王都編 1-18 死の感触②
何度か法陣を維持する訓練の後、春樹は気を失い、訓練はお開きとなった。
春樹が目を覚ますと、別荘宅の部屋のベッドに横になっていた。
「…また、気を失ってたのか…」
ベッドで横になったまま、そう呟く。
昨日よりは体の痛みは少ない。これなら動けそうだ。そう思い、春樹は体をゆっくりと起き上がらせる。
その瞬間、全身に筋肉痛のような痛みが走る。
うめき声を上げながら、ベッドから立ち上がり、テーブルに準備してある水をコップに注いぐ。
そのまま、一気に喉へと流し込み、一息ついて、今度は入り口に向かう。ドアに手をかけ、廊下に出て、トイレに向かう途中に、春樹は異変を感じとる。
「…あれ?誰もいないのか?」
この別荘宅はそこまで広くないため、使用人の数もそんなに多くはない。しかし、一応ルシファリスの館である。大抵、廊下に出れば、誰かに会う。
しかし、今は違う。
前にも、後ろを振り返っても誰にもいないのだ。
"たまたま"だったのかもしれない。しかし、何故だか春樹にはそう思えなかった。館内の雰囲気が、何かを物語っているように感じたのだ。
「…誰か!いないんですか?」
精一杯に声をあげて問いかけるが、どこからも返事はない。
軋む体に鞭を打って、ゆっくりと一階へと向かう。階段を降りて、一階のエントランスに着くと、正面玄関が開いている。
春樹は顔を顰めて、玄関の方へと向かう。
(玄関が開けっぱなし…?クラージュさんらしくないな…)
そう思いながら、玄関に向かう途中に、視界の隅に、何が映った。
左へと続く廊下の先に、横たわる"それ"。
視線を向けなくても、それが何かわかってしまった春樹は、背中に冷たいものが流れるのを感じながら、ゆっくりとそちらに視線を向ける。
"それ"は壁に背をもたれ、真っ赤なカーペットの上に、静かに佇むように座っている。人形のように一点を見つめ、見開かれたまま、2度とは閉じないであろう双眸。
首筋からは真っ赤な液体が滴り、蓋をする様に頭が置いてあるだけの"それ"から、春樹は目を離せずにいる。
生唾を飲み込むと、体の硬直がゆっくりと溶け始める。いつの間にか、体の痛みを感じないほど、脳内麻薬がドバドバ出ているのを感じる。
意を決して、そちらへ一歩足を踏み出した瞬間、今度は後ろに気配を感じる。
その気配は、この世のものとは思えないほどおぞましく、気持ちの悪いもので、春樹はすぐさま後ろへと振り返る。
「あは…あはは…君が"ハルキ"くん?合ってる?間違ってる?」
視界に入ってきたのは、ニコニコと笑っている身長の高い女性。
背丈は春樹ほどで、顔立ちは目尻の垂れたおっとりとした雰囲気。頬と鼻にはそばかすがあり、少し幼さが残るものの、美人の部類であろう。
羽織っている黒い外套は、所々が赤く染まり、中に着ている同色の装束は、肌にぴたりと張り付いている。
その装束からも、体のラインがわかるほど、すらりとした細身で、髪は赤毛で三つ編みを一本、後ろから垂らしている。
まさか彼女が、と思わせるほど普通すぎる容姿。にも関わらず、外套にこびりついたその真っ赤な染みが、これでもかというほど、彼女の所業を物語っているのだ。
「おまっーーー」
動揺しつつも、咄嗟に声をかけようとした次の瞬間、何かが頬を掠める。
ドスっ
後ろの方で、何かに当たる鈍い音がした。
春樹は後ろを振り返る。
さっき見た遺体の額には、小さな斧が突き刺さっていた。
「聞かれたことだけ、答えてくださいね〜。」
斧を見つめる春樹に向かって、その女性は少し困った表情を浮かべつつ、簡潔に伝える。
全く反応すらできなかった春樹は、自分の命が、相手の手の平の上にあることを悟った。
心臓の鼓動が、速度を早めていく。息をするのが苦しい。
今までとは違い、春樹の頭の中で警鐘が、MAXで鳴り響いている。
ーーーここにいたら、本当に死ぬ…
ゆっくりと女性へと視線を戻し、刺激しないよう慎重に言葉を選びながら、彼女の問いかけに答える。
「これはお前が…やったのか…?」
その問いに、彼女は唇の下に人差し指を置き、考えるようにしながら、
「う〜ん、まぁ、そうですね〜。ちょっと時間がかかっちゃいましたが。」
と言って舌を出す。
言葉筋からおそらくではあるが、他の使用人たちも彼女の手にかかったのだろう。それだけの残虐行為をしたのにも関わらず、てへぺろっと、舌を出してポーズを取る光景は、もはや異様というしか他ならない。しかも、話し方が穏やかすぎて、違和感しかないのだ。
