走らされるアリス
図書室の鍵を職員室に返して教室に戻るとすれ違う制服の人たちみんな生き生きとした表情で登校している。
一方の私は頭が少しもやがかかっていて、すっきりとしない。悪い夢は見るし、図書室では目が覚めちゃって寝足りないし、せっかく白澤君とお話しできる機会が台無しになるし、まだ一日が始まったばかりだというのにさんざんだよ。せめて授業中にうっかり寝て、先生に怒られるのだけは避けないとなぁ。
教室に戻ると扉のすぐそばで有紀が出迎えてくれた。
「叶夢ちゃんお帰り。……よしよしがんばったんだね」
何もかも見通していたように、有紀は何も言及せず私の頭をなでてなぐさめてくれた。その優しさが少し胸に刺さるけど、誰も来てくれなかった方がもっと痛かった。
「あら、有紀。今図書委員の仕事の終わり」
「ううん。今朝当番に遅れちゃって叶夢ちゃんがしていたの」
「はぁ!? 間さん一人に任せていたの!」
ぴしゃりと暁委員長の仰天まじりの声が私に向けられた。委員長のぴっしりとまとめられたポニーテールとキツネのような鋭い目も相まって怒っているような雰囲気をまとっていた。
「そんないじわるな言い方しないの。叶夢ちゃんは図書委員の仕事をちゃんとこなしているんだよ」
「ほんとに? まさか仕事をするだけすまして、ひまな時間寝ていたわけじゃないでしょうね」
まるで見透かされているかのように、的中していて心臓がバクッと大きく音を立てた。有紀は片目を閉じて合図すると暁委員長に向き直る。
「そんなことしてないよ。叶夢ちゃんは、ちゃんと自分の仕事をこなしているよ、ね」
「本当でしょうね」
暁委員長が疑いを持ったまま腕を組んで問われたので、私はこくりと首を縦に振って答えた。ううぅ、暁委員長苦手だよ。いつも授業中に居眠りしているのを真っ先に注意するから、常に私への警戒の目を向けているんだけど、いつまで経っても居眠りぐせが直らない自分が情けない。
「ふん」と委員長がその場を離れると有紀が背中をぽんぽんと叩いてくれた。
「気にしないでね。穂希ちゃんここ最近機嫌が悪いから」
「心配してくれて、ありがとう。私がだらしないだけだから。有紀に助けられてばかりだし」
図書委員の仕事は有紀の迷惑にならないようにしているのだけど、暁委員長からしたら私は優しい有紀におんぶにだっこされているしか見えていないんだろう。役立たずのモブ。
私がちゃんと授業中に起きていたら、委員長に怒られず、有紀に心配をかけられずに済むのに。始業開始のチャイムが鳴り有紀も私も自分の席に着席すると、ズンと体に重しがのしかかったような感覚に陥る。
がんばれわたし。眠るな。
***
授業中寝ないように、誕生日プレゼントのことなんかのことを考えながら五時間目まで授業が過ぎた。ちらりと横を見ると教科書を縦にして先生から顔を隠している有紀が親指を立ててがんばれのポーズを取って応援していた。よし今日はこの時間で授業は終わりだ。あと五十分だけ。
鉛筆を持って、黒板に板書されている白の文字を目で追いかけてノートに書き写す。ノートが最後の行にまで描き写せたあたりで字がゆがんみ、体にのしかかってた重さが、後頭部にずんと移動していた。
あ、だめ。たぶんこれ、眠っちゃ。
目を開けると、私はネズミになっていた。
そしてずぶぬれの鳥たちといっしょに岩の周りをグルグル回って走っていた。ゴールもスタートもなくひたすら同じ周囲を走るだけ。でもふしぎなことに足はまったく疲れを感じない。
ああ、授業眠っちゃった。先生に怒られる。と落ち込んでいたら、前の方で息を荒げて走っている金髪の女の子が見えた。
「あの、これ、何をしているんですか」
「私もわからない!」
女の子は泣きながらぬれて色が変色したスカートを持ち上げて私と同じ場所をグルグル回る。
あれ、この女の子もしかして『不思議の国のアリス』のアリス?
