第2話 宍倉先生

「……」


「……」


 お互いに見つめ合ったまま数秒間停止する。


 脳の処理が追い付かない。


 だって、目の前に居るのは鹿嶋田高の王子様だ。その王子様が、完全無欠の王子様が、放課後の教室で一人で頭に馬鹿みたいにどでかいリボンのカチューシャを付けているだなんて思わないじゃ無いか。


 どれくらいの時間が流れただろう。


 二人は見つめ合ったまま動かない。否、動けない。


「……」


「……」


 更に数秒経って、麗が動いた。


 無表情でカチューシャを外し、机の引き出しの中に入れる。


 そして、竹刀袋から竹刀を取り出して確かな足取りで柊の方へと歩み寄る。


 あ、死ぬ。


 そう直感した柊は即座に教室から出て行く。


「待て」


 逃げる柊を追って、麗が走り出す。


 嫌に低い声での制止の声に柊は従わない。


 やばいやばいやばいやばい! 殺される! 絶対殺される! 見ちゃいけないやつだったんだ! 見たら死んじゃう系の都市伝説みたいなやつだったんだ!!


 必死に柊は逃げる。


 課題の事は頭からすっぽ抜けていた。そんな事よりも柊は命の方が惜しい。


「待て」


「嫌だぁ!!」


「何もしないから」


「するだろ! その手に持った竹刀で俺を殺すんだろ!?」


「大丈夫、持ってないから」


「せめて竹刀を隠してから言ってくれるか!?」


 竹刀を手に持ったまま言われても説得力の欠片も無い。


 運動能力は麗の方が高い。柊も必死に走ってはいるけれど、直ぐに追いつかれてしまうだろう。


「ひぃぃぃぃぃ……っ!!」


 ちらりと後ろを振り返ればすぐそこまで麗は迫っていた。


 圧倒的無表情。


怒っているのかも怒っているのかも怒っているのかも分からない。いや確実に怒っているのは確かだ。つまり何が言いたいのかというと、絶対に怒っているという事だ。


 後ろを向いてしまったからか、慌てた思考をしたからかは分からない。


「あっ!?」


 足を絡ませ、思いっきりずっこけてしまう柊。


 こけた事は直ぐに分かった。逃げられない事も分かった。


 だから柊は転びながらも必死に上半身を起こして麗の方を向いた。


「待って! 話しあ――」


「問答無用」


 直後、竹刀が柊の額を打つ音が廊下に響き渡った。それ以降の記憶は無い。



 〇 〇 〇



「それじゃあ、なんで佐倉は若麻績を竹刀で打ったんだ? 面をしていない相手を竹刀で打っちゃいけない事くらい、お前なら分かるだろ?」


「うっ……はい……」


 誰かの会話が聞こえてくる。


「ぅ……いっつ……」


 声が煩かった訳では無いけれど、柊は起き上がる。


 自分が寝ている事に違和感はあったし、声が聞きなれないものだったために、起きざるを得なかった。


「ここは……」


 柊がいる場所はベッドの上。加えて、ベッドはカーテンで仕切られている。つまりここは保健室だという事だ。


「我ながら名推理。いや、馬鹿言ってる場合か」


「お、若麻績、目ぇ覚めたか?」


 ぶつぶつと独り言を言っていると、カーテンが開かれる。


 カーテンを開けたのは、柊達の担任である宍倉ししくら実生さねみだった。乱暴な口調とは裏腹に生徒思いであり、男女ともに人気の教師だ。出るとこが出ていて、引っ込むところが引っ込んでいるので、特に男子から人気が高い。


