ケーキ裁判

 ダンダンと木づちが叩かれる音が響くと、それよりもひときわやかましく響く赤の女王開廷の声が聞こえた。


「それでは開廷! 被告アリスは私のケーキを盗んだ疑いがある。よって死刑を求刑する」


 開口早々いきなり死刑を言い渡される現実の作品と変わらない横暴さを見せつけた赤の女王。けどアリスはまるで動じず声高に反対を主張する。


「異議あり。私は盗んでない。これは私が見つけたバースデーケーキ、眠りネズミとチシャ猫たちが見つけてくれたのよ」

「その者はどこにいる」

「わからない。だって何も知らないまま、こんなところに連れてこられたんだから」

「いないならこの裁判は死刑で閉廷よ。早く首をはねよ」


 まずい、このままだとアリスが死刑にされちゃう。スルスルと手足を使ってトランプ兵たちの間を抜けて、アリスのいる被告人席まで駆け出し、アリスの前に立った。


「はい、はい。眠りネズミはここにいます」

「お前はどこにいる」

「ここ、ここ。私がアリスの証人です!」

「証人なら証人席にお座り! 被告人席は被告しか座れない。女王の席に女王が座るのと同じようになさい」


 ピシッと壁際にある証人席にソーセージのような指先を向けながら赤の女王は叱りつけた。ここは言うとおりにしようとしぶしぶそっちの方に移動した。証言台の前にある椅子の前に着くと、意外と椅子が高く爪を引っかけてもツルツル滑るばかりで登れそうにない。

 ネズミ用の椅子も準備してよ。


 途方に暮れていると体が急に宙に浮かんだ。どうやら白澤君が私を口にくわえて持ってくれたみたい。「行くよ」掛け声に合わせて、ひょいと軽い身のこなしで椅子の上に飛び乗ることができた。


「この中に悪夢がいるのかな」

「わからない。悪夢は狡猾こうかつだから、あえて表には出ずにどこかに隠れているかもしれない。でもアリスを狙ってくるはず」


 じゃあやることは同じ、アリスを守って悪夢を倒せばいいわけだ。けどここからだと証言台がじゃまで見えないな。椅子の背もたれの部分にを伝って上りそこから裁判の様子を目を皿のようにして見渡す。

 私たち以外の全員アリスに視線がいってる。この中に委員長をむしばんでいる悪夢がいるんだ。

 そして再び赤の女王の手で木づちが叩かれて裁判が再開された。


「このケーキは私が食べたくて作らせた特注品。この何段も重ねられたケーキを作らせるのはこの世界で私しかいない。だからこれは私のケーキよ」

「いいえ、これは私が見つけたの。部屋の中で見つけたの」


 さっきと同じ言い争いが始まりだすと、白澤君が証言台に飛び乗った。


「うん、たしかに階段を登った先にはすでにケーキはすでに部屋の中にあった。アリスはウサギを追いかけただけでケーキを持ってなかった。間違いなく」

「私の命令なく主張するんじゃない!」


 カンっと木づちが叩かれた瞬間、木づちの頭が抜けてまっすぐ私の方に飛んできた。「危ない!」間一髪かわしたが、コロリと椅子の上から落ちてしまった。

 幸いけがはしてないけど、ここだと証人台がじゃまで部屋全体が見えないよ。椅子も届かないし。


「じゃあケーキが私に食べられたくなくて、逃げだしたのかい。そんなバカなことがあるかい」


 女王が自分の木づちが抜け落ちたのも知らず、木の棒をバンバンと机の上を叩いて憤慨していた時、彼女の脇から聞き覚えのない声が出てきた。


「可能性はありますが嘘の可能性もあると言えます」


 ぴょこりと女王のいる裁判長席から二本の白い耳が立った。横から出てきたのは、昨日アリスが追いかけていたウサギだった。


「どうなんだウサギ」

「いいえ何も知りません。あっちこっち行ったことは覚えていますがアリスなる者は知りません」

「嘘だ。ずっとあなたを探しに来たのよ。ケーキのあった部屋まで導いたのはウサギさんなのに」

「見間違いだ。この耳に誓ってもいい、アリスなんて見たことないのだから」

「そんなはずはない、たしかにあの時ウサギは私たちの目の前を通ったはず。その時アリスをそっくりのメアリーアンだって言ったじゃない」


 間違いじゃないと声を上げて私は立ち上がったが、ウサギは「知らないね」と言い張った。


「後ろで隠れている君、見間違いならよくあることだ。世の中には同じ顔をした奴が三人いるという、君のそっくりさんもいるだろうし、君が言ったようにアリスのそっくりさんもいる。つまり君が見たのは私のそっくりさんだ」

