第5話 散歩外出(準備編)

「おはようさん。今日、木曜日だよね?」ハルキが日勤で仕事に行くと、職員通用口の下駄箱で声を掛けられた。その声の主は、沢野五郎さんだった。沢野さんは、高齢者にしては背が高く太ってはいないが、まぁまぁガタイが良かった。その反面、子供のような幼い顔をしていて、歳よりだいぶ若く見える。

そう言えば、パイセンの民夫さんが、沢野さんは生まれつきある障害によって、年をとっても幼い顔をしていると言っていたのを思い出した。

「そうですよ、木曜日。」

ハルキは続けざまに、曜日を聞いてきた理由を尋ねようとしたが、沢野さんが帽子を被っているのに気がつき聞くのをやめた。

散歩の日だ。この園では、毎週木曜日は機能訓練の一環で、近隣の公園まで車で行ってそこで散歩をすることになっている。ドライブと散歩、一石二鳥だ。意外と施設に入所するとなかなか外に出れないと思う人がいるみたいだが、施設入居者は散歩やドライブ、季節ごとの行事、買物や外食の機会もそれなりある。

「今日もアニキに連れてってもらうから。」と沢野さんは嬉しそうに笑いながら呟いた。

「アニキって、リュウさんですよね?ササキ リュウさん。」ハルキが聞くと、

「そう。オレのアニキ。あの人、若いけどたいしたもんだよ。オレの事も、あの人がここに連れてきてくれた。うちの姉さんも頼りにしてるよ。」と誇らしげにしゃべった。

「沢野さん、俺も一緒。リュウさん、俺のアニキ分。」ハルキがそう言うと、沢野さんは笑顔で相槌を打っていた。

介護職員の勤務はシフト制で早番、日勤、遅番、夜勤となっていて自分の休み希望も原則、月三日まで出せる事になっている。リュウさんのような生活相談員や事務所の人は月曜日から金曜日までの日勤業務で、土日祝日は交代で日直をやっている。平日の病院受診や外出などの行事は、相談員が運転をする事が多く、十人乗りのワゴンや特殊寝台車、いわゆる「でかい車」を、乗りこなす事も求められている。ハルキは、沢野さんと軽口をたたくと着替えのため、更衣室の扉を開けた。制服に袖を通すと、少し早めに介護ステーションに向かい、今日の予定表を見ながら、メモを取り始めた。

「こういうとこ、見た目と違って真面目だよね。」

夕べの夜勤者の美久が申し送りの準備をしながら、ちょっかいを出してきた。

「ウルセェ~。」

ハルキは目も合わさずに返答した。美久は高校を卒業して直ぐに此処に入職したが、年齢ではハルキの方が、一つ年上だ。

「ウルセェ~?! きゃあ~ワタシ、先輩よ。何かしら、このじじぃは? ちょっと、おはようの挨拶くらいあっても良いでしょ?」

まあ、こんな会話が出来るくらいの間柄ではある。「老人ホームで働く奴が、じじぃって!?」ハルキが口を尖らせながら言うと、

美久は、「大丈夫。仕事中や入居者の前では、言わないから。」といたずらっぽく笑った。

まぁ、確かに仕事中や皆の前ではすごく丁寧な言葉使いをしてる。

「散歩行く公園って、青葉公園だっけ?」

ハルキが美久に尋ねると、

「おはようは? お・は・よ・う。それ言わないと教えてあげない。」

 お前は、俺の彼女か? ハルキはそう思いながらも、言ってる事はまさにその通りなので、 「お・は・よ・う、パイセン。教えて。」と言った。

 「相談員(リュウ)が運転の時はだいたい、そうだよ。皆喜んでる。歩けない人も連れて行ってくれて、車椅子で散歩してくれるから。認知の人も良い気分転換だよね。相談員(リュウ)は、心のリハビリだ。って言ってる」

 美久がそう言うと、ハルキはきっとコイツもリュウさんの事、アニキって思ってるなと感じた。

 「今日、アンタも公園デビューしたら?付き添い、やらせて貰えば?同行介助。」

 ハルキは、公園デビュー?!俺は子供か?と思いつつ、「俺、行きたい!」と直ぐに声をあげたが、ふとアンタ?! 俺は人生のパイセン、「 お前より年上だぞ!」と叫んだ。

 夜勤者の申し送りの最後に、今日の日誌が

「今日のドライブ・散歩担当は・・・」

と言ったところでハルキが何も言わず、スッと手を挙げた。その立ち姿は背筋がピッと伸び、姿勢もよく腕もよく伸びきっていた。何より、ハルキが目をパチパチさせながらアピールする姿に、その場にいた一同は爆笑していた。

