第9話 メーク講座
柊は、やりたくない事は基本的にやらない主義だ。
そして今回の事もまたやりたくない事であり、柊がやる必要が無い事でもある。
にも関わらず、柊は自主的に事を起こそうとしている。
ああ、分かってる。流されてる。良くない傾向だ。非常によろしくない。
それが分かっていながらも、柊の脚は目的の場所へと向かう。
休日は終わり、月曜日。
柊の始めという気怠さに身体を支配されながらも授業は粛々と終わり、今は放課後。
麗は部活で、柊は本当ならば帰っている時間。
そう。本当ならば柊は帰っているのだ。
それなのに、柊は今人の少ない校舎内に残っている。
向かう先は特別教室棟。そこにある演劇部。
「はぁ……」
気が重い。すこぶる気が重い。
けれど、引き受けてしまったものは仕方が無いし、言い出しっぺは柊の方だ。
明日は部活が無いらしく、少しの間麗はお邪魔をするつもりらしい。
次までに待っておいてくれと言っておいて、何も用意しませんでしたでは流石に申し訳が無い。
だから、これは仕方のない事だ。引き受けた事はやり遂げないといけない。そう、これは義務なのだ。責務と言っても良い。
「でもなぁ……」
やらなくてはいけないという事実を自分が納得できそうな形で形容してみるものの、どうにも気が重い。
しかし、気は重くても足は進む。逃げれば後でどんな仕打ちが待っているのかと考えるのも恐ろしい。
重い足取り。けれど、校舎はさほど広くはない。
柊は目的の教室前にたどり着いてしまう。
「はぁ……」
何度目かの溜息。
来てしまったものは仕方が無い。何とか頑張ろう。
気合を入れて、扉を開けようとしたその時、柊が開けるまでも無く扉は内側から開かれた。
そこには不機嫌そうな顔をした一人の女子生徒が。
「遅い」
「遅いって、掃除終わったらすぐに来たろ」
「言い訳は良いから早く入る」
「へーい……」
不機嫌そうな女子生徒に言われ、柊は教室内に入る。
教室は広く、通常の教室二つ分ほどの広さがある。その中に、衣装や
そんな教室の中には鹿嶋田高校の生徒が三十人程おり、各々が各々の作業をしていた。
知らない人達の集団に入るのに抵抗はあるけれど、ちんたら歩いても文句を言われるので柊は女子生徒の後をしっかりと着いて行く。
「はいはーい! 一年女子は注目してー!」
柊を教室内に入れた女子生徒は手を叩いて一年生の女子生徒の注目を集める。
「前に言ってたメーク講座を今から開きます。被検体はこの男子でーす」
「おい」
「実験体の方が良かった?」
「そういう意味じゃない。普通にお手伝いとかで良いだろ」
「それじゃあ面白味にかけるじゃない」
「面白味なんて誰が求めるんだよ……」
気安い雰囲気で話す二人。しかし、見ていた一年の女子は少しだけ困惑した表情を見せる。
柊が一年生なのは分かる。鹿嶋田高校は学年をブレザーのネクタイの色で分けており、柊は一年の色のネクタイをしているからだ。対して、柊と話している女子生徒はネクタイの色は二年のものだ。二人が気安く話をしているというのは、事情を知らないものからしたら違和感がある。
「ああ、ごめんごめん。こいつ、わたしの従姉弟なんだ。名前は
「ども……」
柊の従姉弟――
「あの、御手洗先輩。メーク講座をするのは分かったんですけど、なんで若麻績君なんですか? 普通女子の顔使いません?」
「おお、良い質問だね。まぁ、普通女子使うよね。けど、皆の前ですっぴんになりたい女子っている? それも、男子の前で」
葉奈がそう訊ねれば、確かにと女子達は頷く。
場所を変えれば良いだけだと思うけれど、学校という性質上どこに男子がいるか分からない。女子更衣室を使うのも手だけれど、それでも皆の前でメークを落とすのは恥ずかしいという女子は少なく無いだろう。
「だからこそ、柊の出番。顔は綺麗だからメークもしやすいんだよね」
言いながら、葉奈は柊の前髪をかき上げて髪留めで止める。
柊の顔を見て、女子達はおおっと感嘆の声を上げる。
女子達の反応を見るのが嫌で、柊は視線を逸らす。
柊の顔は中性的で、よくよく見れば男なのだけれど一見するだけだと女のように見える。
小学校から中学校の頃はよく女子と間違われたのでそれが嫌で前髪を伸ばすようになったのだ。今では、ギャルゲーの主人公かよと思う程前髪で目元を覆っている。
まぁ、理由はそれだけでは無いのだけれど。
ともあれ、柊の中性的な顔であればメーク講座もしやすいという事でモデルとして採用された訳だ。
「さ、それじゃあ早速やっていくよ。皆もちゃんとメモしてねー」
葉奈の言葉に、一年女子達ははーいと緩く返事をする。
説明をしながら、葉奈は柊にメークを施していく。
普通の部活ではメーク講座などしない。鹿嶋田高校ではメークは禁止されておらず、どの女子も最低限メークをしていたりする。もちろん、していない者もいるけれど。
部活動も同じで、特にメークを禁止してはいない。しかし、大々的にメークを良しとしている訳でも無い。
そんな中でわざわざメーク講座なんてものを開いているのは、この部活にメークが必要だからだ。
メークが必要な部活など、考える間すら必要無く思い浮かぶだろう。
