第20話

 ロレッタは今日も、一人で図書室に籠り、本を読み漁っていた。

 誰にも構われず、黙々と。


「何も見つからない……」


 本を閉じて、突っ伏す。自分の調べ方が悪いのだろうか?だが、相談する相手もいない。自業自得というか、そういう風に仕向けて来たのだが、今となっては、助けが欲しい。


 でも、どの面下げて、である。


 元々、彼女は奔放な性格だ。基本的には思った事を口に出すし、好きなように行動する。人の忠告も聞かない。

 そのせいもあって、これほどの実力があっても、デビューまでの道のりが遠かったとも言える。


 でも、この性格は自分で治せなかった。これが私、という自負もあった。人に合わせて自分を変えるなんて、彼女の中ではありえなかった。

 人に合わせて変わった自分を愛してもらっても、それは本当に自分が愛されていると言えるのか?という気持ちがあったのだ。

 思うがままに行動して、それで自分が嫌われるなら、相手と自分は合わない存在なんだと思うようにしていた。


「気分転換をしてみたらどうだ、根を詰めてもいい結果は出ないぞ」


 顔を上げると、あの灰色の瞳の騎士がいた。名前も知らない。


 ロレッタは今更ながら気づく。彼は自分の心情を見抜いて、わざと名乗らないのだと。琥珀色の瞳が、いつもの強さを失っていく。意地を張り続ける心は、もう疲れ切っていた。


 騎士は、彼女を中庭にある東屋に誘った。ちょうど薔薇が見頃で、とても美しい。美女は東屋の椅子に座ると、騎士の方は一切見ず、ひとりごとを言い始めた。


「諦めそうになる、それでも齧りついて頑張ってきたのがあたしなの。手段はなんでもいい、ゴールにたどり着かない人生は無意味だと思う。だけど」


 ロレッタは歌いはじめた。泣く代わりに今日も。


 思いが乗って、歌は魂を震わす旋律になる。

 聞く者の心も、同じように震わせていく。


 今日はいつも以上に心を乗せて静かに歌った。

 優し気に天使の歌声は薔薇に触れていく。

 揺れて落ちた薔薇の雫が、涙のように地面を濡らす。


 セリオンは、この歌声を聞いて、王子が彼女に惹かれた理由を知った。

 彼女の魂は純粋で、傷つきやすいのだ。繊細な心は、たくさんの刺で身を守っている。そして刺は内側にも向いて、彼女自身をも傷つけているのだ。


 この幼気いたいけな魂を知ると、どうにかして救ってやりたいと思ってしまう気持ちは理解できた。

 だが、王子のやり方はまずかった。あの人は自由気ままな考えなしの我儘を許してしまっただけで、彼女を全く救えていない。彼女にはもっと、別の助けが必要だ。


 彼女が歌い終わった。セリオンは暫く考えて、言葉を発する。


「異世界人登録局の扉を叩くといい。あそこは、君のような人のためにある部署だ」


 そのアドバイスだけ残して、騎士は立ち去って行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「この景色、夢で見た!」


