第8話 ゴスロリ

 勉強に一区切りがついた辺りで、柊は麗の様子を窺う。


 勉強会の体はもはやなしていないので、イヤホンを付けて音楽を聴きながら勉強していたため、割と勉強の方に集中してしまっていたのだ。


 イヤホンを外して麗を見やれば、何故だか麗の服装が変わっていた。


「うおっ!?」


「わっ、びっくりした……」


「いや、ごめん……いや、そうじゃなくて。お前、いつ着替えた?」


 麗の服装はここに来た時はジーンズにシャツ、上着と普通の恰好だった。身バレ防止のために帽子と伊達メガネをしていた事をのぞけば普通の恰好である。


 しかし、今の麗の恰好はそんな普通の恰好から百八十度変わっており、ふりふりのフリルの付いたふんわりと広がるピンク色のスカートに、スカートと同色でありフリルやリボンがふんだんにあしらわれた上着を身に着けていた。


 いわゆるゴシックロリータ。つまり、ゴスロリである。


 ゴスロリを身に纏った麗はうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら、可愛い衣服やグッズの載った雑誌を見ていた。


「君が勉強してる間に、君の死角で」


「馬鹿かお前は!? 男の部屋で着替える奴があるか!!」


「でも、勉強に集中してるようだったし、平気かなって……」


「俺に見られでもしたらどうするつもりだったんだ!? 見ちまった俺が気まずいだろうが!!」


 わざとでは無いし、麗が完全に悪いにしても見てしまった事に罪悪感もあれば、年頃の男子として情欲というものもある。


 麗は王子様と言われているけれど、その身体つきは完全に女子のそれだ。


 ささやかな胸の膨らみに、鍛えられて引き締まった身体は肉感的では無いけれど、確かな美しさがある。それに、麗の顔は決して男の顔という訳では無く、恐ろしく整っているからこそ王子様と言われているだけなのだ。


 つまり、下着姿を見てしまった日には普通に悶々もんもんとするし、女子として意識だってしてしまう。


 柊は一つ、大きな溜息を吐いて間違いが起こらなくて良かったと心底安堵する。


「もう少し気を付けてくれ……何かあってからじゃ遅いんだから……」


「わ、分かった。その、すまない……」


 柊に言われ、麗はしょぼんと肩を落とす。


「ちょっと、浮かれていたようだ。こういう物を買うのは、凄く久しぶりだったから」


「まぁ、浮かれてんだろうなとは思ったよ」


 言って、綺麗に積み上げられたごみの山に視線を向ける。


 柊の視線の先を追って、麗は羞恥で顔を赤くする。


「ほ、本当に久しぶりだったんだ!! ご、ごみはちゃんと持って帰るから、安心してほしい!!」


「持って帰ったらバレるかもしれないだろうが。良いよ、後で捨てておくから」


「ごめん……」


「良いよ別に。どうせこうなるだろうと思ったし。まぁ、数は予想外だったけど……」


 何かを持ってくる事は分かっていた。そういう物を持っていない事も知っていたし、新しく買って持ってくるだろう事も分かっていた。だから、ごみの処理はする事になるだろうなと思っていた。数だけは、本当に予想外だけれど。


 ゴミの山を目にして、ふと気付く。ゴミの山はあるけれど、肝心の物がどこにも無い事に。


「あれ? 開けた物どこにやったんだ?」


「ああ、安心してくれ。ちゃんと仕舞ったから」


「仕舞ったって、どこに?」


「クローゼット」


「お前なに勝手に人んのクローゼット開けてんだ!?」


 慌ててクローゼットを開ければ、そこには綺麗に麗の買ってきた物が仕舞ってあった。


 衣服を掛ける部分には今着ているようなゴスロリ以外にも可愛らしい服が掛けられており、その下には見覚えのない収納箱が置かれていた。恐らく、その箱に可愛い物が仕舞われているのだろう。


