第25話 志帆の執念

「後は……その、漁船で大丈夫かな、って。セがいないと、海が荒れるって聞いたから……俺が出て行こうとしても同じことが起きるんじゃ……?」

「ああ……そこは、どうなんだろうな……」


 「脱出作戦」を食い止めたい一心で、颯斗はやとは苦し紛れの理屈をどうにか捻り出した。説得力があるかどうかは定かではなかったが、それでもどうにか雄大ゆうだいを収めることに成功したらしい。雄大は気が抜けたように石の椅子に座り直すと、眉を顰めて志帆しほの方を窺った。白波についての知識というか言い伝えは、前園まえぞの家の者が詳しいということなのだろう。


「……海が荒れたって言っても、被害が出たのは昔のことだと思うんだよね。日高ひだかのおじいちゃんの若い頃よりもっと前……戦前とか、下手すると江戸時代とか。今の船なら、そうそうひっくり返されたりしないかも、だけど……」


 とはいえ、問い掛けの視線を送られた志帆の方も、曖昧な表情で首を傾げている。崖を降りながら颯斗が考えた通り、セの不在やその代替わりというのは、比彌島の島民にとっても珍しい事態であり、伝承も途絶えかけていたのだろう。

 と、ここで颯斗は別のルートから聞いた島の歴史を思い出した。さらに、志帆が語ったそれとの齟齬と違和感も。そして、その部分をはっきりさせたいと思っていたことも。


須藤すどうさんは、戦争の時もこの島から徴兵された人はいないって言ってたけど……それも、白波の力なのかな? それなら、割と近代的な船でも影響されたってことになる……?」

「須藤?」


 それでも、一体どうなっているんだ、なんて問い質すことは颯斗にはもちろんできない。彼にできるのは、曖昧な笑顔で疑問を呈することだけだ。そんな押しの弱さだから、まともに取り合ってもらえるか、はなはだ不安だったけど──須藤の名に首を捻った雄大と、そして颯斗の疑問と、志帆はそれぞれにとりあえず答えてくれた。


「ゆう君とたっくんが進学した後に移住してきた、ライターさん。オカルトとか、民俗学とか詳しいというか調べてるんだって。徴兵は……私も知らなかったけど、白波も、セを守ってるつもりなのかもね。自分以外には触れさせない、とか……それで、他所から来た船は沈めちゃうとか……?」


 白波は、島に害を及ぼすだけの存在ではないということなのだろうか。長年に渡って島から外敵を遠ざけていたというのなら、信仰の対象になることもある……だろうか。


 詳しく聞くほどに、須藤と志帆と前園と、それぞれが語ることは辻褄が合っていく。それはつまり、颯斗は白波の恋人の身代わりに狙われていると認めざるを得ないということだ。自らの命さえ顧みないほどに惹かれている──と、思う──のに、この感情は悪霊に取り憑かれたからでしかないのだ。獲物を甘い蜜で引き寄せる食虫花や、宿主に繁殖に都合の良い行動を取らせる寄生虫と似たようなこと。颯斗は白波に操られているに過ぎないのだ。


 深い落胆に胃が重くなるような感覚を味わいながら、颯斗は呟いた。


「だから……じゃあ……やっぱり船で逃げようとするのは危険じゃ……?」

「でも、船しかないんだよ……! 海に囲まれてるんだから」

「この島、飛行場もないしな。あっても、俺たちが飛行機とかヘリを呼ぶなんて無理だけど」

「だから……やっぱり、儀式をしつつチャンスを狙う方が良いんじゃ……?」


 颯斗の声に安堵が滲んでいたことに、二人は気付いただろうか。打つ手なし、の状況は、彼にとっては決して無念なものではないのだ。むしろ、どうしようもないという結論に、志帆や雄大も同意してくれれば良い。そうすれば、仕方なく島にとどまったのだ、という構図にできる。海に惹かれるのは──白波に呼ばれるのは、彼がほのかに期待し錯誤していたような純粋な恋慕ではないというのに、未練がましいとは思うけれど。


「俺のために……っていうと変な感じだけど、危険なことはして欲しくないし。その、雄大君もだし、船って高いんでしょ? 何かあったりしたら──」


 弱気な言葉に、二人が怒らなければ良い。特に志帆は、彼女自身の人生も掛かっていることだ。何が何でも船に乗れと言われたらどうしよう。颯斗に断ることができるだろうか──恐れながらも、懸命に颯斗が舌を動かすと、志帆と雄大は眉を寄せて目を見交わし合った。決して納得はしていないけれど、颯斗の言葉を否定する材料も見つけられない。そんな表情だった。


「……私としては、今の船なら大丈夫って思いたいけど。でも、乗るのはゆう君と颯斗さんだしね……」


 ゆっくりと、言葉を噛みしめるように口を開いた志帆を、颯斗は慰めるつもりだった。結婚といっても本当に婚姻届を出さなければいけないということはないんじゃないか、とか。絶対に手を出さないし、好きな人がいるなら──それこそ雄大なのかも──応援するから、とか。きっと、志帆は諦めたのだと思ったから。そもそも颯斗を助けるために行動してくれていた彼女なのだから、あえて危険を冒そうとは思わないだろう、と。でも──


「あんまり気が進まないけど、須藤さんを巻き込もう。大人で、島の人じゃない人だから。オカルト関係に詳しいなら、何か良い方法を知ってるかもしれないし……!」

「え……」


 決然と述べた志帆に、颯斗は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。雄大も、須藤を知らないからこそ不審の思いも強いのだろう、一層眉を寄せて顔を顰めている。


「オカルト系のライターって……そんな奴に話して大丈夫なのか?」

「私も気が進まないってば。でも、他に頼れないし……!」


 志帆にぴしゃりと叩きつけられて、雄大は口をつぐんでしまった。洞窟の中に、しばしさざ波の音だけが反響する。


 どうしてだろう、と。颯斗は波の音に酔いそうになるのに抗いながら考える。どうして志帆は、こんなにも颯斗を逃がしたがっているのだろう。彼と結婚したくないのだとは分かるけど。島の風習に反発しているのも。でも、友人を亡くした雄大よりもより強い──執念めいた気迫さえ感じてしまうのだ。儀式をせずにセを逃がそうとしていることだって、本当に大丈夫なのだろうか。彼女と一緒に前園に隠れて行動している颯斗が言えることではないだろうけど、志帆は島の問題だと言っていたけど。


 それでも、須藤と会うのは颯斗にとっても都合が良い、かもしれない。須藤は、多分瑛太よりもこの手のことに詳しいのだろうから。彼が何となく感じて、何となく納得させられている違和感を、解き明かしてくれるかもしれないから。


「俺、その須藤さんに会って……この島で何が起きているか教えて欲しいって言われたんだ。白波のこととかセのこととか……教えたら、喜ぶとは、思うよ。交換条件で協力して欲しいとか、交渉はできるかも……」

「ほんと!?」

「うん……」


 颯斗の方に身を乗り出した志帆は、目を輝かせていた。爛々らんらんと──なんて思ってしまうのは、薄暗い中のことだからだ。結局、島を出る方向から外れることができなかったのも、話の流れ上仕方ない。そう、思うしかなかった。

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