第61話「白と灰、歴史の系譜」【中編】

 右麗刀、横一線。

 左麗刀、袈裟掛け。

 白雷を装填し、後背へ回り込み。

 流れる動きはしかし高速である。

 普通の人間なら三動作目の高速転回の時点でメレアの姿を見失っていたはずだった。

 近ければ近いほど、その速力は猛威を振るう。


 しかし、セリアスは、


「ハハッ! 速いな! これが〈雷神セレスター=バルカ〉の白雷装かッ!」


 メレアの姿を確実に追っていた。

 さすがのセリアスも、身体は完全には追いついていない。

 だがその首だけは先行してメレアの姿を追うように周り、左目でもって確実に白い雷の尾を捉えていた。

 そして、


「っ!」


 メレアが後背の死角から麗刀を振り下ろそうとしたところへ、魔槍クルタードの柄を突きこむ。

 

「いい反応だ!」


 その一撃をメレアは胴を捻って避けつつ、勢いを利用して逆の手の麗刀を居合抜く。

 弾けるような音が鳴った。

 麗刀と魔槍が打ち合う音だった。

 今の一瞬のうちにセリアスが身体をまわしきり、メレアの一撃を受け止めたのだ。


「良い武器だ! 魔槍の事象干渉を受けながらその刀身がほとんど揺らがない! 〈水神セウラ=エウラス〉はいったいどうやってそれほどの密度の術式刀を生み出したのだ!」

 

 セリアスは興奮気味に声を発していた。


「うるさいやつだ……!」


 そんな威嚇を兼ねた声に、メレアは薄い笑みで答える。

 メレアはメレアで同じくセリアスの力量を探っていた。


「なら、それを使うお前の技量はどうだ。――性能スペックだけで近接戦ができると思うなよ……!」


 ふと、競り合っていた刀身が跳ねるようにして離れた。

 セリアスがメレアの麗刀をいなし、素早い動きで懐に魔槍の槍先を突き通しにいく。


「魔槍を使っているお前が言うな……!」


 メレアの動きは流麗で最小限である。

 無駄な動き一つなくぎりぎりでそれを避け、再び反撃。

 近接、いなし、打ち合い。

 このときの二人の戦いは技量の競い合いに寄っていた。

 そこには互いに別々の思惑があった。


 と、そんな目にも留まらぬ駆け引きと斬撃の応酬が、幾秒のあとに均衡を崩す。

 セリアスがメレアの体勢を崩していた。

 メレアはすぐさま並外れたバランス感覚で体勢を立て直そうとするが、そこへさらに、


「逃がさん」


 セリアスが踏み込み行く。

 麗刀の一本を魔槍で足元に押さえつけながら、さらに振るわれてきたもう一本の柄を掌打で打って、外にいなす。すかさず懐へと潜り込んだ。


 ――とらえた。


 セリアスは確信する。左手でメレアの腕を捕まえていた。

 白雷が手の中で暴れ回ってその皮膚を焼いたが、あらんかぎりの力を込めてその腕を離さなかった。

 そして、メレアが手に引っ張られて再度体勢を傾けたところへ――とっさに魔槍を手から離し、掌打を打ちにいった。

 そこにセリアスの思惑が表れていた。

 魔槍ではなく、あえての掌打。

 そのセリアスの手からは――


 黒く光る粒子が噴き出ていた。


「っ――」


 かする。

 メレアの卓越したバランス能力は、なおも完全には体勢を崩させなかった。

 だが完全回避ともいかず、セリアスの掌打が頬をかすめていく。


「どこかで見たことのある体さばきだな。武系の魔王の技術を継いでいるのか」


 セリアスは一打を打ったあと即座に後退しつつ、そんな言葉を投げた。

 それ以上の密着近接はさすがに危険だと脳が警笛を鳴らしていた。


 ――だが、れた。


 一方でそれは、当初の目論見もくろみを完遂させたがゆえの後退でもあった。

 かすめるだけで――十分だった。 


 対するメレアは麗刀を持ち直しながら指を立て、打たれた頬をなぞっていた。

 奇妙な感触が、頬をつたった気がした。


◆◆◆


 メレアはセリアスに対し率直な感心と驚嘆を抱いていた。

 たしかに、


 ――強いな。


 霊山の山頂で手を合わせてきた英霊たちを除けば、今のところもっとも手練れだと思える。

 ハーシムや魔王たちが、嫌々ながらセリアスの戦いの才をたたえる気持ちもわかる気がした。

 