「何が目的なんだ…」
「私は依頼に従ってるだけですよ〜。この館の人間を皆殺しっていう。」
「だっ、誰の依頼だ…」
その問いには、彼女はすぐには答えず、ニコニコ笑いながら、唇に人差し指を当てて、シ〜っと、
「"シュヒギム"ってやつですね〜」
そうウィンクしながら、ポージングする。
(こいつ、マジでやばいやつだ…)
春樹は、それを見て一歩後ずさる。
自分もその対象なのか、それとも今まで通り、拉致対象なのか、どちらにせよ、結果はBADである。
相手の出方がわからない以上、下手には動けないが、現状を打破するには行動するしかない。
必死に思考を巡らせる。
何が最適解であるのか。
(考えろ…考えろ…考えろ…考えろ…)
自分に出来ること、出来ないこと、相手がどう動くのか、逃げれるのか、逃げれないなら戦えるのか…
(せめて…殺されないとわかれば…やりようはあるはずだ。)
春樹は意を決して、問いかける。
「…俺も…殺すのか…」
その問いに、彼女は笑顔を崩さない。
そして、その笑顔のまま、平然と答える。
「私は殺したいんです。いえ、殺して、助けてあげたいんです。それが一番良くて、あなたのためになると思うんです。」
理解し難い言葉を並べる彼女に、春樹は言葉が出てこない。
「だって、生きるのって苦しいでしょ〜。死んでしまえば、考えることも必要ない。苦しむことも必要ない。幸せになれると思うんですよ〜。私はそれを手伝ってあげたいんですぅ〜。」
そう話しながら、彼女はとろけそうなほど恍惚とした表情に変わっていく。まるで、その行為が、快感であるような、そんな表情を浮かべている。
一本の指を口に入れて、耐え切れず、「ああ」と胱惚の声を漏らす彼女に対し、春樹は意外と冷静に、意見を投げる。
「…生きるかどうかは、その人が決めることで、あんたが手伝うことじゃない。」
こんな相手を刺激するような発言、なんで言ってしまったのか、あとで後悔できればいいのだが。
春樹の発言を聞いて、彼女の表情がキョトンとなっている。そして、考える仕草をした後に、
「まぁ、考え方はその人の自由ですから。私は私なりの信念のもとに、動いているということで。」
と、ニッコリと笑顔を浮かべる。
そして、腰に手を回して、何かを取り上げる。
柄の部分から刃に向けて、大きく湾曲した形状で、斧のように見える。だが、柄は太く、刃よりも大きくなっている。春樹には、ナイフの類のようにも見えるそれを、彼女は両手に持ち、その一本をくるくると上に投げては、キャッチを繰り返している。
「これ、フランキスカって言う斧なんです。知ってます?斧って、大きくて重くて、殺しにくいから嫌いなんですけど、これは小さいし、普通の斧と違って、良い切れ味を持っているんですよ。さっきみたいに、投げて当てることも可能ですよ〜。」
そう言いながら、投げ上げた小さな斧をキャッチした瞬間、女は唐突に春樹へと突っ込んできた。
急な展開に、春樹はただ、その突進を受け止めるしかない。
無意識に両腕でガードしたのか、強烈な衝撃が腕に襲いかかり、足が地を離れ、春樹は後方へと吹っ飛ばされる。
ぐるぐると回る視界の中、次にきたのは背中を襲う衝撃だった。
受け身も取れないまま、春樹は壁に激突する。
一瞬、息ができなくなる。が、意識は残っている。それを叶えてくれたのは、先ほど春樹が歩み寄ろうとした使用人の1人であった。
ゲホゲホと肺に空気を送り込む最中で、間近に見た遺体の衝撃に、胃の中から込み上げてくるものを必死で押さえ込み、心の中で感謝を伝える。
まだ、腕が痺れているが、なんとか立ち上がる。
そして、女の方へと視線を向けつつ、春樹は推測を確信に変える。
(奴は…俺を殺さない。)
殺すのであれば、わざわざ吹っ飛ばす必要もない。春樹が反応できないほどのスピードで、あの斧を投擲したのだ。殺すのなんて訳ないはずだ。
しかし、彼女はしなかった。いや、できないのだ。最初の話ぶりからしても、依頼主から殺すなと言われているのだろう。
なんにせよ、春樹にとってすぐに殺されない状況は、好都合である。
クラージュやウェルが居ないことに、疑問は残っている。だが、今それを考えても、無駄だと春樹はすぐに切り替えた。すぐに2人が現れる可能性は、ほとんどないと思った方が良い。
春樹は、ガクガクと震える膝で体をなんとか支え、クラクラする頭で、思考を巡らせながら、女から視線を外さないようグッと目を凝らす。
