第31話 確認

 正午を過ぎると、前園まえぞのの妻が颯斗はやとの部屋に粥を運んでくれた。卵を落とした粥の優しい香りに、がぜん、胃が動き出すのが分かる。


「疲れが溜まったんじゃろうね。こげんこっになって悪かねえ」

「いえ、誰が悪いとかじゃないですし……」


 小さなちゃぶ台をベッドテーブル代わりに運んでもらったから、颯斗は布団に下半身を突っ込んだまま、上体を起こしただけで昼食を食べることができる。他人の家でそこまでしてもらうのは恥ずかしく申し訳ないような、熱を出した後の寝起きの姿で歩き回るよりはましなような、微妙なところだった。


 粥を蓮華レンゲで掬い、米の甘さとほのかな塩気を味わいながら、颯斗は前園の妻が部屋を出る前に話しかけた。


「神様と結婚とか……恐れ多いというか、びっくりしちゃったのもあると思います。えっと、普通、こういうのって女の人が選ばれるやつじゃないですか? まさか俺が、って……いや、もともと全然予想していなかったんですけど」


 さりげなく話を切り出したつもりが、必要以上に饒舌になってしまったかもしれない。一気に上がった血圧と、熱とは関係なく背中を濡らした汗と。身体の反応を宥めるために、颯斗は湯飲みに注いだ麦茶をひと息に飲み干した。

 これは、賭けだった。父から来たメッセージは、比彌島の島民が皆、承知していることなのかどうか。世代や家庭によって伝わっていることが違う、ということがないかどうか。──志帆はどこまで意識的に嘘を吐いているのか。それらを確かめるための。


 颯斗の推測が間違っていたら、前園の妻は怪訝そうな顔をしていただろう。でも──彼の期待が当たったのか外れたのか颯斗自身にも分からなかったけれど──彼女は、当然のように頷くと、颯斗の枕元にちょこんと正座した。


「そうやなあ。確かに、神様にお嫁にっ話ん方が良う聞っかもしれんどん──」


 雑談に応じてくれるようなのは、やはり颯斗の言葉に違和感がなかったからなのだろう。島の真相に近づく予感に、颯斗の緊張はいや増していく。彼女に不審に思われないように、受け答えには十分気を付けなければならない。


「じゃっどん、比彌ひみ島は姫ん島じゃっで、神様もおなごじゃと普通に思うちょったねえ」

「ヒメがヒミに訛ったってことですか……」


 島の名前に関する須藤の推測は、どうやら当たっていたらしい。ここは、さすがライターということなのか。ならば、白波と呼ばれる女の霊は、姫では「ない」し、島で信仰を集める神でも「ない」ということになる。


「そうじゃ。姫様に守ってもろうちょっ島なんじゃ」

「儀式って、その、神様と結婚するみたいなことだと聞きましたけど……そうすれば全て収まるんですよね……?」


 ならば、彼は「誰」と儀式を行うことになるのか──探り出そうと、颯斗は更に言葉を重ねた。


「そう聞いちょっけど。何分初めてんこっじゃっで」


 前園の妻は、困ったように、あるいは申し訳なさそうに小さく笑うと、深く溜息を吐いた。彼女の罪悪感の対象は、颯斗なのか志帆なのかは分からないけれど。前園たちにとって全ては多分「仕方のないこと」で、今まで多くを語ってくれなかった。だから、志帆は認識の齟齬を隠すことができていたのだ。


「とにかく、前園家は責任を取らないけんのよ。前にセを取られた時は、沢山け死んだってことじゃっで。あてが嫁いだ時はもう、そうでもなかったばっ、昔はこん家に関わっと色々言われたげな」

「えっと……それは、ご先祖のことがあったから……?」


 それでも、志帆が語ったことは真実の一端ではあったのだろう。白波は、前園家の先祖だった、と。恋人を権力者に奪われて海に身を投げた──その権力者が島の守護神なら、確かに人の身には抗うことができない相手だ。


「そう……じゃっで二度と同じこっがあってはいけんの。セを取られてはいけん……!」


 セを取られてはいけない、と。前園も雄大に言っていたと思う。どうして今まで気付かなかったか不思議なほどだ。セの相手が白波だというなら、「彼女」に取られる、という表現はそぐわない。颯斗が「彼女」に触れて感じた憎悪と併せても、分かる。白波の行動原理は、「姫」を──島の女神を、セと添い遂げさせはしないということ。そのために、儀式が行われる前にセを奪うということ。


