欺瞞編 1-13 潜入
多くの人や馬車が行き交い、活気に満ち溢れた街がある。
ここトアールは、闇妖精族、いわゆるダークエルフが住まう国スヴァルの都市の一つで、流通の街として知られている大都市である。
スヴァル国内で、売り買いされる商品などは全てここに集まる。
大樹のすぐそばに位置しているため、他の国からの流通品も、この都市を通して、運ばれていくことになるのだ。
そんな都市の一画に、食材を扱う大きな市場が、腰を据えている。
所狭しと立ち並ぶ店々には、野菜や穀物、家畜や魚類など様々な種類の食材が並べられ、売る者買う者など、多くの人で賑わいを見せている。
そんな喧騒の中、人の流れを交わしながら、市場の中から小さな三つ編みの少女が、その体格には似合わない大きな紙袋を持って現れた。
袋には果物など食材が入っていて、おおよそ、お使いの帰りなのだろうと伺えた。
その少女は、目の前の大きな通りを横切ると、そのまま小走りで、路地へと駆けていく。
路地を抜け、住宅街へとついた少女は、足を止める事なく、一つの建物へと入っていった。
「ただいまぁ!」
勢いよくドアを開けて、帰宅の合図を響かせる。
「おかえりなさい、エフィル。頼んでおいたものは台所へ運んでちょうだい。」
部屋の奥から母親の声が聞こえた。エフィルと呼ばれた少女は、「はぁい。」と返事をして、紙袋を台所へ運ぶ。
ドサっとキッチンへ袋を置くと、1番上に置いていた果物を取り上げた。
「ニシシッ」
一本抜けている歯を見せて、エフィルは大きく笑うと、
「遊びに行ってきまぁす!」
そう言って果物を持ったまま、台所を後にし、勢いよく入口から飛び出した。
「夕食までには帰ってきなさい!」
そんな母親の叫びもお構いなしに、エフィルは登ってきた階段を一気に駆け降りると、建物から飛び出して、先ほど歩いてきた道とは反対へと駆け抜けて行く。
途中、知り合いのおじさんやおばさんから声を掛けられるが、そんな声も届かないくらい早い足取りで、エフィルは街の中を進んでいく。
半刻弱ほど駆けて、ある場所で足を止めた。
「ふぅ。」
少し乱れた呼吸を整えて、改めて目的の場所へ視線を向ける。
建物の間に、肩狭しと立ち尽くす教会。
窓の一部は割れ、所々ヒビも入っているし、壁には植物の蔦などが生い茂っている。入り口の門は、ほとんどが錆で覆われ、外れかけている。
一目でも、長年使われていないことがわかる廃教会は、かつて信仰の国として栄えてきたスヴァルの象徴として、国の様々な場所に点在していたものだ。
昼間であるにもかかわらず、建物の雰囲気は薄暗く、静けさと物寂しさが混じり合い、まるで、街の喧騒から切り取られた絵画のようである。
「…よし。」
エフィルは気を引き締めて、入口の門に手をかけた。錆びた音が静かに響き渡る。
そのまま5段ほど階段を登ると、教会の正面扉の前に着く。
エフィルは、そっと扉の取手に手を掛け、ゆっくり開いていく。開いた扉から、外の陽が差し込み、足元を照らしていくが、それも途中からまでで、光と闇の境がはっきりと伺える。
小さきエフィルにとって、この先は闇の世界であった。
教会の奥に目をやれば、天井に設けられた大きな窓から、陽の光が差し込んでいて、祭壇辺りを照らしている。
異様な静かさに唾を飲み込み、手に持った果物をギュッと握りしめると、エフィルはその光の空間を目指して、闇の中へと一歩踏み込んだ。
所々で床が鳴る音は、エフィルの恐怖心に拍車をかけていく。
身廊と呼ばれる中央の通路をゆっくり進んでいく。両脇の側廊には、過去に多くの信者たちが腰を据え、神に祈りを捧げたであろう長椅子たちが、静かに眠りについている。
エフィルは、祭壇の前まで来ると足を止めた。見上げれば差し込む光が、小さく舞う埃を、キラキラと輝かせている。
視線を戻すと、今度は何かを探すように、エフィルはキョロキョロとし始めた。
「…またお前か。」
後ろから急に声をかけられて、ビクッと直立不動の状態になるエフィルに、声の主は続けて声をかける。
「俺のことは、ほっとけと言っただろ。」
