第64話「魔王」

 〈暴帝〉マリーザの祖先は、どこにでもいそうな辺境の一貴族であった。

 没落貴族といっても良さそうな弱小貴族であったが、かといって重大な不幸を被ることもなく、どうにかこうにかというていで数少ない領民たちとともに生活していた。


 それが一変するのは、カタストロフ家の領地の近場で戦争が起こってからである。

 巻き込まれたのだ。

 当時のカタストロフ家に戦に対抗する手段などなく、また領民も同じ状況であった。

 結局、戦に踏み荒らされた領地はほとんどが死に、領民の命も領主の命ともども〈魂の天海〉に消え昇り、残ったのは幼かったカタストロフ家の第一子とたった数十人の領民だけであった。

 だが、その第一子が、カタストロフ家の歴史を変える。

 彼は生き残った領民の手によって大事に育てられたあと、一族と領民の多くを殺した国家をたった一人で滅ぼした。

 その国家があまり大きくないということもあったが、それでも一人で、しかも戦に荷担した両国家を滅ぼしてしまったのは、まさしく怪物の所業といえた。

 神に選ばれたかのように尋常でない才能を持って生まれた者が、たった一人で歴史を変えてしまうことは往々にしてあったが、彼もまたその一人であった。


 そして彼はその所業をもって〈暴神〉と呼ばれるようになった。

 しかし彼は、復讐を終えた以降はその拳を振りかざすことは一度たりともなかった。

 すべてに満足したように、戦いから離れたという。


 暴神はその創作よりもいっそ創作らしい出来事の主犯ということもあり、よく物語の題材となって文献に残った。

 彼が戦ったのがあの一度限りで、大きな時代の中のいわば一瞬であったことからその物語は多くの虚飾でまみれたが、それでも熱心な探究者たちが、彼が生きているうちにどうにかその膝元にたどり着き、彼の力の秘密を知るために教えを乞うた。

 しかし彼は、決して力の秘密を口外しなかった。

 意固地になる彼らをいさめるように紡いだ言葉が、いくつかの文献に同じ形で残っている。


 『わたしの力は弱者のための力だ。最初から十分な力を持っている君たちには必要ない』


 彼は結局、自分の息子にのみ力の秘密を教え、死んだという。

 また一族と領民が虐げられたら、それを使えという文言が同じく伝えられていた。


 マリーザはそんな暴神の一族の末裔だった。

 領民は、もういない。


 しかし、マリーザはそんな暴神の力に苦しめられている少女だった。

 マリーザだけは、あの暴神の言葉の意味を知っている。

 『弱者のための力』と言ったかの先祖の言葉の意味を、知っていた。


◆◆◆


「使っては、なりません、メレア様。あなたほどの人間があれを使えば、誰がそれを止めるのです。まだ『魔門』を開けたくらいでしょう。絶対にそれ以上門を開けてはなりません」


