日本レガシー探訪記「第二十七回 東京・アイスバスの巻」
早稲田暴力会
一
路面電車が車輪を軋ませ、甲高い音を立ててようやく止まった。数か月ぶりに東京の土を踏んだ私を待ち構えていたのは、あまりにも凶悪な暑さだった。立っているだけで汗が体中から噴き出し、容赦なく皮膚を焦がしていく。百年もの間続いた老舗中華料理屋の取材中、御年八十歳を超える十一代目のオーナーが高温に熱したフライパンを私の皮膚に許可もなく直接押し当ててきたときのような、強烈な痛みを感じた。そこら中で生まれては消えていく陽炎は、駅前のなだらかな坂を見つめる私の遠近感を狂わせた。当日の気温は六十度。直射日光が反射し、温度計の数字を読み取ることにすら苦労してしまう。かつての首都は、蜃気楼ゆらめく灼熱地帯と化していた。
首に巻いたタオルにくるまれた保冷剤はすぐに使い物にならなくなる。その度に立ち止まり、ぬるくなった保冷剤をクーラーボックスの中に放り込み、新しい保冷剤と入れ替える。しかしそれも儚い命。駅の出口からほど近い商店に立ち寄るわずか三分程度の道のりで、十二回もクーラーボックスの蓋を開かなければならなかった。
人っ子一人見当たらないこの町で、増田明人さんは個人商店を営んでいる。売り上げの中心は、この暴力的な暑さを耐え忍ぶための商品だ。祖父から店を受け継ぎ、長年地域の生活を支えてきた「ますだや」は、暑さ対策グッズを販売する専門店「オアシス」へと昨年名前を変えた。しかし、増田さんはその選択をむしろ店の伝統を守るためのものだと前向きに捉えている。「環境が環境だからな。やっぱり、店の方針を変えねえと立ち行かなくなっちゃったんだよな。移住はしたくなかったよ。爺ちゃんはずっとここに愛着を持ってたんだ。おれはそんな爺ちゃんの背中を見て育った。だから、別んとこで商売するなんてのは考えられなかったんだよ。真夏でも真冬でも、困ったときにはいつでもうちがお助けしますよってのがうちのポリシーだ。だから、今は東京の『オアシス』って形でお客さんを助けてえなって、思ってるんだよな」
立地の影響もあり、やはり売れ行きは芳しくない。だが、私のように暑さに音を上げた人たちに喜びや安心を感じてもらうこと。この東京砂漠で苦しむ人々に、わずかでも憩いの場を提供すること。それはまさに「ますだや」時代のスピリットそのものだ。「まあ商売仲間には驚かれたよ。ここじゃ儲からないぞって。そんなことは、知ってるんだよ。でも、おれはこの町が好きだし、爺ちゃんが作ったこの店が好きなんだ。どこか別の町に行ったら、おれは今よりうまいもんを食って、いい服を着て、デカい家に住めるのかもしれない。でもそれが何になる? その代わりにこの町を、この店を忘れてしまうのだとしたら、そのことの方がおれは、やだなって思ってるんだよ」
経済的にも政治的にも見捨てられたこの町で、増田さんは額に汗を浮かべながら新しいやり方で祖父の誇りを受け継ごうとしている。その信念に胸を打たれながら、小池工業が生産する「超ウルトラスーパーひんやりパッド お徳用」を二十セット購入した。「こいつはすげえよ。この暑さでも冷却時間が一時間続くんだ」と力説する増田さんは、取材を終え店を後にする私に「こいつも持ってきな」とキンキンに冷えたアクエリアス二リットルをサービスしてくれた。粋な心を忘れない商売人。それが増田さんであった。
今回私が探訪するレガシーは、二〇二〇年の東京オリンピックのために建設された「アイスバス」である。建設のきっかけは、五輪を一年前に控えた二〇一九年に突然報道された次のようなニュースだった。
「ランナーに「かち割り氷」、ゴールには氷風呂…MGCで五輪向け暑さ対策」
東京五輪のテスト大会を兼ねて今月十五日に都内で行われるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で、給水所にクラッシュアイス(かち割り氷)、ゴールにアイスバス(氷入りの風呂)を設置することが明らかになった。日本陸上競技連盟によると五輪本番でも実施する見通しで、猛暑対策の切り札として効果が注目される。
(略)
日本陸連の山沢文裕医事委員長は「こうした暑さ対策こそマラソンのレガシー(遺産)になる。選手たちの感触も聞き、五輪に向けてよりいいものを準備したい」と話している。
