1-38 愛すること


ルシファが部屋を後にして、再びミウルの場所へ戻ろうと歩いていると、後ろから呼び止める声が聞こえてきた。



「ルシファっ…待って…待ってくれ!」



振り返ると、樹が駆けてくるのが見えた。

ルシファは立ち止まり、樹が来るのを待つ。


少しすると樹が追いつき、ハァハァと肩で息をしながら、膝に手をついている。



「…どうしたの?」



ルシファが少し冷たく声をかけると、樹はまだ少し肩で呼吸を整えながら、顔を上げた。



「ルシファには言っておきたいことがあるんだ…」


「なっ…何よ。」



真面目な顔でそう告げる樹に、ルシファは少し驚いて聞き返す。すると樹は力強く宣言する。



「俺は必ずこの世界に戻るよ…君を迎えに来る…必ずだ。」


「いっ…いきなり何言ってんのよ!」



樹の言葉にルシファは動揺を隠さずにいる。樹はなおも続ける。



「好きだと伝えておいて、俺はその子のことすら守れない…それどころか守ってもらってばかりだ。だから、必ず戻ってきて君を救う!そう決めたんだ!!」



樹の真剣な眼差しに、ルシファも真面目に応える。



「生意気言ってないで、あんたはやるべきことをなさい。ウェルサムとも約束したんでしょ…」



ルシファの言葉に、樹は強く頷く。



「…あぁ、わかってる。これは俺の決意だから、それを伝えたかったんだ…ルシファ、気をつけて…」


「…えぇ、どのみちミウル様を連れて、またここに戻るわ。あんたたちを元の世界に戻すまでが、私の使命だからね。ちゃんと行儀よくしてなさいよ!」



樹は「なんだよそれ」とつぶやいて、はにかんだ。ルシファはそれを見て、樹に告げる。



「…あんたにまだ言ってないことがあったわね。」


「なんだ?」



樹は首を傾げる。



「言われたままで伝えてなかったことよ……私もあんたが好きよ…だから、生きてちょうだい。いいわね?」



樹はそれを聞いて、ルシファをジッと見据える。ルシファもそんな樹の瞳を見据えている。


そして、ゆっくりと互いの唇を寄せ合った。少しの間だけだったが、愛を伝え合うと、ルシファは樹に微笑み、そのまま再び歩き出した。


樹はその後ろ姿が見えなくなるまで、そのばに立ち尽くしていた。





アルフレイムとミズガルの国境付近。


ミカイル率いる天使軍とクラージュ、そしてウノールの側近の一人であり、彼の命を受け、天使軍の足止めを行うオルノールの姿があった。



「クラージュ殿!戦況報告!第二、第三部隊は突如現れた巨大なモンスターにより戦況は悪化!南側と北側は徐々に押し込まれております!」


「…ぬぅ、部隊を率いることがこれほどむずかとは…」



当初、クラージュがミカイルに直接攻撃を仕掛けたことで、天使軍の指揮命令系統が一時混乱し、クラージュは一気にミズガル側へと押し込むことに成功していた。


これなら3日と言わず10日近く足止めできると、クラージュ達が思っていた矢先、新たな部隊が現れ、その戦況を少しずつ押し返していったのだ。



「ミカイルめ、これが奴の本来の力か…」



個に強いルシファとクラージュに対して、ミカイルの本来の強さは統率力にある。


彼女は率いる部隊が多いほどに、その能力を発揮するのだ。



それらのことにより、クラージュたちは最終ラインまで後退を余儀なくされたのであった。



「…クラージュ殿、このままでは突破されるのは時間の問題ですね。」



オルノールがそう言うと、クラージュは静かに頷く。



「被害の状況はどうだ?」


「我らの軍は3割といったところですか…」


「…そうか、ミウル様が知ったらさぞ悲しむであろう。」


「…ですね」



焚き火をかこむ二人の間に、沈黙が訪れる。


その時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。



「…二人とも、迷惑をかけるね。」



振り返ると、そこには少しやつれたミウルとルシファの姿があった。



「あんたたちにしては弱気じゃない。」



ルシファは鼻で笑い、笑みをこぼす。



「…面目ない。大部隊を率いる難しさを学んだところだ…」



クラージュにしては元気がない。それに併せるように、オルノールも口を開く。



「…クラージュ殿のせいでは…私どもが不甲斐なさすぎるのです。」



オルノールもうつむいた。


そんな二人に、ルシファはため息をつく。



「あんたたち、上に立つものがそんな顔してたら、部下の士気もガタ落ちよ!顔を上げなさい!あんたたちは部下よりも先に顔を伏せる権利はないわ!」



二人に叱咤激励しているルシファを見て、ミウルは少し驚いていた。


かつての友、魔神アスラとルシファが重なって見えたのだ。



(…私も昔そう言われたな。)



ミウルはアスラとの記憶を思い出す。


ミウルがまだ世界管理を始めて間もない頃、人々の統制がうまく取れずに悩んでいたことがある。


自分の部下である天使族も、ミウルの命令がうまく伝わらず、全てがうまくいかない時期。


そんな時、アスラに言われたこと。


『お前が下向いたら、みんな下向くぜ?対象は絶対最後まで下向いちゃなんねぇんだ。』



彼の声がミウルの心に響いてやまない。



「ミッ…ミウル様!?いかがなされましたか!?」



ミウルの様子に、ルシファが何故か驚いて声をかける。



「…いや、なんでもないよ。」


「…でも、泣いておられます。」


「え…?」



ミウルは自分の目に手を寄せる。

目尻に溜まっていた涙が、スッとこぼれ落ちる。



「あれ…?なんでだろうね…おかしいな…ハハ」


「ミウル様…」



ルシファたちは、ミウルの様子を静かに見守っている。



「大丈夫だよ…少し昔のことを思い出しただけだ。」



涙を拭ってミウルはそう言うと、ルシファたちに向き直る。



「明朝、ミカイルに会いにいくよ。それで必ず終わらせるから…」



ミウルの言葉に、3人は頷いた。



翌日、まだ眠気さが辺りを支配している頃、ルシファとミウルはミカイルが野営している付近に向けて、動き出した。



「…お二人だけで本当に大丈夫でしょうか…」


「なに…ルシファ殿は私より強い…心配はないさ。」



不安を拭えないオルノールに、クラージュはルシファたちが進んでいった方を見ながらそう答えた。





「クラージュたちの話からすると、もう間も無くミカイルたちの部隊とぶつかります。」


「あぁ…」


「ミウル様…本当によろしいのですね?」



二人は森の中を駆けながら、最後の確認を行っている。



「…良い、もともと私が蒔いた種だ。自分の責で終わらせる…しかし、ルシファ…君には迷惑をかけるね。」


「いえ、大丈夫です。」



ルシファはまっすぐ前を見て、ミウルの言葉に返事してをした。


そのまましばらく進むと、森の一部が開けた場所に近づいたのが確認できた。草むらに身を隠し、こっそりと覗き込むと、ミカイルたちの、部隊のテントがいくつか伺えた。



「ミウル様…あそこです。」



ルシファの指す先に、ミカイルがフラフラ歩いているのが伺えた。

ミウルはルシファに声をかける。



「行こう、ルシファ。」



その声は決意に満ちていた。

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