1-41 世界の崩壊


ミウルは法陣の準備された部屋に来ていた。


大樹にある部屋とは比べ物にならないほど狭い部屋の中には、すでにウノールが法陣の準備を施してくれていた。


部屋の床一面に描かれたそれを、ゆっくりと一回りして確認すると、ミウルは小さくため息をつく。



(圧倒的に魔力が足りない…6人の逆召喚など、今の私にはとても無理だ…)



憔悴しきった体を見て恨めしく思う。

しかし、ミウルにはやらなければならない理由があるのだ。



(しかし…ルシファの思いを無碍にはできないし、これは自分自身が招いたことなのだ。)



悔しくもそう思うミウルは、なぜこうなってしまったのか、いまだに理由が分からずにいた。


不甲斐ない自分のせいで、この世界の民だけでなく、自分の部下たちまでも命を落としていく。



(…どこで間違えたのだろうか…今となってはそれを考えるのも、もう無意味か…)



ミウルがそう考えながら、元の位置まで戻ってくると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。



「ふむ…だいぶ憔悴しきっておるな。」


「アルコ…兄者か…」



いつものように苛立つことはなく、ミウルは弱々しく声の方向に体を向ける。



「…ふん、らしくもない。今までの威勢はどこへ行ったのやら…そう嘆いておっても結果は変わらんだろうが。」


「…あなたに私の気持ちは理解できないだろ…何の用だ?」


「お前の気持ちか…わかるはずもないし、わかる気もないさ…しかし、レイを送り込んだのは私だからな。こうなってしまったことには一部、私にも責任がある。」



ミウルは意外そうな顔をした。

アルコが責任を感じるなど、今まで悠久の時の中で一度もなかったからだ。



「その顔はイラつくな…だが、今回の逆召喚…私が手伝ってやろう。」


「兄者がか…?」


「あぁ、おまえ、魔力が足りんのだろう?私の魔力を使うがいい。」



アルコは法陣をなぞりながら歩いていく。



「しかし6人分は膨大な量になるぞ…」


「わかっておる。だが今のお前だけで行うよりマシだろう?」



そもそもアルコとミウルの魔力の総量にはかなりの差があった。ミウルの懸念は当たっている。アルコに魔力を借りても、おそらく足りないし、アルコ自身にも影響が出る可能性があるのだ。


しかし、ミウルの心配など関係ないというようにアルコは、立ち止まってミウルを見据える。



「たまには兄らしいことをしてやろうと言うのだから、素直に受け取れ。」


「兄者…」


「私に死ぬ気はない…お前の世界のことで死ぬなど…反吐が出る…」



ミウルはそれを聞いて、少しだけ笑みをこぼした。


「すまない、兄者。」


「ふん…」



二人の間に静かな沈黙が訪れた。





樹は砦の城壁の端から、外を見下ろしていた。いつのまにか雪が降り始めており、吐く息が白く染まっている。


長い間そこにいたことが伺えるほど、樹のかぶるフードの上には雪が積もっていた。



「準備は整ったな。あとは…」



樹は空を見上げる。


まるで、この世界の心の中を表しているかのように、空は薄暗い。一面が灰色の雲で覆われていて、遠くの方には黒い煙が何本も柱のように一帯に立ち上がっている。



「ルシファ…」


樹がつぶやくと白い息が溢れる。

何かが焦げた臭いが鼻をつく。



「間に合うといいな…」



そうして樹は目を閉じた。



数刻後。



「イツキ殿…そろそろ時間です。」



後ろからエルノールの声がした。



「そうですか…」



樹が振り返ると、体に積もっていた雪が崩れ落ちる。



「ルシファは?」


「残念ながら…」



目を逸らして答えるエルノールに、樹は無言で歩き出す。


そのまま砦の中に入っていく樹の背中をエルノールはただ見つめることしかできなかった。





「ルシファリス様はそのあと負けてしまったのですか?」


「あんた遠慮なく聞くわね。」



ウェルの容赦のない質問にぼやきつつ、ルシファリスは話を続ける。



「先に言っておくけど、ミウル様は6人の逆召喚には成功したわ。アルコ様の協力のおかげでね。だけどそのせいでミウル様は魔力を使い果たし、世界を保つことができなくなってしまったの。」


「世界を保つことが…ということは…」


「…そうよ、世界の崩壊が始まったの。」



ルシファリスは悲しげな表情を浮かべた。そして、話を続ける。



「崩壊が始まると、私はすぐに砦に向かった。もちろんミカエリスのやつも追いかけてきたけど、もうそんな場合ではなかったからね…砦に着くとミウル様は消えかけていて、その場にアルコ様もいたわ。」




「ミウル様!!」



ミウルに駆け寄り、ルシファは膝に抱き抱える。



「ルッ…ルシファ…すまないね。」


「今魔力を送ります!!」



ルシファの手をミウルは止める。



「もう遅いよ…私は助からない…今から聞くことを…よく聞いておくれ。」


「しかし!!」



ミウルは気にせず話を続ける。



「アルコ…兄者にこの世界の管理権限を渡すよ…そうすれば崩壊は免れる…ただし、世界の分断は止められない。」



そう話すミウルの体は、ゆっくりと光の粒

となり消えていく。ルシファはその言葉を静かに聞いている。



「世界の管理は…アルコに任せるけど…君にはこの世界を…見守ってほしい…」


「…わかりました。ミウル様の望みのとおりにします。」



ルシファはミウルの言葉に同意する。



「ありがとう…」


「ミウル様っ!!」



そう言って目を閉じるミウルに、ルシファは声を上げる。



「アスラには悪いことをした…君にも…そんな僕を信じてくれて…ありがとう…」


「そんな…父は…アスラはあなたのことを…」


「大丈夫さ…ミカイルのことも…すまない…私には…とめられな…かった…」


「私が…!私が止めてみせますから!」



ミウルはその言葉を聞くと、涙を流しながら消えていく。その顔には優しい笑みが浮かんでいた。


ルシファはミウルの体を抱きしめる。



「…………」



ミウルは最後にルシファに耳打ちする。そして、ついに消えてしまった。



「アスラの娘よ…」



うつむき、涙するルシファにアルコが声をかける。

その時であった。ドアを吹き飛ばして、ミカイルが部屋に入ってきたのである。



「グゥゥゥゥ…ルシファァァァァ…逃がさないわよォォォォ!!」



暴走状態で、今にも飛びかかってきそうなミカイルに対し、ルシファはゆっくりと立ち上がる。



「ミカイル…ミウル様は死んでしまったわよ…」


「何をォ…戯けたことをォォ!…?そっ…それは…。」



しかし、ルシファの手にミウルの首飾りがあることに気づいた。ルシファはそれを静かに握りしめる。



「もう終わりにしよう…ミカイル…ね」


「ミッ…ミウル様…が…死んで…ぐっ!」



ルシファの言葉にミカイルは動揺するが、頭に痛みを感じて、膝をついた。



「ミカイル…?どうしたの?」


「うっ…うるさい!!!!」



痛みに苦しむミカイルに、ルシファが声をかけるが、彼女はそれを拒む。そして、ゆっくり立ち上がると、真っ黒な双眸をルシファに向ける。



「あれは…まさか…」



アルコが何かに気づいたようだが、ミカイルはその瞬間にルシファに飛びかかってきた。



「チッ…どこまでも空気を読まない女ね!!」



そう言ってルシファはミカイルを迎え撃つのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る