山沢氏の発言を受けて、東京各地に巨大な「アイスバス」が建設された。現在稼働しているアイスバスは総計二百五十二台。すべての容積を合わせると、東京ドーム八杯分にも相当する。東京ドームをアイスバスとして発展的に利用しようという計画も持ち上がっていたが、読売ジャイアンツ(現:ピンインジャイアンツ)のファンの猛抗議を受けて白紙となった。中国のメガベンチャー「希望有限行司」に買収される前の運営母体であった読売新聞社のオーナーの怒りを買ったことがその原因であるとも噂されていた。
当時の東京でも、猛暑が大きな問題とされていた。「かち割り氷」と「アイスバス」は、その対策として理にかなったもののように思える読者も多いことだろう。だが当時、このニュースはあまりにも馬鹿げたものとして一笑に付されていたようである。その原因は、「アイスバス」が当時活躍していた芸人「ダチョウ倶楽部」の鉄板ネタ「熱湯風呂」を彷彿とさせたからだった。五輪選手にギャグをやらせる気か、という批判の声があがったのだ。とはいえ、当時をはるかに超えた酷暑の町と化した東京において、「アイスバス」はもはや住人の生存のために不可欠なものとなっている。誰からも使われず廃墟となるレガシーが多い中、「アイスバス」は今でも積極的に活用されているレガシーの貴重な例だと言えるのだ。私は「超ウルトラスーパーひんやりパッド お徳用」を首や背中に貼りつけ、都内で最も大きなアイスバス、「新宿A地区アイスバス」へと足を運んだ。
視線の先に見える「新宿A地区アイスバス」は、日本一の山、富士山のように堂々とそこに建っていた。今やフルモダン・ポップアートの巨匠となったフジサワスグルによって描かれたペンギンとホッキョクグマが大胆な構図で戯れるイラストレーションが、二十メートル四方の枠の中に収められている。見るものを圧倒するその外観は、ヒートアイランド現象を避けるために取り壊された東京スカイツリーに代わって、東京の唯一とも言える観光資源になっている。ここで写真を撮影している間に滝のように流れ出た汗を、アイスバスに浸かって洗い流す。それが観光客のお決まりの流れになっていた。
「今やアイスバスは東京に住む人にとってインフラと言っても過言ではありません。これがなければ、このあたりに住む人はみな体が溶けて死んでしまうんです」アイスバスの整備補修を統括する君原未可子さんは、アイスバスの重要性をそう強調する。四季が失われた東京では毎日が酷暑だ。都民の大部分は東京を捨て各地に移住したが、東京への愛着を捨てられない人々は今もなおこの地で慎ましく暮らしている。そんな人たちが生きぬくために、アイスバスはなくてはならないものとなっているのだ。私は入口で半券を切り、男性用の脱衣所に向かった。当然、海水パンツの着用は必須だ。着替えが済んだらエレベーターで一気に屋上階へと移動。チン、という音とともにドアが開くと、そこには巨大な湖のような広さのアイスバスが広がっていた。頭上のドーム屋根に吊り下げられた巨大なファンは、屋上内の水温と気温を均質に保つためにゆっくりと回転している。アイスバスの中にはいくつもの氷の欠片が浮かび上がっていて、バスに浸かる人たちは幸せそうな顔で近くに漂ってきた氷を弄んでいる。ここでは一日で、約三十トンもの氷を消費するそうだ。そっと水の中に指を浸してみて、思わず「冷たい!」と声をあげてしまった。うだるどころではない暑さにうんざりしていた私は、久方ぶりに感じた冷たいという感覚にすっかり興奮してしまっていた。心臓に負担をかけないよう、常備されたバケツで少しずつ体を氷水に慣らしていき、足先からそっとアイスバスに身をうずめた。
入った瞬間は鳥肌が立つほどの寒気を感じたが、次第にそれは心地よい感覚に変わっていった。体が氷によって引き締められ、ひどすぎる暑さの中を駅から二キロ歩いてきた疲れが急速な勢いで和らいでいく。「アイスバスに入ることによる効果は暑さ対策だけではありません。例えば運動後すぐにアイスバスに入ることで、通常よりも疲労の蓄積が軽減されるメリットがあります。アイスバスは健康にいいんです。熱い風呂に入った後にすぐアイスバスに入る。そしてしばらくしたら熱い風呂に入り直し、またアイスバスに浸かる。熱いお風呂と冷たいお風呂を交互に入る工程を繰り返すことで、より体の疲れを取ることができるんです。ここではあったかいお風呂はご用意できませんが、アイスバスから上がってイスに座ったり、簡易ベッドに横たわったりするだけでもその効果を再現することができますよ」
