暁穂希と有栖川有紀

「間さんもう完全下校時刻よ」


 保健の先生の呼びかけで目が覚めた。すでに白澤君は私の隣にいなく、もぬけの殻の状態だ。先生がカーテンを開けるとさっきより太陽が赤く沈んでいて、外の声も聞こえない。

 隣のベッドを見ると、横になっていたはずの委員長の姿はなくなっていた。


「隣にいた暁委員長は」

「暁さんならご両親が迎えに来られて、自宅に帰っていったわよ。でもずっと眠りっぱなしだったわ。熱もなかったし、今は病院で診てもらっているかも」


 やっぱりまだ委員長は夢の中に閉じこもっているんだ。あの奇妙な裁判で悪夢を見つけられなかったばかりに。


「さあ体温計を測って、大丈夫そうならもう学校が閉まる時間だから気をつけて帰ってね」


 落ち込むひまもなく、先生が体温計を取り出して私の額に当てた。

 幸いというべきか、私の体温は平熱だった。


***


 体調自体に問題はなく保健室から出て、ランドセルを取りに教室に戻ると白澤君が私の席のところで待っていた。机の上には白澤君が自分で使う用のお札が並べてあり、自分の武器の整理をしていたようだ。

 教室はすでにみんな帰っているようで私と白澤君の二人しかいなかった。


「体の調子は」

「問題ないよ」


 体の心配をする白澤君が、椅子を引いて座るようにうながしてくれた。


「ごめん私のせいで裁判がぐちゃぐちゃになって」

「もとからあれは裁判の体裁ていさいを取っていないから、あれぐらいしても問題ないよ」


 むしろあれで裁判だというのなら、みんな女王から死刑を受けるに決まっている。


「顔色が悪い。やっぱり連日夢の中に入ったから疲れているんじゃ」

「ううん。そうじゃない、体は何も問題ないんだけど……役立たずって言われた」

「それは夢の中のアリスの言葉だ。委員長がそういったわけじゃない」

「でも、あの中で私委員長を助けることができなかった。現実で助けることができなかったから夢の中でと勇んだのに」


 悪夢を見つけることもできなかった。

 それに一番めげてしまったのは、アリスが裁判から抜け出そうとしなかったことだ。アリスは悪夢にとらわれているはずなのに、一歩も動こうとせず私を「役立たず」と突き放された。


「どうしてアリスは自分から悪夢を抜け出したいを思わなかったの」

「……あまり考えたくないけど、夢の主が望んで夢の中にいようとしているのかもしれない」

「悪夢の中が居心地がいいってこと。悪夢なのに」

「自分にとって悪い夢が悪夢とは限らない。現実よりも夢の中に居続ける方が苦しまないと夢の主が思い、悪夢はそれに付け込んで夢の中に縛り付けようとする。現実にいるべき存在が夢の中から帰らない現象、それが悪夢だ」


 深刻な表情で告げられた悪夢の意味に立ちくらみそうだ。委員長は現実に戻りたくない。

 夕日が差し込み、白澤君の顔にかかると目の下に薄黒い模様が見えた。クマ? そうか白澤君も私と同じで夢の中も現実として動いているから、ずっと寝ていないんだ。


「クマができている。白澤君も休んだ方がいいよ」

「多少睡眠をとらなくても僕らの一族は問題ない」

「でも、私みたいに倒れたら」


 それでも白澤君は私の心配をよそに、置いていたお札を回収してランドセルにいれtあ。私のことをずっと心配してくれるのに、なんで自分の体をこんなになるまで戦うの。

 それを聞く前に、白澤君からその答えを返した。


「それでも僕は悪魔払いだから。今苦しんでいる人を早く解放するのが使なんだ」


 重くのしかかる言葉の重さ、私が挽回のために助けようとしたものとは比べようもないものに感じた。


***


「えー暁さんと白澤さんの二人が今日は休みか」


 翌朝の出席で二人の名前が読み上げられなかった。クラスメイト達は「どうしたんだろう。」「昨日のあれ病気だったのよ」とざわつき始めた。二人は今年から一度も休んだことがないから驚く声が多い。白澤君も委員長も今夢の中で戦っているんだ。


