王都編 1-21 夢の中で会いましょうpart3



「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



雄叫びとともに、春樹は女の突進を迎え撃つ。

両者が接触する寸前に、春樹の左側から横一線に放たれる斧。

寸分の狂いもなく、春樹の首筋へ正確に斧が飛んでくる。


しかし、斧が首に届く前に、春樹の短剣がそれを防いだ。

ガキンと鉄の渇いた音が響き渡る。



「うおりゃぁぁ!」



間髪入れずに、今度は春樹の短剣が、女に向かって直線を描く。しかし、そう簡単にはいかない。途中で右手を抑えられ、短剣の軌道はそこで止まる。


ギリギリと、互いの力をぶつけ合う。


春樹は、自分の動きに内心驚いていた。

予測はしていたとはいえ、女の攻撃を防ぎつつ、カウンターまでも放つなんて。


若干、春樹の力の方が押している。

このまま押し切って、追撃できそうだと思い、グッと力を加えた瞬間、女は込めていた力をスッと抜く。力を抜かれて、春樹が前のめりになると同時に、下に潜り込み、蹴りを放った。



「ぐぇっ!」



放たれた蹴りは、土手っ腹にクリーンヒットして、春樹は後方は吹っ飛ばされ、受け身も取れずに、背中から着地する。



「っ痛てぇぇ…」



お腹をさすりながら、立ち上がる春樹の横に、ミウルが再び立っている。



「なかなかやるじゃないか。経験不足なところもあるけど、いい線いってるよ。」



杖で地面を鳴らして、春樹に声をかける。



「そりゃ、どうも。」



蹴られた部分をはたきながら、春樹は再び構えて、女の攻撃に備えつつ、ミウルに尋ねる。



「あのさ、あいつって、この短剣で切れるのかな。なんか不安なんだが…」



その問いに、ミウルはニヤリと笑い、



「その短剣じゃあ、切れないだろうね。」


「…やっぱりか。どうするかなぁ。」


「……」



構えながら思案する春樹に、ミウルは疑問を感じて、問いかける。



「意外と…冷静だね。」


「あん?俺がか?冷静なのかよくわかんないけどさ、一撃交えてみたら、少し余裕が出たかな。でも、負けたら死ぬんだろ?そこに対する恐怖は、消えてねえよ。」



春樹の答えに、「ふーん。」とだけ呟き、ミウルは何かを考えている。そのうち、思いついたように、ミウルは春樹に声をかける。



「まぁ、ひとつだけヒントを出すなら、ここがどこか、よく思い出すといい。僕の魔氣もそう永くは持たない。長引かせると、負けるよ。」



そう言って、少し離れたところまで歩いて行き、春樹のことを見守るように視線を向ける。

春樹は、ミウルの言葉を頭の中で反芻する。



(…ここはどこか…か。なるほどな、ここは俺の頭ん中ってか。しかしなぁ、考えたことが現実になるとは言っても、簡単に"死"を克服できてたら、怖いもんなんてないよなぁ。)



そう考えて春樹は、一瞬だけ気が抜けてしまう。そのまま瞬間、



「くるぞ!」



ミウルの叫びにハッとして、正面を見ると、女がほとんど目の前に来ている。



(やっば!)



咄嗟に短剣で首を守ると、鉄の渇いた音が再び響き渡り、女が駆け抜けて行くのを感じた。すぐさま振り返って、女に視線を向けると同時に、右の太ももに熱い痺れを感じる。

見ると、服が裂け、その隙間から出血している。



(痛い!切られると、こんなに痛いのか!しかも、切られたことに気づかなかった…)



そうこうしていると、女がゆっくりと春樹の方へ振り返る。そして、左手に持つ斧についた春樹の血を、舌でペロリと舐め、恍惚とした表情を浮かべている。


その瞬間、館での出来事がフラッシュバックする。あの表情に恐怖した自分を、思い出す。


冷や汗が止まらない。

意に反して、膝が笑っている。


呼吸が荒くなり、口の中が乾き始める。唾を飲み込もうにも、喉が張りついていて、逆に嗚咽を覚える。

咳き込みながら、辛うじて片目だけで女を捉えているが、次の攻撃への恐怖が拭えない。


ーーー体が…震えている。



そんな春樹を、ミウルは目を細めて見ていた。右目と右腕を奪い、自分を死の淵に追いやった元凶が、再び自分に刃を振るっているのだ。心の奥底にこびりついた、恐怖やトラウマは、そう簡単には拭えない。

一度思い出せば、立ち直るのには時間がかかる。



「…やはり、ダメかもしれないな。」



ミウルは、ぼそっと呟いた。

そんなミウルのことなど、気にすることなどできるはずもなく、春樹はただ、女への恐怖と闘っていた。


女はというと、春樹の様子を伺い、未だに恍惚とした表情を浮かべている。

そして、上に放っていた斧を、キャッチすると同時に、再び春樹へ突進する。



「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」



今度は短剣でなく、左腕で首を大きく守った体制で、右手の短剣を、突進してくる女へと振り下ろす。


が、左腕に鋭い痛みが走ったかと思うと、右目に激痛を感じ、ヨタヨタと後退りする。

痛む左手で、なんとか右目の状況を確認する。暖かいものが流れており、右目を開けようとすると、再び激痛が走った。



(右目を…潰された?)