わざと熱さを感じた後に、アイスバスに入って冷たさを感じる。ある意味、アイスバスがあるがゆえの贅沢だった。熱さと冷たさの往復は、体に無駄な負荷をかけているのではと首をひねる読者もいることだろう。だが実際はそうではない。その負荷は体の代謝を高める活力となって、自分の体を隅々までリフレッシュしてくれるのだ。とにかく体を冷やすのがアイスバスの目的であると思い込んでいた私の蒙を啓いてくれる経験となった。
アイスバスというレガシーの保全のためには、多くの人々の努力が必要である。まず重要なのはアイスバスにとって必要不可欠な氷の確保だ。自然の氷を利用していては資源があっという間に枯渇してしまうので、ここでは人工の氷を自前で製造している。アイスバス内に貯められた水は、一定時間が過ぎると少しずつ階下に排出される。そこで汚れを濾過された水が地下の冷却システムに送られ、巨大な氷のブロックが完成する。それが屋上へとリフトで運ばれ、アイスバスに投入された後には溶けて水となる。そうした循環システムが構築されていた。君原さんの仕事は、この循環システムに異常がないかどうか常に点検し、先回りで問題を解決することである。「循環システムの異常が発生すると、氷の供給が立ちどころにストップします。そうなると、アイスバスの機能は完全に停止してしまうんです。発電の一部を賄う水力発電も、動脈が切られてしまえば一切稼働しません。ある意味、手のかかる赤ちゃんを相手にしているようなものなんですよ」そう言いながらも笑っている君原さんからは、仕事のハードさに音を上げる様子は一切感じられない。たとえ休日でも、呼び出しがあれば彼女は最高責任者として即座に現場に出向かなければならないのだ。仕事としても地味で、単調なようにも思える。だが君原さんは自分にとってはこの仕事こそが天職なのだと言う。
「わたしはアイスバスを愛してるんですよ。ここに来てくれた方が、アイスバスに浸かって日頃の暑さを忘れてくれるだけでなく、心もリフレッシュして帰ってくれたらいいなって、毎日思ってるんです。自分が都民の命を支えていることへの不安は確かにあります。でもそういうのも、仕事が終わった後にアイスバスを独り占めしていると、すぐどっかに吹っ飛んじゃうんですよね(笑)あそこから見える夜景、本当にきれいなんですよ。酷暑対策による東京の平地化が進められた結果、東京の高層ビルは軒並み壊されてしまいました。そのおかげって言うとあれなんですけど、視界を塞ぐものがなんにもないので、すっごい遠くまで視界が開けてるんです。ほんとに自分でも、天職だなあって思うんですよねえ」君原さんはまさにアイスバスに愛された存在なのだと言っていいだろう。レガシーの保全には大きな重圧が伴う。その結果、レガシーを守る崇高な仕事を辛い義務だと感じてしまう人も大勢現れている。何かを守り続けることは、そう簡単なことではないのだ。
私はこれまで二十七回にわたって日本各地のレガシーを取材し、その現状を伝え続けてきた。そして、取材を続ける中で、おぼろげになっていく自分自身の記憶の残酷さを痛感していた。その場所を訪れたときには、目に見えるあらゆる風景を、現地の人々の生の言葉を、あらゆるものをすべて記憶に残しておこうと思っている。それなのに、取材を終えた翌日に仕事仲間と飲み会をした後に、たった一日前の記憶にもう靄がかかってしまっていることに否応なく気づかされる。覚えているものよりも、忘れていくものの方が多くなっていく。先日、第六回で紹介した移動型動物園の園長、飯森正幸さんが亡くなったという手紙を奥様から受け取った。だが私は、自分が執筆した記事を見返すまで、飯森さんとどんな話をしていたのかをすっかり忘れてしまっていたのだ。嘘だろ、と思った。飯森さんの言葉にあれほど心を動かされていたはずなのに、その記憶は深い底に埋められてしまっていた。「レガシー」を守る人々の生き様を忘れていくこと。これ以上に残酷な話はない。