「でも間違いなくウサギだった」

「君がメアリーアンをアリスのそっくりだと言った。つまり君はメアリーアンに会って、アリスに似ていたということだ。つまりメアリーアンに会った時に私を目撃して、そのあとメアリーアンにそっくりさんのアリスに会って、私のそっくりさんに会ったのだ」

「そんなことは」

「ならどうしてメアリーアンとアリスがそっくりさんだと言い切れる」


 あっ、しまった。原作の不思議の国のアリスを読んでいるから、と知っている。けどこの世界は夢こそが現実だからそんなこと誰も知らない。


「あーもう、裁判というのは頭を使うね。兵士よ、そこのケーキを切り分けなさい。全員分ね」


 え? ちょっとちょっと。

 女王の命令でトランプ兵たちが大きな包丁を取り出して、ケーキを切り分けようとする寸前で止めようとした。


「あの、それは証拠品のケーキだよね。食べちゃったら証拠品がなくなるよ」

「食べたらまた同じものを作り直せばいいだけ。私は女王様よ」


 どういう理屈!? 頭を抱えていると、いつの間にか目の前にお皿に乗ったケーキが置かれていた。もうケーキはすっかり切り分けられていて、皿に乗せられたケーキは次々と口の周りをクリームで汚しながら胃の中に収めてしまっていた。

 するときれいさっぱりなくなったケーキがポンっと復活した。夢の中だから証拠品も何でもありということなの?


「ふむ、やはりおいしい。こんなおいしいケーキを作らせることができるのは女王である私だけ」

「いいえ、私の物。ほらこの二つのチョコプレートは私のためにつけられたもの」

「そんなはずはない。チョコプレートはケーキの上にある。それは偽物に決まっている」


 お互いが主張しあっているけど、決定的証拠にもならない。おまけにケーキが復活した結局意味がない。


「じゃあ三月ウサギだわ。きっと三月ウサギが持って行ったのだわ。同じウサギだもの」

「なぜ私のそっくりさんだと思うのかね」

「だってあの部屋に入ったのはウサギだから」

「そっくりさんだろう。そっくりさんは部屋に入ったがそれで何をしたのか知っているかね。そっくりさんがケーキをそっくりそのまま持って行ったのかね」

「でもそっくりだった。そっくりだから怪しいじゃない」


 アリスが何が言いたいのかもうめちゃくちゃだ。アリスの夢に入るのはこれで四度目だけど、こんなめちゃくちゃな夢は初めてだ。


「なんだかアリスの様子が変」

「夢の中が複雑化しているんだ。夢を無秩序な集まりで構成されて、夢の主がその中に深入りすると、自分もおかしくなるんだ。だから正しい主張も証言も途中であやふやになるから意味がない。悪夢を探さないと何も解決できない」

「全員倒すというのは?」

「ダメなんだ。この人たちは夢の主が作り出した断片だ。倒したりしたら、夢の主に悪影響を与えてしまう。悪夢もそれに気づいて夢の端にまで逃げてしまう」


 じゃあその悪夢はどこにいるの。赤の女王? トランプ兵? ウサギ? 女王ならアリスを死刑にして恐怖に陥れると考えるだろうし。トランプ兵ならさっき私たちを襲ったことも裏付けられるし。ウサギなら追いかけていたアリスを突き放すことだってできる。考えれば考えるほど全員怪しく思えてくる。

 こうなったらアリスに怪しいことをするやつを探し回るしかない。証人席から移動しようとすると、目の前にトランプ兵の槍が突き刺さった。


「動くなと言ったはずだよ! 裁判長は裁判長席。被告人は被告人席。証人は証人席にいるように。これは法律で決まっていること。逆らったら首をはねるよ」

「でも怪しいやつが」

「お前が一番怪しい!!」


 ダンダンッと力いっぱい木づちだった棒をめいいっぱい叩いていかくする女王。

 こんなに何もできないんじゃ悪魔を倒せない。もう逃げるしかない。

 足に力を入れて証言台から走り出した。トランプ兵が私に向けて次々と槍を突き刺したり、足で踏みつけてくる。


「ハリネズミ!」


 私の背中に針をいっぱい生やしたハリネズミに変身すると、踏みつけようとしたトランプ兵の足に刺さった。それにおびえて退いたタイミングでアリスの足元にたどり着き、彼女の白いくつしたをぐいっと引いた。


「アリス、このままだと何も解決できない。いっしょに逃げましょう」

「いや。ウサギさんを置いていけない」

「ウサギはあなたの敵よ」


 どんなに引っ張っても、アリスは自分から動こうとせず仁王立ちのままだ。

 早くこの夢から逃げ出さないと、悪夢に乗っ取られてしまうというのに。


「委員長!」

「もうあなたたちじゃ役に立たないわ。出てって!」


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