誰だかわかって、エフィルはホッと胸を撫でおろすと、振り向いて声の主へと返事をする。
「食べ物、持ってきたよ!」
ニカッと歯抜けの笑顔を浮かべ、果物を差し出すエフィルに、秋人は小さくため息をついて、
「…俺も甘いよな。」
そう言って果物を受け取る。
キラキラと目を輝かせながら、エフィルは秋人を見つめている。
秋人は、再び小さく息を吐き出して、果物を齧ると、
「ガリガリッ…、おん、ガリガリッ…、おまぁいな。」
モグモグしながら感想を述べると、エフィルはその言葉に満足したように、再び歯抜けの笑顔を見せる。
(変なのに懐かれちまったなぁ…)
少し困ったように、そう考えると秋人であった。
◆
時間は少し前に遡る。
グラードの攻撃を交わした秋人は、感じるままに西へと歩を進めていた。
森を抜けた時点で、天まで包み込むほどの大きな木が、かなり遠くに霞んで見えていて、秋人はずっとそれを目指していた。
(あそこに行けば…何かわかるかもしれない。)
そう考えながら、平原を駆けていく。
そういえば、なぜずっと走っていても体力が続いているのだろうと、初めは疑問もあったのだが、そこは異世界の不思議ということで、考えないようにした。
夜の平原を数刻ほど駆け抜けて、秋人はある丘の上で足を止めた。目の前には、視界に入り切れないほどの大樹が、まるでそこに腰を据えた巨人の背中のように、静かに存在感を示している。
そして、大樹の麓に目を向ける。
眼下には、大きな都市が伺えた。秋人が魔物に追われて、始めにたどり着いた街とは、比べものにならないほど大きく広がった街。
(ここなら、何か掴めるかもな…)
そもそもこの世界のことは、よくわからない。一度どこかに腰を据えて、情報を得る必要がある。この都市の広さなら、身をひそめながら、行動するのにはちょうど良いだろう。
秋人はそう考え、都市への潜入を試みた。
城門は、前回と同様に格子で閉じられていた。周囲は門兵が見回りをしている。
城門は諦めて、城壁に沿って周囲を探索していると、水が流れる大きな堀を見つけた。そして、城壁の下から飛び出した下水道も。
(しめた、下水道からなら、内部に入れるかもしれない!)
秋人は堀を越えて、下水道の入口へと立つ。下水道なだけあって、不快な刺激臭が鼻をついた。中は暗くて、よく見えない。しかし、僅かに風が流れているのを感じる。
(この風を辿れば…)
秋人は意を決して、足を踏み入れた。
◆
ある程度進むと、視線の先に明かりが見えた。音を立てないように慎重に進み、明かりの手前で足を止める。静かに見上げると、壁の側面に鉄格子が見え、そこから光が漏れ出しているようだ。
秋人はそっと耳を澄まし、能力が届く範囲の状況を確かめる。
(何かが動く気配はない…か)
人や動物の気配はない。
あとは、あそこから外に出られるかだ。鉄格子は幸いにも、人ひとりが通れそうな大きさである。
鉄格子に手を掛けてみると、思ったより簡単に外れた。ゴミなどが流れ込まないように、置かれただけのもののようだ。
頭から這い出るように抜け出して、近くの物陰にすぐさま身を隠す。
人影などはないようだ。
辺りを静かに伺うと、街の路地であることがわかる。
(…どうやら、うまく入り込めたようだな。)
あとは、身を隠せる拠点となりそうな場所を見つけよう。
秋人はそう考えて、腰を上げる。
建物の壁に張り付き、路地の切れ目から先の様子を伺うと、幸運にもあるものが目に入った。
(…教会?しかも、見た感じだいぶ使われてないな。)
建物の間に、ひっそりと座り込むように佇む廃教会。それはまるで社会の流れに乗れずに、はじき出され、顔を埋めて座り込む自分のように見えた。
(…チッ、嫌なことを…)
そう思うが、拠点にするには優良物件であることには違いない。
静かにため息をつく。吐き出された白い息は、月明かりに照らされながら、散り散りに霧散していく。
それを見届けると、秋人は教会の壊れた壁から、中へと消えていく。
それと同時に、街には雨が降り始めるのであった。
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