第六章 魂の掩護

第21話

 コーヘイの使っていたベッドに、育ってしまったユスティーナを横たえ、毛布をかける。


「あんなもの、僕も見た事ありません」

「魔法なんでしょうか?」

「魔法陣は見えなかったです」


「呪術だ」


 ふいに少女の声がして、騎士はベッドに横たわるユスティーナを見る。少女はゆっくりとその紫の瞳を開けた。


「閣下!大丈夫ですか?」


 コーヘイがしゃがみ込んで枕元に顔を寄せる。


「ガイナフォリックス夫妻の、残した物を受け取った気がする」


 しばらく考えて続ける。


 ユスティーナはゆっくりと体を起こすと、毛布が落ちて胸が露わになった。

 ディルクが慌てて毛布で胸を隠させる。


「ああ、すまない」


 ユスティーナは毛布を抱え、いつものセトルヴィードの顎に手をやる仕草を見せた。何か考え始めたらしいというのは、付き合いの長くなったコーヘイにはわかった。


「少し、時間をかけて思考をまとめたい」

「じゃあ僕は、山賊の件の報告を部下に託したいし、町まで出てユスの服を手配してきます」


 ディルクは、夕刻までには戻ると告げて、フレイアの育った家を後にした。



 部屋には外から暖かな陽光が入り、舞い上がる埃が光を反射してチラチラと輝く。遠くで鳥の声がするが、とても静かだ。


 見守るように立っていたコーヘイが、少し重心を移動した時、ミシッと床が軋んだ。その音に、長孝に入ってしまっていた黒髪の少女が、現実に戻って来る。


「うむ」


 まっすぐな紫の瞳が、傍らの騎士を見つめる。


「コーヘイ、傷を見せろ」

「いきなり、何ですか」

「治癒術を試そう。今のこの体の魔力なら使える気がする」


 黒髪の騎士は、腕の傷を見せるため、上半身だけ脱いだ。鍛え抜かれた筋肉の鎧が見える。


「やはり、逞しいものだな」

「何を見てるんですか」


 明るい所で見つめられると、さすがに照れる。

 コーヘイがベッドに座り、毛布をまとったユスティーナが立った状態になる。


「魔法を使って大丈夫なんですか、傷はどうって事ないですよ?そのままでも」

「この傷は、大したことあるぞ」


 いつものように、傷の様子を確認して指を這わせ、詠唱をする。


 しかし。


 魔法は発動せず、ユスティーナは眩暈を起こしてぐらりと体勢を崩し、コーヘイをベッドに押し倒した。


「ダメみたいだ」

「大丈夫ですか、閣下」


 覆いかぶさるようになった時、ユスティーナの纏っていた毛布がはだけ、お互いの肌と肌が直接触れあってしまう。コーヘイは焦ったが、ユスティーナは気にせず、男の胸にしなだれかかった状態でじっとしている。


 少しの間をおいて、言葉を発した。


「おまえの、心臓の音を聞いていたい」


 そう言われると、押しのけるわけにもいかず、コーヘイは少女に添えようとした手を下げて、横になったままその気持ちが満足するまで待つ事にした。



「コーヘイが、一人で砦に向かった時、気が気じゃなかったし、血を流しているのを見て、怖かった。ちゃんと、生きているという確認をしたくなっただけだ」


 ユスティーナは半身を起こすと、ころっと転がり、三歳児の姿の時と同様に、並ぶように横になり、当然のように左腕で腕枕をしてもらう。


「得た物はいつか失う。それが早いか遅いかの違いだけで、必ずいつかは無くなってしまう。永遠なんてものは、ないと知っている」


 コーヘイは横を向いて、紫の瞳の少女を見つめる。静かにその紡がれる言葉に耳を澄ませていく。


「お前は騎士だ。この国では、騎士は魔導士を守って死んでいく。おまえもきっと、先に逝ってしまう、私を置いて」


 紫の瞳と、声がかすかに揺れた。


「耐えがたいが、耐えなければいけないとわかっている。ただ、あの城の中で、一人で耐え続けるための力が欲しい。魔法はいくら強くても、心の支えにはなってくれないから」


 コーヘイはディルクから、砦でのユスティーナの状態を聞いている。銃声のたびに飛び出そうとしたこと、心配し過ぎて混乱した様子だったこと。


「フレイアのように、自分の手の届かない場所で、失うのはとてつもなく辛い」


 彼女を失ってからのこの三年間の、セトルヴィードのやっていた事を考えると、その辛さが胸に刺さる。今も、その心の傷は癒えているようには見えなかった。


「このままだと、次も同じように失った時には心が壊れてしまいそうだ。私にとっておまえはもう特別な存在だ。ひとつでも多く、おまえの事を知りたい。色々な表情を覚えていたい。そんなふうに、もっと強い繋がりが欲しいと思ってしまうのは、いけない事だろうか」