記憶と痛みがリンクして、忌まわしい記憶を想起させる。焦点の合わない左目で、なんとか女を捉えるが、再び恍惚とした表情が映り、それが春樹の恐怖心を増長させる。



「…やっ、やめろ…。来るな…来るな…」



後退りしながら、春樹は右手の短剣を振り回す。女はそれを見て、恍惚とした笑みをいっそう深める。

踵が躓き、尻餅をつきながらも、春樹は短剣を振り回して、後ずさる。



「嫌だ…嫌だ。怖い…怖い…怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。」



残った左目で涙を流しながら、春樹は必死に短剣を振り回す。女は楽しむように春樹目掛けて突進し、今度は左の頬と右手の人差し指を持っていく。


右手を顔の前にあげると、人差し指の第二関節から先がなくなり、血が溢れている。



「うわぁぁぁぁぁぁ!やめろぉぉぉぉぉ!」



春樹は必死に立ち上がり、女がいる方向とは逆へ走り出した。それを見た女はクスクスと笑っている。



「死にたくない…死にたくないよぉ!」



春樹は出せる全力で走りながら、本心をぶちまける。



「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁ!ぐあっ!」



不意に、体の右側のバランスが崩れて、倒れ込む。両手で体を起こそうとするが、右手が出てこない。右肩の辺りが焼けるように熱い。違和感を感じて、右手に視線を向けると、もはや右腕はそこにはなく、切断面からドバドバと血が流れている。



「があぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」



認識した途端、鋭い痛みを感じて、春樹は声にならない叫び声を上げる。

そう、のたうち回る春樹の目の前に今度は、「ドチャッ」と音を立てて何かが落ちてきた。



ーーー右手…?



痛みの中で、ゾワリとした感覚が背筋を襲う。



ーーー俺のだ!!



それに気づくと、胃の中のものが逆流してくるのがわかる。うつ伏せのまま、左手で抑える口からは、吐瀉物が撒き散らされている。


涙で霞む視界には、女のとろんとした笑顔が浮かんでいて、春樹から奪った人差し指をチュパチュパと咥えている。


ーーーー狂ってる。

ーーーーこんなの、勝てるわけがない。


もはや、根本から折られてしまった心を抱えるように、春樹はその場に踞り、声にならない嗚咽を繰り返している。



一部始終を見ていたミウルは、残念そうな表情を浮かべていた。



ーーーやはりだめか



そう思い、目をつぶった…



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



春樹の中で、記憶が蘇る。

小さい頃の記憶。


小さな病室に、ベッドで眠る自分と、その横で啜り泣く母。春樹はそれを上から俯瞰して見ている。

そして、その光景からある事を思い出した。



(これは…俺が交通事故にあった時だ…そして…)



少しすると、静かにドアが開き、父が入ってきた。

母の背中に手をやり、声をかける父。そして、父から何かを聞いた母は、大きく泣き崩れる。


父が何を言ったのかわからないが、母の様子からして、恐らく自分は助からないのだろうと悟る。


この記憶を、自分は覚えている。

しかも、その時も自分は、俯瞰で2人を見下ろしていたことも。

この後、俺は息を吹き返したはずだ。でなければ、その後の俺はいないのだから。


しかし、今になってなぜ、この記憶が思い出されたのだろう。そう疑問に思いながら、2人を見据える。


そんな最中、母の様子を見ていると、段々と悲しみが心を埋め尽くしていくことに気づく。

残された2人は、一体どれだけの悲しみを背負って生きていくのだろう。

自分はなんで親不孝なことをしたのだ。

まだ死にたくない、2人と一緒にいたい。


そう強く願い始めた時、ベッドの上の自分が目を覚ました。

父と母は、泣きながら喜び、3人で抱きしめ合っている。


その様子を見て、春樹がホッとすると、その場面は消え、暗闇の中に取り残される。

あたりを見回すと、ミウルが立っているのに気づく。



「やぁ、思い出には触れられたかな?」


「…これはお前が見せたのか?」


「そうさ。君が唯一、死を乗り越えた経験さ。」


「…なぜ、そんなことを。」


「…君は今、本当の意味で死を迎えようとしている。さっき"死"の奴に、心をポッキリ折られたからね。」



春樹はそれを聞いて、先ほどまでの自分の状況を思い出した。体も心も、完膚なきまでにボロボロにされ、地面に這いつくばっていた自分を。



「そっか、負けたんだな。俺は。」


「まぁね。」


「悪かったな。しかも、恥ずかしい格好まで見せてちゃってさ。」


「そうだね。見苦しいったりゃありゃしないよ。あの姿は。」



ミウルのその言葉に、春樹は何も言い返せず、グッと歯を食いしばる。



「でもね、今回、この記憶を見せたのは、僕にとっても、最後の手段なのさ。さっきも言ったが、あの記憶は、君が死を乗り越えた唯一の経験だ。なぜあの時、君は乗り越えることができたんだい?」


「…それは、思い出したよ。あの時、父と母を俯瞰で見ている俺が確かにいた。そして、悲しむ2人を見ていたら、急に悲しくなってきて、絶対に離れたくない、一緒にいたいって強く願ったのを覚えてる。そしたら、目が覚めて、号泣している2人が目の前にいたんだ。」



ミウルは、春樹の話を静かに聞いている。



「死ぬことがなぜ怖いのか。あのときわかった気がするんだ。自分がいなくなることよりも、いなくなったことで、残された人がどれだけ悲しむのか。そのことに恐怖したのを、よく覚えているよ。」



春樹は、静かにため息をついて、ミウルに問いかける。



「…まだ、間に合うだろうか。」



ミウルは目を瞑ったまま、一言呟く。



「君次第さ。」



ミウルは目を開いて、春樹を見つめる。



「ここから先は、僕は何もできないだろう。本当の意味で、君は"あいつ"を倒さなければ、本当の本当に最後だ。その時は、僕も受け入れるよ。君を選んだのは、僕なのだから。」



ミウルはそう言うと、帽子を被り直して、後ろへ振り向き、



「…最後のチャンスだ。頼んだよ。」



そう言って、暗闇へと消えていった。

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