第55話「英霊の子」

 いつの間にかメレアの前には魔王たちが背を向けて立っていた。

 まるで、ここまでずっと頼ってきてしまったメレアを――守るように。


 メレアはそんな彼らを見て、小さく笑みを浮かべた。

 嬉しそうな笑みだった。

 その笑みが少しの間メレアの顔に浮かび続け、しばらくしてから消える。

 次にそこに映ったのは、強い決意に満ちた戦人の表情だった。


「なら俺は、あらためてその前に立とう。戦うことを決めた仲間たちの前に、再び立ちなおそう。これが俺の自負で、俺が俺の家族に誓った――英雄としての心構えなんだ」


 メレアの影は、世界に色濃く映った。

 もうその背中にうつろさや儚さはない。

 浮かべている表情も、輪郭をたしかにしている。


「ハーシム」


 メレアは続けて、ハーシムに問いかけた。


「俺たちは俺たちで、やれるだけをやってみせよう。だから――手を貸してくれ」

「ああ、そのためにおれはここに来た」

「レイラス=リフ=レミューゼの名に誓うか」

「……知っていたのか」


 唐突に出てきた名前に、ハーシムはわずかに目を丸めた。


「俺の家族の一人だ。俺が物心ついたときには――もういなかったけど」

「英霊……か」


 いたのだろうな、と。ハーシムは自分でも不思議なほど確信的にそう思えた。

 きっとメレアがレイラスと同じ白い髪を持っていたからだろう。


「ハーシムはレイラスの子孫か?」

「違う。レイラス王女に子はいなかった」

「ああ、そういえばそう言っていたな」

「おれはレイラス王女の妹の系譜だ。この髪と瞳の色は、その妹から継いできたものだ。――まあ、おれ以外の王族はまったく別の色味だがな。だから、たまたまだろう」


 ハーシムは自分の髪に手で触れながら、一瞬ほかの兄弟を思い出し、しかしすぐにその虚像を消した。


「それでも、レミューゼの英雄、〈白帝〉レイラスの矜持は継いでいるつもりだ。ゆえに、誓おう。その白い髪に」

「ああ」


 ハーシムはメレアを見て内心に思った。

 その思いは子どもの夢のように奔放ほんぽうで、根拠などない願望のようなものだったけれど、ハーシムはそれを信じた。


 たぶんこのメレアという存在は、レイラスが残した最後の因子――『希望』なのだ。


「……不思議なことがあるものだな。本当にただのおとぎ話だと思っていた。それくらい、不思議な話だった。いろいろとくわしく聞きたいが――」

「さすがにそこまで悠長にしている時間はないか」

「ああ」


 壁になっている部下たちの隙間から、荒野の向こう側を見る。

 ムーゼッグの人波が少しずつ動きはじめていた。


「――やれるか」


 ハーシムの言葉に、メレアを含めた魔王たちがうなずいた。


「指示は出す。だがほかに戦場に慣れているものがいれば、意見も受け付ける。とにかく――もたせるぞ。いずれ〈三ツ国〉の増援が来る。そのときまで、ともに耐えるとしよう」


