第5話 ルビギノーサ侯爵令嬢

 玲美はすぐにベッドに戻され、医師による診察が始まった。


 ジュリアは1ヶ月ほど前から寝たきりで、2週間ほど前からは意識も混濁し始めて生死を彷徨っていたらしい。玲美はその話を聞いても、自分がジュリアだという実感がないので、どこか他人事だった。


「ジュリアお嬢様、どこか不調はございますか?」


「身体は問題ありません。ただ……」


 医師は言葉に詰まった玲美を心配そうに見ていたが、玲美が話しやすいように静かに待ってくれていた。それを有り難く思いながら、玲美は今の状態をどこまで話すべきか、働かない頭で必死に考えた。今、全てを話したとしても、転生なんて話を信じてもらえるわけがない。玲美でさえ信じきれていないのだから。

 

「ごめんなさい。実は記憶がないの。目が覚めたときから、自分が誰なのか分からなくて……」


 結局、玲美はそれだけを伝えることにした。医師の側で見守っていた先程のメイドが、また泣いてしまっている。


 医師はもう一度念入りに玲美を診察し、いくつかの質問を玲美にした。自分自身に関する記憶のみを無くしたのか、生活に必要な知識も無くしてしまったのかを確認したかったようだ。玲美は詳しいことまで聞かれたらボロが出かねないので、不安になったが、結局、食事や着替えなど本当に簡単なことしか聞かれなかった。


 あのゲームの世界だとしたら、時代背景は玲美の世界と変わらないはずだが、細かいところまでは記憶していない。それにゲームの世界には魔法が存在しなかったはずなので、それに伴う文化の違いはありそうだ。


「しばらく様子をみましょう。回復とともに自然と思い出すこともあるでしょうから」


 険しい表情をしていた医師は、玲美を安心させるように笑顔を見せてから部屋を出ていった。


 玲美がその姿を見送っていると、メイドが温かいお茶を差し出してくれた。それは、玲美もよく知るハーブティーで、飲むと気持ちが少しほぐれてくる。さっきは取り乱していたが、ベッドに座った状態でも飲みやすいようなカップをすぐに持ってくるあたり、優秀なメイドなのだろう。


「ジュリアお嬢様、私はお嬢様の専属でお世話させて頂いております、ケイリーと申します」


 先程のメイドが名家のメイドらしく丁寧に挨拶をする。ケイリーは5年ほど前からジュリアのメイドをしているらしい。ケイリーの話を聞いていると、ジュリアをどれほど大切に思っているかが分かった。


 ケイリーは目を覚まさないジュリアの身体を毎日清めてくれていたようだ。その夕方の日課を行うために部屋に入ったら、ジュリアが目覚めるだけでなく立ち上がっていたのだから驚いたことだろう。


 ケイリーは玲美を休ませたいようだったが、玲美自身は病み上がりというような体調ではない。とにかく、早く状況を確認しておきたくて、無理を言ってジュリアについて説明してもらった。


 ジュリア・ルビギノーサ侯爵令嬢。家族は父、ルビギノーサ侯爵と母、侯爵夫人、そして弟が一人いるらしい。ゲームではこのあたり特に言及はなかったはずだ。たぶん。


「実は、ジュリアお嬢様には婚約者がいらっしゃるんです」


「そ、そうなの」


 玲美は乙女ゲームとここだけは違っていることを祈ったが、やはりそううまくはいかないようだ。


「なんと、お嬢様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃいます」


 玲美は内心がっかりしていたが、ケイリーはこの部分は誇らしげに説明してくれた。アイザック・ドゥマリス。ドゥマリス王国の王太子であり、玲美にとってはおなじみの『アイク姫』だ。5年前から婚約関係にあり、ジュリアが倒れる前までは1ヶ月に一度会食をしていたらしい。


「ジュリアは王太子の婚約者だったから、恨まれていたのかな?」


 玲美の言葉にケイリーがビクッと身体を強張らせる。その反応を見ると聞くのが申し訳なくなるが仕方ない。


「私の病状について詳しく教えてもらってもいい?」


 ケイリーはあまり話したくなさそうだが、玲美にはそれでも聞いて置かなければいけない理由がある。玲美の知識からいうと、ジュリアの症状は、病気というよりは毒を盛られた印象だったのだ。


「お願い、ケイリー」


「お嬢様……」


 なおも躊躇するケイリーを説得すると涙目になりながら、ケイリーは話してくれた。ジュリアを大切にするケイリーにとってもショックな出来事だったのだろう。


「ジュリアお嬢様は、王宮での会食中にお倒れになりました。会食に出席されていた他の王族の方には異常はありませんでした」


 食後の紅茶を飲んでいるときだったらしい。王宮でジュリアの飲み物だけに毒が盛られた。断言はしていないが、そういう事だろう。


「すぐに配膳係が捕まりましたが……」


「誰の命令だったのか分かっていないのね」


「はい」


 言葉を詰まらせたケイリーの代わりに玲美が言うと、ケイリーは泣きそうな声で肯定した。犯人が分からないなら、今後も狙われる可能性がある。玲美にとっては知っておきたい内容ではあったが、ケイリーがジュリアを思って黙っていた気持ちもよく分かる。


 普通の令嬢であれば、狙われていると分かっていても怯えているしか出来ないだろう。それならば知らないほうがいいに決まっている。

 

 玲美の場合は義母のおかげで毒には慣れている。玲美の異母弟である自分の息子を跡取りにしたいと考えている義母に、何度も毒を盛られてきたのだ。


 玲美の世界では、得意の魔法で対処してきたわけだが、魔法が使えないにしても毒の味はよく知っている。魔力がないこの世界は不便ではあるが、玲美はジュリアと違って毒を口に入れれば、すぐに分かるだろうから、吐き出せばいいだけだ。


 乙女ゲームの世界なのにドロドロしていて悲しいし、残念すぎる前世での生活など役に立てたくはなかったが、玲美は今まで通りに気をつければいいだけだと自分を励ました。


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