そんな春樹の様子を伺っていた彼女は、少し驚いた表情を浮かべていた。
「驚きましたよ〜。意外と打たれ強いんですね〜。タフな男性って、魅力的ですよ〜。」
そう言いながら、またしても笑顔のまま、斧を投げてはキャッチを繰り返している。
春樹は身構えて、相手の次の動きに備える。
(俺に出来ることがあるとするなら、それは一つだけだ…。)
目で彼女の動きを捉えることは、不可能だと断言できる。さっき土手っ腹を狙ってきたのは、動きを鈍らせる為だとすると、次は意識を刈り取りにくるはずである。であれば、頭部から首にかけての、どこかを狙ってくるはずだ。
春樹はその推測にかける。絶望的な戦力差があるのは、すでに理解できているのだ。
あとは腹を括るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、相手をじっと見据える。
その眼を見た彼女は、
「あぁ…だめです。ハルキさん…そんな眼で見られると…」
再び胱惚の声をあげ、うっとりとした表情を浮かべながら、指を咥え始める。
「………ダメダメ。だめですね、私ったら…久々にそんな視線を向けられたので、つい……あまり時間もかけられないので、そろそろお開きにしましょうね。"ハ・ル・キ・くん"」
そう言って、手で斧を捕まえた瞬間、彼女の姿が見えなくなる。春樹はグッと頭から首まで、全体の神経を集中させる。
次の瞬間、こめかみに衝撃が走った。
目がチカチカしていて、平衡感覚がなくなっていく。意識が薄れていく中で、春樹は諦めず、必死に意識を保とうとする。
しかし、その甲斐虚しく、あと一歩で眠りにつけそうだったところに、耳元で声が聞こえた。
「これで、終わり。」
その声が聞こえた瞬間、春樹は意識を無理矢理覚醒させ、声のした方へ掴みかかるように手を向ける。
「ぐぅぅああああああああああっ!」
春樹の予想に反した行動に、彼女は驚き、動きが一瞬遅れた。その一瞬で春樹の右手が、彼女の左手を掴むことに成功する。渾身の力で、腕を握り締める春樹に対して、彼女は振り解こうとするが、思っていたより握力が強く、すぐには解けない。
そのたった数秒の間に、春樹は最大限の想像力で、念じていく。
「熱くなれ熱くなれ熱くなれ!はじけろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
彼女は、春樹が腕を握って何をしたいのか、理解ができなかった。そう、自分の左腕が弾け飛ぶまでは。
ボフッと鈍い音を立てて、肘から先が粉々に弾け飛ぶ。一瞬何が起きたのか分からず、残った右手で持った斧を、春樹の右目に突き刺す。激痛で春樹がよろめいた瞬間、頭に蹴りを入れて、吹き飛ばす。
そうして、状況確認をするために、後方へと距離を取る。
左腕から跡形もなく消えた、肘より先の部分。チラリと目をやると、真っ赤な血が、勢いよく噴き出ている。外套の一部を破り、左腕を縛りつけ、止血を行うと、再び春樹へと視線を向ける。
よろよろと立ち上がって、残った左目でこちらを見据える男が見える。
「…あなたのこと、少し侮っていたみたいです。それにしても、私ったら激しく失敗ですね。傷つけてしまうなんて…」
春樹の右目を奪ってしまったことを、本気で嘆くように涙を流しているが、それに対して、春樹は無言で立ちすくんでいる。
「そんな力持っているなら…もっと…」
左腕が無くなっていることにも、お構いなしといった感じで、彼女は「あぁ」と胱惚の声を漏らす。
「…今回のことは誤算ですね。私にとっては嬉しいことですけど。」
彼女はそう言うと構えを解く。
「また…会えるといいですね。会いたいですね。会いましょうね。そろそろハルキくんのお守りが帰ってきちゃいますね。私はここらで帰るとします。」
そう言うと、窓を突き破り、壁を跳躍しながら姿を消すのであった。
春樹はその場にドサっと倒れ込む。
実はと言うと、最後に入れられた蹴りで、意識はほぼないに等しい。
無意識に気合いで、立っていたのだ。
消えかける意識の中、春樹は少しだが満足感を得ていた。自分一人の力で、数段も格上の相手を追い返したのだ。
その代償は、とてつもなく大きかった。
しかし、春樹の中に後悔はないのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます