第5話 王子様の相談

 麗にお姫様抱っこをされて連れてこられたのは、当たり前だけれど保健室だ。


 椅子に座らされ、血塗れの鼻をタオルで押さえる。


「折れてないと思うから、暫く安静にしなさい。直ぐに血は止まると思うから」


「はい」


「気分が悪くなったら直ぐに言いなさい。病院に連れて行くから」


「はい……」


 流石に二日連続で病院に連れて行かれるのは嫌だ。絶対に医者にまた来たのという顔をされるはずだ。


「佐倉さんはもう授業に戻りなさい。後は私が見ておくから」


「いえ、心配なので、一応一緒に居ます。それに、授業もレクリエーションみたいなものですし」


「……なら静かにね。一応まだ授業中だから」


「はい。ありがとうございます」


 養護教諭は麗の物言いに何か言いたそうだったけれど、何も言わずに麗がここにいる事を許した。


 麗は柊の横に座り、柊の顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「ああ、まぁ……」


「そう」


 柊がなんともないと頷けば、麗は安堵したように息を吐く。


「……ありがとうな。運んでくれて」


「え、ああ。気にしないで。慣れてるし」


「いや、どんだけお姫様抱っこしてんだよ……」


「よくお願いされるからね。体育の時はやたら多いけど」


「まぁ、チャンスだろうからな……」


 体育であれば怪我をしてしまっても不自然ではない。足を挫いたとでも言って運んでもらっているのだろう。王子様も大変である。


 そんな風に話していると、保健室の内線が鳴る。


 養護教諭は内線を取ると二、三言葉を交わしてから、受話器を置く。


「ちょっと職員室に行ってくるわね。血が止まったら授業に戻る事。気分が悪くなったら直ぐに私か担任の先生に言う事。良いわね?」


「分かりました」


 柊が頷けば、養護教諭は良しと一つ頷いてから保健室を後にした。


 養護教諭がいなくなれば、柊と麗の二人が残される。


 柊としては先程の事と王子様とは言え女子にお姫様抱っこをされた気まずさから、何を話して良いのか分からずにそっぽを向いて黙っている。


 麗も先程の事が気まずいのか、柊から視線を逸らして自身の爪先に視線を落としている。


 いくばくかの沈黙の後、耐え切れなったのか麗が口を開く。


「さっきの話、今しても良い?」


 さっきの話とは、柊に聞いて欲しいという話の事だろう。


 養護教諭がいつ帰って来るか分からないけれど、このまま無言でいるよりはマシだ。それに、厄介事は早めに終わらせるに限る。


「良いけど……」


「ありがとう」


 言って、麗はすーはーと深呼吸をして、心を落ち着けてから話を始める。


「昨日、私がカチューシャをしていたのは見てたと思う」


「ああ、あの馬鹿みたいにでっかいリボンのついた」


「そうそれ。……率直な意見として聞かせて欲しいんだけど、私にカチューシャは似合ってたかな?」


 問われ、柊はカチューシャを付けた麗の姿を思い出す。


「いや、全然」


 思い出し、考える間も無く柊は答える。


 幾ら麗が女子で、スカートを履いていたとしても、見た目は完全に王子様だ。男らしいとか、男っぽい訳では無いけれど、とてもリボンのついたカチューシャが似合う顔ではない。


「そう、だよね……」


 柊の返答を聞き、麗は落ち込んだように肩を沈ませる。


「あ、いや……」


 麗の落ち込み様を見て、慌ててフォローを入れようとする柊。しかし、柊がフォローを入れるよりも速く、麗は言葉を紡ぐ。


「いいんだ。私にそういう可愛いものが似合ないのは、私が良く分かってるから……」


 言って、麗は自嘲気味に笑みを浮かべる。


 しかし、その笑みは柊には向けられていない。下を向いて、誰にも見せないように浮かべられている。


「……恥ずかしい話だけれど、私は可愛いものが好きなんだ。ぬいぐるみとか、リボンとか、マスコットキャラクターとか、そういう可愛いものが」


「へ、へぇ……」


 麗の意外な好みに、柊は素直に驚いてしまい、相槌が少しだけ上ずる。


 似合わないというつもりは無いけれど、麗の外見からは考え付かない意外な好みだとは思う。


「じゃあ、昨日のあれも佐倉の……?」


「いや、あれは宇月うづきさんの。私は、ああいうの一個も持ってないんだ」


 誰だ宇月。


 そう思ったけれど、話の本筋に関係が無いので尋ねたりしない。元より興味も無い。


「いつもは我慢をしてるんだ。ただ、昨日は教室に誰も居なくて……ちょうど、カチューシャが置いてあったから……」


「思わず付けてみてしまった、と?」


「まさか、君に見られるなんて思わなかったけどね……」


 言って、一つ大きな溜息を吐く。


「……授業の前に君に声をかけたのは、君が宇月さんに私の事を喋ったんじゃ無いかと思ったからなんだ」


 いや、誰だ宇月。誰なんだ、宇月。


「けど、君は宇月さんには言ってなかった。本当にごめん。勝手に君を疑ってしまって……」


「いや、別に……」


 宇月何某なにがしについての疑問が解消されていないけれど、それについて聞く雰囲気じゃないために聞く事が出来ない。話の本筋に関係無いと思っていたけれど、ここまで出てくると気になってしまう。


