Ghost In The Rain 03/13

「───んで、マジなん?」


「なんだっけ、金曜に熱だして今朝までぶっ倒れてて、今朝は病院行ってから来たんだっけか」


 単刀直入に事実確認をするのはいつも宇野うので、聞き流しているようで意外と聞いているのは東大路ひがしおおじだ。


 級友の代わる代わるの言葉に、イツキはやれやれと言わんばかりの顔をする。


「マジだって。大変だったんだぜ、すげー熱あって」


 九月二十二日の月曜日、十二時過ぎ。


 県立絡川からかわ高等学校一年九組の教室、イツキの使う机。


 そこにおのおの椅子を持ち寄って男子三人、各自食事をとりながら駄弁だべっている。


 四限の中頃に登校してきたイツキは、古文の教師である鹿嶋かしま教諭に事情を説明すると、しれっと着席していつもと変わりなく授業を受けた。


 好奇心をくすぐられつつも授業中ということで我慢待てを強いられた級友・宇野と東大路は、四限の終わりのチャイムが鳴ると同時にイツキの机へと突撃してきたのだ。


 先刻の話は真実か、と。


 イツキは嘘をついていない。


 木曜日、イツキはずぶ濡れで帰宅した。煙草持ち出しの件で両親にこっぴどく叱られ、妹の冷たい沈黙にさらされながら夕食を食べ、ぐったりと床についた。翌朝目覚めてみると全身のあらゆる関節という関節が痛み、震えは止まらず、寒気に襲われ、吐き気までした。こいつはたまらないと布団をかぶり、風邪薬を服用して寝れども寝れども熱は下がらず、今朝になるまで容態は改善しなかった。


 幾度も悪夢を見てははね起きてトイレに駆け込み、どうにか飲み下したかゆを戻しての繰り返しで、体力はみるみる底をついた。


 日曜夜、週明けになっても容態が変わらなければ病院に連れて行こうと居間で両親が話し合っているのを、妹はやはり黙って聞いていた。


 それが今朝になってみると、イツキは熱も何もなかったかのようにけろっとしている。


 一切の不調は感じられない。右腕の骨折を除けば、どこも悪いところのない健康優良児だ。とはいえ三日三晩寝込んでいたのもまた事実。イツキは大事をとって通院し、週明けの混雑のなか「健康そのもの」という診断だけを貰うとそのまま登校した次第である。


 ───と説明したイツキに向けられる、疑わしげな四つのまなこ


「サボりの口実じゃねえの」


「そんなわけないだろ。触んなくても分かるくらい熱あったんだぞ」


「厚着してごまかしたとか」


「病院で何も言われなかったんだろ? サボりだろ」


「あるいは親と口裏合わせたとか」


「たかが月曜日の午前中サボるために土日どにち潰すかよ」


「土日寝てたかなんて俺ら知らんし。証明してみろよ」


「つか休んだの今朝だけじゃなくて木曜の午後からだろ。人様ひとさまにプリント入れさせやがって」


 プリント云々でぶつくさ言う宇野。イツキの一つ後ろの席の彼は、前の席の級友が休みの間は、授業で配布されるプリント類を机の中に押し込む役割だった。実状は引き出しの空きに詰めただけで端が折れていたりしたが、イツキも頓着しないたちなので指摘することはない。


 東大路がサンドウィッチを飲み下して、


「つかマジだったとして」


「マジだっつーの」


「マジだったとして」


 イツキの抗議を流して話を続ける。


「結局、なんで熱出したの」


「あー、木曜って雨降ってたじゃん」


 寝込んでいたせいで時間感覚が狂ったのかずいぶんと昔のことのように感じる。自然、目線がななめ上にそれる。


「アレでパンツまでずぶ濡れになっちゃってさ。帰ってシャワー浴びようとしたら瑠璃香るりかが入ってて、えらい待たされたから多分そのせい」


「瑠璃香ちゃんって……妹ちゃんだっけ」


「妹ちゃん。体育祭に来てたメッチャ綺麗な」


「そうか?」


「そうかって……。読モやってんだろ。綺麗ってことじゃん」


「あー。……まあ、まあまあだよ」


「まあまあ……。まあまあなのかお前、あれが……」呆れと羨望の入り交じった視線を投げかけてくる宇野に、


「あれ言うな。人の妹に」半目でにらみ返すイツキ。


 彼の妹である瑠璃香は宇野の言う通りの美人だが、兄であるイツキはこの高校でも随一の美少年である。街をゆけば人々の視線を欲しいままにし、この春に入学してからというもののひっきりなしに女子生徒から告白されている。やる気なさげで万事に面倒くさそうな雰囲気をただよわせているにも関わらず、である。平均的男子高校生そのものの容貌をしている宇野からすればもの申したくもなるだろう。


 なお、イツキは告白をすべて断っている。


「つーかさ」


 東大路は男女の機微きびを一向に気にせず、どちらかというと男同士でツルむ方が気楽と公言してはばからない。ブリックパックを飲み干すと、考えているんだかいないんだか分からない顔で何の気なしに口を挟む。


「木曜ってそんな急な土砂降りとかじゃなかったろ。なんでそんなパンツまで濡れたのよ」


「──────あ」


 問いつめているわけでもなく、東大路にとってはどこまでも雑談でしかなかった。彼の疑問も当然のそれで、傘をさしていれば風邪をひくほどずぶ濡れにはなり得ない天候だったのは間違いない。自然な話の流れの中の一言はしかし、イツキの脳内で劇的な反応を引き起こした。


「どした? ……おい、イツキ?」


 反応がないことをいぶかしんだ東大路が、イツキの顔色にぎょっとする。


「お前、真っ青だぞ。大丈夫か」


 宇野と東大路の案ずる声を知覚しながら、イツキは会話に意識をく余裕がない。


 イツキは必死になって一つのことだけを考えていた。




 ───どうして俺は、木曜日の雨の中で出会った彼女のことを、忘れていた?

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