 たとえどれだけの犠牲を払おうとも、耐えてみせる。

 ハーシムはそんな決意を胸に浮かべていたが、口には出さなかった。


 だが、ハーシムの部下たちはわかっていた。

 魔王を死なせないために、おそらく自分たちが身体を張らねばならないことを。


 ここが歴史の転換点。

 そのいしずえに、自分たちがなる。

 愚王によってゆるやかに滅ぶと思っていたところへ、希望という名の業火ごうかがやってきた。

 それは、命を燃やして燃える業火である。

 されどレミューゼ。

 その業火にひるまず。

 さらにその火を大きくするべく、


 ――命を燃やせ。


◆◆◆


 緊迫感が増した。

 向こうは徐々に隊列を組み直している。まだ決定的な動きはないが、指揮と作戦の形成が進んでいることは十分うかがえた。

 それを追うように、レミューゼ陣営もハーシムを中心にしながら指揮を形成する。

 特にハーシムは魔王たちの能力を聞くことに集中していた。


 そんな中で、


「ハーシム」

「なんだ」

「お前はセリアス=ブラッド=ムーゼッグのことをよく知っているようだな」


 メレアがハーシムに訊いた。

 この場に到着した直後、ハーシムは一目で向こう側にセリアスがいないことを見抜いた。

 あの言葉がまだメレアの脳裏に残っている。


「ああ、やつとは因縁があってな」

「なら、訊いておきたいことがある」


 メレアは真面目な表情を浮かべて言った。


「なんだ、言ってみろ」

「説明のためにまず先に伝えておくが、――俺には弱点がある」


 メレアの話はそんな告白からはじまった。


「お前に弱点? 英霊の大術式をいくつも使うお前に?」


 ハーシムは今の指揮形成の間にメレアの能力についても大まかな説明を受けた。

 そこでメレアが、英雄譚の中に描かれるような英霊の、『特に象徴的な大術式』を体得しているということを聞いた。

 さきほどの不思議な納得があって、そのことに驚きすぎることはなかったが、それを『同時に』発動させることには相応の驚愕を浮かべた。


「おれはいまだに〈雷神〉と〈風神〉の御業みわざを同時に発動させること自体、信じられなく思っているのだがな」

「それが弱点なんだよ」


 メレアは首を横に振り、


「俺には『中間』がないんだ」


 言った。


◆◆◆


「中間?」


 ハーシムは首をかしげた。

 言わんとすることがまだよくわからない。


「どうして雷神や風神がその号を受けたと思う。それは彼らがその分野において広くスペシャリストだったからだ。術式とは本来もっと柔軟なもので、必ずしも『めい』が残る大術式だけが本懐ほんかいではない」

「そうだな。基本的に自然事象系の号を持つ者たちは、その分野の術式をなんでも器用に扱った」

「だが俺は、そんな彼らの技術の、一部しか継げなかった」


 ハーシムはその言葉でようやくなにかに勘付いた。

 たしかに、そもそも英霊が長年かけて生み出した壮大な術式を、そう簡単にいくつも会得できるわけがない。

 そう考えた瞬間、


「待て、お前、年はいくつだ」


 いまさらそんな当たり前な情報に気がまわって、衝動的に訊ねていた。


「生まれが特殊だから曖昧だけど、この世界に生まれてまだ二十年は経っていないくらいだろうか」

「二――」


 その事実を聞いて、ハーシムはやや声を荒げずにはいられなかった。


「たったの二十年でこれだけの術式を会得したのか……!」


 異常だ。

 まともじゃない。

 もしかしたら見た目は若くとも、中身は長い時を生きているのかもしれないと、その生い立ちの異端具合から予想したりもしたが、どうやら年齢は見た目どおりらしかった。

 そのことがかえってハーシムに言いようのない驚愕を覚えさせた。


「俺から言わせればこれだけ『しか』会得できなかったんだ。彼らが作った術式体系の集大成が、こういっためいのある大術式に込められている。だから最初にそれを学ばされた」

「順序が逆だろう。普通は基礎理論から入って――」

「時間がなかったんだ。彼らは彼らで、未練と昇華の狭間で悩んでいた」


 リンドホルム霊山に住むといわれる亡霊たちの性質を、ハーシムは思い出していた。


「加えて言えば、俺の頭の作りもさほど良くなかった」

「もし二十年やそこらで今聞いた英霊たちの術式をすべて会得できるなら、それは人間ではない。――神かなにかだ」


 ハーシムは真顔で言った。

 それでもメレアは肩をすくめる。


「俺はな、彼らの銘ある大術式を即時発動させられても、その属性に付随する細やかな術式を柔軟に使いこなすことがまだできないんだ。だから、中間がない。おかげで燃費も悪く、攻撃も性能にものを言わせた直線的なものになりがちだ」


 ハーシムはメレアにそういう細やかな弱点があることよりも、むしろ、


 ――これでまだ……発展途上なのか。


 そちらの方に驚愕せずにはいられなかった。


「俺にフランダー=クロウほど優れた『術式感覚』があれば、すぐにそういうものを会得できたかもしれない。だが、どうにも俺には〈術神〉ほどの術式感覚はないようだった」

「〈術神〉の号は、フランダー=クロウが死んで空位になったあと誰にも与えられたことがない。いまだに空位だ。――つまり、フランダー=クロウが異常すぎたのだ。あの男は数百年に一人生まれるか否かの、いわゆる常軌を逸した天才だった。お前は自分の能力を比べる相手を間違っている」