レガシー愛好者は年々増え続けているが、レガシーを愛し続けることだけを目的に生きていける人はどれほどいるのだろうか。愛し続けられる者だけが愛される権利を得る。君原さんは、その幸福な、同時に奇跡的な関係をレガシーと結ぶことのできた稀有な人である。彼女自身がアイスバスにとっての「レガシー」として、今日も都民の涼しさと幸福を支え続けているのだ。
さて、通常の連載では、このあたりで紙面の限界を迎えてしまう。もっと書くべきことやもっと盛り込みたかったこと、読者にお届けできなかった情報は回を重ねていくごとに溜まっていく。そのことはいつも非常にもったいないことだと思っているのだが、今回は望月編集長に直談判して、ページ数を大幅に増やしてもらうこととなった。なぜなら、今回の取材には私すら予想していなかった驚くべき展開が待ち受けていたからだ、そしてそれは同時に「レガシー」という言葉の持つ意味を捉え直すための貴重な機会となったのである。
君原さんがアイスバスを愛している理由。実はそれは彼女の父親であり、既にこの世を去っている君原靖之さんに由来するものだった。
「わたしの父はジェラシー君原という芸名で活動していた芸人でした。賞レースで勝ち残った経験もなく、レギュラー番組もない。正直言って、売れない芸人でした」それでも、君原さんは父を軽蔑しているわけではなかった。いや、むしろ彼の最大の理解者は彼女だったのだ。「わたしは父のネタが大好きだったんです。家族という関係を超えて、すべてがわたしのツボにドハマりしました。わたしは父が世界でいちばん面白い芸人だと確信していました。でも、他の人にとってはそうではなかった」ジェラシー君原のギャグはことごとく滑った。滑り過ぎたことによってファンクラブが結成されるくらいだった。だが君原さんにとってそれはあまりにも屈辱的なことだった。
「中学生のとき、クラスの子の前で父がギャグを披露する機会があったんです。確か、地域の人からスポーツや文化を教わろうという趣旨のイベントだったと思います。そこで、父が芸人として招かれたのです。ですが、そこで父が披露したネタはほとんどウケませんでした。わたしの笑い声だけが体育館に虚しく響いていました。その後、あまり仲よくなかった子が、『あんたのお父さん、ほんとに芸人? 気持ち悪いし、あんたみたいにつまんない!』って言ったんです。その後はもう大げんかでした。わたしのことはどう言われてもよかった。けど、父があんな風に馬鹿にされたのだけは我慢ならなかったんです。父に連れられて家に帰る途中、ひたすら向こうの親に謝罪を繰り返していた父が言いました。『俺がクソつまんないことしかできないばっかりに、お前に迷惑かけてごめんな』と。それでわたしは、自分だけは死んでも父の味方でいよう、父の大ファンでいようって、心に決めたんです」
「レガシー」という射程を超えた身の上話に、そのときの私は正直言って面食らうこととなった。彼女の父への愛情は切なく、真に心に迫ってくるものを感じたが、この話を紙面に載せることは難しいな、とライターとしては思わざるを得なかった。ところがこれは、君原さんと父親と「レガシー」であるアイスバスをしっかりと結びつけるものだったのである。
「父はダチョウ倶楽部というトリオをリスペクトしていました。『この三人のネタは本当に最高だ』と常々話していました」そう、「ダチョウ倶楽部」だ。読者は覚えているだろうか。二〇一九年の五輪レガシーの記事において引き合いに出されていた、リアクション芸界のレジェンドトリオ。その名前が突如、「アイスバス」の取材中に発せられたのだ。思わぬ符合に私は身を乗り出してしまっていた。「ですが、父はダチョウ倶楽部の『熱湯風呂』というネタには何か物足りないものがあると考えていました。『押すなよ押すなよ』と言った上島竜兵が熱湯風呂の中に突き落とされてしまうあれです。あれって、熱湯風呂に入った後は上島竜兵やガヤ担当のリアクション芸人が慌ててアイスバスに向かいますよね」無論、それは熱湯で火傷しそうになった体を冷やすためのものである。「ですが、それだとアイスバスは特に笑いを生んでいないことになります。けれど、『熱湯風呂』というネタの可能性は、今まで等閑視されていたアイスバスを活用する中に見出せるんじゃないか。父はそう考えたのです。そうして父は新たなる『熱湯風呂』、『熱湯風呂∞《ムゲンダイ》』というネタの作成に没頭するようになったのです」
君原靖之氏は不眠不休でネタ作りに没頭した。既に完成されているように思える「熱湯風呂」ネタを新たなステージに進めること。それはまさに「レガシー」継承発展の問題と同じように、非常に困難な作業であったに違いない。悩みに悩んだ末、靖之氏は遂に活路を見出す。それは、「熱湯風呂とアイスバスの往復を通じて起こる円環的な笑い」であった。
「父は天才です。熱湯風呂とアイスバスを往復するっていうのは、当時スポーツ界では当たり前のこととして扱われていました。ですが、それをお笑いの場に持ち込んだ芸人はいまだかつていなかったのです。もちろんそれは、父自身が健康のために熱湯風呂とアイスバスを往復するという経験を積んでいたからこそ、発見できたものだったのだと思います」ジェラシー君原氏はそのネタをダチョウ倶楽部に売り込むつもりでいた。もしそれが叶っていれば、日本のバラエティにおけるリアクション芸の歴史に偉大なる一歩が刻まれたに違いない。だがその地平を見ることは誰にも叶わなかった。「過労がたたったのでしょう。父はダチョウ倶楽部に会う前にこの世を去りました。結局父の笑いが認められることは一度もありませんでした。それが本当に、本当に悲しくて……」
君原さんは父が独力で発見したそのネタを書きとめたネタ帳を私に見せてくれた。一人の人間が生涯を賭けて作り上げた魂の結晶を覗き見ることの重大さに震えながら、私は恐る恐るページをめくった。だが私にはこのネタが面白いかどうかの判断ができなかった。やってみないとわからないように思われた。書かれたネタと演じられたネタとの間には絶望的に大きな溝が存在する。そしてその溝を埋められるのは、ネタを構想したジェラシー君原氏当人だけなのだ。
「もしかしたら、わたしがアイスバスに執着しているのは父の影響なのかもしれません。わたしは今、確かにアイスバスを守っている。もちろんそのことには誇りを感じています。ですが、本当に『レガシー』であるアイスバスを進化させられるのは、父しかいないんです。わたし、実はこのネタをやってみたことがあるんです。でも駄目だった。形をなぞることはできても、父の笑いの神髄を再現することは少しもできなかった。だから、時々怖いことを感じるんです。わたしはアイスバスをただ古びないように保っているだけなんじゃないか。でもそれは、結局アイスバスを埋もれさせることにしかならないんじゃないか。わたしのお父さんは、結局、誰からも認められることなく忘れられてしまうんじゃないか……って」
そこで私は、君原さんの父がこだわっていた「熱湯風呂とアイスバスの往復を通じて起こる円環的な笑い」というものを靖之氏の台本通り実践してみることにした。現代のものさしで過去を切り捨てることなく、過去のものさしで世界を見ること。忘れられた過去を手を尽くして現在に蘇らせること。それがレガシーを探訪する者としての使命である。私はパンツ一丁になり、君原さんの記憶を頼りに当時のジェラシー君原の恰好を再現した。「赤いふんどしが必要です」と彼女が言ったので、私は再び増田さんの「オアシス」を訪れ赤いふんどしを注文した。「ふんどしなんて頼むのは何年ぶりだろな」と増田さんは笑っていた。
ひょっとこお面と突き出たおなか、ひらりひらめく赤ふんどし……と調子外れの小唄を口ずさむ私は、アイスバスの入口に無理を言って設置してもらった「熱湯風呂」の前に立っていた。東京ではお湯を沸かすために電気を使う必要はない。大きな凸レンズを透明な浴槽に被せるように置いておくだけで、水はすぐさま湯気を発する熱湯となる。上半身裸の私は直射日光にさらされていたが、芸の道を究めんとするものが暑くて皮膚がただれるなどと文句を言っていてはお里が知れる。君原さんの目は真剣そのものだ。アイスバスに浸かる人たちも、野次馬精神を発揮して少しずつこちらに寄り集まってきている。観客も揃い、舞台は整った。