「動きが悪いのではないか? 手加減でもしているのか? ――もっとその体捌きを見せろ。武系魔王が霊山でお前に身に着けさせた動きの真髄を見せろ」

「この状況で敵にそんなことを乞うとはな」

「性分なのだ。私は強者が好きだからな」


 ――戦狂いめ。


 メレアは内心に思いながら、セリアスが続けて言葉を紡ごうとしているのを察知して、あえて言葉を待った。まだ頬の奇妙な感触は消えない。


「まあ、父にはこうした考えをよくいさめられるが、私には私より強い者を見たいという根源的な欲求がある。だから、こうして相手を引き上げたくなる」


 その言葉は挑発でもあったし、また一方でセリアスがメレアのことを少なからず自分よりも下に見ているということの証明でもあった。

 メレアもそんな匂いを察知していたが、戦いに入ることで饒舌じょうぜつになりはじめたセリアスを見て、反論せずにそのまま喋らせることを選んだ。

 メレアがこの近接戦に際して抱いていた思惑は、セリアスから言葉を引きだすことにあった。


「そうなると、戦乱の寵児という名はおもいのほか似合わないな。戦乱というよりも、戦いそのものに対する申し子という方がいいかもしれない」

「そうだな。戦乱というのであれば相手は弱い方がいい」


 メレアはこれまでで一番冷静に現状を見ることができていた。

 剣を交える前に感じたセリアスに対する『違和感』がそうさせていた。


「しかしそういうお前もだいぶ多様な術式を使っているな。なにも使っていないように見えても、魔眼を通して見ると身体の周りに光るものが見える。それは糸か?」


 メレアの眼にはセリアスの周りをふわふわと流れる光る糸のようなものが見えていた。

 すさまじく細いが、一方で独特のきらめくような魔力光を発する糸。魔眼を通して術式を見る際に、その式を構成している術素の輝きが見えることがあった。


「――さすがにそれくらいは見抜くか」


 そしてさきほどの攻防の最中、それがセリアスの身体を操作しているように見えた。まるで自分自身の身体をその光糸で傀儡かいらいにしているような光景だった。


「〈人形王の光糸〉。かつての魔王が作った、傀儡術のための特殊な糸だ。人形王の真髄はその傀儡術の方にあるが、まあこちらは口では説明しづらいので割愛しよう」

「余裕にすぎるな、敵を前に力をバラすとは」

「もう『終わった』からだ。ここからお前がさきほどより良い動きを見せることはない」


 と、セリアスは右手の五指から生えていた光糸を外しながら、メレアを指差して言った。

 その顔にはなぜかわずかばかりの暗鬱とした色が混ざっていた。残念がるような表情でもあった。


「さっき私の掌打はお前をかすめたな。その右の頬だ」


 セリアスはメレアの右頬を指差していた。

 メレアがさきほどから奇妙な感触を覚えていた箇所だ。


「本当はもっと遊んでも良かったが、つい身体が反応してしまった。貴様が中途半端に強いのがいけないのだ」


 セリアスはついに残念そうな顔色を隠しもせず顔に載せた。小さくため息すらついてみせた。


「――今、『届いた』。貴様の戦闘能力の『核』を潰す力が、今貴様の頭の中に届いたぞ」

「なにを――」


 一体なんのことかとメレアは思ったが、しかし次の瞬間、すべてを察した。

 意図せず――

 

