第4話 お姫様抱っこ二号

 午前の授業を三つ終え、お昼休みまでに乗り越えなければいけない授業は後一つとなった。


 しかし、その最後の一つが曲者だった。


 お昼休みを前に立ちはだかるのは体育の授業。運動が好きではない柊にとってはまるで拷問のような時間なのである。


 溜息を吐きながら、教室内で体育着に着替える。女子には女子更衣室があるけれど、男子にはそんな贅沢なものは無い。


 他の男子達はお喋りをしながら着替えているけれど、柊は一人黙々と着替えを済ませると、早々に教室を後にする。


 やる気がある訳では無いけれど、教室に残っている理由も無いので早々に教室を後にする。


 早々に校舎から出てもやる事は無い。柊以外に人はいないし、居たとしても話したりはしない。日向ひなたに座って時間が来るのを待つ。


「若麻績はああいうのが好みなんだな」


「――っ」


 ぼーっと座っていると、唐突に背後から声をかけられ、思わず身を震わせる。


 しかし、その声に覚えが無い訳では無い。


 恐る恐る後ろを振り向けば、そこには麗が立っていた。


「いや、お前……」


「金輪際関わるな、だろ? 思ったんだけど、それは若麻績の要望であって、私との約束じゃない。なら、私が護る必要も無いでしょ?」


「加害者なんだから被害者のささやかなお願いくらい聞いてくれても良いだろうが」


「それ以外なら聞いてあげない事も無い」


「……なら、言いふらされたくなかったら――」


「言いふらす相手がいないって言ったのは若麻績だろ? それに、私と若麻績、果たして皆はどっちの言葉を信じるかな?」


「ぐっ……」


 正論をぶつけられ、思わず呻いてしまう。


 金輪際関わるなと柊は強気に言ったけれど、そこに強制力というのはほとんど無い。有名人の弁と一般人の弁、民衆がどちらに耳を傾けるかなんて試すまでも無い。


 これで柊に麗程の人気があれば意見は二つに分かれるだろうけれど、言わずもがな柊に人気なんてものは無い。


 つまりは、何を言っても無意味だったのだ。生かすも殺すも麗の掌の上。


「……なら好きにしろよ。お前は人の嫌がる事をする奴だって、俺だけは憶えとくからな。そういうの、心底軽蔑する」


 視線を麗から外しながら、負け犬の遠吠えじみたことを言う。いや、じみた、ではないだろう。実際に負け犬の遠吠えだ。


 まぁ、自分なんて元々負け犬だ。なら遠吠えくらいさせて欲しい。それくらいの権利はあるだろう。


「あ、いや……」


 しかし、そんな負け犬の遠吠えで麗は思ったよりもダメージを受けている様子で、いつもの涼し気な表情が崩れて申し訳なさそうな表情になる。前を見ているので、柊にはその顔は見えないけれど。


