第63話「暴神」

 セリアスはしばらくの余韻のあとに槍を引き抜こうとした。

 そうして手に力を込めて――


 ――なんだ。


 初めて現状のおかしさに気づいた。

 槍が――抜けない。


 ――……まさか、


「まだ生きているとでも――」


 槍が心臓を貫通している。

 顔はうつむき、首ははりつけにされた身体からだらりと力なく垂れている。

 だのに、


「っ――」


 槍の中を、拍動はくどうつたってきた。

 ハっとして目を見開き、その顔に注視を向ける。

 白い髪が顔に掛かって、表情がうかがえない。

 しかし、次の瞬間、


 真っ白な雪のような髪が、一瞬『黒く』明滅したのを見た。


 そして――その直後だった。

 メレアの髪の根元から、うごめく蟲のように『黒色』があふれ出していた。

 黒が連なる動きは液体のようにも見えて、またそれらはメレアの白い髪をどんどんと侵食していった。

 ついに髪全体が黒く変色する。

 それと同時、今度は、


 メレアの手がぴくりと動いた。


 途端、セリアスは背筋に悪寒が走ったのを感じた。


 ――ばかげてる。


 看過しがたい悪寒だった。急に身体が凍ったとすら思った。

 この男は、


 生きている。


 いやおうなく、ぞわりとした感触が全身を駆け巡った。

 何にも縛られていないのに、むしろ縛られているのは向こうなのに――動けなかった。

 そして、


◆◆◆


「――俺の心臓は、そこにはない」


◆◆◆


 声が来た。

 セリアスは急ぐ動きで再びメレアの顔を見て、その顔に冷たい表情が宿っているのを見た。

 まるで意図して感情を消すことを選んでいるかのような、この状況ではかえって不気味さを助長させる効力すら持つ、おそろしげな表情だった。


「心臓――まさか――」


 セリアスの脳裏に一瞬にしてとある魔王の情報が蘇った。

 魔王の秘術を狩るために、頭に叩き込んだ数々の情報。

 ムーゼッグが長い時をかけて収集してきた元魔王、元英雄たちの秘術の情報の中に、


 ――〈死王アハト=サイラスの心臓〉か……!!


 『存在しない心臓』を持つ男の名を思い出していた。

 生涯傷によって死ぬことがなかったと言われる男。

 心臓部を貫かれても平然として戦場から戻ったその男の心臓は、実は存在しないのではないかとまことしやかにささやかれていた。

 当然ムーゼッグはその秘密を求めたが、死王アハト=サイラスは当時のムーゼッグの追跡をすべて振り切り、姿を消した。

 決して不老ではなかったことから、結局老衰で死んだと言われているが、くわしいことはわかっていない。


 セリアスはそんな情報を自分の頭が勝手に引き出した瞬間に、確信していた。


 ――こいつは『それ』を継いでいる……!


「それと、俺の身体は蘇生する」


 〈命王ミューゼル=ブルーの蘇体〉。

 再度の情報がセリアスの頭の中を通った。


 ――待て、こいつ、いつ光糸を引きちぎった。


 ふと気づくと、メレアの右手が人形王の光糸の束縛から逃れていた。

 普通の膂力では切れないような頑丈な糸のはずなのに。

 無理をすれば腕に食い込んでそのまま切断されるかもしれないという状態で――

 

 ――切断させたのか……!