「じゃあ今日の宿題だけど有栖川さん、暁さんのところへ持って行ってくれる」

「…………はい」


 先生の指示に隣の席にいる有紀は力なく答えた。先生何を考えているんだろう。宿題になんて手が付けられる状態じゃないの知っているはずだし。何より、一番辛いはずの有紀に持って行かせるなんて。

 胸の中で憤るもののそれを口に出して言い出せる私ではなく、二人がいないまま何事もなく授業が進められていく。


 学校が終わった後、私はこっそり有紀のあとを追っていた。

 こんな形で後をつけていくなんてダメなんだけど。昨日の件があり、自分から声をかけにかった。

 委員長に渡す今日の宿題のプリントが有紀の手の中にあり、大事そうに腕の中に抱えていた。しかし首が少し垂れてトボトボと歩く姿は、おっとりと余裕のあるいつもの有紀には見えなかった。

 会いに行くの嫌なんだろうな。昨日あんなに取り乱していたのに、まだ目覚める気配もない幼なじみにまた顔を合わせないといけないなんて。

 有紀が次の角を曲がったところで私もあわせて角を曲がる。


「何をつけていたの叶夢ちゃん」


 角の正面に有紀が立ちふさがるように待ち構えていた。


「こっそりつけていたのバレていたよ」

「ごめん。委員長の容体がどうなっているか心配で。それに有紀のことも」


 失望される覚悟で答えると、有紀はふぅとため息一つついて「しょうがない叶夢ちゃん。いっしょに行こう」と返した。


「いいの? 昨日のことで怒っているとか」

「昨日のことは昨日で。それでおしまい」


 有紀の広い心に助けられた。有紀はやっぱり立派だ。私なんかよりもずっと。


「委員長まだ寝ているのかな」

「たぶんね。朝から病院に入っているけど、穂希ちゃんまだ目を覚ましていないって。お医者さんからはどこにも異常がなくて頭を抱えているみたい」


 自分の夢の中にとらわれているのが原因だから、お医者さんが手を出せるところじゃないだろう。でもこのまま眠り続けていると委員長の体がやせ細っていくだろうし。なにより委員長の家族や有紀を心配させたままなんて。


「あれ。どうしてそんなこと知っているの」

「実は今朝穂希ちゃんのお母さんから連絡があったの。幼稚園の頃から親同士も仲がいいから、穂希ちゃんの話はよくくるの」


 じゃあ、家に行っても家に委員長はいないんだ。


「親同士でも仲がいいなんてすごいね委員長と有紀の家」

「穂希ちゃんと私幼稚園の頃お友達になったきっかけがね、誕生日が同じだったからなの。お母さんたちもびっくりしたけど、「すごい運命だな」って私うれしくなっちゃって。それでお母さんに頼んで髪の長さもおそろいにして、双子の姉妹みたいにしてたの」

「え? 有紀の方から真似てたの?」


 委員長が髪を下ろしたとき有紀の髪型とそっくりだと思っていたんだけど、そんな理由があったのか。


「いつでもどこでもいっしょだったんだけど、小学校に上がった時に初めて離れ離れになったの。知っている人が誰もいなくて、たまらず隣の穂希ちゃんのクラスに行ったの。でも穂希ちゃんぜんぜんさみしそうな顔一つしてなくてクラスをまとめてて」

「私も覚えている。一年生の時から同じクラスで、すごくしっかりしている子だった」


 それのおかげというか、居眠りしていると委員長から怒られていたけど。


「そうなの。穂希ちゃんは私と違って弱みを見せない子なの。私と違って」

「そんなこと」


 否定すようとすると手を前に出して首を横に振った。


「全然だよ。私は笑ってごまかしているだけで何にも進歩していないの。今年の誕生日に特別な人を呼ぶって言ったけどあれ穂希ちゃんなの。また誕生日に来て叶夢ちゃんと仲良くさせたい考えだったんだけど、断られちゃって。いつまでも昔のことを引きずる私にあきれたのかも」