「ごめん。そういうつもりで言ったわけじゃ無かったんだ」


「ああそう」


 麗の言葉を、柊は適当に流す。


「うっ……」


 そうすれば、今度は麗の方が呻き声を上げる。


 そして、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。


「その……ごめんなさい。本当に、若麻績を傷付けたかったわけじゃ無いんだ。ただ、ちょっと話をしたかっただけで……」


「俺はしたくない」


「少しで良いんだ! 少し、私の話を聞いてくれないだろうか?」


 縋るような、懇願するような、おおよそ、麗の口からは聞いた事が無い声音に、思わず柊は麗を振り返ってしまう。


 振り返った先にある麗の顔は申し訳なさそうで、けれど、どこか疲れきったような顔をしていた。


 そんな表情をしているだなんて思わなくて、思わず呆けたような顔をしてしまう。


「――っ。……いや、忘れてくれ。何度もすまない。若麻績に迷惑ばかりかける訳にはいかないな」


 しかし、麗は柊の呆けた顔を見て、すぐに自分がどんな顔をしているのか分かったのか、いつも通りの表情で言い繕う。


 いつも通り、ではあるけれど、先程の顔を見てしまえば、いつも通りだなんて思えなかった。


 柊から離れようとした麗の手を、柊は思わず掴んでしまった。


「――っ」


「あ、いや……」


 驚きまなこで見てくる麗に、柊は途端に冷静になる。


 いや、何してんだ俺。金輪際関わらない雰囲気だっただろうが。


 今なら何でもないと言えば許されそうな気がする。不承不承、期待外れながらも、麗も頷いてくれるはずだ。


 それが分かっているのに――


「話、だけなら……」


 ――柊は、思わずそんな事を言ってしまった。


 だって、仕方が無いだろう。柊が手を取った時、麗は確かに驚いたような顔をした。けれど、そのすぐ後に幼い子供が浮かべるような、安堵したような表情を浮かべたのだ。


 そんな相手の手を振り解けるほど、柊は人としての優しさを捨ててはいなかった。


 だから、思わず口にしてしまったのだ。


 それを今更引っ込める事など出来ない。何せ――


「ありがとう……」


 ――言われた本人は、とても嬉しそうにはにかんでいるのだから。


「――ッ」


 麗の笑みを見て、思わず息を呑む。


 時折見せる笑みも、麗は魅力的だ。王子様然としていて、整った顔から放たれる笑みは大勢を魅了し、その心をとろけさせるだろう。


 しかし、今浮かべた笑顔はそんなものとは非にならない程に魅力的であり、美しく、子供のように純粋な笑みだった。


 強く握り返される手を、思わず無理矢理振り解いてそっぽを向く。


「あ、とで……! 後で、連絡とか、してくれ……」


 無理矢理それだけ言って、話を終わらせる。


「あ、うん、分かった」


 急に振り解かれて驚いたような顔をする麗だけれど、昇降口から生徒が校庭に出て来たのを見て柊の反応の意味を理解する。


「それじゃあ、また」


「……ああ」


 去っていく麗の方を見る事も無く、柊は俯いたまま膝を抱える。


「馬鹿……ほだされるな。勘違いすんな。……分かってんだろ」


 小さく、けれど厳しい声音で柊は自身に言い聞かせる。


 それは柊にしか分からない自責の言葉。


「はぁ……」


 溜息一つ吐いて、柊は立ち上がる。


 そろそろ授業が始まる。一番早く来たのに遅刻になるなんて馬鹿げてる。


 体育はニクラス合同なので、校庭にはそこそこの人数が集まっている。


 校庭に集まってしばらくすれば、体育教師がやって来て授業が始まる。


「体力測定ばかりで飽きてるだろうからな、今日はサッカーをするぞ」


 体育教師の言葉に、体育会系の男子達は野太く気色の声を上げる。


 柊はインドアなので、サッカーだろうが嬉しくは無い。そもそも、体育が嬉しくない。


 女子達も、特に興味なさそうな顔をしている。


 体育教師からはめを外し過ぎないようにと注意が入り、いざ準備運動。心なしか早く終わった準備運動の後、男子達は集まってチーム分けをしていた。


 女子やサッカーに興味の無い男子は校庭の端っこで座ってお喋りに興じる。


 体育教師も、入学早々のオリエンテーションのような授業で厳しく言うつもりは無いのか、お喋りをしている生徒達を叱る事はしない。


 これは良いと柊も日蔭に入って座る。勿論お喋りをする相手なんていない。独りぼっちでまったりタイムである。


 と、思ったのだけれど。


「あ、君で良いや。ねぇ、一人足りないんだ。人数合わせで良いから入ってくんない?」


「え゛……」


 チーム分けをしていたクラスメイトからそんなお声がかかってしまった。


 何故自分にと思ったけれど、その理由は直ぐに分かった。


 あぁ、一人なのが俺しかいないからね……。


 そう、他の男子は最低でも二人組を作って休んでおり、そこから一人誘うのは残された方も引き抜かれた方も可哀想だ。三人組だとしても、引き抜かれた一人が可哀想になる。


 なら、最初から一人の奴を誘えば良い。可哀想だけれど、一人なら、どこに居たって変わらないよね? といった結論に至ったのだろう。


「……え、いや……」


「頼むよ! ジュース奢るからさ!」


「いや……」


 ジュースで酷使されるのも、ちょっと……。


 なんて思って断ろうとするけれど、誘ってきたクラスメイトの背後からこちらの様子を窺う視線が鋭い事鋭い事。


 ここで柊が頷かなければまた他の奴を誘わなくてはいけない。そうなれば、それだけ時間を食ってしまう。


 それが嫌なのだろう。早くしろと全員の顔に出ている。


 それに、柊を誘ってきたクラスメイトはイケメンだった。麗が居なければ、間違いなく女子達にチヤホヤされるくらいにはイケメンだった。いや、麗が居たとしても、彼を狙う女子はいるだろう。


