、と、立てつけの悪い部屋の扉が開いて、その向こうから白装束に身を包んだ男が姿を現した。


「わかりました。……次の公演ですか?」

「違う」

「……?」


 ジュリアナは返ってきた答えに思わず首をかしげる。疑問符が彼女の頭の上に現れた。

 だが、白装束の男が面倒だといわんばかりに早く出るよう仕草を見せたので、ジュリアナはおとなしく従うことにする。


 扉の手前でジュリアナは部屋の中を振り返り、ザラスとアルターにいったんの別れを告げた。


「それでは、また」

「ああ」

「気をつけてね、ジュリアナ」


 ザラスが短く返し、いつの間にかジュリアナに気軽に接するようになっていたアルターも、彼女を気遣う言葉を返した。

 そしてジュリアナは白装束に連れられて行く。

 部屋には、ザラスとアルターが残った。


◆◆◆


 それから、さらにいくばくか。


「外が騒がしいな」


 ザラスが不意に耳をそばだてて言った。

 外から、ざわつくような音が聞こえた気がする。


「祈りでも捧げてるんじゃないの? 改変されたサイサリスの神に」


 そう言いつつも、アルターが姉の疑問に応えるように、おもむろに扉に歩み寄った。

 扉に耳を当てて、外の音を拾う。


「んー……」


 しかし、よくわからない。

 たしかに音が錯綜している気がするが、不鮮明だ。


「さっき扉は開けるなって言われてたけど、少しくらいならいいかな」


 ジュリアナを迎えに来た白装束が、去り際にそう言っていた。

 思わず首をかしげたが、立場の弱い自分たちはそれに「いいえ」とは言えない。ひとまずうなずいて、あの場は流した。


「そーっと……」


 しかし現状では、外が気になる。

 アルターはゆっくりと扉の取っ手を回し、極力音を立てないように扉を押し込んだ。

 ギギ、と、軋むような音はまた鳴ったが、ずいぶんと小さくて済んだ。

 そしてアルターは顔半分を扉からひょっこりと出して、薄暗い通路に視線をやる。

 その、直後。


 アルターはすぐに振り返って、焦燥の浮かんだ顔を姉に向けた。


「――姉ちゃん! 『やられた』!!」


 アルターがなにを言っているのかすぐにはわからなくて、ザラスはとっさに腰をあげて扉の外へ向かった。自分で見た方が早い。

 駆け寄って、見る。


 廊下の両側が、大量の土嚢どのうによって塞がれていた。

 

 まるで、ここから逃げ出せないよう閉じ込めるかのごとく。

 土嚢は廊下の天井にまで積み上げられている。

 その土嚢の向こう側から、駆けるような音が聴こえてきていた。

 音が不鮮明だったのはこれのせいだ。


「なんだこれ……!」


 それがなにを意味するのかはまだ明確にはわからない。

 だが、ただならぬ状況は容易に察せられた。


「――逃げるよ、アルター! 荷物持ちな!」


 なにがなんだかわからないが、この閉じ込められている状況はまずい気がする。

 ザラスはアルターに言いながら、自分もいったん部屋の中に戻って外套を羽織った。

 加えて、あの積み上がった土嚢を押し出すのに使えないものはないかと、周辺から道具を探す。

 扉に使うつっかえ棒のようなものがあって、なけなしだがそれを片手に引っつかんだ。

 アルターはすでに術機銃を両手にたずさえている。


「アルター! 準備は――」


 ザラスが、先に扉の外に戻ったアルターに言おうとして――次の瞬間、廊下の方で鳴った大きな破砕音が、その声を踏みつぶした。


「アルター!」


 何事かと思って、ザラスはアルターへ近寄ろうとする。


「だめだ、姉ちゃん。――下がってて」


 しかし、アルターがそれを片手で制していた。

 アルターは一人廊下側に目をやって、なにかを見つけたような様子だった。

 一体なにが、と次々にやってくる謎の事態にザラスが混乱しはじめたところで、再び、廊下側から破裂音が鳴る。


「――」


 その破裂音に混ざって、誰かの声が聞こえた気がした。

 それから、アルターが術機銃の銃口を廊下の奥に向けて、一歩、二歩と下がってくる。


 アルターは誰かに、『剣の切っ先』を突きつけられていた。


 やがて、部屋の内側にまでじりじりとアルターが下がってきて、ついにその剣を突きつけている者の姿がザラスの視界にも映る。

 

 自分もアルターによって銃口を向けられているというのに、なんの躊躇いもなく歩み進んでくるその男は――


◆◆◆


「サイサリスも存外臆病だ。〈魅魔〉を渡さないために、あえて〈光魔〉を囮にしたか」


◆◆◆


 妖美な金髪を宿した、若い男だった。


「なによりこういうやり方は僕も好むところではない。殿下もきっと、顔をおしかめになるだろう」


 少年に独特の無垢な美貌をたたえながら、しかしその顔とはまるでかけ離れたおそろしげな剣気を放つその男は、黒い外套を着ていた。


 ――ムーゼッグの、国色。


 ザラスはとっさにそれを思い浮かべ、そのあとすぐ、マントの胸元にまさしくあのムーゼッグの紋章が刺繍されているのを見つける。


 そのあたりで、男が言った。


「僕の名は〈ミハイ=ランジェリーク〉。かのムーゼッグ王国の軍人だ。そしてそんな僕の今回の任務は――」


 ミハイはザラスを見て、薄い笑みを浮かべた。


「〈光魔〉の号を持つ魔王、〈ザラス=ミナイラス〉を奪うこと」


 ミハイたちムーゼッグ勢力が芸術都市に来た目的は、はじめから〈魅魔〉ジュリアナ=ヴェ=ローナを奪うことにではなく、


「あの〈魅魔〉はついでだ。まあ、サイサリスはそれに気づいてさっさと魅魔だけを連れ去ったようだが。――つまりお前は、飼い主に捨てられたんだ。もうお前を庇護する者はいない。だから、ムーゼッグに来るがいい。今度は僕たちがお前を、『守ってやろう』」


 〈光魔〉ザラス=ミナイラスを奪う方にこそあった。


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