そう。ここは鹿嶋田高校演劇部。柊は、演劇部のためにメークの被検体になったのだった。
演劇部にはメーク担当はいるものの、役者全てのメークを担当する事は出来ない。メーク担当は主役やヒロインなど
そのため、脇役などの
メークにも種類や効果があり、それを教えるためのメーク講座だ。
一年女子達は真剣な眼差しでメークを施される柊を見る。
男子達も劇の準備をしつつ、ちらちらと興味深そうにメーク講座の様子を見ている。
柊がこうしてメーク講座に手を貸したのは
メーク講座の手伝いと引き換えに、葉奈に可愛く見せるためのメークを教えて貰う約束を取り付けたのだ。
誰のためとはあえて言うまい。
どうにかすると言ってしまったのだから、どうにかしないといけない。
こんなに手伝う気なんて無かったけれど、言ってしまったのは柊だ。なら、その言葉を嘘にしないためにも、最善は尽くすべきだろう。
しかして、毎度こんな調子では心身ともに疲れてしまう。次からは発言には気を付けようと心に決める。
これ以上何かしてみろ。それこそ、平穏な学生生活から遠ざかる。
今回、こうして交換条件を呑んだ事だって平穏から外れそうな行動だ。大事にならずに出来る範囲であれば良い。部屋を貸すのも、部屋に物を置くのだって良い。家に来るのもまぁ良しとしよう。
今回だって特別だ。それ以上の事は、流石に困る。
線引きはした方が良いだろう。どこまで許容して、どこまでを拒否するか。
そうしないと、多分柊はずるずると引っ張られて手を貸してしまう。手を貸せる範囲を誤認してしまう。
もう、あんな想いなんてしたくないのに……。
「柊、眉寄せない」
「ごめん……」
思わず険しい表情をしてしまっていたらしく、葉奈から注意されてしまう。
「ぼーっとすんのは良いけど考え事はしないで。表情変わるとやりにくいんだから」
「悪かったって」
「分かったらもう動かない。返事も良いから」
そう言われれば、柊だって返事なんてするもんかと思ってしまう。
葉奈の言葉に返事をする事無く、視線を斜め下に固定する。真ん前を向いてしまうと女子達と目が合ってしまうので、下を向くしかないのだ。
「あとちょっとだから我慢して」
それだけ言って、葉奈は説明を続ける。
葉奈に言われたからではないけれど、それからは特に何を考えるでもなくぼーっとして過ごした。
考えてしまえば、考えたくない事を考えてしまいそうだったから。
「よし、完成!」
髪留めを外して、柊の頭をぽんぽんと叩く葉奈。
完璧にメークの施された柊の顔を見て、女子達はおおっと感嘆の声を上げる。
今の柊はどこからどう見ても可愛いらしい少女そのものであり、様子を見ていた他の演劇部の部員達も感嘆の声を上げる程であった。
「今回は説明するためにゆっくりやったけど、次回からはもっと早くやるからね。それと人にやる練習と自分にやる練習もするから。ああ、メークする時は隣の準備室を使うから安心してね」
荷物に紛れて分かり辛かったけれど、部室の壁際には準備室へ続く扉があった。そこには衣装室と書かれたプレートが張り付けられていた。
その部屋があるのであればここでメーク講座をする必要も無く、また、次回から自分の顔や誰かの顔でメークをするのであれば、今回だって誰かにすっぴんになってもらってメークをすれば良かったのでは思った。
今更ながら思った事だけれど、恐らく二年と三年はすっぴんになる事に抵抗は無いだろう。何度もメークをしているし、皆仲間内だ。すっぴんを見せる事に対する抵抗感だってそんなに無いだろう。
二、三年に頼めば良かったのでは? と思ったけれど、口には出さなかった。お願いしたのは自分だし、交換条件を呑んだのも自分だ。メークの仕方を教えてくれるというのだから文句は言えない。
まぁ、二、三年も忙しなく動いていたので、単純に人手不足だったのだろう。
「それにしても、やっぱあんた化粧映えするわね」
「それを聞いても褒められた気がしない」
メークも終わったので、立ち上がって身体を伸ばす。
流石に長時間椅子に座ってるだけというのも疲れるものだ。
「普通の女子にしか見えない……」
「本当に男なの?」
「むしろ……男の娘?」
女子達は柊の顔を見てそれぞれの感想を口にする。
「じゃ、次回はまた別のメークするから、そのつもりでね。柊も、ちゃんと予定空けといてね」
「え、まだやるの!?」
「当たり前でしょう? 一通りはわたしがやって手本見せないといけないんだから。安心しなさい。毎週呼ぶわけじゃないから」
「長期的にやるのかよ……むしろ安心できない……」
「文句言わない。あんたが言い出した事なんだから」
「へーい……」
今回の一回限りだと思っていたけれど、どうやら一通り柊を使って実演するつもりのようで、思わず一つ溜息を吐いてしまう。
「柊、こっち向きなさい。手本用に写真撮るから」
「えー……」
「えーじゃない。こっち向く。真顔で良いから」
「はぁ……」
溜息を吐きながら、柊は葉奈の方を向いた。
やっぱり受けなければ良かったと、心の中で後悔をしたが、すでに後の祭りであった。
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