第38話 魅了の力は継続中?

 オウマ君が、インキュバスの力を制御できるようになった。それは、彼にとってはもちろん、我がアルスター家にとっても、非常に待ち望んでいたことだった。


 なぜならその報酬として、資金援助をしてもらえるから。


 その約束通り、あの後オウマ家から我が家に対して正式に資金援助がされ、さらには資産運用のアドバイザーまでつくことになった。

 お父さんの事だから、お金が入ってもまたすぐに散財してしまうんじゃないかって不安もあったから、嬉しい限りだ。

 そのお父さんはと言うと、上手くいったと報告したとたん、天にも登るくらいの浮かれようだった。


「シアン、よくやった。父さんは嬉しいぞ。アルスター家存続を祝して、今日はパーティーだーっ!」

「はいはい。あんまりはしゃぎすぎないでよ」


 浮かれすぎて、少し心配になるくらいだ。

 ともあれ、そんな誰もが望んだハッピーエンドを迎えてから数日後。学校の昼休み、私はホレスのいる『歴史研究部』を訪れていた。


「最近、オウマ君やその周りの様子はどうだ? 力が制御できたことで、少しは変わったか?」


 オウマ君が力の制御をできるようになってからも、ホレスは相変わらず、インキュバスに対する興味が消えることはなかった。あれからも毎日、我が家から借りたオカルト資料を読みあさっているし、今もこうしてオウマ君の近況を聞いてくる。


「まず、エイダさんが突然、大勢の人の前で、自分が今までしてきた悪事を暴露したでしょ。おかげで大騒ぎになったよ」

「ああ、それは俺も知ってる。と言うか、直に見物に行った。魔法の力に操られた人間がどうなるか、見届けたかったからな」


 エイダさんがそんな奇行に走ったのは、オウマ君のオウマ君が全力で魅了の力をかけ、その上で命令したためだ。ホレスにしてみれば、さぞかし興味深い案件だっただろう。


 学園の女王とも言える彼女の告白は大きなスキャンダルになり、エイダさんはその後、体調不良を理由に無期限の休学となった。

 噂じゃ、親から勘当同然の扱いを受けている、なんて話もある。

 少しかわいそうだけど、私以外にも彼女によって酷い目にあわされた子は多いらしいし、どこかで反省する機会は必要だったのかもしれない。

 とにかく、エイダさんの話はこれで終わりだ。


「それじゃ、他の女の子達はどうなってる? 」

「うーん、そう言われてもね……」


 エイダさんはともかく、それ以外の女の子に関しては、なんとも微妙というのが現状だった。


「前みたいに熱狂的にアプローチする子は少なくなったけど、カッコいいって言ってる子は、今でもいるんだよね」


 少し前までと比べると、オウマ君の人気は確実に落ち着いてきている。とはいえ、決してゼロにはなっていなかった。


「けど他の子達は、あのエイダってのと違って、いちいち想いを忘れろって命令したわけじゃないんだろ。その子らにしてみたら、今まで魅了されてたって自覚もないし、力を押さえても、今までの名残である程度の人気は残るんじゃないのか? オウマ君、素でイケメンなんだしよ」

「ああ、なるほど。でも、本当にそうなのかな?」


 ホレスの説明を聞いてある程度納得するけど、それでも私は、どこか不安をぬぐえないでいた。


「ねえ。今さらだけど、オウマ君の魅了の力、本当に制御できるようになったんだよね」

「多分な。オウマ君もそう言ってるし、実際、彼の人気も落ち着いてきてるんだろ。って言っても、直接目に見えて判定できるものじゃないからな。何か、気になることでもあるのか?」

「ううん、念のため聞いてみただけ。それじゃ、お弁当を食べる時間が無くなるから、もう行くね」


 そう言って、歴史研究部の部室を後にする。だけど、廊下に出て扉を閉めたところで、ふっと大きくため息が漏れた。


「どうしよう……」


 今の話を聞いた限りじゃ、少なくともホレスは、オウマ君の持つ魅了の力は制御できるようになったと思っているだろう。そして、それは多分、オウマ君本人も同じだ。


 だけど私は、私だけは、どうしてもそうだとは思うことはできなかった。

 なぜなら──


「じゃあ私は、どうしてオウマ君を見るとドキドキするのさ」











 ホレスと別れ教室に向かう途中、頭の中に浮かぶのは、ここ数日に起きた、自身の変化についてだった。


 私がエイダさんに連れ去られたあの日、色々あって、オウマ君が力の制御ができるようになった──はずだった。


 だけど、それ以来、私はずっと、オウマ君を見ると、近くに寄ると、その度に胸の奥が熱くなり、ドキドキと心臓が高鳴るようになっていた。


 あまりに苦しいから、最初は、生気をたっぷり吸いとられた影響なのかなと思っていた。他にも、人工呼吸みたいなとものとはいえ、キスまがいの事をした気恥ずかしさが原因かとも考えた。