「押すなよ! 絶対に押すなよ!」恒例のやりとり。「あれダチョウ倶楽部じゃない? 懐かしー」、「あのオッサン何? 芸人?」とひそひそ話す声が聞こえる。「いいか、落ちたら熱くてやけどしちまうからな!」だが君原さんは待ってましたとばかりに私を浴槽の中に突き落とした。どっと笑いが起こる。だがそこでガッツポーズしている暇などなかった。異常に熱い。体全体を万力で締め上げたような痛みが私を襲う。もがく私を見て観客はさらに笑っている。危うく意識を失いかけるが、君原さんのためにとにかくネタをやり遂げないといけないと思い、浴槽のヘリを掴んで一気に立ち上がった。立ち眩みにも構わず、水温ゼロ度のアイスバスの中に思いっきり飛び込んだ。
極楽のような心地よさだった。「よかったぞオッサン!」、「面白かった!」という称賛の声を聞くと達成感で胸がいっぱいになってしまうが、君原さんの父が考えたネタはここからが本題なのだ。君原さんはじっと私を見つめながら、両手を組んで何かを懸命に祈っている。私は君原さんの、自分の父親に対する深い尊敬の念の強さを改めて感じた。世界に理解されない孤独な芸の唯一の理解者もまた、芸人と同様に孤独である。だが彼女は、今までずっとその孤独を懸命に抱えて生きてきたのだ。父から娘へと渡された魂のバトン。私は今日一日だけ、幻の芸人ジェラシー君原を蘇らせてみせる。
「おいなんだこれ、さっみいな! さっみくてたまんねえな!」ネタが終わったと思い元いた場所に戻ろうとしていた観客たちは、困惑とともに振り返った。「おいおいなんだ、あれは? あっちいやつか? あっちいやつなのか?」ざわめきが広がる。君原さんはもはや目をつぶってしまっている。「ジェラシーだよ、ジェラシー。おれはさっみいときにあっちいやつを見ると、ジェラシーでいっぱいになっちまうんだよ。なんてったっておれは、ジェラシー君原なんだからな!」私はアイスバスの縁に手をかけ、勢いをつけて通路の上に飛び上がった。そしてもくもくと湯気を立てる熱湯風呂に駆け寄り、一気に飛び込んだ。「あっちい! あっちいよなんだこれ!」アイスバスに浸かって成り行きを見守る人々は静まり返っている。「あっちい! クソあっちいよ! だれだよあっちいのにおれを放り込んだやつは!」だが不思議なことに、私は熱さを全く感じていなかった。ジェラシー君原の魂が、私を猛烈な熱さから守ってくれているのかもしれないと思った。それに、アイスバス全体の空気が五度くらい下がっているようにも感じる。誰かが、軽くくしゃみをする音が聞こえた。君原さんだけが、腹を抱えてケラケラと笑っている。笑いすぎて、壊れたように床を何度も叩いている。だが、まだだ。取材中君原さんは実に5時間にわたって、父親のギャグがどれだけ素晴らしかったかを語っていた。「爆笑レッドカーペット」に代表される単発のネタ番組の増加や、SNSの発達による一瞬のインパクトを重視する風潮など、あらゆる要素が父の芸風と対立していたのは確かです。でも、父はあのネタに、きっと、そうした自分への絶望とかすかな希望の両方を込めていたはずなんです。そうだ、そうなのだ。それはもはや笑いを超えて、君原靖之という男の人生を象徴しているのだ。「さっみいのいくぞ! いいか! おれはいくっていってるんだからな! おら! うわうわうわさっみい! やってらんねえよあっちいのいくぞ! あとの祭り! さるも木から落ちる! さっみいときにあっちいの見てるとやんなっちゃってジェラシーを感じちまうんだよおれは。なんてったっておれは、ジェラシー君原なんだからな!」あっちいやつは地獄。さっみいやつも地獄。ジェラシー君原は地獄の円環に囚われ、二つの極点を滑りながら往復する。嘲笑と痛罵。黙殺と否定。その往復運動は徹底的に無意味で残酷だ。人を笑わせることのできない芸人などレガシーを守れないレガシー管理人と等しい。だが、ジェラシー君原はそのように愚直に生きることしかできなかった。観客たちは気づいていたのだろうか? ジェラシー君原が、∞の軌道を描きながらあっちいやつとさっみいやつを行き来していたことに。滑り続けることは地獄。どんな芸人だってそう思っているんです。もちろん、父も。それでも、父はあきらめない。自分を貫いて、その円環の中を走り続ける。何十回、何百回、何千回ネタがウケなかったとしても、ただ一度。一度だけでいい。