第117話「目の前の魔王を救えなくてどうする」

「予定どおり、ジュリアナ嬢はいったん向こうに返しました。もちろん、シーザーのお供付きで」


 千年亭ミレニウム。

 その一階の食堂に、魔王たちは集まっていた。

 もともと貸しきりに近かったその宿には、ほとんど部外者がいない。


「ひとまず、シーザーはジュリアナ嬢に関してはこちら側ですので、当分の身の安全は確保されているでしょう。今回のジュリアナ嬢の小さな失敗にも、シーザーがフォローを入れると思います」

「……」


 シャウの説明に、メレアは重くうなずく。


「俺に最初からもっと力があれば、ジュリアナにこんな役をやらせずに済んだ」

「お前だけではない。正確には私たちに、だ」


 メレアがこぼした言葉に、エルマが答えた。


「……しかし、〈光魔〉か。聞いたところによると、なかなか説得するのが難しそうなやつだな」


 メレアたちは、ジュリアナをもう一度サイサリスの懐に戻した。

 あの〈光魔〉の姉弟を、無事なうちに説得する時間を稼ぐためである。


 ――これで、本当に良かったのだろうか。


 ジュリアナの提案と許可があったとはいえ、それでもメレアはこういう手段を取ってしまった自分がまだ許せなかった。

 シーザーという内部の助力者をつけてはいても、当然、危険がないわけではないのだ。

 そもそもあの〈光魔〉の言葉がすべて本当であるかどうかだって、定かではない。


 ――くそ。


 しかしそう思っていてもなお、彼女たちを無視できない自分がいた。


「自分を責めすぎるな、メレア。お前が即座にその魔王たちを見捨ててしまえていたら、私たちはお前を許さなかったかもしれない」


 そんなメレアに、またエルマが言った。


「おそらくこの問題に、正解はない」


 そう言うエルマも、沈痛な表情を浮かべていた。


「……わかってる。それは、わかってるんだ」


 だからこそ、長である自分が、迷うべきではなかった。

 メレアは内心で、〈魔王連合〉の長であるということの意味を、考えていた。


◆◆◆


 今回はまだ、猶予があったからいい。

 ジュリアナの協力もあった。

 でも、次にまたこういうことがあったとして、そのときもこんな猶予の時間があるとはかぎらない。

 即座の決断を求められる状況になったとき、今回のような自分の迷いは致命傷になる。


 もしどちらかを切り捨てなければならない状況になったとき、その判断を下さねばならないのは自分なのだ。


 その荷を背負う覚悟が、きっとまだ自分には足りていない。


「今さらですけど、やっぱりあなたはこういうことに関しておそろしく生真面目きまじめですねぇ」


 ふと、シャウが苦笑を浮かべてメレアに言った。


「まあ、それでこそ、という感じもしますが。しかし、すぐには答えの出ないことについて考えすぎると身体を壊しますよ?」

「……ああ」

「それに、今はまず目の前のことをどうにかしなければ」


 その通りだ。

 こういう考え事はあとでも出来る。

 すでにジュリアナは送り返してしまった。

 彼女の献身を無駄にしないためにも、まずは〈光魔〉たちを説得する材料、そしてジュリアナを確実にもう一度救い出すための準備をする方が先決だ。

 

 メレアは顔をあげた。


「シャウ。あとどれくらい時間を稼げる」

「シーザーの手腕にもよりますが、次の〈魅魔の魔眼〉を併用した公演を口八丁で遅らせたとして、一週間程度でしょうか。向こうにも準備があるようですので。ただ、もし強硬策に出たら、もっと早くになるかもしれません」

「一週間――」


 メレアはその期間を聞いて、漠然と『長すぎる』と思った。

 だから言う。


「ダメだ、一週間は長すぎる」


 一週間ではその間に何かが起こる可能性を多く残すことになる。

 自分が考えるべきは、まずなによりもジュリアナの安全だ。


「……三日だ」


 メレアは言った。


「三日でなんとかする。この間にできるかぎりをやろう」


 そしてメレアは、それに続く言葉を心の中に浮かべた。

 本当は、確実に〈光魔〉たちを説得できるだけの材料を集めてから、動きたい。

 だが、それではジュリアナがつらい思いをする。


◆◆◆


 目の前の魔王を救えなくて、どうするんだ。


◆◆◆


 自分の腕は、まだすべてを一度に抱えられるほど長くはなかった。

 それを認めた上で、取るべき道を正確に見極めねばならない。

 現状で届かない腕で、遠くばかりを追い求め、目の前にある光を無視するくらいなら、


 ――そんな腕は、切り落としてしまえ。


 心の中に自分に対する叱咤が浮かんだとき、メレアの顔から悄然しょうぜんとした表情は消え失せた。


「もし、この三日でどうにもならなかったとき――」


 メレアはその可能性を口にしなければならなかった。

 それがジュリアナの手を取ろうとした自分の責任であり、〈魔王連合〉の長としての責任でもある。


「〈光魔〉の姉弟は……」

 

 メレアは思わず次の言葉をかみつぶしそうになる。

 けれど、一拍をおいて、口を開いた。


「――『置いていく』」


 ――自分の背に、すでにジュリアナを含めた二十二人の魔王の命が乗っていることを忘れるな。


 うめくようにいったメレアの言葉に、ほかの魔王たちは否定を返さなかった。

 彼らもまた、自分たちに彼女たちを一度に説得できるほどの名の力がないことに、強い不甲斐なさを感じていた。


「でも、彼女たちがその間に救いの手を伸ばしてきたのなら、なにがなんでもその手を拾う。ジュリアナと共に」


 しかし、まだ失敗すると決まったわけではない。

 メレアはその赤い瞳に再び力強い意志を宿して言った。

 魔王たちもメレアの決意を受けて、鋭い光を目の中に灯らせる。


「――行こう」


 そしてメレアは、再びみなの視線を集めた。


「……無様な姿を見せた。その失態を取り返すために、俺もまた全力を尽くす」


 メレアが腕を水平に振り抜きながら言う。

 雪白の髪が静かに、されどどこか力強く、揺れた。


「救いを求めた〈魔王〉の手を、もう一度つかむために」


 あるじの言葉に、魔王たちは一斉に力強いうなずきを返した。



 彼らはその日、自分たちの望みがどれだけ途方もないものかを再確認した。

 そして今の世界がどれだけ自分たちに理不尽な要求を迫って来るかも、知った。


 それでも結局は、足掻くしかなかった。

 可能性のすべてを考慮したら、正解なんてなくなる。

 たとえ判断の材料に嘘が混じっていたとしても、そのことについて生真面目に考え続けるしかない。だから、惑わされる。


 しかし、それがおそろしいからといって諦めたら、それこそ意味なんてない。

 未来が見えないからこそ、あとでその選択を後悔することになるのかもしれないけれど――


 ――ただ今は、目の前の手をつかみに行く。


 考えた最後には、決断して動くしかないのだ。


 このときからメレアがヴァージリアで悩むことは、もうなかった。


 芸術の街で、二人の〈魔王〉を巡った最後の救出劇がはじまろうとしていた。

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