 ははっと笑う有紀の声は乾いていた。本当はまた昔のように一緒にいたいはずと有紀は願っているのに、私からしたら有紀もしっかりしているのに。


「でもその我慢強いのが原因で誕生日が大変なことになったんだけどね」

「え? 委員長が何かしたの」

「穂希ちゃんね幼稚園の時、誕生日ケーキを食べて倒れてね。穂希ちゃんイチゴシュークリームが好きなんだけど、今日が誕生日だってこと忘れちゃっておっきいのを二個も食べちゃったの。ほらシュークリームの中身ってスポンジ以外ケーキと同じでしょ。さすがに似たようなものを何度も食べたら普通体が拒否するんだけど、穂希ちゃん私たちの誕生日ケーキだからって我慢して食べたの」


 自然と口をあんぐちと開けてしまっていた。あのしっかり者の委員長が、そんなことで意地を張って倒れるなんて。幼稚園の話としてもびっくりだ。


「今となったら笑い話なんだけど、あの時私も含めてみんな大慌てで。私、中に危険なもの入っていると思って、ケーキを皿ごと窓の外に投げ捨てちゃった」

「捨てちゃったの!?」

「うん。おかげで後始末の大変さでお母さんに怒られちゃった」

「…………委員長が誕生日に行きたくない気持ちがわかったかも。有紀のせいじゃないと思う」


 私が委員長の立場だった誕生日に行くの気まずくなっちゃう。もしかしたらまた同じことをやらかしてしまうかもって、ケーキどころか誕生日に行きづらくなる。どこかで遠くにいたくて逃げてしまいたい。さっき後ろを追いかけていた私みたいに。


「そんなあの穂希ちゃんがそんな」

「委員長は怖いけど、優しいから。そう考えられるかも」


 宿題のプリントを胸に抱きしめて、天を仰ぎ見る。


「そうだったらいいな。叶夢ちゃんありがとう、そうやって相手の気持ちを理解できるのがいいところだよ」

「私の想像だよ。あとは居眠りするだけしか特徴のないし」

「相手のことを想像できることが才能だよ。わかった気になるだけよりもずっと」


 まっすぐ見つめてくる有紀の顔は真剣そのものだった。私にしかできないこと。それが私の特徴。


 しばらく歩いていき「次の角を曲がったところが穂希ちゃんの家だよ」と角の本屋が見えた。その本屋の前に並べられたところに『不思議の国のアリス』が見えて足が止まった。


「そうだ本」

「どうしたの」

「委員長が借りたかった『不思議の国のアリス』まだ返ってきてなかったんだ。買って持って行った方がいいかな」

「いいかもね。また目覚めたらすぐ読めるようにしよう。お金半分出すよ」


 とりあえず目の前にあった『不思議の国のアリス』を手に取り、開いた。最初開いたページには首だけになったチシャ猫が女王をからかうシーンがあった。図書室にあるのとは違い、全編絵本になっていた。


***


 家に帰ると枕の下に白澤君からもらった札を差し込んだ。

 白澤君はまだ一人で見えない悪夢と戦っている。私には白澤君のように悪夢を払う義務もないし、委員長のような意地を張れる強さも、有紀のようなしとやかもない。目に見えてわかる特徴もないモブだけど。夢魔の子孫として、そして私だからできることをしよう。

 それが大事な人を助けるために。

 すぅ~っと深呼吸をして頭を枕に沈めた。


 眠りネズミとして再び戻ってくると裁判は昨日から変わらず続いていた。女王が机を割る勢いで木づちを打ち鳴らし合間の休憩に証拠品のケーキを食べては復活をくりかえしていた。

 その中で一人、証人台に立って必死に割り込もうとしているチシャ猫姿の白澤君がいた。


「間さん!」

「ごめん白澤君、一人で戦わせて。悪夢は誰かわかりそう?」

「いるこの部屋の中に堂々と」


 白澤君が投げた視線の先には、女王・ウサギ・トランプ兵がいた。この中に悪夢がいる。


「委員長を助ける方法を見つけたの」

「本当!?」

「うん。夢を少し変える……みたいな。夢自体を変えるわけじゃないけど、私たちのキャラをそのまま活かして夢の流れを変えるの。それならいけるかなって思ったんだけど……」


 不安げに私の考える作戦の概要を伝えると、白澤君は指を立てた。


「その方法ならできないことはない。やろう間さん」

「うん!」


 白澤君に作戦を伝えると、彼の頭にお札を貼り付けた。

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