アリス・ナイトメア

 再び戻ってきたアリスの夢の中は、前に来た時と同じパーティーテーブルの上で私たちも前と同じネズミとティーポットになっていた。帽子屋たちはいないようで、やはりアリスがいないと何も動き出さないようだ。


「間さんお札は手元にある?」

「うん」

「それを僕の体にはりつけて、僕の姿をイメージするんだ」


 私の手の中にあった三枚の札。これは前に同じ夢を見られるものとは違い私の力が使えるようになるものらしい。言われたようにティーポットになった白澤君の体にはって、イメージする。

 急にポットが大きくなりだして、テーブルに置かれていたカップや皿などが倒れていき、いくつかは床に落ちてガチャンと割れる音が鳴った。みるみるうちにポットには手足が生えだし陶器の白が日に焼けたように色が変わり、現実世界の白澤君に戻った。


「これが夢魔の力だよ。夢魔は夢の内容を変化させる力を持っているんだ」

「でも前の時は私お札を持っていなくても人間に戻れたよ」

「間さん、僕らが人間に戻った時「人間に戻れ」ってイメージした?」


 あの時は……そうだ、どうせなら人間の姿でしてほしいと思わず考えていた。キスされるんじゃないかと考えちゃったけど、それで夢魔の力が発動したんだ。


「夢魔の力はイメージを集中させないと変化が定まらなくなる。このお札は対象とするものを一点に集中させる力用に作られているんだ」


 白澤君の足元に落ちたさっき使ったお札がチリチリと燃えていた。テーブルクロスに火はつかずお札だけ燃えて残りかすも残さず消えてしまった。使ったら一回きり、大事に使わないと。残りのお札を手に握りしめた次の時、白澤君の体が今度は縮んでしまい全身からぶわっと毛玉のようなものが生えだして、顔には針のようなひげが横に生えだした。


「猫になった!」

「夢の中の姿の主導権は夢の主が見るものに変化するのを優先するから、こっちの思い通りの形を維持するのは難しいんだ。けどこれで動けるようになった、きっと近くにアリスがいるよ」


 テーブルから飛び降りた白澤君の背中に乗り込みパーティー会場を出ると、会場の外は森につながっていた。森の中に敷かれている石畳は発光してキラキラ光っていて薄暗い感じはなく、道がはっきりわかる。だんだんと歩いて行くと、いつの間にか道がごつごつとした木の枝に変わっていた。まさに不思議の国のアリスの世界を歩いているみたいだ。

 いや『不思議の国のアリス』の世界そのものかもしれない。原作もウサギを追いかけて夢の中の世界に行く話だもの。『コーカスレース』や『三月ウサギとイカレ帽子屋』も出てきた。このままいくと怖いハートの女王による裁判だって起こりうる。

 もし悪夢がハートの女王になって、首を落とすなんてされたら。

 想像したくないぱんぱんと自分のほほを叩いた。


「白澤君、私の力をどうすれば悪夢を追い払えるの」

「まず夢というのは自分の記憶の底にしまっているものの断片を吐き出して形作る世界なんだ」

「断片?」

「うん。過去に現実で起きた記憶の断片と断片が混ざり合って夢となるんだ。特に嫌な記憶は夢に反映されると大きな障害とかが敵とかが現れるんだ。その部分に悪夢が寄生して、夢の主の精神をむしばみ最終的に悪夢に支配される」


 支配、ごくりとつばを飲み込んだ。夢の中で嫌なことを体験するだけならともかく支配までされるなんて。有紀にそんなこと絶対させない。


「逆に言えば悪夢が近くにいれば嫌な記憶があるということ。悪夢より先にアリスと会って、嫌な記憶の障害を夢魔の力で変化させて弱めさせるんだ。そうすれば悪夢は力を失う」

「それなら嫌な記憶にあたる夢ごと変化させれば解決できるんじゃないの」

「無理だ。夢は夢の主に従順なんだ。少しの変化ならまだしも、嫌な夢自体を変えるというのは記憶そのものを変えることになる。それができるのは強い悪夢ぐらいだ」


 きっぱりと私の考えにバツを出した。嫌な記憶ならまるごと変える方が苦労しなくて済むと思ったんだけどなぁ。


「そういえば悪夢をどうやって退治するの。このお札を使ってえいっとやっつけるの?」

「いや悪夢が一番嫌がるのはグーパンだ」

「グ、グーパン?」

「悪夢は相手を追い詰めるのは好きだけど、自分が傷つくこととか痛いのは一番嫌いで、一番効果的なんだ。昔の悪夢払いは寝ている人の体を棒で叩いたり針で刺したりとちょっと過激な方法で払ってたみたいだけど」