「そんなに行きたいの?」介護長の御手洗がハルキに言った。

「中の業務はだいぶ覚えてきたけど、レクや行事とかも覚えていきたいっす。」ハルキがもっともらしい返答をすると、御手洗は「今日は多良君お願いね。」と言った。ハルキは自分の言ったことは本心ではあるが、いつも同じ業務に少し飽きていた事や、リュウと出掛けられる事が嬉しかった。

九時半を過ぎると、もう散歩が待ちきれない数人の入居者が玄関前でウロウロしていた。

その中には、日頃認知症で言ったことを直ぐに忘れてしまう志摩さんの姿もあった。ハルキが準備のため、玄関前に行くと事務所の紗月さんが、「凄いよね、楽しい事はボケても覚えてるんだよね」と話しかけてきた。

 「ボケって!?」ハルキの悪い癖、思ったことが口に出た。紗月さんは、しまったという顔をして、

 「ごめん、ごめん。今の無し、聞かなかった事にして。認知症ね。」と言い直した。

 ハルキは専門学校時代、たいして授業は聞いていなかったが、当時付き合っていた彼女の由紀がテスト勉強の時、「呆け」、「痴呆症」、「認知症」と呼び名が変わっていった事を教えてくれた事を覚えていた。何でも、政府が人権だとか、そういう団体に配慮したとか、しないとか。その程度のうる覚えだが・・・

 「あ~~~っ、早く連れてってくれよ~。車に乗りたいよ~。」志摩さんが、歩行器を押しながら会話に割り込んできた。

 「今、クルマ回してくるね。志摩さん、トイレは大丈夫?」事務所の扉が開いたと同時にリュウが声を掛けた。ハルキは、颯爽と登場したリュウに「相変わらずカッケエ~」と心で思いながら、志摩さんに「トイレ行きますか?」と聞くと、「小便か?小便ならもうして来た。」と返答した。もう少し時間が掛かると思ったハルキは、志摩さんをロビーの椅子まで誘導し座らせると、「車が玄関前に着いたら行きましょう。」と促した。それから、他の参加者の様子を確認すると、ぱっつんぱっつん状態で着膨れした江藤さんがいた。これも、認知症の人のあるあるだが衣類を何枚も重ね着してしまう行為だ。

 「江藤さん、何処行くんですか?」ハルキが苦笑いをして尋ねると

 「外、寒いんやろ?温かくせんと。」と関西出身の江藤さんは当たり前だが関西弁で返した。そのタイミングで玄関にリュウが運転するハイエースが横付けされた。と同時に志摩さんが立ち上がり玄関に向かっていく。この時の行動が俊敏でビックリする程速い。ハルキはここ特養で仕事をし、気が付いたことがある、それは本当に自分の意志でしたい思うことに関しては年を取っていようが認知症だろうが動きが違う。当たり前のことだが、人間は本来そういうもんなんだと気づかされる。

 車から降りてきたリュウが、「そろそろ皆を乗せるよ。」とハルキに言った。ハルキは事前に教わった入居者の身体的状況、認知症の程度、他の入居者との関係性に配慮した座席位置にメモを確認しながら皆を誘導していった。これを何も考えず適当にやったりすると道中で入居者同士のケンカやいざこざ等のトラブルや、降りる時に大変になるとさんざん美久に言われていた。既に志摩さんは、リュウに促されいつもの定位置、助手席に座らせてもらって上機嫌でいる。沢野さんも一番後ろの座席で自分でシートベルトをしていた。全員のシートベルトを確認しリュウに準備が出来た旨を告げると、リュウは少し大きめな声で、「それでは皆さん今日も楽しく行きましょう。途中、気分が悪くなったら教えて下さいね。」と言ってゆっくり車を走らせた。ハルキは、普段園では見られない入居者のワクワクした感じを感じながらも、初めての外出同行に緊張している自分をも感じていた。

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