王都編 1-19 いまわの際

春樹と謎の女性の一戦が繰り広げられる、数刻前のこと。


クラージュはある伝言を受け取り、ルシファリスがいる研究所へと向かっていた。


ーーー至急、研究所へ来ること


ただ、それだけが書かれたメモ。

しかし、筆跡はルシファリスのものであった。

これを使用人から受け取り、急いで馬車を準備させて、乗り込む。



「ハルキ殿が目覚めたら、夕食を先に食べていてください。どれだけかかるかわかりませんので。」



馬車の窓から顔を出して、出発する前にウェルにそう伝え、館を後にした。

しかし、なぜルシファリスは、メモという原始的な手段を、わざわざとったのだろうか。

クラージュは少し疑問を残しつつも、アルフの研究所へと急いだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ウェルはクラージュを見送ると、館に戻り、春樹の様子を確認するために、2階へと上がった。廊下を歩いていると、使用人のエマが、春樹の部屋から出てくるところだ。



「やぁ、エマさん。」


「ウェル様、お疲れ様でございます。」


「ハルキ様の様子は、どうです?」


「静かにお眠りになられております。部屋の換気と、目覚められた時のために、水を準備しておりました。」


「そうですか。ご苦労様です。」



ウェルはエマに対して、「ありがとう。」と頭を下げ、エマを見送り、春樹の部屋へと入る。

ベッドの上には、静かに横たわる春樹がいる。少し陽も傾いただろうか、窓からは西日の強い日差しが、差し込んでいる。

オレンジ色に染まる部屋を見回し、一つため息を落とす。



「そうそう、ウェル様。夕飯まで少し時間があってございましょう。もし小腹が空いたのであれば、食卓にお客様からいただいたお菓子がございますよ。」



先ほど挨拶をして、見送ったはずのエマの声が聞こえた。ウェルが振り返ると、エマの姿はもうない。

ウェルは首を傾げながら、春樹へと視線を戻す。


死んだように眠っている。あれだけ体に負担をかけたのだ。それもそのはずである。


ウェルは罪悪感を感じていた。

あのような助言をしてしまったことを、軽率であったと恥じていたのだ。

異世界人であるという特質さによって、状況を軽視しすぎた。もっと春樹の立場になって、考えてやればよかった。


そう考えながら、静かに寝息を立てる春樹を少しの間見据える。

もう一度、静かにため息を落とすと、ウェルは部屋を後にし、食堂へと向かった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



