『アメリカン・サイコ』 実は猟奇殺人がメインテーマではない!?
パトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベール)はエリート副社長である。
一流大学を出て、トム・クルーズ宅と同じエリアに住む。
出勤前には顔のむくみにまで神経を注ぎ、毛穴までしっかりとケアする。
典型的なエリート、成功者だ。
しかし、彼の本性は連続殺人鬼である。
仕事や飲み会でイヤなことがあると、彼の凶行が始まる。
仕事を斡旋すると見せかけて、ホームレスをメッタ差しにする。
何事のなかったかのように、翌朝「悪魔のいけにえ」のビデオを流しながら筋トレ。
コールガールを誘い、別名義で借りたマンションで3P。
女性たちがポカーンとする中、自分の音楽の趣味を自分語りする。
「●●の魅力はこういう部分だ。この曲から、彼の音楽性が開花したのだ!」
と語る姿は、ポンバシで語るヲタとなんら遜色がない。彼らにすら失礼に当たるかも。
行為中も、女性よりも鏡に映る自分に夢中だ。
このナルシストぶり!
あるとき、ライバルのポール・アレン(ジャレッド・レト)を、自分の隠れ家へ招待する。
彼はついに、目障りなポールまで殺してしまう。
「名刺が自分より質がいい」というだけの理由で。
実はこの映画「サイコ」という言葉を使っているが、サイコパスを扱った映画ではないらしい。
精神科医の分析だと、サイコパスの持つ特徴にはどれも当てはまらないのだという。
プロですら、サイコパスの描写をミスるのだ。
本作が、本当にサイコパスを描きたかったどうかは知らないが。
実はこの映画、猟奇殺人の恐怖や人間の異常性がテーマではない。
テーマは狂気ではなく「没個性」なのだ。
中盤で、ウィレム・デフォーが探偵役として登場する。事件も進展する。
だが、本作のテーマは事件ではない。
「イケメンがめっちゃ集まったら、全部同じ顔」
という、「没個性」こそがテーマだったのだ。
登場人物は基本、同じスーツやファッションに身を包む。
名刺ですらも、周囲の人達となんら変わらない。
ひどいことに、
「パトリックとアレンの見分けが付いてない人物」
まで現れる。
クリスチャン・ベールとジャレット・レトの、区別が付かないのだ!
競い合いすぎてお互いの個性を殺してしまっているという皮肉が、この映画には込められている。
このテーマ性は、ちょっと面白い。
パトリックは、この埋没した個性から、「殺人」という形で脱却したかったのかもしれない。
「俺は人とは違うことをしてやったぜ!」
といった焦りが垣間見られる。
表テーマの他に、裏テーマを仕掛けると、物語に深みが増す。
Netflixで視聴したが、ウィキと全然声優さんが違う気がした。
演技は特に気にならなかったからいいけど。
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