第五章 旅立ち、いつかその先へ
第17話
旅立ちの朝が来た。
異世界人登録局からローウィンが代表して見送りに来てくれた。頼んでおいたフレイアの育った家の場所を記した地図も持って来てくれていた。
「絶対に帰って来ると信じているから、別れは言わないよ」
黒縁眼鏡の奥の瞳に、やさしい色をたたえて、コーヘイに地図を手渡した。
「ありがとうございます」
セリオンも、もちろん来ていた。
「生水を飲むなよ」
「風呂場で溺れないでくださいよ」
お互いが同時に右腕を上げ、パシっと音を立てて、強く手を組み合わせる。何の合図もしないのに、相手はきっとこうするとわかっている、息の合った動きだ。
「実戦の武者修行の旅だな、強くなって帰って来い」
「ドレスを着て待っててくださいね。お姫様みたいに守ってあげますよ」
セリオンはこそっと耳打ちをする。
「本当に子連れで行くのか」
「多分、これは必要な事です」
そう予感したのだ。
改めて、お互い笑い合い、肩を叩き合う。
「それじゃあそろそろ、出発しましょう」
そう言いながら、ディルクが馬に飛び乗る。コーヘイも頷き、すでに馬に乗せておいたユスティーナを抱えるように、騎乗する。
「それじゃあ、行ってきますね!」
旅立つ騎士を、城壁の上から琥珀色の瞳が見つめていた。
城壁から身を乗り出すように、その後ろ姿を見送っていた。髪が強い風に吹かれて、大きく乱れる。
「あの人、子供がいたんだ……」
城壁に身を預けるようにしゃがみ込む。
「あたし、またひどい事、したんだね」
――どうしよう、どうしよう、辛いよ……。
しばらく、そのまま身動きできずにいたが。目を閉じ、唇を噛むと、再び瞼を開いた時は、いつもの強い眼差しで上を向いた。
髪をいつものように色っぽくかき上げると、胸を張ってまっすぐ立つ。
もう聞こえるような距離ではなかったが、ロレッタは歌った。
旅立ちを祝福する歌を。
無事を祈る思いを込めて。
これは別に、あの黒髪の騎士のために歌っている訳ではない。ただ、この歌を歌いたいから、歌っているのだと、自分に言い聞かせながら。
歌は風に乗り、かすかにコーヘイの耳に届いた。黒髪の騎士は一瞬、城壁を振り返る。ディルクが不審に思って声をかけてくる。
「コーヘイさんどうしました?」
「いえ、なんでも」
顔を前に向け、進んで行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「山賊の出没地域と、閣下の目的地は、それなりに近いようです。山賊に出会う前に、安全な場所で待機してもらわないといけませんね」
馬を進めながら、ディルクが地図を確認して言う。
「その、敬称はやめにしないか?さすがに子供をそう呼ぶのはおかしすぎる」
「ユスティーナと呼んだ方がいいです?」
コーヘイが前に座る黒髪の幼女に話しかける。
ディルクが少し考えて、提案する。
「ユスティーナは、貴族の令嬢に使われる名前です。あまり連呼はしない方がいいでしょう。ユス、と短く呼ぶのはいかがでしょうか」
「そうしてくれ」
「あとはコーヘイさんの娘という事にして。髪の色が同じなので説得力があると思いますよ」
「どれだけ奥さんが美人なのか、って思われそうですね」
全員が笑う。確かに、この見た目では、母親は絶世の美女に違いない。
「どうしてこんな、目立つ姿に産まれちゃったんですか」
正直なところ、この旅の一番の危険は、ユスティーナの誘拐になってしまいそうな気がするほど、この子は可愛すぎた。紫の瞳は、これを見るだけでも価値がある美しさであるし。
「なるべくフードをかぶせておきましょう、抱っこ担当はコーヘイさんで」
「頼んでおいてあれだが、手間をかけさせてすまない」
「どうですか、外の景色は」
「楽しい」
セトルヴィードが最後に、王都の外の世界を見たのは十四歳の頃。それ以降は親元を離れて王都の中の全寮制の学校で暮らしている。大切な次期魔導士団長の候補だったため、王都からの外出は禁じられた。
