王都編 1-22 終章 旅立ち



踞る春樹に対して、女は咥えていた指をゴクリと飲み込み、再び斧を両手に持ち替える。

これで最後なのが、少し寂しいような表情を浮かべて、一度だけ斧を放り上げる。

クルクルと回る斧が、ゆっくりと最高点に到達し、重量に従い、女の手元に戻ってくる。

そうして、それをキャッチした瞬間、トドメの一撃を放つため、再び春樹に向かって突進する。


春樹との距離が、段々と縮んでいく。

接触する寸前に、女は両手に持った斧を、大きく振り上げる。その顔には、愉悦が浮かび、最高潮に達したように赤らめ、涎を垂らしている。




しかし…


斧が春樹の背中に当たる瞬間、それは起きた。


ガキンと乾いた音が鳴る。


見れば、最初に女の攻撃を防いだ緑の障壁が、斧と春樹の間を隔てるように存在している。

女は笑ってはいるが、少し困惑しているようだった。目一杯の力を込め、斧をギリギリと障壁に当てている。


もう一度斧を振り上げ、叩きつけようとしたその時、突然の衝撃とともに、女は後方へと吹き飛ばされる。

受け身を取りつつ、引き続き困惑の色を隠せず、春樹をじっと見据える。


その視線の先には、緑の障壁を纏ったまま、ゆらりと立ち上がる春樹がいた。

左手で短剣を握りしめ、女の方を振り返る。

光を失った右目とは対照的に、左目には強い光が宿っている。

やがて、春樹の周りから障壁が消える。

同時に、左手を広げて目を閉じる。まるで全てを受け入れると言わんばかりに。


女は少し驚いた表情を浮かべるが、すぐに笑顔に変わり、斧を上へと放り上げた。

弧を描いた斧が、再び女の手に戻った瞬間、春樹へと突進する。


春樹は動かない。


やがて、女と春樹の体が接触した。

春樹の胸には、斧が深く突き刺さり、春樹は吐血する。

しかし、そのまま左手を女の首に回して、抱きしめるような格好になる。


女は驚きを隠せず、離れようとするが、春樹の胸に突き刺さった斧は、微動だにせず、引き抜くことができない。

そうしていると、春樹の顔が女の耳元へと近づき、



「受け入れよう。誰のそばにでも、死はいるんだ。生きている限り、死は隣り合わせ。だから、俺は"お前"を受け入れる。」



そう呟いて、春樹は抱きしめる力をさらに込める。女は苦悶の表情を浮かべて、ジタバタしている。

春樹は続けて、女に話しかける。



「ただ、残された人たちのことを、よく考えなくちゃならない。無下にしてはならない。だから…」



春樹の強まった口調に、女はビクッと反応する。そして…



「俺はまだ死ねない!!!」



そう言って、女を抱きしめる左手に目一杯の力を込めた。

女は声にならない叫び声を発して、さらに苦悶の表情を浮かべる。バタバタともがき苦しみ、春樹から離れようとするが、春樹がそれを許さない。



「諦めろ…。俺は"お前"を、受け入れる。」



その言葉に、女は無表情になると、抵抗するのをやめた。

気づくと女の姿は、小さい頃の春樹に変わっていて、シクシクと涙を流していた。春樹は、小さな自分を包み込むように、優しく左手で抱きしめる。



「怖かったな。よく頑張った。」



いつの間にか右手と右目は元に戻っていて、その戻った右手で、小さな頭を優しく撫でる。

すると、小さな春樹の身体が輝き始め、そのまま春樹の中に取り込まれていった。



ミウルが杖を鳴らしながら、膝をつく春樹の元へとやってきた。



「やったじゃないか。」



春樹は、それには答えない。



「どうしたんだい?ここは喜ぶところだろ?」



再びふざけた振る舞いで、場を茶化そうとするミウルに、春樹は流されることなく、返事をする。



「…"死"って、何でこんなに悲しいのかな。もっと意味のあるもののはずなのに…」



それに対して、ミウルは真面目な顔で答える。



「僕にはよくわからないな。僕にとっての"死"は、君らと概念が違うから。」



春樹は無言のままだ。



「ただ、僕から一つ言えることは、"死"は敵ではなく、家路についた者を優しく迎え入れる存在だと言うことかな。君が受け入れたようにね。」



春樹はミウルの言葉に、静かに頷く。



「さて、そろそろ君ともお別れかな。君のおかげで、だいぶ魔氣を使い込んだからね。少し一休みとするよ。君にはまだ、やることがあるしね。」


「…そうだな。」



そう言いながら、春樹は立ち上がり、ミウルに視線を向ける。



「良い目だ。僕が求めるものとは、まだ程遠いが、良い目になった。現実に戻っても、残念ながら、その右目と右腕は、元には戻らない。だけど、今の君なら容易く乗り越えられるだろう。」