 「彼女」は多分、生前からずっとその一念に取り憑かれて比彌島の海に漂い続けているのだ。そのために命を絶ったのか、死ぬ前にも「やった」のか──一番最初がどの時点のことだったのかは、分からないけれど。その事件があったからこそ、セが死んだら凶事が起きると比彌島の島民は思い知ったのだ。前園家の娘の定めも、白波との血縁だけが理由ではない。かつて島に被害をもたらした女の末裔という烙印ゆえに、島民からのプレッシャーがかけられたとしても不思議はない。


「……志帆ちゃんとは、あんまり深く話せてなくて。お話を聞かせていただいて、ありがとうございました。あの、もう少し考えなくちゃ、とは思うんですけど」

「仕方なか。……多分、あんたあたが最後んセにな。人んおらん島じゃっどん、生まれ故郷じゃっでね」

「分かります」


 相手の思いは分からないまま、颯斗は頷いた。この島で前園家の──白波の血を引く家の者であるということがどういうことか。娘が生まれた時、成長するのを見守りながら、この女性が何を思っていたか。日高という前のセの寿命は、志帆が生まれた頃には見えていただろう。島の男や、新たに現れた颯斗を婿候補としてどう見ていたのか。その心中を完全に推しはかることは、彼にはできない。安易に分かる、などと言ったのもおこがましいことだろう。


 ただ、考える材料が増えたのだけは良かった。




 志帆は夕方に帰宅し、夕ご飯を作る母を手伝っていた。食卓では前園夫妻は例によって寡黙で、彼と娘の機嫌を伺うようだった。それに、病み上がりの颯斗を気遣ってくれてもいたのだろうけど。

 朝の「デート」があったからか、志帆は夕食後、両親の目を憚ることなく堂々と颯斗の部屋に上がり込んできた。


須藤すどうさんとゆう君と、時間決めて来たよ」

雄大ゆうだい君も来るんだ。真夜中でしょ?」

「うん、でも、気になるからって」


 雄大も、志帆が須藤に「偽の」島の伝承を語るのを止めなかったし指摘もしなかった。彼の持つ情報量が志帆と同じとは限らないけど、彼も共犯である可能性はそこそこ高いだろうとは思う。


「それは……嬉しいし心強い、かな」

「お見送りにもなるしね。……後で、島じゃないとこで会えたら良いね」

「そうだね。連絡は取れる訳だしね」


 二人がどうして口裏を合わせて嘘をついたのか──理由は明らかだと思うから、颯斗はあえては尋ねない。比彌島の空気というか風習というか歴史というか、そんなものへの反抗で、間違いないだろうから。それに、「姫」に対する復讐も兼ねられる。セを姫に渡さないということは、白波の宿願を叶えることにもなるのだろうから。

 問題は、島にもたらされる災いがどのようなものなのか、だけど──


「ねえ……私も一緒に行って良い? 颯斗さんがいなくなったら、私、お父さんたちに怒られちゃうし」

「そんな……ご両親は心配するでしょ」


 半ば予想していたことを言い出した志帆に困惑の表情を作りながら、颯斗は考える。志帆は、彼を逃がすことで何が起きるかを知っているのかどうか。たとえ知っていたとしても、彼女は教えてくれないだろう。大したことはないと思わせなければ、颯斗は頷きはしないから。情報と要求を小出しにすることで目的を達成しようとする志帆は狡猾で──そして多分、颯斗を操ることをずっと計画していたのではないか、という気がする。


「高校の時の友達を頼るから、颯斗さんには迷惑をかけないよ。お父さんたちからの連絡は無視しちゃって良いし。お祖父さんたちのお墓は──ほとぼりが冷めたら、私がちゃんとやるから!」


 ほとぼりが冷めることを、志帆は本当に待つのだろうか。彼女が待ちわびるのは、比彌島の破滅ではないのだろうか。それを、安全なところから眺めたいのではないだろうか。


「雄大君は知ってるの?」

「うん。こんな島出てった方が良いって。ね、私も働いててもおかしくない歳だし。自立する切っ掛け、くらいなんじゃない?」


 可愛らしく手を合わせて上目遣いする志帆を、冷淡だとか残酷だとか責める資格は颯斗にはないだろう。


「……良いよ、とは言いづらいけど。でも、俺だけじゃ分からないこともあるかも、だしね。船が襲われた時のためには、いてもらった方が良いのかもね」


 志帆が望む言葉を吐きながら、颯斗の頭は名前も知らない「彼女」のことでいっぱいだから。「彼女」が現れてくれないのは、白波がさまよっているから、なのだろうか。ならば再会のためにはどうすれば良いか──それしか、考えていないのだから。


 出発までの時間は、もう短い。その短い間で、どう行動するかを決めなくてはならないのだ。

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