 寝ている最中に殴られたり刺されたりするなんて恐ろしくて私なら逆に眠れなくなる。もし今の白澤君で悪夢を追い払う姿なら猫パンチを悪夢に食らわせてえいえいとするなら可愛らしい姿になるんだけど。

 下に上にと木の枝を白澤君が伝っていくのに合わせて私もゆらゆら揺れていく。そして葉っぱの茂みの中に入ろうとしたとき、私の体が何かに持ち上げられた。


「うわぁ!」


 持ち上げられたそれに対してぐりんぐりんと体を動かして抵抗するが何も変化しない。ダメッ後二枚しかないから大切にしないと、とっさに取り出そうとしたお札を左手で押さえて、自力で外そうとまた試みる。


「頭を守って!」


 ブンッと大きな手が私の横をかすめると持ち上げていたそれは、いとも簡単に外れた。私を持ち上げたものを手に持ってみると学校でよく作る折り紙のリースだった。周りをよく見ると枝や葉はみんな折り紙でできていて、光らせていたものはロウソクだった。でもロウソクの火はまったく紙でできているリースに燃え移ってない。


「リースに、ロウソク? アリスの世界にこんなものあったかな」

「この夢は不思議の国のアリスをモチーフにしているけど、主の記憶が混ざっているんだ」


 再び折り紙の森を歩いていくと、下のほうで誰かが泣いている声がした。アリスがいた。アリスのほかに誰もいなく、悪夢もいないみたい。ぴょいっと白澤君といっしょにアリスの前に降り立った。


「アリス? どうしてそんなに悲しいの」

「誰もいないの。私の周りには誰もいないの」

「大丈夫今私たちがいるよ」

「本当チシャ猫さん。眠りネズミさん」


 チシャ猫と眠りネズミ? そうかアリスの世界に合わせたから私たちの役がそうなっているのか。

 初めて顔を合わせるアリスだったけど、まったく有紀に似ていなかった。というよりクラスの誰にも似ていなかった。顔の色はやたら白く、髪の毛はレモンのような黄色で染まっている。白澤君の言った通りこのアリスは現実の誰とも違う夢の中のアリスなんだと実感した。


「ねえウサギを見なかった? 茶色いのじゃなくて白い時計を持ったウサギ」

「ううん。どうしてウサギを追いかけているの」

「ウサギの持っている時計が、長い針も短い針もぴったり同じ下の数字に重なって向いていたの。それがなんだと思う? 私の生まれた日同じ、私の誕生日にウサギさんが来てくれるの」

「ウサギがそう言ってたの?」

「ううん。でもその日のその時間なら私が生まれた時間しかいないもの」


 アリスは興奮気味に手を振ってウサギが私のバースデーに来るとしきりに訴えてくる。

 …………なんだろう話がかみ合ってないない。そもそも時計の針が指していたとしてアリスのバースデーと同じであるとは限らない。話のつながりに困惑していると「あまり気にしすぎないように。夢の断片は統一性がないから、多少おかしくてもしかたがないんだ」と白澤君が忠告してくれた。

 ぐっと言いたいことを押さえて、どうしてそこまでバースデーパーティーにこだわるのか聞いてみた。


「ねえアリス、どうしてパーティーにウサギが必要なの。追いかけなくても友達を呼べば」

「いないよ。私友達ないのよ。バースデー、空っぽバースデー♪ 椅子にはだーれも座らない。バースデーの歌もない拍手もない、バースデー空っぽのバースデー♪ 三百六十四日がハッピーでも、バースデーがアンハッピーなんて死んじゃいたい♪」


 急に歌を歌ったと思ったら左右を見まわして「やっぱり誰もいない」と大粒の涙をボロボロこぼし始めた。小さなネズミのサイズになれば、アリスの涙も大きな水のかたまりが降ってくるのと変わらず、一つ頭の上に落ちただけで体がずぶぬれで口の中がしょっぱくなった。


「落ち着いてアリス」

「どこ~パーティー会場はどこ~」


 涙で濡れて重くなる私に代わって白澤君がアリスを止めに入るけど、アリスは泣き止まず地面に水たまりができてくる。

 このままじゃ、涙の海ができておぼれちゃう!


