第56話「魔神の雄叫び」

「――だ。十分間だけ、やつの意表をついてみせる。加えてもし戦線が危うくなったら、同じく十分間だけ俺がそれを支えてみせる」

「正気か? 相手が何人いると思ってる」


 セリアスに対する手があることはともかくとして、後半の物言いに思わずハーシムは訊ね返した。


「正気だ。だが何度も言うが十分だ。そしてそのあと俺はろくに使い物にならなくなる」


 メレアは淡々と答える。

 そのときやや離れた場所でじっとメレアを見ていた〈暴帝〉マリーザが肩を強張こわばらせていたが、そのことには誰も気づかなかった。


「だから、もしこれ以上は無理だと思ったら、俺に合図を飛ばせ」


 メレアは鋭い視線をハーシムに向けながら、そんな言葉を投げた。

 対するハーシムはわずかばかり唸って、


「――わかった。そのときは知らせよう」


 神妙な顔でうなずいた。


「よし。さて、そろそろ来そうだな」


 そのあたりでようやくメレアが向こう側を見る。


「ああ、殺気の波がきた」


 それに倣うようにハーシムが見やった先。ムーゼッグ騎兵たちがうごめく一帯。

 すると、直後、


「陛下! ムーゼッグが動きました!」


 壁を形成していたレミューゼの騎兵から声があがった。

 メレアとハーシムの確信は同時で、またそれぞれに動き出すのも同時だった。


「来たか。――あらかじめ言っておいたことを忘れるなよ! 数が少ないことは決して不利ばかりではない! おれの指示を聞きもらすな! その都度つど道を示してやる!」


 ハーシムが手を水平に薙ぎ払い、レミューゼ兵たちに力強い鼓舞の声を飛ばした。

 そのかんにメレアが人をかき分けて、中央最前線へと進み出でる。

 開ける視界。

 戦の大々的な幕開けを前にして、思わず小さな息が漏れた。


「天の海にいるのなら、どうか見守っていてくれ」


 メレアは空を一度だけ見上げ、ほんの小さな声でそうつぶやく。

 そして――


 その日、その場所で戦争が起こった。


 はじまってみればあっけない幕開けだった。

 戦を前にした感慨かんがいは一瞬でどこかへ吹き飛ばされ、ざらついた空気が頬をなでる。

 あとはもう、暴流に身を任せるかのようだった。


◆◆◆


 ムーゼッグ騎兵軍が最初にとった動きは、多人数側における常套じょうとう策――半包囲殲滅のための回り込みであった。

 個人であっても集団であっても、側面を取ることの優位は揺らがない。

 対峙たいじによって徐々にあきらかになっていく人数差。

 左右に広がりながらもその密度が薄まらないムーゼッグ軍の様相は、まさしく圧巻の一言に尽きた。

 

 そんなおり、ムーゼッグ軍の動きを瞬き一つせず観察していたハーシムが、奇妙な点に気づく。


「――増えているな」


 うまく隠されていた。

 だが、実際に動くことで露わになった変化があった。


 ムーゼッグの騎兵の数が増えているのだ。


「別の場所で包囲を張らせていた味方を呼び寄せていたか」


 ムーゼッグ軍は作戦形成と指揮形成にやたらと時間を使った理由がわかった。

 後方からの援軍の到着を、ああして壁を作ることでうまく隠していたのだ。


「いや、数で負けることははなからわかっていた。まだ予想を上回るほどではない。いまさら動じるな」


 ハーシムはみずからにそう言い聞かせながら、自分の左右で隊列を整えている部下たちを見た。

 ハーシムはムーゼッグ軍が半包囲を取ってくることを読んでいた。

 ゆえに、あらかじめ部下たちを左右の二隊に分け、


「行け! 絶対に抜かせるなよ!!」


 包囲せんと突っ込んでくるムーゼッグ軍の先兵に対し、ぶつけるつもりだった。

 ほとんどの戦力を、包囲への抵抗にく。

 側面を突かれるのが致命的であることは、ハーシムとてわかっていた。


 しかし、左右の先兵にこちらの戦力を割けば割くほど、もともと数の上で不利なレミューゼは中央の防御が薄くなる。

 レミューゼ騎兵たちが白い鎧に陽光を反射させて駆けて行くたびに、ハーシムのいる本陣部分がみるみる手薄になっていった。


「構うな! 左右に集中しろ!」


 それでもハーシムは指示を飛ばした。

 部下たちがどんどんと左右に散っていく。

 そして、


「――来たか」

 

