035//慈悲の国で_3

―――ふぎゃあふぎゃあ


赤子の泣き声が聞こえる。



風が強いね、こんな日は外に出てはいけないよ。


――どうして?


おまえが連れて行かれては困るからさ。


――風なんかで飛んでかないよ。


こんな風の強い日にねぇ、おまえは家に来たんだよ。風が運んできてくれたんだ、私におまえをね。遠い遠い地を繋ぐ、魔風フィーマに乗せて。だからまた、おまえを運んで行かれないように私はおまえを家に入れておきたいのさ。


――どうして?


ほら、そんなふうに。おまえはすぐに、何処かへ行ってしまいそうだからね…


――大丈夫。俺は何処へも行かないよ。


  だって…

  ここにはこんなに、食糧があるんだから。



あれもこれもそいつもこいつも、ただの肉。

ただの喰い物。

喰らえ。喰らうんだ。

ただの肉。

喋るからってなんだ?

喰え。喰えば良い。


―――セナ――――


違う。


「セナ」


違う。


「セナ」


さあ、殺すぞ!!


――殺らなきゃ、殺られる。

  殺らなきゃ―――


殺すぞ、****!!


あぁ――

…どうか… ツァドキ… ―この子に―

――セナのこどもに…貴方の、加護を…



こんな風の強い日にね、おまえは家に来たんだよ。だからまたおまえが風に乗って行かないように、家に居て欲しいんだ。


――大丈夫だよ、何処にも行かない。

  だって


  だって俺は、 ジイさんも姉さんも、大好きだから―



――ふぎゃあ、ふぎゃあ。


赤子の泣き声が聞こえる。


老人は、月の照らす夜道を家へと向かう。

風の強い日。

強い風の音に混ざって、小さく聞こえる声がある。

その泣き声に気が付いて、足を止めた。


「――? 何処にもこどもなんぞ…」


―ふぎゃぁ。


何処からともなく響く泣き声。

その時、老人の背後で空間が乱れた。


「―――!?」


急速に収束する空気。

強い風が集まっていく。


「!!」


旋風は弾け、其処に遥か彼方からの忘れ物を残していった。


ふぎゃあ、ふぎゃあ。


「 ! …この子は…」


土の上で震えながら泣き続ける赤子。

いつの間にか風は止んでいた。



「おじい様おかえりなさい。その子はなぁに?」

老人は風の運んできた赤子を自宅へ持ち帰った。

駆け寄ってきたのは老人の孫娘。

「今日からおまえの弟だよ」

赤子は老人の手の中で大人しく眠っていた。

「わぁ。かわいい!」

少女は弟と聞いて嬉しそうに覗き込んだ。

初めての兄弟だ。

老人は月の一族。

この赤子は恐らくセナの一族。

孫娘は月の血統ではないが、うまくやっていけるだろうか。

この子に封印を施して、一緒に暮らしていこう。

人間の中で暮らしていけるのか、在りのままに生きるのが幸せなのか。

いつかこの子が人を喰らってしまった時は、…その時は、ツェク・マーナとして生きていけるよう、人をちゃんと食糧と見れるように、責任を持たなければ…。

「ねぇ、おじい様」

「ん?」

「この子の名前は?」

「ふむ…何が良いかね…」

「決まってないのね? じゃあ―」


「じゃあ、グールだ」

「よし、じゃあグールな」

違う。

俺は―

「グール~」

茶色の髪がはねる。俺に向かって手を振る。

橙色の髪が揺れる。俺に向かって指を差す。

「今日からはグールなんだからね」

「今までがどうであれ―」

「グールはグールでしょ?」


ほら、今。助け合って旅してんじゃん。



こんな風の強い日にねぇ、おまえは家に来たんだよ。魔風フィーマに乗って。だからまたおまえが風に攫われて行かないように、家に居て欲しいんだよ。


――大丈夫だよ、何処へ行っても。

  だって


  暖かい羊の群れが、護ってくれるんだ。

  風にも嵐にも負けない、強い強い羊たちが。


そうか。

安心した。




「―――アレ?」

朝。

家主の少年が、起きてきたグールを見るなり驚いた表情カオをした。

「セナ…」

呟いたきり、グールの顔をじぃいっと見つめる。Kも倣ってみたけど、特に変わった様子はない。

「?」

じっと見られてる本人も落ち着かない。無視しようとしてたみたいだけど、し切れてない。

「――なんや」

あ、負けた。

「セナ、なんか変わった…。安定してる…って言うか」

? 今度は少年がグールの目を覗き込む。

「え、ちょっと、そんな事したらまた…」

変な事に、と少年の肩に手をかけるa。

「たぶん、大丈夫…セナは…」

「―…」

慌てるaと不可解な台詞を吐く少年と、ゆっくりと目を閉じるグール。何が何だかさっぱりついていけません。

「なに、グールなんかあったの?」

こっそりとaに耳打ちする。

「あ、や。何だか解んないけど昨日ああやったらグールの様子が…」

「―?」

不思議そうに目を開けるグール。

なんだ、やっぱり何の変化もない。本人さえ何が不思議なのかも解ってないみたいだ。

「やっぱり。セナ、血の封印が安定してる」

少年がaと何か話し始めたけど、さっぱり内容が掴めない。

隣を見ると、シールも興味薄そうにしてる。

少年の話はまだ続くようだけども…

「えーと…。よく解んないけど、次はコクマだよ?」

「え、お、」

あまりに唐突に入りすぎたか、少年とaがうろたえて見える。少年にいたっては、「こんなのがセナの仲間…?」なんて失礼な呟き付きだ。仲間なのかな。どうなんだろう。仲間ではあるか。