こらえきれず吹き出し、腹を抱えてうずくまりながら笑う観客たちを。万雷の拍手で沸き立つ舞台を。降り注ぐライトを浴びて、全身全霊でネタを披露する私の姿を。身を焦がし凍りつける∞の輪に、ワンクールのレギュラーを超えた一度きりの伝説が刻みつけられる瞬間、円環は時を超える。かくして「レガシー」は成るのだ。∞に失敗し続けるネタは、そのときようやく、∞の軌道とともに人々の心へ入り込む。君原靖之は、そうして娘にレガシーを託した。忘れるな、君原靖之を。忘れるな、ジェラシー君原を。忘れるな、世界から見捨てられかけた孤独な父と娘が、満面の笑顔で夕焼けの道を歩んでいた、あの大切な時間を。口元が塩辛い。いつの間にか視界が滲んでいる。観客は遠ざかり、顔を引きつらせて何かを囁いている。君原さんに駆け寄って私を指差し何かをまくしたてている人もいる。そうだ、∞は終わらない。私にできることは、あっちいやつとさっみいやつへの入浴を繰り返し、君原靖之さんを取り巻く∞を書き換えることだけなのだから……おいおいおい、さっみいのはどこだ? さっみいの? さっみいのはどこなのかなあ。あっちいのに入ってるときにさっみいのを見ると、ジェラシーを感じちまうんだよおれは。なんてったっておれは、ジェラシー君原なんだからな! じゃあ入っちまうからな。さっみいの! うわ! さっみい! さすがにさっみいよ! なんでだよ! おれをさっみいやつに入れたのはさあ。おれか? なわけないよな。いまおれはあっちいのに、ジェラシーを感じてるわけだからな。なんてったって私は、アイスバスを守ることでみんなの生活を支えている、父親思いの立派な娘を持っている幸福な男、ジェラシー君原なんだからな……!
「結局、笑ってたのはわたしだけでしたね」君原さんはぽつりと呟いた。私は、アイスバスの地下に備えつけられたベッドに横になって、その言葉を重く受け止めていた。あの後あっちいやつとさっみいやつに入る流れを五十回繰り返した私は、五十一回目にアイスバスから通路に出た瞬間その場に倒れ込んだ。皮膚は太陽の苛烈な光と沸騰した熱湯にさらされ続けた結果めくれあがり、体中に包帯が巻きつけられていた。ネタの終盤には、観客は数えるほどしかいなくなってしまっていたという。君原さんの父の無念を晴らすことができず、彼女に何とお詫びすればよいかわからなかった。「でもいいんです。やっと、父のやりたいことがわかったような気がします。父は死にましたが、わたしが今日のことを覚えている限り、父は永遠にわたしの中で生きていてくれるんです」私は日本陸連の山沢氏の言葉を思い出していた。山沢氏はなぜアイスバスを「レガシー」であると発言したのか。私がこれまで取り上げてきた「レガシー」は、言うまでもなくすべてが建造物であった。つまり「物」として残されてきたものであった。だが人は無味乾燥な物を愛することなどできない。物には魂がこもる。人の人生が、人の歓喜が、人の挫折が、あらゆる思いを詰め込んだ人の魂が、物にはこもる。そうした魂が燃え上がる火のように人から人へ受け継がれていくこと。その火が絶やすことなく灯されていくこと。そうした「魂のリレー」こそが、私たちにとっての「レガシー」なのではないだろうか。それはまさにオリンピックの聖火リレーのように人々の願いをつないでいく。その最初のランナーであるジェラシー君原、そして君原未可子さんという娘を育てた君原靖之さんに、私は「笑いの金メダル」を捧げたいと思う。もちろんそのメダルは、増田明人さんを、君原未可子さんを、君原靖之さんを、そして東京で出会ったすべての人たちを忘れないために、時代を超えて輝き続ける「レガシー」なのである。(了)
※作中のニュース記事は、以下のURLの記事を引用した。
・「ランナーに「かち割り氷」、ゴールには氷風呂…MGCで五輪向け暑さ対策」
https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20190907-OYT1T50084/
日本レガシー探訪記「第二十七回 東京・アイスバスの巻」 早稲田暴力会 @wasebou
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