「ていうか、別に可愛いものが好きでも良いんじゃないのか? ギャップってやつで済まされるだろ」


「皆が求めてるのは完璧な王子様だ。王子様は、可愛いものなんて好きじゃ無いだろう?」


「いや、知らんし。場合に寄るんじゃないのか?」


「世の女子達のイメージする王子様像には合わないだろう?」


「そう言われれば、まぁ……」


 煌びやかで、華やかで、自分を特別扱いしてくれる美少年。確かに、そこに可愛いもの好きという付加価値が付く事は殆ど無いだろう。あるなら創作物の世界でのみだ。


「私は、皆の期待を裏切れない。それに……」


 そこでいったん言葉を区切る。そこから先を言うのを躊躇ってしまっているのだろう。


「それに?」


「……いや、何でもない。ともかく、私は皆のイメージを損なう事が出来ない。期待してくれている分には、それに答えたい」


「じゃあ、そのままで良いんじゃねーの?」


「良い、んだけど……ずっと我慢してたからか、可愛いものを見ると、ちょっと歯止めが効かなくて……隠れて可愛いものを摂取してしまうんだ……」


 歯止めがきかなくてついついカチューシャを付けてしまった、という訳だ。というか、可愛いものを摂取とはなんだ。表現が新しすぎて着いて行けない。


「ふーん」


「ふーんって……もっとこう、何か無いの?」


「特には。興味も無いし」


「ああそう……」


 柊の物言いに、少しだけ麗の口調も冷たくなる。


「だって話だけだろ? それとも俺に何かしてほしい事とか、言って欲しい事でもあったのか?」


「いや、特には……」


「ならふーんって言う以外にない。俺には何も出来ないしな」


「それは、そうだけど……」


 柊のごもっともな物言いに、しかし麗は不満げな視線を向ける。


 麗としては柊に何かしらを期待したのだろう。


 理解者が一人いるのと誰もいないのとでは精神的な安定感が違う。理解者、とまではいかないけれど、協力者くらいにはなってほしかったのだろう。


「安心しろ。何度も言うけど、俺は誰にも言わない。言う相手もいなければ、お前の言う通り言っても説得力も無ければ影響力も無いからな」


「うっ、それは……言い過ぎた。ごめん……」


「別に気にしてない。事実だし」


 言って、鼻に当てていたタオルを外して血が止まったかどうか確かめる。


 何度かタオルで鼻を触ってみるけれど、新しく血が付く様子は無い。


 ちらりと麗を盗み見る。


 授業の前、麗は疲れ切ったような顔をしていた。王子様でいる事に疲れたのか、可愛いものが好きなのを隠している事に疲れたのか、それともその両方か。


 どれにせよ、麗の完全無欠の王子様という姿は周りが勝手に抱いている幻想にすぎない。実態は完全無欠ではなく、可愛いものが好きという女の子らしい一面のある少女だ。


 そう、佐倉麗は王子様然としてはいるけれど、王子様ではないのだ。


 見た目や所作から王子様のように見えるけれど、柊からすれば、今の麗は幻想に振り回されているだけのただの女子高生だ。


 同情はする。けれど、同調は出来ない。何せ、柊には分からない部類の問題だからだ。


 日向と日陰。麗と柊の関係は面白いほどに真逆なのだ。


「……一つ、聞いても良いかな?」


 俯きながら、麗が言う。


「なに?」


「私は、どうしたら良いと思う?」


「分からん」


「ちょっとは考えてよ……」


「考えたって分からないものは分からない。俺はお前の事を表面的な事しか知らない。そんな俺が何言ったってお前にはしっくりこないだろ」


「しっくりくるかもしれないだろ? 物は試しに言ってみてくれよ」


「なら、可愛いもの好きを隠さない。周知させる」


「それは出来ないってさっきも言っただろ。私は皆の期待を裏切りたくない」


「じゃあ勝手にやってろ。今の俺にはこれくらいしか言えん」


 そもそも、昨日初めてまともに会話をしたのだ。そんな相手の何を知ったように言えるというのだろう。そんな相手に、いったい何を期待しているというのだろう。


 格言でも待っているのだろうか? 馬鹿を言うな。そんなもの、同級生の口から出てくるなんて思うな。


 助言でもまっているのだろうか? そういうのは近しい人間か人生の先輩がするものだ。遠い上に同い年だろうに。


 結局は、柊には何も出来ないのだ。きっと、麗が無意識に求めている言って欲しい言葉を、柊は言う事が出来ない。何せ、柊は麗の事をまったくもって知らないのだから。


「……今の君にそれくらいしか言えないなら」


「あ?」


「……もっと先の君なら、もっと違う事が言えるという事で、良いんだろうか?」


 俯いた顔を上げて、麗は柊の目を見る。


「――っ」


 その目はどこか疲れていて、それでいて、やはしどこか縋るようで……。


「私を知ってもらえば、君はもっと別の事を言ってくれるのか? 君は私を――」


 ――助けて、くれるか?


 乞うように、願うように、麗ははっきりとそう口にした。


 助けるなんて、軽々に口には出来ない。


 けれど、どうにも柊には、そんな麗の言葉を拒絶する事は出来なかった。しかし、完全に請け負う事もまた出来なくて。


「……ば、場合によると思う」


 なんて、どっちつかずな答えを出してしまった。


「そうか……」


 そんなどっちつかずな柊の言葉を聞いて、しかし、麗は嬉しそうにはにかんだ。そして――


「なら、助けてくれ」


 ――少しだけ泣きそうな笑みで、そう言った。

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