 身体にまとった白雷が消えていた。


 ばちばちと暴れまわっていた雷の群は、急に勢いを弱めてメレアの身体から引いていく。

 そしてついに、完全に身体から消えてしまった。


「一体どれほど長い歴史の中を、ムーゼッグが魔王を相手取って生きてきたと思ってる。――ムーゼッグほど魔王と剣を交えてきた国はない。そしてムーゼッグはかつての『ある事件』から、特に術式系の魔王に対する対抗策を研究してきた。それが今、お前に撃ちこんだ〈封印術〉だ」


 セリアスが語る。

 その間にメレアは状況を理解するべく自分で動いていた。

 右手に持っていた水神の麗刀の刀身を持ち上げ、顔の前に持ってくる。

 煌めく水の刀身に自分の頬をどうにか映し、そこになにがあるのかを見ようとした。


「黒い――」


 紋様。――術式陣。

 今さっきの掌打は、むしろこれのための掌打だったのだとメレアは確信した。

 直後、すぐさま術神の魔眼でそこに映った術式陣を解く。

 難解かつ独特な術式陣だが、蓄積された経験はそれを見事反転させた。

 そして、それを自分の頬に撃ちこもうとして――


「やめておけ、反転しても解印はできんぞ。なんといってもそれは――使用意されていたものだからな」


 セリアスの言葉の意味をメレアは即座に察した。


「『固有術素』を使った術式阻害の封印術だ。しかも、術式そのものを阻害するのではなく、その根本たる頭の中の処理領域を阻害する。貴様が人間離れした術式処理能力によって魔王の術式をいくつも併用しているのは知っている。しかしそんな貴様からすれば、その封印術ほど厄介なものはないだろう」


 なるほど。

 これがムーゼッグが長い時を掛けて生み出した対魔王の『切り札』。

 メレアは理解した。

 自分の白雷が意図せず消えたのは、白雷の術式演算のために使っていた処理領域がこの封印術によって阻害されたからだ。


 ――固有術素か。


 さらに、反転術式によって解印できない術式。

 たしかに固有術素がなければ発動しないたぐいの『固有術式』は、反転できない。読み取ることはできても、発動させるのは別問題になる。リリウムの命炎と同じだ。


「固有術素まで使うとなると、いよいよもってお前らも魔王の一族のようだな」

「当然、生まれついて持っていたものではない。後天的に埋め込んだものだ。生まれついて魔王である貴様らとは少し違う」


 むしろ、後天的にそういうものに近づいていこうとする行為の方がどこかいびつな気がしたが、メレアはそのことを追求しなかった。

 セリアスがやや感情的な言葉を吐いたことに気づいて、その内心の機微に意識を集中させていた。

 こうして自分の能力の一部を封印したことで、もしかしたら一抹の安堵を感じはじめているのかもしれない。

 その安堵が口を開かせ、セリアス個人の言葉を引きだそうとしている。


「そうさせたのはお前らだろう。生まれついて魔王である者なんて、本来存在してはならない」


 メレアは淡々と言葉を述べた。

 メレアは動じていなかった。


 ――お前の予測は正しかったよ、ハーシム。


 メレアの脳裏にはハーシムの言葉が蘇っていた。

 自分の吐露した弱点に、セリアスが気づくだろうという言葉。そしてそこを突いてくるだろうという言葉。

 実際、こうしてセリアスは自分の弱点をこうして突いてきた。

 だがメレアにとってそれは――


 予定された行動だった。


「号のある家に生まれた瞬間、そいつは魔王だ。そういう慣習と風習を、私たちが作ったのだからな。――変えたくば変えればいい。ムーゼッグをくつがえせば変えられるぞ?」


 セリアスは徐々に飄々とした空気を混じらせはじめていた。

 さきほどまでの戦いに対する真剣な熱が引いていって、現状に飽きはじめたような印象があった。

 その姿にメレアは子どものような無邪気さを見ていた。


「まあいい。――さて、自害でもされると面倒だ。早めにほかの術式領域も封印して、動けなくしたあとにその眼をもらおう。さすがの私も一発で封印しきれないほどの術式領域を持つ男に会うのは初めてだが、あと二三発も打てばからっぽになるだろうよ」