ミウルはそう言うと、くるりと後ろを向いた。



「再び会うには、時間がかかるだろう。それまで、期待して待つとするよ。」



そう言って、こちらは向かずに、帽子を上げて挨拶をすると、ゆっくりと歩き出す。



「ミウル!ありがとう!」



春樹の言葉に、歩きながら右手を上げ、どこから出したのか、ハンカチをヒラヒラと振り、去っていく。

その姿を見ている春樹に、覚えのある睡魔が襲いかかる。

春樹はゆっくりと目を閉じる。


聞き覚えのある声が聞こえてくる方へと、意識が吸い込まれていくのであった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「よいしょっと。」



ルシファリスの別荘宅の一室で、春樹は大きなバックを左肩にかける。



「…今日がご出発ですね。」



フェレスの問いかけに、春樹は静かに頷く。



「ウェルさんと一緒だから、大丈夫ですよ。」



フェレスにそう答えると、春樹は部屋の入り口へと歩を進める。フェレスは部屋から出ていく春樹を、無言のまま見送った。



あの惨劇の後、ルシファリスの研究所へ運び込まれた春樹は、なんとか一命を取り留めた。

聞いたところによると、一度、心肺は停止し、本当に死ぬ寸前だったようだ。

春樹自身、ミウルとの経験は覚えていなかったが、死を受け入れたという記憶は残っていて、目覚めた時は、他の誰よりも冷静だったという。


ルシファリスの安堵した表情は、今でも目に焼き付いている。

リジャンは春樹が目覚めるのを見届け、疲労でその場に倒れ込んでしまった。

クラージュとウェルは、自らの失態だと恥じて、死を持って償うつもりだったと言う。特にウェルは、誰よりも責任を感じていてる様子で、ルシファリスの言うことすら聞く耳を持たなかったのだが、春樹がそれを止めた。


目を覚ましてから、数週間が経ち、心も身体もある程度回復したところで、ルシファリスがある技師を紹介してくれた。


その技師は、失った身体の部位を再現する技術を得意としていて、春樹の失った右腕に合った義手を作ってくれた。

残念ながら、右目の再現は不可能であったが、春樹は、あの女を忘れないための十字架だと思っていたので、そこまで落胆はしていない。


義手には、ルシファリスから以前もらったバングルと同様の効果が付与されていた。リハビリを兼ねて、訓練を再開したのだが、相変わらず、魔氣のコントロールは下手くそで、義手の機能に頼らざるを得なかった。しかし、理由はわからないが、法陣の維持や事象の発現については、格段にレベルアップしていた。


義手に対する身体の拒否反応もなく、訓練も一段落したところで、春樹はルシファリスに、考えていたことを申し出た。

ルシファリスは、一瞬、難色を示したが、少し考えて、春樹の申し出を受け入れた。

そして、今日を迎えた。



春樹がエントランスに降り立つと、いつもの面々が顔を揃えている。

しかし、そこにルシファリスとリジャンの姿は見えなかった。



「ルシファリス様から、ご伝言を承っております。」



クラージュが、春樹へと声をかける。

春樹が頷くと、クラージュはそれを伝える。



「『野垂れ死は、許さない。成長して帰って来い』だそうです。」


「あいつらしいですね。」



春樹は、フフッと笑う。

そうして、面々を見渡す。すでにウェルは外で待っているようだ。



「みなさん、ありがとうございます。」



深々と頭を下げる春樹に、面々から見送りの言葉が送られる。いつの間にか、フェレスもエントランスに来ていることに気づいた春樹は、



「フェレスさんも、ありがとう。」



と伝える。

フェレスは、無表情で何を考えているかはわからなかったが、スッと春樹の頬に手を置いた。

その予想だにしなかったフェレスの仕草に、春樹はドギマギしてしまう。



「…ハルキ様、どうかお気をつけて。」



そう告げるフェレスの顔に、哀愁が漂っているのが、春樹には感じ取れた。

頬に置かれた手が、スッと引かれると、春樹は腰を折って頭を下げる。


そして、頭を上げてくるりと振り向き、ウェルの待つ外へと踏み出していった。




ルシファリスは、別荘宅の屋上から、通りを歩いていく1人の青年と、熊の背中を見下ろしている。


ふたつの背中は、ゆっくりと遠ざかって行く。



「本当にいいのか?」



リジャンの問いかけに、ルシファリス静かに頷く。



「あいつが選んだ道よ。異論はないわ。」


「それにしちゃあ、悲しそうな顔だな。」


「ふん。悲しいわけないじゃない。私としては、あいつが力をつけることに賛成なのよ。」


「まぁ、お前がよけりゃいいんだが。」



そう話すリジャンを一瞥して、ルシファリスは静かに笑みをこぼす。



「必ず戻ってくるわ。必ずね…」


「ん?なんか言ったか?」


「何でもないわ。行くわよ。」



そう言うと、ルシファリスは王都へと引き返して行く。それに続いて、リジャンも後を追った。

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