第62話「白と灰、歴史の系譜」【後編】

 ――違う。私は……


 セリアスはメレアへの最後の一歩を踏みこもうとしたところで、足を止めた。

 一番言われたくない、一番触れられたくない場所へ、入り込まれた気がした。

 臨戦態勢を解こうとしたところへそんな言葉がやってきたものだから、思いのほかするりと心に入り込まれた。

 なにより――


 その一連の言葉が、『かつて言われた言葉』と一字一句違いなくかぶっていて、そのことがセリアスの内心を揺るがした。


 自分より下等な存在に言われる戯言ざれごとならば無視できる。

 だが、その言葉をかつて自分に言った男は、自分に勝ったことのある男だった。

 

 ――なぜ貴様は……


 出逢ってまだ一時間すら経っていない状況で――


「なぜあの男と同じ言葉を吐くのだ……!!」


 かつて自分を同じような言葉でさとした男。アクアブルーの綺麗な瞳をした、同じ年の男だった。

 そしてその男と同じことを、目の前の男が言っていた。あの青い眼とは正反対の赤い眼を持つ、二人目の男だった。


「なぜ貴様がその眼で私を見るのだッ!!」

 

 セリアス=ブラッド=ムーゼッグもまた、英雄を目指していた。

 メレアと、ハーシムと、セリアス。

 三人はそれぞれに『別々の』英雄を目指していた。

 されど、その中でもセリアスの目指す英雄が――


 もっとも幼かった。


◆◆◆


 そしてセリアスはそのことを自身の聡明な頭で自覚していたからこそ、隠そうとした。

 そこに触れられることをもっとも恐れた。

 威厳ある大国の王子として、おそらく必要のない夢だった。


「お前、もしかして英雄譚の中の英雄を目指しているのか」


 メレアが続けて言葉を紡いでいた。

 セリアスの反応を受けて、メレアは内心の確信をさらに確固たるものにしていた。

 そしてそうなったら最後、疑惑の念がせき止めていた無数の言葉たちが、奔流のように頭の中から流れ出していた。


「なにを――」

「仲間の一人が言っていた。英雄譚の中の英雄は、もっとも美化された英雄だと」


 英雄譚の中に描かれる英雄は、美しい。綺麗だ。


「多少の苦悩はするが、最後には必ず成功し、華美な花道を歩いて凱旋する。その足元に散らばった血なまぐさい光景を映さぬよう視線を上げ、またその左手に隠している短剣を衣装の中に隠し、頭と口の中を美辞麗句で満たして、流暢に愛を謳う。大抵の英雄譚がそこで終わる。ああ――素晴らしい物語だ、俺も否定はしない。むしろそういう物語は好きだよ」


 でも、


「そんな例がいったいいくつある。本当にそれは英雄の姿を映したものなのか。『この世界の英雄譚』として、それは本当の姿なのか」


 そうでないことは、セリアスが一番よく知っていた。

 当然だ。


 そうさせなかったのが、自分の祖国なのだ。


「っ――」

「なのにお前はその英雄を目指しているのか? ――なんとなくわかってきた。お前がどうして勝利の先のビジョンを答えられなかったのか。さっきも言ったが、お前には先に対する思いがない。お前の憧れや夢は、『勝利で終わっている』からだ」

「ち、違う――」

「しかしお前自身、それで終わりでないことをムーゼッグの王子だからこそ知っている。王族は民を導くために先を見据えなければならない。そこに、どうしようもない『ズレ』がある。そのズレを……自分で修正できていないんだな」


