第29話 勘違い

 机の下の強く握った握りこぶしを見つめていると、「すいませーん」と聞き覚えのある声がする。


 ゆ、悠翔……!?


「さっきの声、どこかで聞き覚えがあるような……」


 その声が聞こえてきたのも束の間、前の席から不思議そうに頭をかしげる悠羽の声。なにしてんだよ悠翔……って、そういえば俺たちがここに来ていることは知らないんだっけか。


「た、多分気のせいじゃないかな?」


「……そ、そうでしょうか」


 何か引っかかりを覚えたような顔をしていたが、なんとかなったよう。……とりあえず、あとで悠翔に何か奢ってもらうとするか。


 って、そういえばそうだ。俺の目標はまだ何も達成していないじゃないか。俺の目標は悠羽の考えを探ること。


 考えを探り、悠羽を助け出す方法を見つけ出すことだ。


「……なぁ、悠羽。一つ聞いてもいいか」


 疑われないように平静を保ちながら、さりげなくそう話題を変える。


「はあ、なんでしょう?」


「悠羽って……なんで、男装なんてしているんだ?」


「……っ!? き、気付いていたんですか……」


「あぁ」


 作戦会議の時、花宮は言っていた。できれば男装の件については触れないでほしいと。直接悠羽に聞いたら傷ついてしまう可能性があるからと。


 そして、俺はそれに対して承諾した。……言葉でだけは。


 そんなに甘くて、この問題は解決しないから。


 確かに、これは深入りしすぎだと思うし、傷ついてしまうかもしれない。それに、理由は悠翔に聞いているから必要ないのかもしれない。


 けれど……花宮は知らないかもしれないけど、孤独はそんなに甘い物じゃない。踏み込まないと、絶対に解決しない。寄り添ってやらないと……心は決して開かない。


 嘘をついて、花宮に申し訳ないとは思う。でも……


「……それは、昔に……」


「昔じゃない。今の話だ」


「……ぇ」


「今、どうして男装をしているんだ? それに、悠羽が今までどんな人生を送ってきたかならもう分かっている」


「……そこまで、知っているんですね」


「まぁ、な。悠翔から聞いた」


「……さすがに、この男装が趣味、なんて言い訳をしても、信じてはもらえない、ですよね」


「もちろん」


「強いて言うなら、兄さんや若ちゃんを守るため、ですかね」


 長い沈黙の末、頑なに閉じていた口を開いたかと思うとそう答える。


 守る、か。


 戻ってきた返事は、まさに悠羽といった答えだった。どんなに自分を犠牲にしてでも身近にいる人を守ろうとする。それはもう、おかしい……いや、怖いくらいに。


「でも、ボクは守るだけの力がありません。女子の姿でいたら、どうしてもそれを強く実感してしまいます。だからボクは、男装をして自分を錯覚させているんです。逃げでしかないというのは分かっています、けど……」


「……最後に、聞いてもいいか。悠翔と家族になって、悠羽がいじめを受けるようになったとき。あの時、悠羽はどうして悠翔目的に近づくやつと一切話そうとしなかったんだ?」


 俺はそう尋ねる。悠翔からは聞いていたけど、直接悠羽の口から聞いてみたいと思ったからだ。確認したいと、そう思ったからだ。


「兄さんから聞いたということは、多分聞いているでしょうね。ボクのせいで、兄さんにまで迷惑を掛けたことを。兄さん、怒っていたでしょう? もっとボクがちゃんとしてれば、誰も傷つくことがなかったのに……」


「…………は?」


 予想外の反応を前に、俺の頭の中は、どういう事だ、と混乱していた。


 悠翔と悠羽の言葉がどうにも噛み合っていない。それはまるで、意思疎通が上手く行っていないような。


 意思疎通が上手く行っていない……。


 それって、まさか……。


「……悠羽、一つ言っておく」


「はい、何でしょう?」


「人間っていうのはみんな欲望塗れだ。でも、それだけじゃないことを忘れんな。俺達みたいなやつがいることを、絶対に覚えておけ」


「……は、はぁ」


 作戦は……決まった。


 後は、実行するだけ。


 悠翔、頑張ってくれ。この事は悠翔が勇気を出さないと始まらないらしい。


 あと、先に謝っとく。ごめん。援護っていうのはしすぎると逆に人を駄目にしてしまうから。成長する……してもらうには、ただ後押ししてやることしかできん。


 だから俺は……嘘をつく。


「あっ、雨も上がりましたね。じゃあ、ボクはお先に帰らせてもらいます。あっ、これはボクの分です」


 窓を見上げながら、そう言う。そして、机の上にコトンとココア代の硬貨を置いたのも束の間、椅子から立ち上がる。


「……あっ、そうだ」


「……はい?」


「月曜の昼休み。学校の屋上で集合。すぐに来いよ?」


「何ですか、デートのお誘いですか? 生憎ながらボクは教室で食べるので……」


「デートじゃねぇよ。絶対だ、絶対に来てくれ」


 要件さえ言わなかったら、今の悠羽であればきっと来てくれるはず。


 俺はさっきまでの悠羽を見て、俺は心の中でそう確信していた。

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