第60話「白と灰、歴史の系譜」【前編】

「殿下、そろそろやつが――」

「ああ、わかっている」


 ミハイの視線の先。味方であるムーゼッグ騎兵をすさまじい速度で追い抜き、単騎で突撃してくる白い髪の男。


「単騎で……」


 ミハイはメレアを見て息を呑んだ。

 セリアスがどう思っていようとも、さすがに自分はあれと相対してやろうとは思えなかった。

 もちろん、セリアスのためであれば自分の望む望まないに関係なく身を挺するつもりではあったが、なにもないならできれば触れたくはない。


「どういうつもりだか知らんが――」


 だが、セリアスは違うようだった。

 灰色の髪の男は、戦いの高揚に彩られた笑みを見せていた。

 憮然とした無表情の次に多く見ているのは、そんなセリアスの笑みだ。ミハイはそんな笑みを浮かべるセリアスの顔を、美しいと思った。


「いいだろう。『乗ってやる』」

「で、殿下……」

「案ずるな兵長。私も保険ぐらいは掛ける。白光砲はまだ撃てるな?」

「はっ」

「ならば用意しておけ。至近ならさすがに通るだろう。――だが必要以上に近づくなよ、アレは兵長たちがまともに相手取るには重すぎるものだ」

「では、どこで」

「カリギュラの口の中にでも隠れていればいい」


 カリギュラとは今セリアスたちが乗っている赤い地竜の名前だった。


「口の中ですか。なかなか胆が冷える状況になりそうですな」

「それもまた案ずるな、だ。カリギュラは従順だし、人語を特に深く理解している個体だから指示さえ出しておけば問題ないだろう。――『我がムーゼッグのために』」

「――は、喜んで」


 兵長の方も断る気はなかったが、その台詞が結果的にダメ押しにはなっていた。

 その言葉は全ムーゼッグの軍人が至上とする言葉である。この王子の口から出たその言葉は、最上のものである。

 兵長は頭を軽く垂れて、ふとブレーキを掛けはじめた赤竜の首根にそそくさと移動した。

 メレアがやってくる手前、その影になるように位置取り、


「よだれがつきそうです」

「あとで手当てを出そう」

「それならば安心ですな」


 首をまわして大口をあけてきた赤竜の口の中に、部下数人とともに足を踏み入れた。

 そんな兵長たちを見ながら、セリアスはミハイに言う。


「私が負けると思うか?」

「いいえ、あなたが一騎打ちで負けるならば、この世の誰もあの男には勝てないでしょう」

「大げさだな。世界は広いぞ。私はまだ東大陸すら完全には平定していないというのに」

「しかし、対魔王に関しては――特に術式系の魔王に対しては、あなたさまはその生まれゆえにとてつもなく優位でございます」

「そうだな。それはムーゼッグの先祖のおかげだ」

「ならば、その力でもってあの魔王を倒してしまってください。きっとそれでこの戦は終わります。そんな気がします」


 ミハイは、ずっと向こう、ちらほらと見えるほかの魔王たちの視線が、こちらに釘付けになっているのを見ていた。

 レミューゼ軍と一緒に一時の休息を貪り、身体を休めながら、唐突にはじまりそうな邂逅に半ば呆然とした視線を飛ばしている。


「『主柱』です。おそらくあの白い髪の魔神が魔王勢力の主柱なのです」

「だろうな。霊山でもそうであったと聞いている」

「ならば、それを折ればいいのです。向こうも同じ気でこちらへ来たのかもしれません。殿下はムーゼッグという大国において主柱でございますから」

「それはそれで問題ではあるのだがな。最近はさすがに従順に過ぎる。さきほどもそのまま攻めきってしまってよかった。だが父がこうした形式を重視するからな」

「忠誠のためであり、『信仰』のためです」


 その言葉を発したとき、セリアスの顔が曇ったのをミハイは見ていた。


「まあいい。お前も離れていろ。やつの視線を見るかぎり、その言葉どおり俺を狙っているようだからな。多少離れていれば手は加わらんだろう」

「こんな戦場で、不思議なことです」

「これが今の時代の戦場なのだ。私はある種の救いであると思うがな。矜持も信念もない無秩序な暗黒戦争時代は、かの歴史書の中だけで十分だ。私は戦いが好きだが、あれはまた別のものだから嫌いだ」

「……そうですね」


 ミハイは最後に小さくうなずいて、ついに赤竜の背から先に飛び降りるべく一歩を踏んだ。

 今や赤竜の疾走は歩くほどになっていて、視界も鮮明になっている。


「騎兵軍を手前で止めておけ。私の邪魔はさせるな。魔眼やほかの秘術の件もある。あれは生け捕りにせねばならん。死んで効力が失われるたぐいのものもあるからな。ともあれ、私に傷がついたからと殺されてはかえってムーゼッグの損失につながりかねん」

「――はっ」


 ミハイとしてはそれは不安でしかたのない提案だったが、断れるはずもなかった。

 ある意味、戦いが好きなセリアスの弱点でもあると内心に思っていた。


「では、ご武運を」

「ああ」


 ミハイは先に赤竜から飛び降りる。

 もう赤竜は足を完全に止めていた。


 ミハイは騎兵軍を手前で留めるために大声をあげる準備をしながら、


「――」


 ふと、視界の端を白い雷が走っていったのに気づいた。

 あの男だ。

 

 ――油断なさらないでくださいね。


 ミハイはそう心の中で念じて、その男を視線で追うのをやめた。

 ここからはあの二人の世界。


 東の大陸から世界の中心に昇りつめようとしている男と、今の世界の秩序に一石を投じようとしている男の――邂逅かいこうである。


◆◆◆


 こんな戦場にあって、それはひどく整然とした光景であった。

 荒野の真ん中に、赤い竜が伏せっている。

 丸まって、まるでその背を円形の闘技盤に見立てるように、大人しく伏せっている。

 赤い鱗が豪華な絨毯のようにも見え、また一方で血のしみ込んだ闘技盤の石床のようにも見えた。

 そうやって微動だにせず身を固める竜の上で、一人の男が立っていた。

 灰色の髪が特徴的な、美貌の男。


 そして今、そんな男の前に、もう一人の男が立ち現れた。


 白い髪が特徴的な、超俗的な容姿の男。

 二人の間の距離は歩幅にして十歩。

 二人からすれば、間合いであったかもしれない。

 だが互いにすぐには動かなかった。

 異様な光景だった。


 そんな二人の乗る赤い竜の周りには、黒い壁ができている。

 近づきはせずとも、白い髪の男を逃がすまいとムーゼッグの騎兵たちが円形に立ち並んでいた。

 これだけの数がいて、誰一人つぶやき声すら漏らさないのは、閑寂かんじゃくでありながら壮大である。


 彼らは動きを待っていた。

 あわよくば二人の口の動きをどうにか見られないかと目を細めていた。声は聞こえそうにない。

 近づくなとの命令が歯がゆくなった。

 

 そんな彼らをおいて、二人はついに口を開いていた。

 先に声をあげたのは――灰色の髪の男だった。


◆◆◆


「リンドホルム霊山以来だな、魔神。――名を聞こうか」


◆◆◆


「メレア=メアだ。――セリアス=ブラッド=ムーゼッグ」


◆◆◆


 その日、歴史が動いた音がした。


◆◆◆


 メレアはセリアスを前にして片手を腰におき、意外とでもいうような表情を浮かべていた。


「こうすんなりと通させてくれるとは思わなかった」

「私としてもその方が良かったからだ。思惑の一致というやつだな。まあ、利害といってもいいが、互いに利を得ようとしているわけだから他方を害と呼ぶのは不躾ぶしつけだろう」

「今の戦争はまだ対話の余地が残っているのか」

「時と場合による。強者は度量を見せねばならんこともあるからな」

「どの口が言うんだ。魔王に余地なく迫るのはムーゼッグだろう」

「だから、時と場合によると言った。所詮それを選ぶのは強者の側だ」

「そっちの方が『らしい』答えだ」


 メレアは皮肉っぽい笑みをセリアスに向けた。


「私の方からも訊こう。――『その眼』をどこで手に入れた」

「……言う義理があるか?」

「言っても言わなくても大差ないことは貴様自身がわかっているのではないか? 手に入れた過程はもはや関係ない。現にいま、貴様が所有しているからだ。どこで手に入れたかなどこの状況ではさほど意味がないだろう」

「だがお前は訊いた」

「好奇心だ。私はその眼に関係が深くてな」

「――初耳だな」

「そうか。フランダー=クロウは言わなかったか」


 セリアスがわざとらしく息を吐いて言った。

 メレアはその言葉にひっかかりを覚えたが、すぐには訊ねなかった。


「まあいい。多少、信じがたいとは思いつつも、貴様を見ていると本当にリンドホルム霊山には『魔王の亡霊』がいたのではないかと思えてくる」

「魔王の亡霊……か。そうか、そういう言い方に……なるのだろうな」


 メレアは少し眉をしかめた。


「して、貴様は何をしに来た。世間話をしにきたのではあるまいな」

「半分はそんなものだ。もう半分は――察するとおりだ」

「ならば先に前者をこなしておこう。貴様も息を切らした状態で会話をするのは苦労するだろうからな」


 セリアスの挑発に、メレアはしかし動じなかった。


「――なぜ、魔王を狩る。もうお前たちは十分に強大ではないか。聞くところによれば、現時点で東大陸の半分以上を手中に収められる戦力があるという」

「なるほど……そうきたか。存外論理を好むのだな」

「答えろ、なぜ魔王を狩る。狩る前にせめて取引の体裁を取ろうとは思わなかったのか」


 メレアの問いに、セリアスは特段顔をしかめるでもなく、自分の好む食材を思い出すような軽い仕草でうなり、ようやく答えた。


「取引は――破断するものだ」

「最初から破断を前提にする取引など取引ではない」

「そうだな。今のはややひねくれていた。――だが逆に訊こう。貴様は歳三つの幼い子を前にして、金貨を懸けた取引を真面目にするのか?」

「っ……」


 さすがのメレアも、その挑発には肩をあげた。

 思わず一歩踏み出しそうになって、とっさに理性を引き戻す。


「その程度だということか」

「大方は。まあ、昔はそうではなかった。だからそれなりに真面目に対価を与えてやろうと思った。しかし徐々に魔王の力が衰退し、ムーゼッグが相対的に大きくなるにつれ、その必要もなくなった。――わかるか? お前らは道具だ。しかも、道具そのものにたいした感慨も抱かないたぐいの、使い捨ての道具だ。――今は対国家に集中せねばならん。だからそのために使ってやろうというのだ。加えて言えば、『ほかの国家に奪われるのは』看過しがたい。だったら奪えずとも壊しておいた方がマシだ。ムーゼッグは勝たねばならんのだ。どんな相手に対しても」


 メレアはその答えを聞いて思わず拳を握った。


「百万歩譲ってそれで納得したとしよう。――ならその上で訊く。お前らはそうやってほかの国家をも蹂躙じゅうりんして、そのあとなにをすのだ。なにをしたくてそんなにも勝利を求めるのだ」

「……」


 セリアスはすぐには答えなかった。

 その一瞬の間にメレアは『違和感』を覚えた。


「……さあな。国家の思惑を貴様に漏らす義理はない」

「お前個人はどう思っているんだ、セリアス。今ここには俺とお前しかいない。たしかにムーゼッグの王子という立場にあるお前は、どんな言葉を紡いでも国家の思惑という色がからみついてくる。だが、この瞬間ならば、お前はお前個人として言葉を紡げるだろう。周りには聞こえない」

「……」


 セリアスはメレアの言葉に内心でうなずいていた。

 だが、それでもなお言葉は紡がなかった。

 それを見たメレアはやや残念そうに息を吐いて、


「――わかった。なら意地でも吐かせよう。お前個人の言葉を」


 不意に前への一歩を踏んでいた。

 右手には〈水神セウラ=エウラスの麗刀〉が一本握られ、二歩目を踏んだ瞬間には左手にも同じ麗刀が召喚されていた。


 臨戦。

 セリアスはメレアの開戦合図に遅れなく反応し、術式空間から〈魔槍クルタード〉を呼び出し、両手に構えていた。


 赤の上で白と灰色が踊った。

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