1-14 ルシファリスの嘘
目の前で、黒ずくめの男と対峙する執事の男に、春樹は動揺していた。
白く、時折銀色に煌めくオーラ。
今まで見たことのない強く厳しい眼差し。
そこには自分の知っている執事のクラージュではなく、四賢聖としてのクラージュが存在している。
そして、それは相手の男も同じようだ。サングラスで表情はよくわからないが、少し動揺したようにも見える。
春樹が様子を伺っていると、黒ずくめの男が口を開いた。
「…お前、"白銀"か…」
(…白銀?)
その問いかけに、クラージュが静かに答える。
「よくご存知で。その名を知っている者は、あまりいないはずですが…」
クロスは耳を傾けながら、小さく悪態を吐く。砕けた右手も、左足の怪我も治癒していることに気づいたからだ。
(四賢聖…予想以上の化け物だな。しかし…)
ゆっくりと構えるクロスに対して、クラージュは仁王立ちのまま動かない。しかし、予想に反したクロスの態度に、少し驚いた様子を見せる。
「自信がお有りなようですな。」
「…まぁね。」
クラージュもゆっくりと構えを取る。二人の間に、再び少しの沈黙が訪れる。
そして、夕鐘が鳴り響くと同時に、両者は激突するのであった。
◆
ルシファリスは、キクヒトに一時的に借りた部屋で、リジャンとウェルと共に、クラージュの帰りを待っていた。
「クラージュの奴、遅ぇな…」
沈黙を破るように、リジャンが投げかける。
「そうね…」
窓の外を眺めながら、ルシファリスはぼんやりと呟く。
「…お前、大丈夫か?」
「何が?」
「何がって…そりゃぁ…」
「大丈夫よ…」
リジャンは心配だった。あれだけ目にかけていた春樹が攫われたというのに、ルシファリスは、そこまで焦っているように見えない。
(確かにクラージュに任せておけば、安心なのは分かるが…)
それだけでは言い表せない、どこか不気味な雰囲気をルシファリスは醸し出していた。
不意にルシファリスが口を開く。
「さっき城門の方で、白銀のオーラが上がるのを見たわ…クラージュが本気を出したのでしょうね。」
「…!そうか!なら大丈夫だな!」
少しほっとしたようにリジャンがそう言うと、ルシファリスはそれに異を唱える。
「逆よ…あいつが本気を出さないといけない相手…そういう事よ…」
その言葉にリジャンは、唾を飲む。あのクラージュが本気を出す相手といえば、同じ四賢聖しか思い浮かばない。だが、春樹を攫った奴は彼らとは違った。
(…ったく、一体どうなってんだ…せっかくすげぇ研究を見せてもらったばかりなのに…色々とあいつに話を聞きたかったのに。)
リジャンはそう考えながら、再び窓の外に目を向けると、部屋のドアが開いて、キクヒトが入ってきた。そして、後ろにはキクヒトの側近たちに肩を支えられているクラージュの姿もあった。
服の所々がボロボロに破け、額なと至る所から流血している。
そんなクラージュを見て、開口一番に言葉を発したのは、ルシファリスであった。
「…失敗したのね。」
まるで、そうなった事を知っていたかのように、どこか寂しげな口調で話すルシファリスに対して、クラージュが謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ございません…油断はなかったのですが…グッ!」
「クラージュ殿、あまり無理に話すな。」
キクヒトは、クラージュを近くにあった椅子に座らせると、側近たちに手当てを指示する。
「起こってしまったことは仕方ないわ。これからどうするか…それが問題ね。」
ルシファリスの言葉に、キクヒトも少し申し訳なさそうに話す。
「我が国で起こしてしまった事だ。これの詫びについては、少し考えさせてくれ。」
キクヒトの言葉に、ルシファリスは頷く。そして、ウェルに視線を向ける。
「ウェル、そろそろ春樹とあんたの3年の旅で経験した事、全て報告してもらうわよ。」
ウェルはそれに対して、静かに頷くのであった。
◆
スヴァル国。
都市トアールに在るグラプニル城。
ミカエリスは城内の一室で、ソファーに腰を下ろし、紅茶を飲んでいた。そして、何かに気づき、カップを置くのと同時に、ドアを開けてクロスが入ってきた。
「よう、ミカエリス。約束は守ったぜ。」
唐突に口を開いたクロスは、片手で抱えていた白衣を纏う一人の研究員を、その場に落とした。
ピクリとも動かない研究員を見て、ミカエリスは口を開く。
「殺しては…いないようね。」
「ケッ!途中で騒いだから、ちぃ〜とばっかりお灸を据えてやったがな。」
ムカつくと言ったように、クロスは研究員に蹴りを入れると、気がついたのか、その研究員は呻き声を上げた。
「…グッ、ガハッ…」
「おっ?気づいたか!おはようさん!」
「…うぅ…ここは?ここはどこだ!」
「ここは、スヴァル国のトアールという都市よ。」
春樹の問いに、クロスではなくミカエリスが応えた。春樹は金髪ボブの女性に目を向ける。