使用人であるエマは、裏庭で洗濯物を取り込んでいる。

最後の一枚を手に取り、綺麗に畳むと足元に置いてあるかごへ置く。

カゴを持ち上げ、裏口へと足を運ぶ。途中食堂の横を通ると、ウェルの姿が見えたが、先にやることを済ませなければと、横目に通り過ぎる。

2階への階段に差し掛かったところで、違和感に気づく。


玄関が開いている。


先ほどまで、クラージュ様を見送るため、ウェル様が外にいたはずだ。大方、閉じ忘れたのだろうと、階段の途中でかごを置き、玄関へと足を運ぶ。

一旦、外に誰もいないか確認するため、顔だけをひょこっと出す。

館の目の前を馬車が1台、通り過ぎていく。

問題ないことを確認し、エマは玄関の扉を閉めて、鍵をかけた。


再び、かごの元へともどり、2階へと進んだエマは、春樹の部屋の前に立つ。

返事はあるはずないが、ノックをしてドアを開け、中に入る。

ベッドには、春樹が静かに眠っている。それを確認すると、入口の横にある棚へ、先ほど取り込んだ衣類やタオルを詰めていく。

一通り片付け終わり、エマは1番上の衣類を手に取って、ベッドの横のテーブルへと置き、それを整える。


そこまで終えると、かごを手に取り、入り口の前に戻って、春樹へ視線を向ける。

少しの間、春樹の様子を眺めて、一礼をして部屋を後にした。


階段を降りて、再び玄関が開いていることに気づく。


ウェルが外に出たのか。別の使用人かもしれない。


とはいえ、開けっ放しは不用心すぎる。

エマは少し憤り、確認のため玄関へと向かう。

ちょうど玄関前の広間に差し掛かったところで、横から声をかけられ、振り向いたエマは言葉を失った。



「あら、本物と出会ってしまいましたね。」



そこには、"自分"がいた。

自分と瓜二つの顔を持ち、メイドの服を着た得体の知れない何かが。


「ひっ」と声を上げた瞬間、喉に熱いものが走ったと思えば、土手っ腹に蹴りを受け、エマの体が吹っ飛んでいく。

鈍い音と共に壁に激突し、エマはその生涯に幕を閉じた。


もう一人のエマは、笑みをこぼし、その遺骸を見つめる。そして、2階に向かう階段を一瞥すると、ニヤリと笑うのであった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



研究所についたクラージュは、驚愕の事実を耳にする。



「え?私が?そんなメモ、書いた覚えはないけど。」



ルシファリスはそう言いながら、青い液体が入った試験管に目を通している。



「…左様で…ございますか。」



ルシファリスを横目に、一瞬だけ考える仕草をした後、クラージュはすぐさま、入ってきた扉へと足を急ぐ。



「ちょっ、ちょっとクラージュ!話が見えないんだけど!」


「ルシファリス様、話は後で!館へ増援をお願いします。」



そう言って、クラージュは扉から出て行った。ルシファリスは少しキョトンとした後、ハッとして、



「ウェルに連絡を!リジャンっ?リジャンはどこにいる?」



一人の研究員に、ウェルへの連絡を指示した後、リジャンを呼びながら、ルシファリスも部屋を後にした。



クラージュは、馬車には乗らず、自らの足で館へと急ぐ。屋根から屋根へ、館へ最短距離を、一直線に駆け抜ける。

自分が館を後にして、すでに半刻は過ぎている。非常にまずい状況であると理解しているクラージュは、珍しく額に汗を滲ませている。



「どうか…間に合ってくれ…」



駆け抜けながら、ぼそっと呟き、街で一番高い時計台の上を飛び越える。

眼下に目標の別荘宅を捉えると、クラージュの足が光り、法陣が現れる。そのまま空中を蹴り、その高さから一直線で、館の庭を目指す。


噴水の前に着地すると、血の匂いに気づく。勢いよく玄関の扉を開くと、外とは比べ物にならないほど、血生臭い匂いが鼻をついた。


目の前の広間に血溜まりを見つけ、そこへ駆け寄ると、横へと血の跡が続いている。

それを目で追っていくと、そこには春樹の凄惨な姿があった。


クラージュは、春樹の元へ急いで駆け寄る。右目は潰され、右腕の肘から先がなく、出血が激しい。鼻や口からも血を流しており、頭に強い衝撃を受けたことがわかる。一目見れば、もはや手遅れであるが、クラージュは首筋に手を当てる。



「まだ…脈はある。」



そう言って今度は、口元へと耳を近づけると、「ヒューヒュー」と小さいが、呼吸音が聞こえる。



「ウェルっっっっ!」



物凄い地響きとともに、大きな声が館内へ響き渡る。すると、焦ったように食堂から走ってくるウェルが見えた。ウェルが着くまでに、右腕の止血を手早く済ませ、



「ルシファリス様へすぐに連絡を。研究所へ向かいます。」



到着したウェルにそう告げる。



「研究員から連絡は受けてます。ルシファリス様へも、今から向かうと連絡しました。私の…失態です…」


「今はハルキ殿を救うことが先決です。すぐ参りますよ。」



クラージュの言葉に、ウェルはグッと歯を食いしばり、春樹を背負う。

そして、クラージュの後へと続いて、研究所へと向かって行った。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



研究所に到着すると、数名の研究員とともに、ルシファリスが3名を迎える。

春樹をストレッチャーのようなものへ乗せ、研究所内へと入っていく。


ルシファリスは、意識朦朧の春樹へと叫び続けている。



「起きなさい!死ぬなんて許さないわ。」



それに対し、春樹は無反応のままある一室へと運び込まれて行った。

ルシファリス、クラージュ、ウェルの3名はそれを見送りつつ、後から来たリジャンに、



「あとは頼んだわよ。」



と伝える。

リジャンは頷き、



「最善は尽くす。」



そう呟いて、部屋へと入って行った。

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