 アイドルはアイドル。彼氏は彼氏。である。


 ここで断れば柊の心象が悪くなり、結果、クラスで孤立する事になる。


 一人でいる事は良い。けれど、敵だと認識されて一人にされるのは違う。それは、柊も望むべく所ではない。


「……分かった」


「ありがとう!!」


 柊が不承不承頷けば、イケメンは花が咲いたような笑みを浮かべる。


 やべ、めっちゃイケメン。


 アイドルとかモデルで食っていけるんじゃないかと思いながらも、柊は柊なりの要求をする。


「でも、俺何も出来ないから。突っ立ってるだけで勘弁して」


「大丈夫だって! 俺に任せてよ!」


 言って、イケメンは柊の肩を抱いてチームの元へ連れて行く。


 こうしてなし崩し的にチームに入れられ、柊はフィールドに立たされることに。


 柊のポジションは左サイドバック。ディフェンスをするポジションである。


 ディフェンスならばラインを上げたり下げたりはするだろうけれど、自チームが攻めている間は仕事は無い。イケメンはスポーツ万能と相場が決まっているので、柊の出番は無いだろう。


 そんな事を思っている間に試合開始キックオフ


 トップを務めるイケメンがボールを持って果敢に攻める。


「おー、うま……」


 するするとディフェンスを抜いて行くイケメンを見て、素直に感心する柊。


 一人でいる事を好むけれど、柊は別段他人を馬鹿にしてはいない。友達を作る事も良い事だと思うし、皆と仲良くする事も良い事だと思う。スポーツが上手いのも凄いと思うし、勉強が得意なのも凄いと思う。


 だからこそ、イケメンがサッカーが上手くても素直に感心するだけだ。


 凄い凄いと思っている内に、イケメンがシュートを決める。


「超エキサイティング」


 思わずぼそりと呟く。


「おー! 若ちゃんじゃーん! 頑張っばー!」


 試合に参加していながら観客気分の柊に外野から声がかけられた。


 声の方を見れば、そこには朝にプリントを写させた女子が居た。その女子と他二人の女子と座っている。


 他の女子二人に見られたので、柊は思わず視線を前に向ける。


「あー! 無視すんなー!」


 お怒りの声をいただくけれど、無視をする。


 試合に集中しないと怒られちゃうなー。


 なんて思っていたのがいけなかったのだろう、ボールを持った相手チームの選手が柊の前に来る。


「げっ……」


「前に出ろ!!」


 嫌そうな顔をしていると、誰かからそんな指示が出る。


 とりあえずボールを蹴りそうだったので避けるために移動する。が、その移動先が悪かった。避けるなら、インコースではなくアウトコースに避けるべきだった。


 インコース、つまりゴール側に移動してしまった柊に強烈なシュートが迫る。


 え。


 と思う間もなく、顔面に衝撃。


 バランスを崩してそのまま転倒してしまう。


「若ちゃん!?」


 女子生徒の驚いたような声と周囲の心配そうな声が聞こえてくる。


「い、て……っ」


 倒れた身体を起こしてボールが直撃した鼻を触る。


 触った瞬間に、ぬめっとした感触が。


 嫌な予感を覚えながら手を見れば、手のひらにべったりと鼻血が付着していた。


「げっ……」


「だ、大丈夫か!?」


 慌てた様子でイケメンが駆け寄ってくる。


 が、それよりも速く誰かが柊へと駆け寄って、その身体を持ち上げる。


「え……?」


 柊が困惑の声を上げる。が、同じタイミングで、周囲も困惑の声を上げる。


「は……?」


 自身を持ち上げた者の顔を見れば、更に困惑は深まる。


「大丈夫?」


 心配そうに柊の顔を覗き込むのはフィールドに居た男子生徒でも無く、体育教師でも無く、佐倉麗だった。


「いや、なん――」


「嫌だろうけど、我慢して」


 強い口調でそれだけ言って、麗に運ばれる。


 運ばれながら、柊はどうでも良い事を思う。


 あ、お姫様抱っこ二号になっちった……。

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