 メレアは身体を宙にはりつけにされながらも、セリアスに対し憐れむような視線を向けていた。


「なにがお前をそうさせた」

「っ……!」


 セリアスは拳を握っていた。

 そして、


「すべてはあのときから狂った。『あの男』が、あんなことをしなければ――!」

「誰が、なにをしたんだ」


 言う。

 それはメレアの衝動にも関わってくる、重く大きな言葉だった。


◆◆◆


「〈フランダー=クロウ=ムーゼッグ〉がッ! 祖国を裏切りさえしなければ!!」


◆◆◆


 その瞬間、メレアの中でもなにかが動いた。


 〈フランダー=クロウ=ムーゼッグ〉。


 フランダー=クロウは、


 ムーゼッグの王族だった。


◆◆◆


「なんだ? その顔。……まさかお前、その眼を持っていてこのことを知らなかったのか?」

「――」

「っ、やはりそうか! ――ハハッ、傑作だな! フランダーは言わなかったか! いや、そうだろうな! あの霊山の山頂にいたのが亡霊としてのフランダー=クロウならば、当然その名は口には出さないだろう! あの男は恨みのなかでムーゼッグの名を捨てた男だ!!」


 セリアスは逆にメレアの心の隙を見つけた気がして、攻め気を盛り返していた。

 決して部下には見せない、稚児ちごじみた攻め気だった。

 

「フランダー=クロウは元ムーゼッグの王子だ! それも、史上最強とうたわれた王子だった! 古代より力を求めてきたムーゼッグにとって、フランダーという存在は待望された存在だった! やつは術師としてたやすく歴史に名を残す力を持ち、その上にあの魔眼まで発現させた!」


 セリアスは両手を広げて声を高らかに響かせた。


「しかしやつは、当時の強大な悪徳の魔王を滅ぼしたあと隠棲を求めた。これからは国家同士の争いが主流になるだろうというときに、やつは戦いから身を退くことを選んだのだ……!」

「……それの、何が悪い」


 ついにメレアがセリアスに言葉を返す。

 その眼は瞳孔がわずかに開きはじめていて、目元には怒気が表れていた。


「本当に国家を思っていたのなら、やつは戦いに身を捧げるべきだった」

「それは国家側の――」

「そう、言い分だ。だがな、フランダー=クロウは『王子』だぞ。いわば、やつ自身が未来の国家そのものだったのだ」

「っ、そこに人としての権利は考慮されていないのか」

「ない。王子という身分に生まれたのが運命だった」

「お前もか」

「私はこの運命を気に入っている。私はムーゼッグのために勝利を求める。貪欲に」

「王子とは、ただ国のために戦うだけの存在か」

「戦い方にも種類はある。だがフランダーには絶対的な力があった。人を殺すということに関して」

「だから本人の意志を捻じ曲げてまで人を殺させようとしたのか。――そんなのは間違っている」

「間違ってなどいない。時代が力を求めた」

「時代は人によってつくられるものだ。さも時代が神の定めたルールであるかのように語るな……!」

「それでも人は時代には抗えない」

「そもそもお前は抗おうとしたのかッ!!」


 メレアがえた。

 その声は楽王ユルン=ユーラの声帯が紡ぐ揺らめきに乗って、方々に響いた。

 ムーゼッグの騎兵たちにも、レミューゼの騎兵たちにも、そして魔王たちにも。

 そのメレアの咆哮だけは、聞こえていた。


「吼えるな。――抗う? 必要がない。この時代はムーゼッグに合っている」

「お前の言葉にはいやに他人の香りが混ざるな……、まさかお前、そういうふうに育てられたのか」

「父は関係ない」


 セリアスは淡々と言ったつもりであったが、そこに一瞬の音の乱れが混じったのをメレアの耳は捉えていた。


「お前はどこにいるんだ……セリアス」

「戦いのる場所に、私はいる」

「狂ってる。お前は狂ってるよ、セリアス。お前はただの、戦狂いだ」

「黙れ、メレア=メア」


 互いが互いの名を呼んだ。

 視線が交差した。

 

