『わたしを離さないで』  クローンのアイデンティティ

 カズオ・イシグロ氏原作映画。


 キャシー・Hは、恋人のトミーと手術台越しに見つめ合うところから始まる。


 場面は、キャシーの幼少期に巻き戻る。

 

 なんらかの理由で集められた子どもたち。

 

 一風変わった様子のトミーは、周りに溶け込めずにいた。

 怒り狂ったトミーは、はずみでキャシーを殴ってしまう。

 キャシー・Hは、トミーという少年と仲良くなる。


 キャシーの中に淡い恋心が生まれる。

 キャシーは、トミーのくれたテープから流れる音楽に酔いしれる。


 先生から衝撃の言葉が告げられる。

  

 スクールの生徒たちは、臓器提供の為に生まれてきた子どもたちだった。

 大半は若いウチから臓器を取られて死んでしまうと。


 翌日、先生が退職する。


 トミーがルースとキスをする場面を目撃した。

 二人はそのまま付き合いを始める。

 キャシーは思い悩むが、現状を変えることができなかった。


 



 テレビドラマのまねごとばかりするルースに、キャシーは違和感を覚える。

 トミーが学生時代、前の人を真似て喫茶店でのオーダーを取ったことを思い起こさせる。

 

 ルースの両親を、外出先で見つけた。

 一緒に会いに行こうと誘われる。


 ファミレスで全員が「ソーセージと卵とポテト」をオーダーする。

 全員の行動には、まるで自主性がない。


「男女が愛し合っていると判断されたら、臓器提供が一年免除される」

 という噂を耳にしたカップルは、申請先を問い詰める。

 だが、「そんな噂は全部ウソでしかない」と、真相を告げる。


 気を取り直して、ルースの両親に会いにいく。

 それっぽい人を見つけたが、シカトされる。

「自分は劣化コピーなんだ」と、ルースは自分を責める。

 

 その後、三人は離ればなれに。



 さらに10年後、介護人としての仕事を始めたキャシーは、提供者として入院しているルースを発見した。

 枕元には、馬の置物が。学生時代にルースが持っていたものだ。


 トミーとも再会し、三人は難破船を見つけることを口実に昔話を始める。



 ディストピアを舞台に、クローン人間たちの生活が描かれる。

 彼らは、ただ臓器提供されるために生まれてきた人々だ。


 だが、オレは見ていてどうも違和感があった。

 色々な感想を見て回って分かったのは

「誰一人反逆しない」

 ことだ。


 だいたいこの手のSFだと体制側に反対する勢力などが生まれるのだが。


 全体的に、そういった感情的な人間は出てこず、ユルい。

 

 ささやかな抵抗と言えば、絵を描いて

「自分たちはアイデンティティがあります」

 主張するくらい。

 

 

 が、認知してくれとまでは要求しないのだ。誰一人として。

「臓器提供の期間を延長して」

 この映画に漂うのは、そういった諦観である。

 

 

 映画のラストで、キャシーは語る。


「分からないことがある。臓器提供する側と、される側の差である」

「どちらも同じ人間ではないのか?」



 だが、彼らは人として生きることを諦めてしまっている。

 この矛盾は、最後まで埋まらない。


 本当の絶望は、あきらめなのだ。


 

 ちなみに、アンソニー・ホプキンス主演の「日の名残り」もカズオ氏原作である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る