第36話 全て終わって

目を開くと、見知った天井がそこにはあった。と言うか、ここはいつも寝起きしている私の部屋だ。

 いつ寝たんだっけ? ベッドから起き上がったものの、上手く頭が回らずボーッとしていると、部屋のドアが開いてジェシカが顔を覗かせる。

 すると私と目が合ったとたん、血相変えて叫んだ。


「ホレス様ーっ! オウマ様ーっ! お嬢様が目を覚まされましたー!」


 すぐさま廊下から、ドカドカと走る音が聞こえてきて、まずはオウマ君が部屋に飛び込んできた。


「もう大丈夫なのか? 気分が悪かったり、どこか痛かったりはしないか?」

「う、うん。別になんともないけど……」


 私を見るなり、矢継ぎ早に言葉を浴びせてくるオウマ君。その勢いに圧倒されていると、少し遅れてホレスもやってくる。


「おーい。気持ちは分かるけど、少し落ち着けって。余計負担になりかねないぞ」

「あっ──そ、そうだな。ごめん、悪かった」


 ホレスに指摘され、頭を下げるオウマ君。そんな二人を見て、ボーッとしていた私の頭もようやく動き始めた。


 そうだ。エイダさんに拐われて、二人が助けに来て、それから……どうなったんだっけ?


「えっと……オウマ君こそ、ケガはもう大丈夫なの? それと、とりあえずあれから何があったのか聞きたいんだけど」

「ああ、腹の傷なら、インキュバスの持つ治癒能力のおかげで治った。それと、何があったかだけど、えっと、どれから話せばいいかな。とりあえず、エイダのことはもう大丈夫だと思う」

「どういうこと?」


 私の覚えている最後の記憶は、インキュバスの姿になったオウマ君を見て、騒ぎだすエイダさんが、オウマ君に何か言われて倒れた場面だった。

 確か、その時オウマ君の言ってたのセリフは──


「エイダさんに、忘れろって言ってたよね。でも、言われたからって本当に忘れるものでもないでしょ?」


 もし本当にそう思ってるなら、相当おめでたいよ。だけどそこで、ホレスも口を挟んできた。


「根拠も無しに言ってる訳じゃないよ。あの時のオウマ君は特別だったからね」

「特別?」

「そう。シアンから大量の生気をもらっただろ。そのおかげで、勢い余ってインキュバスパワー全開の最強モードになったっぽいんだよね。魅了の力だって、これまでにないくらい超強力になった」

「ちょっと、それって余計にヤバいじゃない!」


 元々魅了の力のせいでこんなことになったんだから、それが強くなったらダメでしょ。

 だけど驚く私とは裏腹に、ホレスもオウマ君も、少しも慌てた様子はなかった。


「それが、そうじゃないんだ。すっごく深い状態で魅了にかかると、相手の言うことを何でも聞くようになるんだ。行動だけじゃない。忘れろって言ったら、本当に記憶から消える。これも、ほとんど魔法の一種だよ」


 そう言えば、前に見たインキュバスの資料の中に、付き合った女性の記憶を奪った、なんて記録が書いてあったっけ。それと全く同じことを、オウマ君がやってのけたんだ。


「じゃあ、本当に何があったか全部忘れちゃったの?」

「ああ。記憶だけじゃなく、感情だって操れる。それで、俺に対する想いも、全て忘れさせた。人の心を操るなんてしたくないけど、元々歪めていたのを元に戻しただけだから、いいだろう。ついでに、今までやってきた悪行を、全部洗いざらい白状するように言っておいた。いくら彼女でも、これなら無事ではすまないだろう」


 とても信じられない、とは思えなかったい。悪魔が実在し、魔法だって目の当たりにしているんだ。それを思うと、記憶を消すだの自由に操るだの言われても、ああそうなんだと、割と素直に受け止めてしまう。


 するとそこで、ホレスがニヤリと笑って言った。


「それともう一つ。ただ力が強力になっただけじゃなくて、とっても嬉しい変化があったんだよな」


 わざわざ改まって何だろう。そう思いながら次の言葉を待っていると、オウマ君がそれに続く。


「なんて言うか、シアンに依頼していた、魅了の力を制御する方法だけど……できるようになったみたいなんだ」

「えっ…………?」

「シアンからたくさんの生気をもらった時、自分の中にある、魅了の力の気配みたいなものが、ハッキリわかるようになったんだ。それに、どうやればそれを止められるかも。で、今は魅了の力を、完全に止めている」


 あっさり告げられたそれを聞いて、一瞬言葉を失う。

魅了の力の気配。そんなことを言われても、もちろん私じゃ、それを見ることも感じることもできやしない。だけど、それを止められるようになったってことは、つまり……


「もう、誰彼構わず魅了することもなくなったってこと」

「────っ! えっ! えっ!? えぇぇぇぇぇぇっ!!!」


 そう言えば──ハッとして、オウマ君の隣にいるジェシカを見る。今までは、魅了の力にかかってしまうといけないってことで、この二人が直接顔を合わせることはなかった。だけど今は、この通り一緒にいる。