 お札を取り出してアリスの涙を止めようとしたその時。空のかなたから赤いリボンがふわりとアリスの目の前に降りてきた。リボンはふわふわと浮きながらその場で止まると、どこからか時計を腹に抱えた白いウサギがやってきた。


「あ~ここはどこだ。何もないぞ」

「ウサギさん?」

「メアリーアン? メアリーアンか?」


 ウサギはまっすぐ私たちのところへ飛び跳ねながら来た。途中アリスがつくった水たまりの中にはまって黒のタキシードをずぶ濡れにしても気にせずアリスの下にやってきた。

 ウサギはじろじろと眼鏡を目に押し当て、耳をぴくぴくさせてアリスをじっと見つめる。


「違う、似ているが別人だ」


 がっくりうなだれると、ウサギはリボンに向き直る。「いちにーのさん」のかけ声をすると時計を落とさないようしっかりお腹に抱えて、リボンの上に飛び乗った。ウサギは器用にぴょんと滑ることなく、まるで階段を登っていくように、リボンのふくらんだところを登っていく。


「待ってウサギさん」


 ウサギを追いかけようとアリスはリボンをつかみ、後を追いかけて登り始めた。私たちも後を追うためにリボンに爪を引っかけたが、なぜかリボンの表面がプラスチックのようにつるつるとしたものに変わりすべってしまう。


「間さん札を!」

「うん!」


 改めて取り出したお札をリボンにはりつけて、私のイメージを注ぎ込む。クルクルと回るリボンがまっすぐになるとパキッと音を立てて直角に折れ曲がり階段になった。先に手づかみで登っていたアリスのいたところも階段となって登りやすくなったようで、足早にリボンの階段を駆け上がっていく。


「か、階段じゃなくてエスカレーターにすればよかったかも」

「僕の背中に乗って」


 しっぽを伝って白澤君の背中に再びまたがると、白澤君は一気に階段を駆け上がる。あっという間にリボンの階段を登りきると、目の前に黄色のプラスチックでできた上半分が半円になった扉があった。


 先に到着したウサギはいそいそと扉に入り、そのあとを追いかける形で扉が閉まりきる前にアリスが入っていった。


 バタンと閉まった扉には『共に祝おう』という看板が掲げられている。


「カギはかかってないみたいだ。間さんお札を構えて」


 こくりとうなずきお札を手に持ちながらドアノブを回して中に入ると、部屋の中は真っ赤に燃えるろうそくでらんらんと照らされていた。部屋の中心にあるテーブルには天井に届くほどの高さのあるケーキが陣取っていて、誕生日を祝う会場のようだ。

 そのケーキの前に、腰のエプロンが浮かぶほどクルクル回っているアリスがいた。


「ありがとう。私やっと誕生日パーティーの会場に着いたんだわ。さあ私の生まれた日の誕生日会へようこそ。今日共に生まれた私たちの一日だけのパーティー」


 よかったアリスが嬉しそうで、これで夢が終わる。とほっとしたのもつかの間、白澤君が手に三枚もお札を取り出して構えていた。 


「間さん油断しないで。あのウサギがどこにもいない」


 あっ、そういえば先に登っていたはずのウサギがどこにもいない。私も残りのお札を構えようとしたとき、さっきはなかったはずの扉が現れた。勢いよく扉が開くとトランプ兵士が出てきてアリスとを捕らえてしまった。


「このケーキは大事な証拠品として没収します」

「アリスも没収。ついてこい」

「なに!? 放して!」


 アリスもわけがわからず体をゆすってトランプ兵士に抵抗するが、トランプ兵士はプラスチックのやわらかい体を弾くだけで効いていなかった。

 えーっとえーっと兵士の足を止めるには……兵士に焦点を当ててお札を構えるも、突然のことに頭がパニックになりイメージが固まらず動けなかった。


「弾ぜろ!」


 白澤君の飛ばしたお札が兵士の足に命中し、びたんと床に大の字の状態で倒れた。トランプだけあって自力で起きられないと思いきや別の兵士が扉から現れ、アリスを投げ渡すと、ケーキを担いで立ち去る兵士たちと共に扉の向こうへ逃げてしまった。


「やだ、ひとりぼっちはやだ!」


 アリスの叫びに何もできず、扉が勢いよく閉じられる。ドアノブに手をかけようとした瞬間、扉が丸ごとすっと壁の中に消えてしまい元の壁に戻ってしまった。


「待って、まだお札が残っている。これで消えた扉を出現させる」


 最後のお札を壁にはり、さっきの扉の形を思い出すため必死に思い出そうとする。


「だめだもう時間だ」


 白澤君のあきらめた声が消えると壁が溶け出し、そこで夢は終わってしまった。

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