「フランダー=クロウ=ムーゼッグがあのときレミューゼの魔女にたぶらかされなければ、すべては事も無く進んだ。ムーゼッグの天下が生まれ、世は平定された」

「レイラスのことか」

「そうだ。レイラス=リフ=レミューゼ。あの魔女こそがムーゼッグにとっては魔王だった」

「フランダーはレイラスを愛していたぞ」

たぶらかされたのだ」

「なぜそこまで言い切れる……お前は二人に会ったことなどないだろうに……」


 時代のへだたり。

 もしかしたら、セリアスがフランダーとレイラスと対話をしていたら、少しは彼の考えも変わっていたかもしれない。

 だが、それは叶わなかった。

 あまりにも生きる時代が遠かった。


「お前はどうして……」


 それでもなお、おそらくムーゼッグに伝わる歴史書や世に出回る大衆文献でフランダーの人生を調べ上げたのだろう。

 フランダーに対する妄執もうしゅうのようなものが、セリアスの瞳の中にはあった。

 メレアはそれを見て、察した。

 たぶんセリアスは――


◆◆◆


 フランダーにあこがれていたのだ。


◆◆◆


「フランダー=クロウ=ムーゼッグは、私の目指すべき英雄そのものだった。――あのときまでは」

「そういう……ことか」

「フランダーに子はなく、それゆえ私も直系ではないが、幾分いくぶんかは同じ血の混じった同族ではある。あの文献の中のフランダーと親縁であることを、誇りに思った」


 そう言ったセリアスの瞳には、無邪気な光が宿っていた。

 メレアはその瞬間に、すべてに対する答えを得ていた。

 もはやメレアには訊きたいことなどなかった。

 もう、聞きたくなかった。

 これ以上聞けば、きっと今まで理性で抑えてきた怒りが耐えきれずに暴発してしまいそうで。


「だがフランダーは失敗した。やつは本当の英雄ではなかった。それからはかえってこの親縁が鬱陶しく思えるようになった」

「違う、フランダーは英雄だった」

「やつはムーゼッグを捨てた」

「フランダーはムーゼッグのために悪徳の魔王を討伐したんだろう。そのことまで忘れるのか」

「忘れはしない。フランダーはそのときまでは英雄だった。だが最後まで英雄ではなかった。いわばフランダーは――『失敗した英雄』だ」

「それを決めるのはお前じゃない」

「ならばお前でもない。この主題に答えなどでない」


 セリアスの眼に理知的な光が戻っていた。


「お前にとってフランダーは英雄であり……魔王だったんだな」


 メレアはむしろ、セリアスを憐れんだ。

 あるいはセリアスは、こう憮然として見えても実は人一倍感傷的な男なのかもしれない。

 冷徹な表面はそれを隠すための化けの皮。

 威厳を必要とする王子という立場で、きっとそれが必要だった。


 メレアはセリアスを思うと同時、時代を恨んだし、ムーゼッグという国も恨んだ。

 それでもメレアは、


「でも、俺にも譲れないものがある。俺は――」


 顔をあげ、セリアスに言った。

 その顔には、メレアが初めて見せる――


 鬼のような表情があった。


 それまでたぐいまれな理性の力で激情を抑えてきたメレアが、ついにそれを爆発させようとしていた。

 限界だった。


「俺は、フランダーを英雄のまま死なせてやらなかったお前たちを――」


◆◆◆


 絶対に許さない。


◆◆◆


 対話は終わりだった。

 もう訊くことはなかった。

 ムーゼッグの体制も、今のムーゼッグ王の人柄も、そして未来のムーゼッグを背負うであろう男の内面も――知った。

 

「許すも許さないも、貴様はここで死ぬ。その決意に意味などない!」


 セリアスがその手に持っていた魔槍を、ほぼ衝動的とも言うべき勢いで宙にはりつけとなっているメレアの胸元に突き出した。

 魔槍の刀身は不気味な金切声をあげながらメレアの服を貫き、肉を貫き、


 その身体を貫いた。


「――勝った」


 セリアスが短く紡いだ。

 なにに勝ったのか、セリアスの中でも朦朧もうろうとしていた。

 殺せば魔王の秘術を取り出せなくなる可能性があることなど、もはやこのときには完全に頭から抜け出てしまっていた。

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