 マリーザはメレアをまじまじと見て言っていた。

 目を見開き、その顔に鬼気迫るものを乗せて、メレアの両手をつかみとめながらの制止。


「あれは弱者のための力です。自分が弱者であることを自覚していない人間が使えば、間違いなく理性が飛びます。そういう力なのです」


 あの暴神の言葉を、世の人間は謙遜けんそんだと捉えていた。

 しかしそれは謙遜ではなかった。

 暴神は、おそらく並の人間よりもよっぽど弱い人間だった。

 ゆえに、彼用に生み出された独自の『精神術』は、普通の人間にはかえって毒であった。

 マリーザはその毒の苦しみを知っている。


「わたくしでさえ『帝門』を開けば理性を失います。だからあなたを求めたのです。わたくしよりもずっと強い、あなたを。――止めて下さると思って」


 メレアは懇願こんがんするマリーザを静かに見ていた。


「だから、だめです、メレア様。その力は強い者が使ってはなりません」

「俺は弱いよ。俺にはこの世界の住人より弱いという実感が、特に最初はあった」


 ついにメレアが答えた。


「だから最初にこの精神術を教わった。まだ強さを知らなかった最初の頃に」


 この世界の住人より、というフレーズがマリーザに一瞬疑問を抱かせたが、そんなことはこの際どうでもよかった。


「それに――」


 と、メレアが続けて言う。


「俺は『魔門』だけの開け方を知らないし、『王門』だけの開け方も知らない。『帝門』も同じくだ」


 嫌な予感がした。

 あのときメレアの覚えている術の傾向を知って、その『中間が無い』という意味を知って、マリーザは嫌な予感がしていた。

 それからあの『十分』という言葉と、メレアの『限定的に弱点を覆せる』という言葉。

 メレアがこれまで手を抜いてきたという様子はない。

 それでなお、自分の弱点を覆そうとするならば、


 限界を超えるしかない。


 そしてそういう方法があることを、マリーザはよく知っていた。

 それが何を隠そう、自分の一族に伝わってきた『暴の精神術』であった。

 肉体の制限をすべて取り払う、自壊必至ひっしの限界突破術。

 その生物の持つ性能のすべてを引き出し、さらにそこへ魂が引きちぎれかねないほどの強化を重ねる。


 四門。


 魔王の号と同じく、魔からはじまり神に終わる四つの門。

 段階的に『門を開く』ことで、その術強度を高めていく。

 代々カタストロフの一族はその門をどこまで開けるかで暴の号をつけられていた。

 〈暴王〉。マリーザの母は王門までを開いた。

 〈暴魔〉。祖母は魔門までだった。

 そしてマリーザには、才能があった。

 〈暴帝〉。マリーザは帝門までを開いた。

 精確には――


 ある時期が来ると『勝手に開いてしまう』のだ。


 マリーザがいくらか前にサルマーンに対して紡いだ『暴帝期』という言葉。

 それはマリーザの苦しみの象徴でもあった。

 実をいえば、始祖である〈暴神〉以外に『神門』までを開いた者はいまだ存在しなかったが、帝門の時点でその効力は十分におそろしいものになった。


「まさか――」


 マリーザはメレアの答えを聞いてさらに目を見開いた。血の気がまた引いた。


「俺は『神門』までを一気に開く。だから、マリーザみたいにそうやって『魔門』だけを開くといったような器用な真似はできない」


 メレアはマリーザの様子を見て、直感的に彼女が〈暴神〉の精神術を使っていることを把握していた。


「り、理性は――」


 マリーザは自分が帝門までを開くと理性を失うことを幼少時から知っていた。

 マリーザは暴神の精神術に才能を持ちながら、生まれつき優秀だった。

 それがかえって彼女を苦しめた。

 『弱者の自覚』がないと、限界を突破したときに理性を保っていられない。

 それはカタストロフ家に代々伝えられてきた金言でもある。だがその言葉自体はハッキリとしていながら、肝心の内容はやたらに抽象的なものだった。

 時代とともに失われたし、たった一人の天才によってつくられたがゆえに、原理の解明が思うように進まなかった。

 さらに子の中にはマリーザのように術そのものを教えなくても勝手に発現させるものまで生まれた。

 ついに手がつけられなくなった。


「大丈夫。時間は掛かったけれど、俺はクルザに直接教わったから」


 マリーザはメレアを羨ましく思った。

 できれば自分もかの〈暴神クルザ=カタストロフ〉に会いたかった。

 

「俺は『それ』をクルザに頼まれた」

「え?」


 ふとメレアがマリーザの頭に手をおいて優しげに言っていた。

 髪が黒くて雰囲気が違うが、その表情は紛うことなきメレアのものだった。


「クルザは自分が暴の精神術を残してしまったことを悔いていた。たぶん、自分の子孫たちが今のマリーザのようなことになってしまうことにあとから気づいて、危惧し――心配したんだと思う。だからクルザは俺にこういった。『もしこの術のせいで僕の子どもたちが苦しんでいたら、助けてやってくれ』」

暴神クルザが――」


 しかし、それは同時に、そうやって〈暴の精神術〉を使う者をさらに上回る力で止めねばならないことを意味する。生半可な力では無理だ。


「だから、俺もそれを学んだ」


 『結局同じことをしてしまっている気がするけど、君で最後に』。

 そう何度も謝られたことをメレアは覚えている。

 しかしメレアは、


「俺は別に嫌じゃなかったよ。クルザの子孫がまだ生きていることを知って嬉しくなったし、その子孫を助けることで俺を育ててくれたクルザに恩返しができるから、喜んで引き受けた」