 急に、ユスティーナがコーヘイの手を振りほどいて走り出した。


「走ると危ないですよ!」


 コーヘイが言うか言わないかのタイミングで、べしゃっという全身で地面に倒れ込む音がした。


「ほら、言わんこっちゃない」

「普通の三歳児にしか見えませんね」


 地面に突っ伏したまま、起こされるのを待ってる所も、幼児っぽい。


「怪我はないですか」

「うむ」


 抱き起こされて、土埃が払われる。


「泣かないところが大人ですね」

「そうだろう」


 両手を伸ばして、もはやおなじみの、抱っこを要求するポーズをする。


「怪我人に甘えないで、少しは自分で歩きましょう」

「むぅ」

「コーヘイさん、ほんと厳しいですね」


 ディルクはくすくすと笑う。

 コーヘイとユスティーナは再び、手をつないで、とことこ歩き始める。


 騎士二人の目に、古びた小さな家が見えた。

 小川があって、小さな橋がかかっていて、木洩れ日が美しい。


「宿屋の看板が出てますが、こんなところに泊まりに来る人なんていたんでしょうか、随分街道から外れていますよ。地図がないとこれないでしょう、これは」


 建物の外周を歩いてみる。さすがに放置されて時間が経ってるだけあって、建物は傷んでいるようだ。


「僕が先に中を確認しますので、待っててください」


 ディルクが傷んでる箇所に気を付けながら、扉を開けてみる。鍵はかかっておらず、簡単に開いていく。

 覗き込むと、蜘蛛の巣や埃が積もっているが、野生動物が侵入した形跡もなく、問題なさそうだ。

 ただ、長く人が住んでいたにしては、生活感が足りない気がする。


「大丈夫そうです」


 ディルクの報告を受けて、コーヘイとユスティーナも建物に入ってみた。


「なんだか落ち着く家ですね、歓迎されてる気がします」

「夢だとこっちに書庫があった」


 トコトコと、ユスティーナが廊下の先に進んでいく。下に降りる急な階段があって、その下が書庫になっているようだ。


 ユスティーナを、ディルクが抱えて階段を降りる。


「どうです?何かありそうですか?」


 上からコーヘイが声をかけた。


「本自体はたくさんあって、大変そうだ」

「僕、探しものは得意なので手伝いますよ」


 魔導士の残した手記探しは二人に任せ、コーヘイはとりあえず今夜ここに泊まれるように、簡単に掃除をして部屋を整える事にした。

 使えそうな物がないか、二階に上がってみる。階段がちょっと危なそうだ。


 家中を探索してみたが、雨漏りがあったようで二階の状態はひどく、一階の二台のベッドがある部屋を使う事にした。リネン類も二組しかない。とりあえず洗って干せば、夜までには乾きそうなので、まずはそのあたりから始める。


 なんとか台所も使えるようにして、簡単に夕食を作ると、書庫の二人を呼んだ。


「晩御飯を食べましょう」


 二人は埃まみれになって上がって来た。


「日記らしきものと、メモ書きは見つけました」

「なんだか、思っていたほどない」


 ユスティーナは少しがっかりしている感じだった。

 移動の疲れもあるので、今日は早めに寝て、明日頑張ろうという事になった。


 寝る前に、ディルクがコーヘイの右腕の怪我の包帯を交換をする。


「すまない、治せるとよかったのだが」

「この程度の怪我は自力で治せますよ」


 ユスティーナは、複雑な表情をした。足手まとい、何もできない今の自分に、歯噛みしているようにも見える。ほかにも色々な感情が渦巻いているようでもあった。


 コーヘイの怪我の問題があるので、ユスティーナはディルクと一緒のベッドで、その日は眠った。




「コーヘイさん、コーヘイさん」


 夜明け前、コーヘイはディルクに揺り起こされた。


「どうしました?」

「ユスがいないんです!」

 

 飛び起きる。腕に痛みが走り、思わず抑えるが、すぐにベッドから下りる。


「書庫にはいなかったです」

「まさか外なのか?」


 二人は上着を羽織ると、武器を手に外に飛び出した。手分けをして探すか、どこから探すか迷ったが、目ざといディルクが不自然な場所をすぐに見つけた。


「あそこ、何か光ってませんか?」


 裏手の方の畑がある辺りで、金色の光が見える。

 二人は顔を見合わせると、そこに向かって走った。




「なんでしょうこれは」


 そこには金色の小麦畑が広がっていた。

 ただ、実体ではないようで、触れようとしても透けてしまう。


「あ、あれ!あそこ」


 ディルクが指すその先に、プラチナブロンドの十七歳ぐらいの美しい少女が見える。その少女と見つめ合う、ユスティーナの姿。フラフラと、その少女の方に近づいて行ってる。


「しまった、呪術師なのか!?」


 二人は、ユスティーナの方に向かって走ったが、途中、見えない壁に阻まれて進めない。


「ユス!ユスティーナ!」


 コーヘイが見えない壁を叩きながら叫ぶが、ユスティーナは反応しない。


「閣下!」


 ディルクも呼ぶ。


 長い髪を揺らし、少女が二人の騎士の方を見た。水色の透明感のある瞳。ふわりと優しく微笑む。そして、手元までやってきたユスティーナを優しく抱きとめる。


 少女が幼女を受け止めた瞬間、周辺の幻の小麦がざわり、と揺れる。

 次々と、小麦の枝葉が銀色に輝きだし、実のひとつひとつが爆ぜ始める。実を解き放った茎は、銀色の粉になって消えた。


 爆ぜ上がった実は光になって、まるで蛍のように次々と浮かび上がり、少しずつ、収穫されるようにユスティーナの体に取り込まれていく。


 何も音がしなくなる。

 無音の世界で、光だけが動き続ける。


 少女の腕の中で、ユスティーナはぐったりとした。

 服が溶けるように消えて、幼女はゆっくりと成長する。

 黒い髪も少しずつ伸びて、少女らしい体つきに育っていく。


 騎士二人は、その光景を息をするのも忘れて眺めるしかなかった。


 やがて水色の瞳の少女と同じ年ごろの体つき、対を成すように髪の長さもそろった段階で、二人の少女は向かい合って、まるで溶け合うように一つになった。


 

 風景が明るさを増していくと同時に、小麦畑は徐々にその姿を消す。

 残った光の残像の中、少女は静かにゆっくりと横たわっていく。

 ユスティーナの体が、地面に完全に倒れ込んだ瞬間、周辺の空気が一気に現実に戻った。


 風の音、鳥のさえずり、小川のせせらぎ。

 急に音がしはじめて、二人の騎士は我に返った。


 倒れた少女の元に駆け寄る。


「閣下!」

「ユスティーナ!」


 コーヘイは上着を脱ぐと、ユスティーナを包む。

 少女はぐったりしていて、動かないが、呼吸は確認できてほっとした。


「とりあえず家に」

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