 ハーシムは、手薄になった中央へ向けてムーゼッグ軍が馬の足をそろえようとしているのを見た。あちらは包囲のための回り込みに相当数の騎兵を使いながら、まだ中央に余力を残している。

 こうして見ると、中央の騎兵の数の差が、つまるところ今の絶対的な戦力差に見えた。


 両軍の間に視界を遮るものはない。見晴らしのいい状態だ。

 すでに自分が指揮官であることはバレているだろう。

 ムーゼッグの中央騎兵が自分の首を狙う別働隊であることを、ハーシムは疑わなかった。

 指揮官の首を取ることもまた、戦における常套手段である。

 しかし、ハーシムはなおもそれに構わなかった。


 中央には、


「頼んだぞ」


 手を組んだ『仲間』がいた。


◆◆◆


 メレアはハーシムの前に威風をまといながら立っていた。中央最前線である。

 肩を回し、身体の各部をほぐしながら、ついにこちらへと槍の刃先を向けたムーゼッグ軍に鋭い視線を返している。


「――どうやら術式兵はいても、あの霊山でやりあったような精鋭じゃあないらしいな」

「あくまで本分は騎兵ということか。まあ、捜索線を張ろうというのだから、人選がそうなるのは妥当ではあるが」

「あのどでかい光の砲撃が飛んでこないのは助かるよ。あのレベルの術式になるといちいち見てから反転術式を編まなきゃならないからな。間に合うって自信があっても、さすがにきもが冷える」


 メレアの隣にはエルマがいた。メレアと違って馬にまたがった状態だ。

 エルマの後ろにはアイズの姿もあったが、彼女は二人の会話を静観することに努めているようだった。


「それにしても、この状況をまねいてしまった張本人である私としては、激戦部をメレアたちに任せてしまうことに負い目を感じずにはいられないな……」


 エルマはその麗姿れいしに落ち込んだような色を乗せて、うつむきながらこぼしていた。

 そんなエルマの方を、メレアは優しげな笑みとともに下から見上げる。

 その笑みに以前のような儚さは微塵もなく、むしろ優しげであるのにどこか芯を感じさせる、不思議な頼りがいがあった。


「エルマだってずいぶんな難題をハーシムに言い渡されているんだから、気にすることじゃないよ」


 メレアの言葉に、その後方にいた魔王たちもうなずいていた。

 彼らの反応を受けて、ようやくエルマは顔をあげる。


「……わかった。――っと、また変に気負ってしまったな。ここは戦場だ、切り替えねばな」


 彼女は自分の頬を両手でぱちんと叩き、次いでその顔に精悍な表情を乗せる。

 もうそこに落ち込んだ麗人の姿はない。


「私も、ムーゼッグに一矢報いてみせよう。私が成功すれば戦線が楽になるかもしれないしな」

「そうそう。だから――そっちは任せた」

「ああ」


 メレアの言葉に力強い返答を返し、エルマは後方へと下がっていった。

 ハーシムの隣で『そのとき』を待つようだった。


「――さて」


 そんな彼女をわずかの間見送って、ついにメレアは前を見る。

 どうやらムーゼッグが中央本陣に突き刺すための騎兵軍を編成し終えたらしい。

 メレアはそれを見て、大きく息を吐くと同時、拍手を打った。


「〈風神ヴァン=エスターの六翼〉」


 風の六枚翼が荒野の土を巻き上げながらその背に形成される。

 リンドホルム霊山で形成された六翼は、霊山の雪化粧を舞い上げて白く輝いていたが、この荒野では荒くれた土を巻き上げて赤色を身に灯していた。霊山での六翼と比べ、その赤い翼は荒々しさを感じさせる。

 そこへさらに、


「〈土神クリア=リリスの三尾〉」


 腰部のやや下、その尾骨のあたりから、巨大な大蛇のごとき尻尾が一瞬にして生えた。

 正確にいえば、それはメレアの身体から直接生えたものではなく、空中に滞空する真っ黒な巨柱のようであるが、メレアの尾骨付近を支点にうねるさまは、むしろそれ自体が生き物であるかのようだった。

 大きさはメレアの体長の五倍はあるかというほどで、異様に太く、強靭で、黒曜石のようなしんとした黒光を発している。


 一瞬にして自分たちの目の前に形成されたメレアの三本の黒尾を見て、なによりも後方に控えていた魔王たちがその身をすくませた。

 彼らはそれがメレアの術式によるものだとわかっていながら、瞬間的に『触れてはならないもの』と直感していた。

 当然ながら、向こう方、ムーゼッグの騎兵隊も、特にその先頭を切っていた者たちが顔をひきつらせていた。

 しかし、


 ――まだ。


 メレアは心の中で不満足の言葉を紡ぐ。

 ムーゼッグの騎兵たちはたしかにメレアの異様な術式を見て突進の速度を緩めたが、まだ完全には止まらない。先頭の騎兵の顔がひきつったとて、すぐさまその後ろに続く騎兵から鼓舞の声がやってきて、その足を強引に前に進ませていた。


 ――もっと。


 メレアは視界にムーゼッグの騎兵をはめこみながら、さらにそれらの術式に魔力を込める。

 六枚翼が赤茶の土を巻き上げてさらに巨大化した。まるでそれは天竜テイシーアの翼のごとく、身体よりはるかに巨大で、広げれば視界のすべてを包み込んでしまいそうな圧倒感を見る者に抱かせた。


 三尾はさらにその身体に不思議な黒の鉱石を付着させ、どんどんと肥大化していった。もはやそれは単に大蛇というにも物足りぬ、黒い化物のようであった。

 そんな黒尾の一本が、不意にメレアの正面に回り込んで地面をばちりと叩き付け、その部分を陥没させる。

 残りの二本は天を衝かんばかりにその身を立たせ、ふらふらとおそろしげなゆらめきを見せていた。

 少し暴れただけで地面が陥没するほどの威力を見せられながら、そうやって上空でふらふらされる光景は、いっそ悪夢よりたちの悪いものに見えた。


 そんな翼と尾をあやつる本体。二つの巨大さに比べれば小さな人型だ。

 だが、その赤い瞳は白い髪の隙間からいやにおそろしげな眼光を飛ばしていて、近づけば近づくほどムーゼッグ騎兵たちの心中を揺るがした。


 まるで怪物だった。

 同じ人間に見えなかった。

 力の化身に見えた。

 あれは――『魔神』だ。


 そんな彼らの心中を見抜くかのように、メレアの視線はしかと騎兵隊に向けられていた。最初は騎兵の顔色を観察していたメレアだったが、次いでその視線は下に移動する。――馬だ。

 メレアは騎兵が乗る馬の数頭が奇妙な動作で首を左右に振ったのを見ていた。

 直後、馬が前に進むことを嫌がるようにいななき、その足が緩まったところまで確認する。

 

 ――もう一歩。


 その光景を見たメレアは、とどめとばかりにもう一つ拍手を打った。


「〈雷神セレスター=バルカの白雷〉」

 

