1-62 ありがとう


根室 秋人…


23歳…


職業…フリーター


普通の家庭…普通の義務教育、普通の大学、普通の就職…



何もかもが普通…


全てが普通…


普通…





普通…普通………普通………







「普通」

「普通」「普通…」


幾人もの声が聞こえる…


「普通だ」「普通ね」「普通だよ」「普通じゃない」「普通かもしれない」「普通過ぎ」「普通以下」


「普通って?」



「君は普通」「僕は普通」「私も普通」「俺も…」「わしも…」「みんな普通…」


「普通って何?」



「何が普通…?」



「普通に生きることって…」



「普通の仕事につく」「普通に社会に貢献する」「普通に勉強を頑張る」「普通に親と仲が良い」「普通の友達がいる」「普通に恋人がいる」「普通の結婚」「子供がいて、孫がいる」「普通に老いていく」



「普通に死ぬ…」



秋人の中で疑問が広がる。



「普通に死ぬってなんだろうか…」



老衰…?病死…?事故…?自殺…?他殺…?


恨まれていない…恨まれている。

愛されていない…愛されている。


悲しまれる…悲しまれない。

喜ばれる…喜ばれない。

看取られる…看取られない。



許される…許されない…



いくら考えても何が普通の死なのか、よくわからない。



秋人は座り込み、膝を抱える。



そもそも、自分は普通に死ぬことなど許されないだろう。

この世界に来て多くの人を殺めてしまったのだから…


そんな奴が、普通に死ぬなんて誰が許すのだろうか…


辛く…重い気持ちになっていく…


現世界でもこの世界でも、心が死んでいくのを感じていた。


すでに俺の心は死んでいる…

いつから死んでいるのかは、もうわからない。


他人への恐怖、怒り、憎しみ…

自分への怒り、悲惨、そして絶望…


それらが心の中をぐるぐる回っていて、自分の心を蝕んでいくのを感じていた。


生きている実感など、まったくなかった。


逆に、死に対する羨望は強くあった。

いつ死んでもいいとさえ、思っていた


いや…死ねばいいと思っていた。


しかし…


少しやつれた50代ほどの女性が、目の前で膝をつき、顔を覆ってうずくまり泣いている。



「母…さん…?」



秋人が顔を上げ、手を伸ばして声をかけた瞬間、母の姿は泡になって消えてしまった。呆然としている秋人の後ろに、今度は見覚えのある女の子が現れた。



「さっさと外に出てきなさいよ!!」



少し幼さの残る顔立ちに、丸い黒縁の眼鏡を携え、肩からは少し大きめのビジネスバッグをかけている女の子が、自分に向かって怒った顔で叫んでいる。



「夏美…!」



振り返って、手を伸ばすと幼馴染の姿は母同様に泡となり、すぐに消えてしまった。



ダメだ…ダメだダメだダメだ…


死ぬなんてダメだ…


母さんや夏美が悲しむ!


死ぬなんて…ダメだ…



ーーー本当に悲しんでくれる?ーーー



…いや…



ーーー彼らは本当に悲しむかな?ーーー



確かにそうだ…



母さんも夏美も、俺がいなくなれば…本当は楽になるんじゃないか…?


俺さえいなければ、母さんは悲しまなくて済むし、夏美も無駄に俺の部屋の前まで来なくて済むだろう…



俺さえ死ねば…


死が眩しく見える…


死が俺を望んでいる。

死が俺を呼んでくれている。



秋人の体は黒い沼のようなものにゆっくりと沈んでいく。



死が俺を待っている。

死が俺を受け入れてくれている。



肩まで飲み込まれた。あと少しで全てが楽になる。



死が…死が…死が…死が…死が…


死が…俺を認めてくれる!



そう思った時、どこからか声が聞こえてきた。



「そんなことは絶対にない!」



そして、声がかけられて肩を掴まれた。

秋人は驚いて、その声の方へと顔を向ける。


そこには笑顔があった。



「心が死んだままじゃだめだよ、秋人。楽になるために死ぬなんてのは、本当の死じゃない!」



春樹は肩を掴んだ手で、秋人を背負い上げる。ずるりと真っ黒な沼から、秋人の体が引きずり出される。



「帰ろう、秋人!元の世界に戻って、やり直そう!」


「むっ…無理だよ!もう…やり直すなんて!!ぼっ…僕はもう死んでるんだ!!」


「大丈夫!、君はまだ戻れる!!戻ってお母さんと幼馴染へ謝らなくちゃ!!」


「ダメだって…!!無理なんだよ、もう!!母さんも夏美も僕がいなくなってせいせいしているはずなんだ!!僕には何もできないんだ!!」


「そんなことはない!!!」



ふさぎ込む秋人へ、春樹が一喝した。

秋人は驚きのあまり言葉が出てこない。


そんな秋人に対して、春樹は再び優しい笑顔を浮かべて話しかける。



「君が今戦っているのは誰だ?君が倒した相手は誰だい?君が何もできないなんて、今誰も思っていないさ!よぉく、自分の目で確かめてみて!」



春樹はそう言うと、上を指差した。

そこには自分が映っていて、誰かと戦っているようだった。



「君は今いる世界を救おうと戦ってる…戦ってるんだよ!ここに来るまでにたくさんの辛いことがあったのは事実かもしれない!!だけど、理由はどうであれ、君は今、この世界のために戦ってるんだ!!そんな君が何もできないなんて…そんなこと、絶対にない!!」



春樹の強い眼差しが秋人に向けられる。



「君は生きるべきだ。生きて償い、やり直すべきだ。確かに、辛いことがこれからもたくさんあるかもしれない…挫けそうになることは必ずある!でも大丈夫さ!!君なら立ち上がれる。だから…」



春樹はそういうと、秋人に手を差し伸べる。


秋人はその手を掴もうと自分の手を伸ばすが、一瞬だけ躊躇した。


それを見た春樹は、こう告げる。



「大丈夫…俺が一緒に手伝うから…」



自分の存在が消えてしまいそうなほど眩しい笑顔がそこにはあった。

それを見た秋人は、無意識に手を伸ばしていた。


春樹の手をがっしりと握りしめる。

春樹の手に引っ張られて立ち上がった秋人は、俯いたまま口を開いた。



「俺に…やれるだろうか…」


「大丈夫。秋人ならできる。」


「負けてしまうかもしれないよ。」


「戦ってるのは君一人じゃない。安心して。」



秋人は顔を上げる。



「君と僕は、光と闇だ。君はとても眩しい…とても強い光を感じる。その反面、僕には暗い闇がある…」


「……」


「でも、それでいいのかもしれない。君のおかけで心が蘇ったように感じる…」



その言葉を聞いて、春樹はにっこりと笑った。


秋人はその笑みに対して、少し恥ずかしげに頬をかくと、これまで生きてきてほとんど使った記憶のない言葉を口にしたのだった。



「春樹、ありがとう。」

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