 ハーシムの言葉に、メレアは少し嬉しそうに笑った。


「そう、フランダーはすごかった。俺はフランダーから術式に関していろいろと教わったけど、あの構成力や創造性にはついぞ追いつくことができなかったよ。――ただ」


 そんなメレアにも、ある部分に関してフランダーをすら上回る才能があった。


「これはフランダー自身から言われたことだけど、どうやら俺は同時に多くの術式を処理する能力に長けているらしい」

「たしかに、それもまた術式の才だな」

「そういう理由もあったし、そのうえ英霊たちがいつまで現世に留まっていられるかわからなかったから、俺は初歩の理論を叩きこまれたあと、一気に『完成品』を覚えさせられた。それが銘のある大術式だ。さっきも言ったが、銘のある術式にはその英霊が生み出した術式体系の集大成が刻まれている。完成品という答えを知っていれば、後々それを解き明かして中間を知ることも一応可能だ」

「むちゃくちゃだ。順序が逆というにもほどがある。術式は『式』だぞ。導出のための理論を一つ一つ理解せずに、あんな大宮殿の壁にも描き切れないような馬鹿複雑なを覚えきれるか」


 ハーシムはさすがに信じられなかった。

 自分もとある魔王の銘ある術式を見たことがあったが、眩暈めまいがするほど複雑で、すぐに会得することを諦めたほどだった。そもそもまともに解読することすらできなかった。


「覚えたさ」

「……どうやって」

「どうといわれると一言ではなんとも言いづらいけど、すごく簡単に言えば――バカみたいな修練によって。鬼のような教師がつきっきりで傍にいながらのな」

「修練でどうにかなるものか」

「俺が何年の間あの霊山にこもって毎日毎日『ただそれだけのため』に時間を費やしたと思ってる。伊達に外界から隔離されながら引きこもってたわけじゃないさ」


 メレアは肩をすくめて、あっけないほど簡素な答えを返していた。


◆◆◆


 ハーシムの言うとおり、フランダーのような天才的な術式感覚の持ち主でもなければ、英霊たちが独自に生み出した術式理論の体系を二十年やそこらですべて会得するのは不可能に近かった。

 常人よりはるかに優れた者たちが、それこそ何年もかけて生み出した術式を、一つどころか複数も会得するのだ。

 たしかにそれができればその者は神にすらなったかもしれない。


 また、英霊たちがいついなくなるともわからないというのは、互いに勘付いていたことだった。

 メレアの存在は彼らにとって、その未練を打ち消してしまうほど大きな光だった。

 加えていえば、英霊たちの数も多かった。

 それぞれがメレアについていられる時間はかぎられている。

 そうなったとき、彼らが編み出した方法が、先に自分の理論を詰め込んだ術式を覚えさせておいて、あとからそれを自力で解き明かさせる、という方法だった。

 

 そもそも理論を理解できていないのに、ハーシムのいう『大宮殿の壁にも描き切れないような複雑な画』を記憶させるのは馬鹿げている。

 しかし、それしかないと思った彼らは、実際にそれを実行に移した。

 そんな彼らの馬鹿げた方針によってメレアは、

 

◆◆◆


 狂気的なまでの修練を積むことになる。


◆◆◆


 彼らに見せられたそれぞれの『銘ある術式』の完成図は、当時のメレアにとってたしかにやたら複雑な模様にしか見えなかった。

 それを覚えろと言われれば、さすがに霊山から飛び降りたくもなる。

 その画の細部に一つ一つ意味を見いだせるならまだしも、メレアにとってはふと見かけた樹木の葉っぱと変わりない。

 あとでその葉っぱの枚数を思い出せと言われても思い出せないのと同じように、メレアの頭の中にはまったく情報がとどまらなかった。


 しかしそれでも、メレアは諦めなかった。

 英霊たちがその身と同じくらい大事にしながら、ときに自慢げに話してくれた宝物を、どうにか現世に遺させてやりたかった。

 

 メレアはそれから毎日、決まった時間にそれぞれの英霊の術式を目に焼き付けた。

 さらに、見て、書写し、また見て、書写し、何度も、何度も、気が狂いそうになるほどの模写を重ねた。

 記憶するなどという生ぬるい表現では言い表しにくい所業である。夢に出るどころか、目を開けた状態で幻視すらした。

 そうしてついに、


 メレアはそれを脳に直接刻み込むかのごとくして――『焼き付けた』。


 まさしくそれは、宮殿の巨大な壁にびっしりと描かれた迷路を行き止まりの位置から壁のシミにいたるまで、すべて完璧に記憶するような気の遠くなるような作業だった。

 