「あ、はい……」


「頭は大丈夫か? 痛みは? 眩暈とかは無いか?」


「まぁ、はい……」


「……どっちなんだ」


「大丈夫です。多分……」


 痛いと言えば痛いけれど、それだけだ。それ以外の不都合は今のところない。


「そうか。けど、一応病院の方に――」


「あ、面倒くさいで良いです」


「いいわけあるか。先生が送っていくから、荷物の準備しなさい。良いわね?」


「はぁ……」


「佐倉は、今日はもう帰りなさい。明日また話は聞くから、その時にはちゃんとこうなった理由を説明しなさい。良いわね?」


「はい……」


 宍倉に言われ、佐倉は珍しくとても落ち込んだ様子を見せていた。


「あ、その前に……」


「何?」


「その、若麻績くんと話をさせてくれませんか?」


 ちらりと申し訳なさそうな目を向ける麗。


 いや待て。俺に話す事なんて無い。頼む先生。断ってくれ。


「若麻績、車回してくるからちょっと待ってて」


「……はい」


 宍倉は麗に気を遣わせたのだろう。それだけ言って、保健室から出て行った。


 世の中は無情だ。気を遣わせる相手はいつだってその人のお気に入りなのだ。その人以外の事なんて一ミリだって考えられていないのだ。


「……」


「……」


 二人残され、残るのは沈黙のみ。


「……あの、若麻績」


「な、なに……」


「その……ごめんなさい」


 ぺこり。麗は頭を下げて柊に謝罪をする。


「いや、別に……」


 良いよと言えば済む話ではあるのだろうけれど、どうにも上から目線な気がして別にだなんて曖昧な言葉しか出ない。


 正直滅茶苦茶怖かった柊だけれど、文句を言える程柊は強気にはなれない。だって逆ギレされても怖いし。それに、そんな度胸も無い。


 それ以上の対応をしかねていると、麗が頭を上げる。


 相変わらずのご尊顔は申し訳なさそうに眉を下げており、そんな顔ですら様になるなんて場違いにも思ってしまう。


「……あと、一つ聞いて良い?」


「何すか……」


「…………見た?」


 躊躇いがちに麗の口から問われる。


 何を、とは言わなくても分かる。あのどでかいリボンのついたカチューシャを付けていたところを、であろう。


 今回の事といい、口に出さずに問うところといい、どうにも他人には知られたくない事のようだ。


 嘘は通用しないだろう。そもそも、嘘を吐いたところで意味が無い。何せ柊はちゃんと見てしまっているし、麗はちゃんと見られてしまっている。


「うん」


 一つ、柊は頷く。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 頷いた柊を見て、麗は大きな溜息を吐いてその場にしゃがみ込んでしまう。


「お、おい、大丈夫か?」


「大丈夫じゃない……」


 柊が問えば、覇気の無い声が返ってくる。麗のこんな声は今まで聞いた事が無い。そもそも、麗と会話なんてした事無いけれど。


「ずっと注意してたのに……見られないように気を付けてたのに……」


 哀愁漂う雰囲気を醸し出し、深く落ち込んだ様子を見せる麗。


 見られないようにというのは、あのカチューシャを付けていた事だろう。注意していたという事は、たびたびこういうことをしていたのだろう。常習犯という訳だ。


 しかし、柊は落ち込んでいる麗に言葉をかけない。何を言っても麗には響かないだろうし、そもそも何かを言おうとも思わない。


 こっちは怖い思いをした上にしないで打たれて気絶までしたのだ。何か言葉をかける義理も無いだろう。


 早く宍倉先生来ないかなーと思いながら、柊は麗から視線を外す。


 スマホを取り出し、SNSを眺める。


 問答は終わった。麗が聞きたい事も聞けただろう。だったら、もう話す事も無い。


 そう思ってスマホを見ていたのだけれど、唐突にスマホを奪われる。


「あっ」


 手が伸びてきた方を見れば、そこには少しだけ怒った顔をした麗が立っていた。


「何……?」


「……誰にも言わない?」


「ああ、さっきの事か? 言う訳無いだろ。ていうか、言う相手も居ないし」


 そもそも、柊が誰かに話したところで柊の話を信じる者など居ないだろう。相手は完全無欠の王子様だ。完全無欠のモブキャラである柊の言葉なんて信用しないだろう。そも、お前誰と言われて会話を切られる可能性の方が高い。