 そして、割と適当に仕舞われていた柊の衣服や物なども綺麗に整頓されていた。


「お、お前……俺の物にも手を付けたのか?」


「ああ。ただ仕舞うのも申し訳無いと思って」


「それは、一言欲しかった……」


 男の子なので、見られたく無い物の一つや二つあるだろう。幸いにもここには無いのだけれど、それでも私物を移動させるのであれば一言欲しかったところだ。


 まぁ、過ぎた事を言っても仕方が無い。


 柊はクローゼットを閉めると、元居た場所に座る。


「それにしても、物が少ないんだな」


 言って、麗は柊の部屋を見回す。


 柊の部屋にはベッドとテーブル、それとデスクトップ型のパソコンと本棚が一つ置かれているだけだった。


 確かに、年頃の男の子部屋としてはあまりにも物が少ない。


「良いだろ、別に」


 麗の言葉に、柊は素っ気ない、というよりは突き放すように冷たく返した。


「ご、ごめん……」


 柊の言葉の温度の違いを冷静に見抜いた麗は、踏み込み過ぎたと慌てて謝る。


「別に……」


 謝られた柊も、今のは少し露骨過ぎたと反省する。


 ただ、麗に踏み込まれたくない事があるように、柊にだって踏み込まれたくない事もある。今後の事を考えれば、必要だった事だと自身を納得させる。


 少しだけ気まずい空気が流れる。


「……そ、そう言えば!」


 そんな空気を打ち破るように、麗は笑みを浮かべて声を上げる。


「この服どうだろう?」


「服? ああ、可愛いんじゃないの?」


「違う。似合うか似合わないかだ」


「へ?」


「この間はカチューシャだけだっただろう? だから似合わないと言われたが、今日は全身揃ってる。流石に全身揃えば、私だって似合ってるはずだろう?」


 どうだ? とばかりに両手を広げて立ち上がる麗。


 座っていて気付かなかったけれど、ソックスも可愛らしい物に変わっていた。


 くるりと回って前も後ろも見せる麗。


 しかし、柊の口から出て来た言葉はこの間と変わらないものだった。


「いや、全然」


「な――っ!?」


 柊が否定をすれば、麗は目に見えてショックを受けた表情になる。


 そして、しょぼくれた様子でその場に座り込む。


「分かってたさ……分かってたけど……そんなにはっきり言わなくたって……」


「似合ってなくて当り前だろ。お前、誰でも服着たら可愛くなれるとでも思ってんのか?」


「……違うのか?」


「当り前だろ……」


 麗の言葉に、柊は呆れたように返す。


「むしろなんで可愛い服着ただけで可愛くなれると思ってんだ?」


「だって、私が服着たら皆似合うって言ってくれるから……」


「それはその皆ってのが服選んでるだろ?」


「うん」


「じゃあ似合って当然だ。お前に合いそうな服着せてんだからな。それに、お前は皆の前でもそんな可愛い服着た事無いだろ?」


「うん」


「多分、俺と同じ事言うと思うぞ。まぁ、お前のお友達なら、お前に気を遣って似合ってるって言ってくれるかもしれないけどな」


 それに、麗はどの系統の服を着ても似合ってしまう。


 スポーティーな服装から、シックな服装やクールな服装まで、幅広く似合う事だろう。


 しかし、それと正反対のゆるふわ系や、可愛い系などの服装は似合いそうにも無い。


 麗の言う皆が選ぶのは端から麗が似合う服なのだ。だからこそ、何を着ても似合うと言われる。


「お前、自分で服選んだ事ある?」


「無い。いつも友人が選んでくれてる」


「じゃあなおさらだろ。普段の・・・お前に似合う服を選んでくれてんだから、お前に似合って当たり前だ」


「むぅ……じゃあどうすれば私はこの服が似合うようになるんだ?」


「メークをそういう方向に変えるしか無いだろうな。今のお前のメークだと、どう足掻いても可愛い系は似合わない」


 言いながら、少し思う。


 これ、本当ならば麗は分かっていなければいけない事なのでは無いだろうか?


 柊に言われるよりも前に、女子である麗自身が気付かなければいけない事のはずだ。それに、自分のイメージする雰囲気によってメークを変えるなんて常識だ。自分の中で系統が決まっていて、同じメークをして同じような服を着ている者も当然いるだろう。


 しかし、それは全員が全員同じ系統という訳では無く、別の系統ももちろんある。その系統の数だけ、メークもあるという事だ。


 それは、柊ではなく麗が気付くべき事だ。


「もしかしてお前……メークしてない?」


 柊が恐る恐る尋ねれば、麗はこくりと頷く。


「肌のケアとかはしてるけど、メークはしてないし、やり方も知らない」


「はぁぁぁぁぁぁ……」


 麗の回答に、柊は盛大に溜息を吐く。


 想像していなかった。女子らしく普通にメークはしているだろうと思っていた。


「……まさかとは思うが、ファッションの合わせとかも……」


「友達が買った物を着てる。何セットかあるから、日によって変えてはいるけど」


「でも服の組み合わせを変えたりはしてないってか?」


「ああ」


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 思わず頭を抱えて小さく呻く。


 服に興味が無いのであれば分かる。自分の中でセットを決めて服を着るのも分かる。柊だってそうだ。


 けれど、麗は服に興味がある。それも可愛い系の服に。


 服の組み合わせを試してみた事も無く、メークもしていない。


 女の子であれば通ってきた道を、麗は通って来ていないのだ。


「お前は……」


「うん」


「お前は、服が似合う似合わないの前に、ファッションとメークについて勉強すべきだ……」


 そう言う事にこだわらないようなものであれば勉強をする必要は無いだろう。けれど、ゴスロリのような服を着たいのであれば、それに似合うメークを勉強する必要があるし、また別の服を着たいのであれば、それに合わせるメークを勉強する必要だってある。


 ゴスロリなどの特殊な服で無ければ、同じメークでも良いが、クローゼットを開けた時に見えたのは麗が着る分にはメークを変えなければ雰囲気を合わせられないような物ばかりだった。


「……でも、今更友達にメークを教えてなんて言えないし……」


「それが可愛い系のメークだったらなおさらか……」


 普通のメークであれば、麗の友人も教えてくれるだろう。麗も友人に聞きやすいはずだ。


 しかし、それが可愛い系のメークともなれば話は別だ。麗は周囲が自分に抱く王子様という幻想を壊す事を嫌う。そう言う事を聞くのさえ、皆のイメージを壊す事になると麗も分かっているのだ。


 柊は少し考える。


 一つだけ、手が無い訳ではない。しかし、その手を取る事にやはり躊躇いを覚えてしまう。


 が、背に腹は代えられないだろう。


「また次の時、なんとかしてみる……」


「なんとかって?」


「なんとかって言ったらなんとかだ」


「?」


 困惑する麗と、深く溜息を吐く柊。


 その後、麗は柊の勉強を教えてから家に帰った。勿論、服は脱いでクローゼットに掛けてから帰った。

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