「スヴァル…だと?そうか!お前ら、俺を何度も襲ってきた奴らか!」
「ご名答。」
起き上がり、気づいたように声を上げる春樹に対して、ミカエリスは口元を緩め、小さく呟く。
「一体何が目的なんだ!俺なんか攫って何のメリットがあるんだ!」
「その理由はこれから話してあげるわ。」
ミカエリスはそう言って、座ったまま手を食器棚へと向けると、勝手に引き戸が開く。中からカップが1セット、ふわふわと浮かんで、目の前のテーブルに着地した。
ミカエリスはそれに紅茶を注ぎながら、春樹に話しかける。
「まずは紅茶をいかがかしら?この人はあまりこういうの好きじゃないのよね。あなたは、お付き合いいただけるかしら?」
チラリとクロスを見て、春樹に視線を戻す。クロスはそれに、頭を掻いて居心地悪そうな表情を浮かべる。
そんなクロスを尻目に、春樹は立ち上がると、ドスンとミカエリスの前に座り、紅茶を手に取った。
「あら…嬉しいわね。」
静かに微笑むミカエリスに構わず、春樹は紅茶に口をつけた。一口含むと、鼻腔をくすぐるように、甘い香りが通り抜ける。
「さてと、その理由とやらを聞かせてもらおうか。」
カップをソーサーに下ろすと、春樹は全く動じる素振りもなく、ミカエリスに視線を移して、そう告げる。
ミカエリスもまた、春樹の瞳を見据えて、うれしそうに静かに笑うと、ある物語を話し始めた。
※※※※※
その昔、まだ世界が平であった頃、各国は神の一族が統治していた。そして、世界を生み出した原初神に仕えていた天使族と魔族は、陰ながら神の一族の支援を行なっていた。
しかしある時、陰で支援する事に飽きた魔族は、世界に反旗を翻す。自分たちが表舞台に立ち、世界を我が物にしようと考えたのだ。当時は神の一族の力も薄まりつつあったのである。
それを防ぐ事ができたのは、魔族と同程度の力を持つ天使族であった。両者の力は均衡し、争いも長らく睨み合いが続いた。
すでに大樹に身を寄せた原初神は、それを大いに憂いた。しかし、できる事はほとんどなく、考え抜いた結果、異世界人を召喚する道を選んだのだ。
各国に降り立った異世界人により、国々が力を取り戻し始めると、ほとんどの国が天使族に味方し、魔族は劣勢を強いられた。
このまま負けてしまえば、魔族の地位は地に落ち、二度と取り戻す事はできないだろう。その事を強く懸念した魔族は、争いに加わっていなかったヘルヘレイムの悪魔族を、言葉巧みに騙して、自分たちの陣営に取り込んだ。
元々戦闘能力が、他の種族に比べて高い悪魔族を仲間にした事で、形勢は一気に魔族へと傾いた。
結果、天使族についたムスペル、ヨトン、ミズガルの3国と、魔族についたヘルヘレイム、スヴァルの2国がぶつかり合い、多くの犠牲を生み出してしまった。
原初神は、自らの行いが事態を悪化させてしまった事を悲しみ、大樹の力を借りて世界を三階層に分けてしまった。
※※※※※
ミカエリスは、話し終えると再びカップを口に運んだ。そして、喉を鳴らすと、静かに口を開く。
「この話は、あなたが聞いた物語とどれだけ違うのかしらね。」
「…」
春樹は無言で話を聞いている。
「ルシファリスがあなたに話した物語は、あれで全てじゃないわ。彼女はあなたに嘘をついてる。」
「…嘘?」
嘘という言葉に春樹が反応した事に、ミカエリスは心の内でニヤリと笑う。しかし、表情は変えずに、淡々と話し続ける。
「そう。まず、この世界の成り立ちについては、3種類の物語があるの。一つ目は魔族が作った物語、二つ目は天使族が作った物語、最後に神の子孫が作った物語ね。それぞれの物語は、それぞれの目線で都合の良いように作られているわ。本来なら、これら全てを知って初めて、この世界の歴史を紐解く事ができるのだけれど…でも、彼女はひとつしかあなたに伝えていない…」
ミカエリスは、そこまで話すと少し間を開けた。春樹の様子を伺い、何を考えているのか思案する。
当の春樹は、手を組み、考え込むように紅茶のカップを見つめていた。
そんな春樹へ、ミカエリスは確信的な発言をする。
「ちなみに彼女は…魔族よ。」
その瞬間、ミカエリスには春樹の組んでいる手に力が込められるのがわかった。
ミカエリスは口元だけに笑みを浮かべる。
春樹は少し間を置いて、「そうか」と小さく呟いた。
「あなたをここに連れてきた理由は、二つあるわ。一つは合わせたい人物がいること。もう一つは、世界の形を元に戻すために、私たちに協力して欲しいの。」
「世界の形を…戻す?」
「そう。世界を再び一つに戻すの。階層を取り払い、全ての種族が一つの世界で幸せに暮らせるように!」
微笑みながらそう告げるミカエリスに、春樹は疑問を投げかける。
「それに何の意味があるんだ?」
ミカエリスは、さらに微笑みを強めて応える。
「神の復活と…魔族の殲滅よ。」
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