 だけどいつまでたっても収まる事のない胸の高鳴りに、きっとそうじゃないと思いなおした。


 男の子を思ってドキドキする。思い切りベタだけど、私だってこれで何も気づかないほど鈍くはない。自分に起こった変化を思うと、出てくる答えは一つしかなかった。


「どうしよう。オウマ君の持ってるインキュバスの力、まだ押さえられてないよ。きっと私、魅了されちゃってる」


 オウマ君の魅了の力は私にはきかない。少し前まで、そう思ってた。

 だけど今の私の症状は、前に本で読んだような、恋する女の子のそれだった。


 もちろん、最初のうちは信じられなかった。だって、今まで平気だったんだよ。それにオウマ君自身も、力の制御はできるようになったって言っていた。


 なのに、私だけ魅了されるなんておかしい。そうは思っても、自分の気持ちに嘘はつけないし、そんなことになる心当たりだってある。


「やっぱりあの時、キス……じゃない。口から生気を渡したのが原因なのかな?」


 生気を吸い取られた者は、より強い魅了にかかると言う。

 私には悪魔祓いの力のおかげで、魅了の力はきかないはずだった。だけど一気にたくさんの生気を渡したことで、魅了の力がそれを上回ったのだろう。それが、私の出した結論だった。


 この推測が正しいのなら、魅了の力が完全に抑えられていないのなら、すぐにオウマ君に事情を話すべきかもしれない。と言うか、絶対そうした方がいい。


 なにせ我が家は、既にオウマ君の家から、力をコントロールできるようになった報酬として、多額の資金を受け取っている。なのに、問題有りと知りながら報せもしないないなんて、詐欺同然だ。


 そうと分かっていながら、私は未だ、それをホレスにもオウマ君にも言い出せないでいた。


「シアン……シアン……」

「えっ──な、なに?」


 急に名前を呼ばれて、ハッとしながら返事をする。そして相手を見た瞬間、思わず息を飲む。


「オ……オウマ君!?」


 タイミングがいいのか悪いのか、そこにいたのは、たった今頭に浮かべていた、オウマ君その人だった。


「えっと、何か用?」

「いや、別に用ってほどの事じゃないけど、何だかボーッとしてたみたいだし、このままじゃ壁にぶつかりそうだったから、声をかけてみたんだ」

「えっ……私、そんなだった?」


 間抜けなことにちっとも気づいていなかったけど、それだけ悩むのに夢中になっていたんだろう。そして、その悩みの大元がここにいる。


「どこか体調でも悪いのか?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけどね……」


 そう答えながら。だけど彼の言ってることは全くの的はずれって訳じゃない。なぜならこうして話している間も、体が熱く火照ってくるし、心臓がギュっと苦しくなるからだ。


 ああ、やっぱりこれは、魅了の力が効いてるんだろう。急な体の変化は、そう確信するには十分だった。


 だけどこれは、もしかすると事情を話すいい機会かもしれない。実は、君の魅了の力はまだ残っていて、そのせいで私は苦しくなっている。それを告げるなら今だ。

 そう、思ったはずなのに……


「何でもないから、心配しないで」


 思いとは裏腹に、なぜか全く逆の言葉しか出てこない。言わなきゃいけないって分かってるのに、言い出せないばかりか、ごまかして逃げようとしている。


 だけど、そのままオウマ君から離れて教室に入ろうとしたところで、再び彼の声が飛んできた。


「ちょっと待って!」


 いや、声だけじゃない。呼び止めると同時に、伸びてきた腕が私の手を掴む。そのとたん、まるで全身を電気が走ったように、ビクリと体が震えた。


 そんな私の反応を見て、オウマ君も目を丸くする。


「あっ、ごめん。いきなりこんなことして、嫌だった?」

「だ、大丈夫。何でもないから……」


 本当は、全然大丈夫なんかじゃない。気恥ずかしさが一気に溢れてきて、まともに顔を見ることもできなくなり、思わず視線を反らす。

 いきなりこんな反応するなんて、絶対変だって思われてるよね。


 だけど今はそれを確認するよりも、早くこの場をおさめたかった。長く一緒にいればいるほど、気持ちが溢れてきて、どうすればいいかわからなくなりそうだったから。


 だけどオウマ君は、そんな私を見ながら、ひどく不安げな様子で言ってくる。


「本当に、何でもない?」

「えっ?」

「今の……ううん。最近のシアンを見てると、とてもそうとは思えないんだけど。俺のこと、ずっと避けてるよな」


 それは、核心をついた一言だった。

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