 その結果、メレアは加速のための十分な助走すらなく、完全に止まった状態から一瞬にして二百キロで走りだすような、いびつきわまり方をした。

 四つん這いで歩いていた赤子が、二足での歩きと走りの過程をふっとばし、急に飛翔することを覚えたような状態だった。


 今思えば英霊たちの『筋が良い』という言葉は、メレアの極端な才能に対する賛辞であるとともに、やはり一番は、狂気的なまでの修練を完遂させてしまったメレアに対する、いわば『人間性への賛辞』であったのかもしれない。


 その後メレアは、それらの大術式を発動するための豊富な魔力術素と、フランダーをすら超える処理能力に恵まれていたこともあって、銘ある術式を同時に発動させるまでになった。


 メレアは常人とは逆だった。

 仕組みを理解せずに先に完成図を会得した。

 仕組みを知っていれば自然と次が導けるような『式』を、絵画のようにして記憶した。


 その反動が、『中間』の理論を理解していないために表れる、いわば『柔軟性の欠如』であった。


◆◆◆


「――待て、お前は〈術神〉の『反転術式』を使えると言ったな。あれはさすがにフランダー=クロウほどの天性の術式感覚がなければ使えない代物しろものだろう」

「ああ、俺の反転術式とフランダーの反転術式は、似ているようで『別物』なんだ」


 ハーシムの問いにメレアはまた首を振って答えた。


「俺の反転術式は『反射的』反転術式。フランダーの反転術式は『思考的』反転術式。つまり、俺は反転術式を編む際にたいしてものを考えていない」

「バカな。考えていない? 考えていないとはどういうことだ」

「だから、反射だよ。思考の過程プロセスを吹っ飛ばしてる。そういうふうにフランダーたちに仕込まれた」


 どうかしてる。ハーシムは心の中で思った。


「お前だって、自分では再現できないけど、『これを見たことはある』っていう感覚があるだろう。――こっちはまだマシさ。完全に細部まで記憶する必要がないし、ある地点からなんとなくでどうにかなることも多い。なにより――この眼があれば実際に完成図を見ていられる」


 メレアは自分の赤い瞳を指差した。

 〈術神の魔眼〉。

 術の式を解き明かす眼。


 メレアはそれで相手の術式を直視すると同時、思考するというプロセスを吹っ飛ばし、もはや脊髄反射のごとくその術式に適合する反転術式を組み上げる。

 経験による半自動的な生成である。

 そう仕込んだのはフランダーであったが、しかし実のところ、それは師であるフランダーにさえ理解できない感覚だった。


 フランダーを筆頭とした術式系の英霊たちは、その身が魂の天海に昇るまでの間、メレアに対してこれでもかと様々な術式をぶつけた。

 メレアがその眼で見てきた術式の数は、おそらくいくつかの国の術式蔵書の中身を合わせても届きえない数である。

 加え、フランダーによってそれらに対する反転術式も見せられていた。

 当然、それらのすべてをメレアが理性的に記憶しているわけではない。

 だが、異様なまでの特化した経験によって、徐々にメレアの中に『独特の感覚』が形成されていった。


 『なんとなく』、こういう術式系にはこういう術式が合致する。


 さらに、


 たぶん、こういう『模様』にはこういう模様が合致する。


 最後には――


 『言葉で言い表せなくなった』。


「しかし、それでは相手の術式が完成するまで見ていなければならないだろう。フランダー=クロウのように先読みして攻性反転術式を使うことは――」

「たしかにフランダーは相手の術式の五割も見れば自分で先を編んでしまえた。ひどいときはそれに『オリジナルの改良』を加えるほどだった。俺にそんなことはできない。――だけど、八割から九割、術式を見れば、俺の反射は作動する」

「それで間に合うというのか」


 相手が九割方術式を編み切った状態から、初めてこちらも術式を編みはじめ、


「間に合うよ」

 