「…」

話題はグールの事らしいのに、aたちと違って当のグールはボケッとしてる。ちょこんとKを見つめるもんだから、ダメなこと言っちゃったのかなと思い始めた。だってシールも回復したみたいだし、さっさと次行きたいんだけど。

「え、何。何か支障あんの?」

なら留まってもいいけど…。少年は喜んで泊めてくれそうだし。

グールを見上げる。

「いや、ない」

何か考えるようにしてたくせに、あっさりと頷いた。

んー、…まぁ。

「色々あるみたいだけどさ」

悩ましきお年頃なんだろうか。そんな考えたって仕方がない事で、よくも迷う。

「血とか生まれとか。今更グールが変わるわけじゃないし。どーでもいいじゃん」

実際。『自分』なんて探すものでも考えるものでもないだろうに。今此処に居る自分と歩んできた過去が全てなんだから。探したって考えたって、過去と事実は変わらない。どんなに見つめて、何を知ったって変わるものでも変えられるものでもないんだから、仕方ないだろうに。

グールは苦笑とも取れる笑みを零した。でも、なんだろ。多分そんなに不快ではない笑顔。

「Kおまえな」

「いや、ええよ」

怒ったのはaで、でもグールが遮った。

そのまま、グールがわしわしとKの頭を掻き乱す。

「うわ。なんだよ、やめれ」

わしわし、わしわし。

や、もう本当にやめて下さいって。これ以上髪爆発させないで。やめてって、勘弁!

「おまえは楽でええなぁ」

「どーゆーイミ」

手を退けろ。



「――…」

「…」

わしわしやられてるKの横で、シールとaが静かに目を合わせてた。

「いいの?」

やがて口を開いたのはa。

「何が。おまえこそ放って置いて良いのかアレ」

向こうではまだKが羽交い絞めにあっている。

「―…そうは言ってもね。アタシは役に立てなかったみたいだし」

「あーもうっ。シール助けてーっ」

頭をぐしゃぐしゃにされたKが逃げてくる。

「あ?」

「えっ、なんで機嫌悪そうなの。あ、体調まだ…」

「完治した」

「ならなんでさ…」

騒がしい空気の中で、aにも声が掛かる。

「おい」

「え?」

呼び掛けたのはグール。何処か明後日の方向を見たままぼそりと言った。

「ありがとうな」

「―――え?」

何が??と心底不思議そうに尋ねられ、グールが苛々と頭を掻く。

「~―あ~、ほらっ、話…聞いてもろたり…色々やっ。言わすな阿呆」

「や、あれはアタシから―…わ」

「じゃかぁし。礼は素直に受け取っとき」

くしゃっと頭を撫でられる。慣れない感覚でくすぐったい。ぼうっと頭に手を伸ばして、髪を直す。

「―――うん。…どういたしまして」




「じゃあお世話になりました」

少年宅に別れを告げる。

「うんっ、セナ! また来てね!」

ぶんぶんと元気に手を振る少年。うん、K無視だ。

「―あぁ、気が向いたらな」

主に、Kの。グールが一人でまたここまでやってくる可能性は相当低い。a付ならなんとかアリかも知れないけど。

うーん、なんでK少年に嫌われてるんだ?


「さ、じゃあ行こうか」

フェニックス君に乗ろうとして、何か変な空気に気付く。

「あれ? どうかした? 二人とも」

aとシールが目を見合わせて止まっている。

「乗らないの?」

二人は暫しの沈黙の後、意味の解らない事を言った。

「俺がおまえの後ろか?」

「グールあたしの後ろでいいの?」

「はい??」

きょとんだよ。それは何、つまり?

「え――――っと。偶には逆が良くなった? とか?」

さっきからふたりでなんか話してたけど、そういう相談してたのか?

「むー、なんだろう。何となくKの後ろはシールだと思い込んでたや」

何故か。そう言えば最初の頃シールは龍がいいって言ってたもんな。

「俺も。それにコイツの後ろなんてよう乗らんわ。いつも通りでええやん」

「Kもグールなんか乗せたら落としちゃいそうだよ」

ムカつく奴。本当に落としてやろうかなもう。

「「…」」

ふたりはまた目で会話してる。なんだよ、仲良しさんだなふたりとも。

「ならいい」

「はぁ? なんだったのさ?」

いつも通りの配置で空へ向かう。

「おまえはラクでええなぁ」

何かよく解んないけど、小馬鹿にされたみたいでムカついた。

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