 セリアスが一歩メレアに近づいた。

 いつの間にかその左手には術神の魔眼を通さずとも目に見えるほどの太い光糸が現出していた。

 その光糸は地面を伝い、メレアの足元に伸びていて、


「気づいたときには遅いぞ。貴様を〈人形王の光糸〉で縛った」


 その身体を足元から縛っていた。

 対するメレアはそれを見るために顔をうつむけたあと、しかし顔をあげなかった。

 セリアスがさらに一歩近づいて来ても、その眼はセリアスを見なかった。

 そんなメレアの身体が、さらに太く強靭化した光糸によって縛り付けられながら、ゆっくりと空中へひっぱりあげられていく。

 ついにその身体が宙に浮いた。

 空にはりつけにされた異端者のようだった。


「戦意を喪失したか」


 セリアスはゆっくりとメレアに近づきながら、その両手から〈水神の麗刀〉が消えたことを確認して言った。

 それでもまだ警戒はしつつ、あと三歩という距離にまで近づく。

 すると、そこでようやくメレアから声があがった。

 その声は――


 次の瞬間、思いがけずセリアスの内心を大きく揺るがした。


「――『わかった』。お前、言わなかったんじゃなくて――言えなかったんだな」


 メレアはようやく長年の問いに答えを得てすっきりしたかのように、曇り一つない瞳をセリアスに向けていた。

 宙に磔にされながら空を背負うその姿からは、諦めの空気など微塵も感じられない。

 メレアの動じなさを強がりかなにかだと思っていたセリアスも、このあたりから小さな違和感を覚えるようになっていた。

 だがそれが何なのかが、皆目見当がつかなかった。


◆◆◆


 メレアはセリアスと対峙してから直感的に覚えた違和感にようやく答えを見つけていた。

 さきほど自分の顔を麗刀の刀身に映して見たときに、ふと答えが胸の中に浮かんできたのだ。


 ――こいつ、鮮烈なのに、儚い。


 まるで、少し前の自分を見ているような感覚に陥った。

 きらめく水の中に浮かんだ自分の虚像は、ぶくぶくと泡の混じる美しい揺蕩たゆたいにまぎれて、不思議な儚さを演出していた。

 今の自分にはもう儚さはないだろうと信じながらも、その不安定な鏡面のおかげでいくばくか前の自分の姿を思い出していた。

 そこに、目の前のセリアスの姿が不思議と重なった。


 たしかに強い。

 おそらく今まで出会った生者の中では最上位に位置するだろう。

 対魔王に特化した固有の封印術式を使い、またかつての魔王の術式を独自に分解して活用している。

 たぶん自分が気づいていないだけで、もっと多くの術式を使っている可能性もある。白雷の速力に追いつかれたときも、一瞬セリアスの両眼に術式陣が浮かんでいるように見えた。もしかしたら特殊な魔眼を持っているのかもしれない。

 とにかく、セリアスはかなりの数の魔王の力を巧みに活用している。

 一つ一つの術式は大きなものではないが、その『要素』を取り出して巧く使っている。

 自分とは違って、たぐいまれな『術式感覚』を持っているのかもしれない。

 なのに、


 ――強く、輝いているはずなのに……


 なぜだかその場にいないような『薄さ』があった。

 それに気づいたとき、セリアスがあの質問に答えなかった理由がわかった気がした。


 『お前は勝利のあとにどこを目指しているのだ』。


 セリアスは答えをはぐらかした。

 そのとき違和感を覚えた。

 あくまで自分の予想だ。

 だがかまをかけて紡いだ言葉に対するセリアスの反応を思い出して、確信した。

 こいつ――


◆◆◆


 ――どこも目指していないんだ。


◆◆◆


 セリアス=ブラッド=ムーゼッグは、ただ勝利という現象のみを追いかける――


「壊れた獣だ」


 お前の方がよっぽど、


「化物だよ」


 メレアは磔にされながら、まっすぐにそう言った。

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