「じゃあ、ジェシカは今、魅了にかかってはいないの?」

「はい、少なくともその自覚はありません。あっ、もちろんオウマ様は期待通りのイケメンでしたし、ホレス様とのツーショットは色々妄想を掻き立てられ、とてつもなく尊いです」


 えっと……なんとも微妙な反応だ。これは、いったいどういう見ればいいんだろう。そう言えば、ジェシカは元々がイケメン好きだったっけ。


「ねえ、本当に大丈夫なの? ジェシカじゃ、本当に魅了にかかってないのかわかりにくいんだけど」

「た、多分……」


 オウマ君も苦笑いを浮かべているけど、それでも決して、大丈夫というのを否定はしなかった。さらにそれから、掛けていたメガネを外してジェシカを見る。


「その証拠に、こうしてメガネを外して目を合わせても、何ともない。今までだったら、こんなことした瞬間、相手はストーカーに変貌していたよ」


 目を合わせるとストーカーとは、改めて聞くと難儀な話だ。だけどそれを思うと、確かに今のジェシカは、とてもそんな危うい状態には見えなかった。


更にホレスが、つけ加えるように続ける。


「力の制御に関しては、たくさんの生気をもらった他に、もうひとつ思うことがある。オウマ君はあの時、自分から進んで、必死で悪魔の力をどんどん使っていっただろ。そのおかげで、今までよりもずっと、自分の中にある力を受け入れることができたんじゃないのかな」


そう言われて思い出すと、確かにあの時のオウマ君は、人間離れした身体能力を次々に発揮し、魔法だって使っていた。

 それ事態は、普段の特訓でもやっていること。だけど多分、あれほど必死になったことは、一度だってなかったんじゃないかと思う。


「それは、その……シアンを、助けたかったから──」


照れくさいのか、顔を赤らめながら、僅かに視線を反らすオウマ君。私を助けるため、なんて言われると、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。

だけどあれだけ必死になっていた姿を思い出すと、そのおかげで力を受け入れられたっていうのも、なんとなくわかるような気がした。


「じゃあ本当に、力の制御ができるようになったの?」

「ああ。突然のことだったし、俺もまだ実感がないけど。でも……でも……」


 話の途中で、不意に言葉が途切れる。


「オウマ君?」


 不思議に思いながら声を掛けると、オウマ君はクシャリと顔を崩しながら、笑みを浮かべた。


「ごめん……実感ないって言ったのに、これでやっとこの力に振り回されなくてすむって思うと、やっぱり嬉しくて、全然感情が追い付いてないんだ」


 確かに今のオウマ君は、笑ったり戸惑ったりで、挙動不審と言ってもいいくらいだ。だけど、それも無理のないことかもしれない。


 魅了の力を制御する。何年もの間探し求めていたもそれを、こうして得ることができたんだ。それがどんな気持ちかなんて、きっと私がいくら想像しても分からないだろう。

 ただ、これだけは伝えられる。


「よかったね」

「ああ。本当に、よかった──」


 オウマ君は噛みしめるように呟くと、もう一度クシャリと笑った。

 それを眺めていると、ジェシカがそっと私の隣にやって来て囁いた。


「お嬢様、よかったですわね。これで晴れて依頼も完了。資金援助してもらえますね」

「あっ、そう言えばそうだっけ」


 そうだ。元々力の制御方法を見つけるのは、我が家への資金援助を報酬とした依頼だったっけ。そして今、見事それが叶っている。


「でも、これって依頼を果たしたって言えるの? 力を制御する方法を見つけたのは、オウマ君本人だよ」


 もしもそれを理由に、資金援助の話は無しなんてことになったらどうしよう。ほんの少しこんな考えが頭をよぎったけど、オウマ君はとんでもないって風に、激しく首を横にふった。


「そんなことないって。色々調べてくれたし、特訓にも付き合ってくれた。だいたいシアンが生気をくれたおかげで、こうして力の使い方を理解することができたんだ」

「そうなのかな?」


 私としては、気がつけば何とかなっていましたって感じで、今一つ実感が薄い。だけどオウマ君がそんな風に言ってくれるなら、ちゃんと力になれたんだと思えて、少し嬉しかった。


 だけど、そうして私達のやり取りが一旦落ち着いたところで、ホレスがこんなことを言ってきた。


「それにしても、インキュバスパワー全開のオウマ君は凄かったな。今までだってシアンが生気を渡したことは何度もあったけど、キスしたらそれも、段違いになるんだな」


 ナヌッ!? ──キ、キス!?!?

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