「あなたは……バカです。それがどんな力だか……わかって……」

「わかってる。それだけは常に意識してきた。でも、大丈夫だ」


 マリーザは顔をうつむけていた。

 ふと目に熱いものがこみあげてきていて、顔をあげていられなかった。

 自分の苦しみが、はじめて家族以外の人間に理解された気がした。

 自分の先祖が、まだ自分を見てくれていることを知って、少し罵倒したい気分にもなったけれど――それと同時に不思議な嬉しさも感じていた。

 いろいろな思いが混ざって、どうしようもなくなって、涙がこぼれそうになった。


 自分の頭を優しく撫でてくれたメレアの手の温かさが、今の自分にとってのなによりもの救いに思えた。


 そして、ふと意を決して顔をあげた先。

 その優しげな表情を浮かべるメレアの背中の裏に、


 かの先祖の姿を見た気がした。


 顔など見たことがないけれど、メレアの中に彼がいて、自分を見守ってくれている気がした。 


◆◆◆


 メレアはマリーザの目元からこぼれた雫を優しく指先ですくい取りながら、心の中でフランダーの言葉を思い出していた。


 『もう、普遍的な英雄は存在しえない。――もともと普遍的な英雄なんて存在しないのかもしれないけれどね。ただ、少なくとも今の時代の英雄は、昔よりもずっと多様化し、細分化されてしまっている。どこかの国にとっての英雄は、敵対するほかの国にとっては魔王だ。そういうことがよく起こりえる時代になっている』


 そのとおりだった。

 ハーシムと出会い、セリアスと出会い、あのフランダーの言葉に実感を得た。

 頭ではわかっていたつもりだったけれど、この世界の、この時代の激流の中をそれぞれに生きようとする彼らと出会って、たしかさが伴った。

 そしてまた、時代の流れの苛烈さも知った。

 きっとフランダーは、こんな暴流の中をみずからの信念を片手に突き進んだのだろう。

 

「――やっぱりあなたはすごかった」


 自分は、彼ほど優しい視点では世界を見れないかもしれない。

 味方だと思っていた者たちに毒を盛られてもなお、彼らを説得しようとしたフランダーは、優しすぎるほどに優しかった。英霊となった彼はそのことをみずから揶揄やゆしていたが、


 『彼らを本当の意味で説得できなかった未練と、毒に気付けなかった未練はあるけれど、貫いた生き方に後悔はない』


 そうも言っていた。

 霊になってまでそんなことを言える人間が果たしてほかにいるだろうか。

 

「俺は、そこまで優しくはなれないかもしれない」


 でも、


「俺も、自分の選んだ生き方には責任を持とうと思う」


 フランダーの生き方をなぞるつもりはない。

 フランダーもそれを望んでいたし、言われなくとも自分はそうしようと思っただろう。

 だから――決めたんだ。


 メレアは遠くに映るセリアスに赤い視線を送った。


「お前にとっての英雄がそれであるのなら――」


◆◆◆


「俺はお前にとっての『魔王』でいい」


◆◆◆


 だけど、この言葉に蓄積されてきた世界の重みは邪魔なんだ。

 タイラントは「どうせ別の名前になるだけだ」と悲観的だったけれど、本当に変えられるのなら変えてしまった方がいい。それでそれまでの怨念の蓄積が多少は減衰されるだろうから。


 でも、なんだかんだといって魔王という言葉はこの何百年もの間使われ続けてきた。

 たぶん、言葉そのものが消えることは望めないだろう。

 なら――


「俺が、変える」


 馬鹿にしたければ勝手にそうしろ。

 否定したければすればいい。

 フランダーの馬鹿な生き方を失敗だと呼んだお前なら、きっとそう言うだろう。

 それでも俺は、その道を進むことに決めた。


◆◆◆


「俺が、魔王という言葉の意味を変えてやる」


◆◆◆


 あえてこの名をかぶり続けよう。

 この名を被り続ける自分が行動することで、名の意味を変えて見せよう。

 数百年の歴史に、真っ向から抗って見せよう。


「それが俺の『戦場の夢』であり――同時に『戦場の外の夢』だ」


 そういう二つの枠の、もっと上の階層にある願望。

 すべてを包括するほどの大きな夢。

 それが今、


 メレア=メアの指針となった。


 彼はこのとき、名実ともに〈魔王〉となった。

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