「それそれ走れ、体が乾くまで、もっと走れ。グルグル、ドンドン、グルグル、ドンドン走れ」
岩の上から一羽のドードー鳥が低いダミ声を出しながら歌い、走るように音頭を取っていた。
「私、ねえウサギを探しているの。早く終わらせて」
「君のウサギかね」
「私のじゃないけど追いかけないと」
「なら体を乾かさなければ」
「でも早く追いかけないと」
「なら走るんだ。走れば早く着く。まずはグルグルグルグル回れ」
話が全く噛み合わず、堂々巡りでアリスは鳥に押されて同じところをまた走り出した。そうだこれアリスの涙で流された後にネズミたちと走る『コーカスレース』だ。
「ねえお願い、もう足が痛くなってきて」
「そうかそうか。足が燃えるように熱いか。ならもっとだ乾燥機のようにガタガタならせ。ホイッ!」
アリスの細い足が今にも折れそうな木の枝のようにふるふる震えているのもお構いなくドードー鳥は走れと命じて後ろにいる鳥がアリスの背中を押していく。
「やめてあげて」私は走りながら叫んだけどドードー鳥も鳥たちも耳に届いてなく歌いながら走り回っている。
もう、アリスが嫌がっているのに。そんなに温まりたかったらたき火でもして燃やせばいいのに。
夢の中とはいえ、理不尽さにムカつきだして顔が熱くなりだすと、足下の砂浜がジュウゥと音を立てて熱くなりだした。いや熱いというより焼けてる! 鉄板の上にいるみたいに!
「わーっ! 足が燃える! 体が焼ける! 早く海に逃げるんだ。ほれ! でないとチキンとシーフードの出来上がり、さ!」
お尻の尻尾に火がついて慌てるドードー鳥の合図で他の鳥たちも一斉に海の中にドボンドボンと入っていく。
くつをはいていたアリスは地面が熱くなっていることに気づいてなく、森の中へ逃げていった。
アリスが助かったのはいいけど、残ってしまった私はどうしよう。ジワジワと足が焼けるのを避けようと片足を上げてはもう片方を逆にすると逃しているけどこのままだと私が丸焼けだ。
目の前の岩場に手をかけると岩の方は熱くなかった。岩の上に逃げてやり過ごそうとテッペンまで登ったその時、一羽のシロワシが爪を広げて私の体をつかんだ。
やだっ! 岩場にしがみつこうとしたけどネズミの細い爪では抵抗するとかもできず、連れて行かれてしまった。
このままだと食べられちゃう。抵抗して爪から逃れようとして下を向くとさっきまでいた岩場が小石ほどの大きさにまで小さくなっていた。逃げても無理だと諦めると、鷹はすぐ近くの林の中に降りて、爪を緩めて体を離した。
「ご、ごめんなさい。私今ネズミの見た目しているけど人間なの、おいしくないから。食べたらお腹ゴロゴロするから」
「落ち着いて僕は白澤だよ。五年一組の」
「……白澤君? でも顔が全然似てない」
「夢の中は顔も声も現実とは同じとは限らないから僕の姿も現実とは違うんだ。君は誰になるのかな」
今朝見たばかりの白澤君の姿形はなく目の前にいるのは間違いなくシロワシだ。けど声は間違いなく白澤君のもので間違いなかった。
私が白澤君のことを意識しすぎたのなか、字面が似ているし。バサバサと羽を擦らせてのぞきこむ推定白澤君に、自分が今朝会った図書委員の間であると答えた。
「間叶夢。今朝図書室で会った図書委員の」
「間さんだったんだね。でもこの夢の主役はあのアリスのはず。けど夢の中心以外の世界にいるということは、夢に巻き込まれたということか」
夢の主役? 私の夢じゃないってこと? そもそも目の前にいるのは本物の白澤君なの? 彼の
「でも大丈夫これは悪い夢の中だから起きたらすぐに忘れる。目が覚めたら夢の中の僕のこともすぐ忘れるから」
白澤君のクチバシが私の頭の上に被さるように頭が降りてくる。もしかして、キ、キス!? 夢の中だからといってこれは。でもどうせならネズミとワシじゃなくて人間の体でやってほしかったと思った時だった。
急に私の体がギュンッと白澤君と同じ目線になるまで伸び上がった。次に起こったのは特徴的な長く伸びた鼻と口のマズルがペタンと真っ平らになってしまった。
いったいどうなっているの!? と口に手を当てようとすると、私の手が人間の五本指に戻っていた。
「元の私の体に戻ってる?」
何の前触れもなく元の姿に戻り困惑する私だけど、もっと驚いているのは白澤君の方だ。何せシロワシの姿だったはずが、人間の白澤君に戻っていたのだから。
「人間の体になってる。もしかして間さん人間の体になりたいと今思った?」
自分でもよくわからなかったけど、人間に戻りたいとは思ったのは確かだったので正直にうなずいた。
「間さん君は、夢魔なのかい?」
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