「……若麻績、友達居ないの?」


「ああ」


「……そう」


 若干視線に哀れみが籠る。


 その視線に苛立ちを覚える。


 麗の手からスマホをひったくるようにして奪い返すと、柊はベッドから降りる。


「お前の事なんてどうだって良い。誰かに言いふらす気も無いし、相手だって居ない。もうお前と金輪際関わる気も無い」


 ベッドの脇に置かれていたリュックを背負い、麗を避けてベッドから離れる。


「先生に聞かれても適当に答えるよ。それで良いだろ?」


「あ、ああ……」


「ならお前も俺に金輪際関わるな。良いな?」


「え、いや、それはどうだろう。学校行事とかで、関わらなくちゃいけない時もあるだろうし……」


「……じゃあ、自発的に関わろうと思うな」


「わ、分かった」


 麗が頷いたのを見て、柊はよしと一つ頷く。


「若麻績、車を回した。病院に行くよ」


 ちょうどタイミング良く宍倉が保健室に入って来た。


「あ、はい」


 頷き、それ以上特に何を言うでも無く宍倉に着いて行く。


「佐倉も、もう帰りなさい。良いね?」


「はい……」


 頷くけれど、麗はその場を動こうとはしない。それはそうだろう。金輪際関わるなと言われた相手と一緒に歩こうだなんて思うはずが無い。


 そんな麗に、宍倉は特に何を言うでも無く保健室を後にする。


 宍倉の後に着いて行けば、昇降口の直ぐ近くに車が停めてあった。


「さ、乗って」


「はい」


 正直、教師の車に乗るのは抵抗があるけれど、有無を言わせぬ態度には屈するしか出来ない。


 恐る恐る車に乗れば、宍倉はゆっくりと車を出す。


 特に話す事も無いので窓の外を見ていると、宍倉の方から声をかけてきた。


「さっきの、あれは言い過ぎなんじゃないか?」


「え?」


「金輪際関わるな、だ。出会って二週間のクラスメイトに、あれは言い過ぎだと私は思う」


 教師らしく、叱るような口調で宍倉は言う。


 それだけで、柊は宍倉が先程の会話を聞いていた事に思い至る。


「盗み聞きの方が良く無いと思いますよ」


「たまたま聞こえただけだ。扉が開きっぱなしだったからな」


「そうですか」


 宍倉の弁に、あまり納得した様子を見せない柊。


 聞こえたにしても聞いてたにしてもどうでも良い。柊の答えは変わらないのだから。


「急に竹刀で叩いてくるような奴と仲良くしたいとは、俺は思わないです」


「何かしら理由があったんだろう。それで、何があったんだ? 佐倉があんなことをするなんて余程の事だろう」


「二週間で化けの皮が剥がれた可能性もありますよ?」


「ははっ、確かに、それも否定できないな」


 柊の言に宍倉は愉快そうに笑う。


 思っていた反応と違い、柊は思わず面食らってしまう。


 そんな柊を見て、宍倉は大人の余裕をうかがわせる笑みを浮かべる。


「佐倉ともまだ二週間の付き合いだ。幾つか猫を被っていたって私にもわかりゃしないさ」


「そーすか……」


「それで、本当に何があったんだ? 先生としてはそこが知りたいだけなんだ。今の私の所感では、佐倉は考え無しにあんな事をする子じゃないからな」


「……どこまで聞こえてたのか知らないですけど、言わない約束したんで言えないです」


「それじゃあ私が困るんだが?」


「じゃあ俺が佐倉の下着姿見ちゃった事にでもしておいてくださいよ」


「それは真実じゃ無いだろう?」


「なら断言します。俺が佐倉の下着姿を見てしまって、慌てた佐倉が俺を竹刀で打った。以上です」


 言って、柊は宍倉から視線を逸らして窓の外を見る。まるで、もうこれ以上話す事は無いとばかりのその態度に宍倉は思わず苦笑を漏らす。


「馬鹿だな、若麻績は」


「ですかね」


 宍倉の言葉に、若麻績は適当に返す。


 それ以降、特に二人が会話をする事は無かった。


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