 彼の胸に顔をうずめ、すりすりと頭を寄せながら、どんどん寄り添って来る。


「覚悟を持たずに愛すると辛い。おまえが元の世界を思って泣いたように、あるのがあたり前だと思った上で愛してしまうと、失った時に辛いのだ。だが、もし、最初から、失う覚悟を持ったうえで愛してみたらどうなるだろう。辛さとは違う、何かがあると思わないか?」


 少女は顔をうずめたままで言う。自分の言葉が恥ずかしくて、顔を見せられなくなっているようだ。


「おまえはずっと、元の姿の時も、幼児の姿でも、こんな姿になっても、変わらず同じ目で見つめてくれる。私の姿形ではなく、本質を見てくれていると感じているが、間違いないか?」


 コーヘイは頷いた。見た目がどうとかで、この人を見た事なんて一度もない。


「間違いないなら……この体の魂が、私の望みのためにこれを使う事を許してくれている今が、自分にとって貴重な機会に思えてならないのだ。もう、大切に思ったものが、私に何も残さずに消えるのは耐えられない。助けて欲しい」


 いつもより雄弁なのは、コーヘイが返事をしないからだけではない。羞恥とか、倫理観とか、常識を、一生懸命に脇へ押しのけようとしているのだ。この人が何を求めているのか、ついに彼は理解できてしまった。


 ここまで弱気にさせてしまったのは、自分が無謀な事をしたせいでもあった。それがなければ、この人がこんな要求をするはずがないのだ。心配をかけすぎて、そうせざるを得ない所まで追い込んでしまった。


 騎士はこの願いを叶える選択をした。自分も、それを望んでしまっている。

 自分を、相手に与えたいと思ったのだ。これからの支えになるために。少しでもこの心が和らぐように。



 そっと抱きしめると、抱きしめ返してれるのが嬉しかった。

 あの子は、返してくれなかったから。


 触れれば触れ返し、笑顔を向けると笑顔が返って来る。生きているからこその相手の反応が、安心感につながって行く。


 やがて二人で、階段を上っていく。


 心を込めて支え合い、補い合い、与え合う。


 性別を超越したところにある、お互いの何かを確認する作業をしながら。


 信頼、愛情、理解を伝え合い、交換し交錯する。


 どちらがどちらともつかず、ただ対等で、一つだったり二つだったり。引き寄せられ、離れ、また引き寄せられる。打ち寄せる波のように、繰り返し繰り返し。


 分かちがたく繋がって行く。

 どちらかが先に失われたとしても、決して切れない繋がりの糸が、り合される。


 慈しみあい、愛おしみ、満たし合い。

 やがて友情と、思慕を越えた固い絆が結ばれる。


 気づけば階段を駆け上がっていて、ついには頂上の扉を開いた。


 青空の中に飛び込む。

 抜けるような深い青、遠く遠く、かすんで水色になっていく。

 白い雲が、その一瞬にしかない、その時だけの形状をして浮かぶ。

 地平線は緩やかな曲線。

 常識も、責任も、しがらみも、すべてが解放された自由。

 眼下の大地は、全てを受け止める準備をして緑色に広がる。

 二人はゆっくり落ちて行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「そろそろディルクが戻るな」


 はっと、コーヘイは飛び起きる。ユスティーナは毛布を巻いて、ベッドのそばに立っていた。

 慌てて服を着て、いつものようにベッドを整える。起きたら即、こうするように訓練されており、未だにその癖が抜けていないのだ。


「見事な事後処理だ」


 黒髪の騎士は膝をつき、ベッドに上半身だけ倒れ込ませる。


「事後って……」


 耳まで真っ赤にして、ベッドにすがりついている騎士を、少女は楽し気に見つめると、ディルクの使っていたベッドに足を投げ出して座る。


「おまえは本当に、いろんな表情を見せてくれる」

「そう簡単に、あなたを置いて死にませんから安心してくださいと、先に言うべきでした」

「私もそうする、簡単には置いていかない」


 清々しいほどまっすぐな視線。

 二人の関係は、変わったようで変わっていなかった。


 ただ、この先どちらかが失われても、残された方はそれからも、相手の思い出を支えに生きていけるという実感が残った。


 コーヘイにとって、この世界は元の世界よりずっと、死が近い。

 一歩間違えば、あの砦で命を失う可能性だってあっただろう。

 心を遺し合う約束の契りは、今までよりずっと心を強くするように思えた。

 魂の欠片を交換し合ったような、そんな関係を持ったようにも思える。

 それは深く、固い結びつき。例え死に別れても、再び出会えるような。


 外から馬蹄の響きが聞こえ、ディルクの帰還を二人は察知した。

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