 一瞬。おそらく自分がメレアの髪色の変化に注視していた一瞬で、腕を『捨てた』。

 否、捨てて――すぐさま蘇生させた。

 その証拠に、足元にぐちゃぐちゃになった肉の残骸が落ちているのを見つけた。


「なんだ、その再生速度は――」


 いくら〈命王の蘇体〉でも限度がある。

 たしかにあの魔王の身体はすさまじい再生力を誇ったと言われているが、こうまで即時の蘇生力ではなかったはずだ。

 この再生力はまともじゃない。それすらを、越えている可能性がある。


 ――どうやって。


 方法などわかるはずがない。

 だが、とにかく今は――


 セリアスはようやく悪寒の呪縛から解き放たれはじめた身体を動かし、魔槍を引き抜こうとした。

 しかし、


「くっ――離せ、槍を――」


 メレアが自由になった右腕で自分の胸部に突き刺さっていた魔槍をつかんでいた。引き抜かせまいとする動きだ。

 セリアスが本気で力を入れてもビクともしない膂力だった。そのときになってセリアスは、さきほどまでのメレアと今のメレアが決定的に違うことに勘付きはじめていた。

 そんなセリアスをおいてメレアはさらなる動きを見せる。


「――」


 メレアは左手もわざと糸に食い込ませ、切断させ、そして再生させた。

 その所業を間近で見たセリアスは、もはやそれを人間だと思えなくなった。

 出会う前、メレアに対して不意に覚えた恐怖。

 『底が知れない』という根源的な恐怖が、今になって再び蘇ってきていた。


 メレアは自由になった左手をセリアスにゆっくりと伸ばしていた。

 真っ黒になった髪が目元を遮り、おそろしげな赤い瞳を部分的に隠しているが、その瞳孔が悪魔の瞳のように縦に割れていたことをセリアスは見定めた。


「――『十分じっぷん』」


 メレアがセリアスの顔に手を伸ばしながら、小さくつぶやいた。

 

◆◆◆


「〈暴神クルザ=カタストロフの憤怒〉――〈四門封解しもんふうかい〉」


◆◆◆


「ッ! ――カリギュラ!! 口を開けろッ!! 白光砲を撃てッ!!」


 メレアが言葉をつぶやいた直後、セリアスは最大の悪寒を感じ、完全に魔槍から手を離した。

 それにこだわっている余裕が一瞬にして消え去った。けたたましい警笛が頭の中で鳴り響いていた。

 セリアスはそのまま逃げるように真っ黒な髪のメレアから遠ざかり、赤竜に命令を出す。

 赤竜カリギュラはセリアスの指示に従い、身を起こしながらその背にいたメレアに向かって口を開いた。

 中からあらかじめ術式陣を用意していた術式兵長たちが現れ、


「〈白光砲〉!」


 至近距離でメレアに向けて術式を放った。

 絶対に当たる。

 兵長は思った。

 しかし、


「っ――」


 白い光が魔神のふところで放たれる直前の一瞬で、その身体と白光の間にばかげた速度で術式陣が形成されていたことを、兵長は見てしまっていた。

 

◆◆◆


 それでも、メレアの身体は吹き飛んだ。

 術式陣が競り合い、直撃は免れたが、そのまま宙を吹き飛んでいった。

 メレアの身体が止まったのは、ちょうど仲間たちがいたあたりの上空だった。

 慣性に乗って斜め下に落ちていくメレア。

 対して魔王たちは、黒い髪を宿したメレアが降って来るのをあたふたとして待っていた。


「おいおいおいっ! すげえ戻り方してきたぞ! やべえっ、受け止めろ!」


 サルマーンが落ちてくるメレアを見上げながら指示を出す。

 しかし、


「お?」


 落ちてくる直前、メレアの背中に風の六翼が展開されて、その身体をふわりと浮かせていた。

 そうしてゆったりと降りてきたメレアを、彼らは唖然として見ていた。

 そんなメレアに、まっさきに駆けて行く者が三人。

 エルマ、マリーザ、そしてアイズだった。


「メレアッ!!」

「メレア様! っ、槍が――」


 降りてきたメレアの胸部に槍が突き刺さっているのを見て、エルマとマリーザの顔から血の気が引いた。

 メレアの髪が黒くなっていることなど彼女たちにとってはどうでもよかった。

 だがメレアは彼女たちを片手で制し、


「大丈夫」


 そう短く答えながら、胸に突き刺さっていた槍を引き抜いた。引き抜きと同時に傷口が塞がれる。

 それにたいしたリアクションすら見せず、メレアは引き抜いた魔槍を――


「ハーシム」


 やや遠くにいたハーシムに投げ渡した。


「くれてやる。あの老兵の命の対価に」

「あ、ああ、恩に――着る」


 ハーシムはそれを馬上で受け取り、口を半開きにさせたまま重さを確かめながらも、やはりメレアから視線を外すことができなかった。


「メレア様……髪が――」


 そんなメレアに対し、ようやくマリーザが異変に気づいて言及する。


「なぜかは知らないけど、〈暴神クルザ=カタストロフ〉の力を使おうとするとこうなるんだ。魂の本質が云々って言ってたけれど、クルザの話は難解でよくわからなかったな」

「っ、今、なんと仰いましたか」

「――〈暴神クルザ=カタストロフ〉」


 マリーザはその名を知っている。

 〈マリーザ=カタストロフ〉。

 なにを隠そう、その名は――


「あなたは、わたくしの先祖に会ったことが――」

「ああ、……あるよ。黙っているつもりはなかったんだけど、言うタイミングをうまく見つけられなくて。――今まで黙っててごめんね」


 マリーザの持つ号の元にもなった、先祖の名前であった。

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