Ghost In The Rain 02/13
イツキよりも年上の、成人した女性。
淡いブラウンの髪は毛先がゆるくウェーブしたボブカット。左右の耳元から編み込まれた三つ編みがカチューシャのように頭頂部に続いている。
上体を包む純白のブラウスは
黒の長手袋とサイハイブーツで露出はほとんどないにも関わらず、ホットパンツとサイハイソックスの間に垣間見える太ももや、二の腕の隙間の肌の白が目に毒だ。
そこまで観察していたイツキは、彼女からもじっと視線を向けられているのにようやく気づいた。
下まぶたにアイシャドウの入った、潤んでとろんとした上目遣いの瞳が、一心にイツキに注がれている。
声変わりしてもさほど出っぱることのなかった喉仏が上下する、世にも情けない音をイツキは聞いた。
女性は手の内で、イツキの咥えていた煙草を
彼女はイツキに視線を注いだまま咬み痕のあるフィルターを口にすると、慣れた手つきで火を点け、胸いっぱいに吸い込んで、「ふーっ」細長い吐息を吐いてみせた。
「ごほっ」
「ほら」
まるきり子供に言い聞かせる物言いだ。感情の整理がつかず、普段父親が吸っている副流煙ではそんなことにはならないのに、煙が目に染みて視界がにじんだ。
彼女は無表情のままだ。
無表情のまま、こう言った。
「こんなものを吸ってはいけません。貴方のためにならない」
イツキは
この女性は、初対面の彼女は、本心からイツキを
世間一般の常識的にそうだから、目撃してしまったから義務感で、法律がそう定めているから。ありきたりであたりさわりのない理由で言っているのではない。
本心からイツキの身体や将来を案じて、こんな風にむせてしまう煙を吸ってほしくないという想いから発された言葉。
嘘偽りはない。そう、イツキには理解できてしまう。
心臓がバクバクとうるさい。
身体が熱くてふわふわする。
手汗が止まらない。
なにか、何か言いたいのに何を言えばいいのか分からない。
イツキの気持ちを知ってか知らずか、女性は手にしていた百円ライター───先刻までイツキの手の内にあったはずのものだ、いつの間に───をブラウスの胸ポケットに入れると踵を返した。
煙をたなびかせて出ていってしまう。嗅ぎなれた匂いの中に知らない香りを見つけた。
イツキはつい彼女を制止しようと口を開いて、
「あ、の」
上擦り震えてどもった声。自分の不格好を呪う。いっそ彼女の耳まで届いていなければいいのにとすら願う。
彼女が振り返る。
流し目にイツキを見て、無表情を崩す。
───薄っすらと微笑んだ。
それだけでもう、イツキはダメになった。
頭の中は真っ白だ。
頬まで赤くなったのが分かるのに
恥ずかしさに耐えきれずに目をそらしたイツキに、彼女も視線を切る。コルセットスカートの裾をふわり広げて去っていく。
このままでは彼女の名前も知らないままに見失ってしまう。二度と逢えないかもしれないと考えると心臓が絞り上げられるようだ。引き留められる理由はないか、もっと会話をしていてよい理由はないか、イツキはフリーズしていた脳みそを再起動、全力で探す。
───そうだ、ライター。父親に持ち出しはバレているとしても、百円ライターを返さなければきっともっと怒られる。いつの間にか持って行かれてしまったけれど、アレだけでも返してもらわないと。
声をかける大義名分を得て、イツキは彼女を追いかける。
女性は入り口の柱を曲がったところで、十メートルも離れていない。すぐに追いつく。勢い込んで走って曲がって、
───彼女は雨のどこにも見当たらない。
背中に追突するくらいすぐそこにいたはずなのに、通りのどこにも姿を隠せるような場所はないのに、雨でも視界は開けているのに、いったいどういうトリックを使ったというのか、
彼女は、幽霊のように消えていた。
息があがる。
鼓動がはねる。
指先が震えている。
熱いのか寒いのか分からない。
雨の音の中へ一歩踏み出す。頬を伝い顎から落ちる滴の感覚に、矢も楯もたまらずに駆けだした。
どこへ行こう。
どこかへ、彼女を探しに行こう。
彼女のいるところへ行こう。
イツキは生まれ育った、見知っているはずの街を遮二無二に走り回る。やがて自分で走っている理由を見失いながら、彼は日が暮れるまで雨に濡れ続けた。
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