 三装。

 この時点で、メレアは向こうが術式を撃ってこないことを確信した。

 これだけ近づいてなおその動きを見せないのなら、向こうには攻撃用の術式がない。

 そう確信した瞬間、メレアは反転術式のために残しておいた術式領域を、英霊の術式のためにいた。


 いかずちが落ちた。


 空中に炸裂音が走り、空が光る。

 一瞬にして宙空に現れた雷光は、メレアの身体に落下。

 その様子をムーゼッグの騎兵たちは口を開けたまま見ていた。

 怪物が白雷をまとう。

 そのあまりに異様な光景が、人馬ともに戦意を刈り取るとどめとなった。


 騎兵の先頭が足を止める。


 後ろから続いてくる仲間の後押しに力のかぎり抵抗するように、もはや無理やりというていで重心を後方へ傾けた。

 そんな彼らの恐怖がどんどんと後方へ伝播でんぱしていく。


 怪物はそれを待っていた。


 彼らが威圧に屈した瞬間、


 ついにメレアは自分から身を前に弾かせた。


 六翼と三尾、そして白いいかずちをまとった怪物が――その牙を剥いた。


◆◆◆


 圧倒的だった。

 ムーゼッグ軍が左右の包囲に兵力を割いたという理由もあるにはある。

 だが、それでも中央突破を仕掛けてきた残る騎兵も数の点では十二分に多い。

 だのに、今中央の空に舞っていたのは――ムーゼッグ騎兵の身体の方だった。


「――!!」


 人の悲鳴と打撃音。次いで響くのは、鎧の破砕音。

 大蛇のような黒いうねりが、人の身体を一薙ぎで吹き飛ばしていた。


「――!!」


 赤色をまとった半透明の暴翼が、たった一度の羽ばたきで馬を吹き飛ばしていた。


「――!!」


 白雷が人の間を抜き、通り道に血飛沫ちしぶきを舞いあがらせていた。


 戦場に適応した怪物は、間違いなくその戦況において『最強』であった。


 むしろ、仲間でさえその姿に恐怖した。

 あれは自分たちが生きる世界とはまったく別の場所から来た化物だ。


「く、来るなッ!!」


 と、一際ひときわ大きな誰かの叫び声が戦場に響いた。ムーゼッグ騎兵のものだった。

 直後、そうやって叫んだ騎兵の目の前に、


 白い髪の怪物が一瞬にしてやってくる。


 白いいかずちを炸裂音とともに身体にまといながら、音すらを置き去りにしてやってきた怪物。

 叫んだ騎兵は目と鼻の先に怪物の顔を見ると同時、顔に暴風が吹きつけてきたのを感じた。体中の筋肉がその威風に対し反射的に強張こわばった。

 さらに、すぐ隣で地面が爆裂したような音が鳴って、思わずそちらに一瞬の視線を向けると、視界の端で黒曜色を宿した巨大な物体がうねっているのが見えた。

 その時点で彼には戦う意志などほとんどなくなっていた。どうあっても敵いそうになかった。


「っ――」


 されど、身体に染みついた鍛練というのは存外律儀りちぎなもので、最後のあがきとばかりに身体の方が勝手に動いて、片手に握っていた槍を振り回していた。彼の身体は戦士だった。


「――」


 しかし、ただの戦士でそれに敵うはずがなかった。

 その槍は怪物がなにげなく振るった手刀の一発で、柄からぱきりと割断されていた。

 その手は一体なにで出来ているのだ。

 騎兵がそう思った瞬間、


「カ――」


 今度は彼の身体の左側面を黒いうねりが打っていた。

 肺腑はいふからなにかが弾けたような奇妙な音が漏れて――

 騎兵の意識はそこで途切れた。


◆◆◆


 メレアは自分の手が人の命を奪っていく感触を気持ち悪いと思いながら、その悪寒を強烈な前進思考でかき消そうとしていた。

 もはや加減はない。

 躊躇もない。


 それでもやはり――手には人の命の重みが残った。


 死の香りが鼻先にこびりついて離れない。

 悲鳴が耳の中で残響した。


「――ッ‼」


 メレアはそのすべてを受け止めながら、中央戦場で雄叫びをあげた。


 ただ前へ進めと思った。

 位置的な問題ではない。

 生きるということに関して、前へ進もうとしていた。

 自分の生と仲間の生に対し、ただひたすらに進み続けた。

 その生の輝きをさえぎるものを――


 すべて己の手でどかそうとした。

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