 メレアは軽い調子で答えた。

 メレアの術式能力は、その『構成速度』という点においても――常軌を逸していた。


「相手がフランダーでなければ、俺は追いつける」

「相手が術神でなければ追いつける? それはつまり術神がいない世界では最速ということか?」

「いや、同じ地点からのスタートであれば、俺はフランダーよりも速いと思う。フランダーはそのことを『誇れ』って言ったから、あえて謙遜けんそんなく言うけど」

「術神よりも……速い。……何回目だ。『どうかしてる』」


 目の前に戦場が迫っているという状況を理解しながらも、ついにハーシムは両手を投げ出した。――投げ出さずにはいられなかった。


「その代わり、反転術式を編むための処理能力を残しながら同時に発動できる英霊の術式の数は、今のところせいぜいが二つだ。――これが俺の弱点」

「そんな弱点をつける人間がこの世に何人いると思ってる。暇があったら数えてやろう。たぶん数えられる程度だろうからな」

「だが、セリアス=ブラッド=ムーゼッグは――」


 ようやくメレアの言わんとすることをハーシムは察した。

 そして、気づいてすぐに答えた。

 ハーシムの中には答えがあった。


「……ああ。――気づく。さらにやつは、おそらくそこを突いてくる」

「やっぱりそうか」

「少なくとも気づくというところまでは確信だ」


 ハーシムはそう前置いて、さらに続けた。


「ちなみに、これは憶測に基づいた私見だが、単純な膂力りょりょくという点では肉体的にも術式的にもメレアの方が上だろう。セリアスはたしかにそういう方面でも常人から一歩も二歩も抜きんでた天才だったが、お前ほどじゃない。だがそれでも――やつは『うまい』のだ。戦うことが神がかり的に巧いのだ。それゆえ、単純な性能で負けていようとも、メレアの弱点をどうにかして突いてくるだろうという不思議な確信がある」


 メレアは目を伏せながら小さくうなずいていた。

 自分なりにハーシムのその答えを予想していたような反応だった。


「たしかに、可能であればお前にセリアスの首そのものを狙って欲しいとも思っていた。だが、今の情報を踏まえて考えるとさすがに危険すぎるか」


 ハーシムはメレアの様子を見て判断する。

 自分の中でセリアスに対する評価がまったく過大になっていないとは言えないが、それでも十分な可能性がなければ送り出すわけにはいかない。


「そもそもセリアスが来る前提らしいが、本当にやつが来るのか? リンドホルム霊山でやつらしい姿を見はしたが、だからこそ追いついてくるとは思えんのだが」


 その声はエルマのものだった。

 彼女は横から二人の間にやってきて、魔剣を地面に突き立てながら首をかしげてみせた。


「来る。地竜を手なずけているのがひっかかる」


 ハーシムは再び地竜の残骸を見ていった。


「霊山に地竜の姿はなかったぞ? まあ、最初にムーゼッグが追っていたのが私だけだったからだろうが」

「ああ。そこから逆に考えれば、たかだか一人を追うのに地竜を使うほどはまだ数が十分でないのだ。あの三頭も相当に貴重だったのだろうな」


 ハーシムは地竜から視線を切り、エルマに向き直りながら続けた。


「だが、セリアスは霊山でこれだけの数の魔王が集団でいることを知った。そこからの追撃となれば、本国から地竜を呼び寄せて使う可能性は大いにある。それにな――」


 ハーシムはあっけらかんと冗談でも言うかのようにして紡いだ。


「やつは鼻が利くのだ。まるで戦の神――いや、戦の悪魔に愛されているのではないかと思うほど、やつは戦の匂いに惹かれるのだ。これは理屈じゃないがな」


 エルマはむしろ、その根拠なき理屈の方こそ身に刺さるように感じられた。

 同じく戦場で生きてきたがゆえに、そういう異様な人種がいることを知っていた。


「……たまにいるからな。意図せず戦場ばかりを渡り歩く者が。……そうか、そうなると来るかもしれんな。ならばやはり、メレアをセリアスにてるのは危険か」

「いや」


 エルマの言葉に否定の言葉を紡いだのは、意外にもメレア本人だった。

 伏せた目はいつの間にか前に向けられ、ハーシムを見ていた。


「だからこそ俺にはセリアスの隙をつくチャンスがあるかもしれない」


◆◆◆


「俺は俺の弱点を、限定的にくつがえすべを持っている」


◆◆◆


 メレアはみずからの弱点という一種の嫌なものにしっかりと目を向けていたからこそ、それに対する対策を持っていた。

 それは言わば、弱点の中にひっそりと潜ませる暗器である。

 そこまでたどり着かない者にはそもそも見ることすら叶わない、暗中の切り札。


 メレアの瞳の中に、強烈な戦いへの意志が閃いていた。

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