二十三歳で最高位を継いだ時からは、ほとんど城から出ていない。それも自室か、魔導士団の区画内という、極めて狭い範囲だけ。とても箱入りだった。
しばらく無言で馬を進めていると、ユスティーナがウトウトし始めた。
隣に馬を並べるディルクがそれに気づいて、コーヘイに声をかける。
「寝ちゃいそうになってますよ」
「揺れが気持ちいいんですね、きっと」
いったん抱き上げて、向かい合うように座らせ直し、自分の体にしがみつかせる。
「中身が大人の男性だと思うと、僕はかなり混乱するんですが、コーヘイさんは普通に子供として扱えてますね」
「何故でしょうね?自分も不思議です」
完全に子供が眠ってしまって、会話を聞かれない状態になってから、二人はこの旅の詳しい打ち合わせをはじめた。話を聞かせて、ただでさえ精神的負担の大きい今のセトルヴィードに、気を使わせたくなかったからだ。
「急にこんな事になってすみません。子供連れによる旅程の遅れは大丈夫ですか」
「問題ないです、ただ、野宿の回数は減らしましょう」
「この見た目だと、迂闊に人に預けたりもできませんね」
「信頼できる部下はいますが、子供の中身が中身なので、なるべく今回は頼りたくはないですね。出来る限り交代で、必ずどちらかは傍にいるように」
ユスティーナは黒髪の騎士にしがみついて、もぞもぞ動き、時々むにゃむにゃしている。ディルクとコーヘイは顔を見合わせて笑う。
「旅の癒し要員ですね、僕は好きですよこういうの」
「自分も、良いなって思ってます」
「この仕事を始めてから、旅をするのが楽しいと思ったのは、僕、初めてです」
ディルクにとって、旅はただの移動の過程でしかなかった。仕事の目的地に行くまでの時間を、楽しみながら行こうと考えた事すらなかった。
コーヘイと一緒に、という事にも楽しみだ。一人で行動する事は多いが、一人が好きな訳ではない。コーヘイの冗談のセンスは好みだし、努力家の彼から学べる事も多そうだった。異世界にも興味があるから、そういう話も聞いてみたい。
「ただ、戦闘になったとき、この子をどうするかですね」
「自分が手を引いていても、ある程度までは戦えると思いますが、やはり危ないと思ってます」
「役割分担を決めておきましょう。効率を考えて、戦闘時は僕が保護します。防御に徹するので、敵を倒すのはお任せします」
「頼みます、場合によっては、連れて脱出する事を優先してください」
そもそも、転移の魔法が使えると楽だったのだが、ユスティーナは魔法生物なので干渉して危ないらしい。ディルクも普段から、移動に魔法は使わない。移動の道中で得る情報も、重要で貴重だからだ。飛ばしてしまう訳にはいかない。
危険だが、この三人は馬による移動が必要だった。
一日目は、野宿だった。まだ王都に近いから大丈夫だろうという判断からだ。
「コーヘイさん、野営の手際もすごくいいですね。旅が初めてとは思えないです」
土を掘り、石を組んで、枯れ木を集めて、火打石で火をつけ、焚火をあっという間に用意して見せた。
木と木の間にロープを張り、布をかけて夜露を防ぐ準備も終わっている。
「仕事が集団生活だったので、時々一人になりたくて、よくやってたんですよ」
簡単な夕食の準備を整え、食べながら進んだ旅程を地図を開いて確認する。
「ユスも何か食べられそうですか?」
干し肉を軽くあぶって、ちぎりながら食べているディルクが気にしてきた。
「お腹がすく、という感覚は一切ない」
「食べられない訳ではないのだから、せっかくの外での食事ですし、何か食べてみましょうか?」
コーヘイは炒めたブロッコリーをフォークに刺して、ユスティーナの口元にもっていった。
「いやだ、たべない」
コーヘイはピンと来た。
「閣下、好き嫌いはないって言ったじゃないですか」
「敬称で呼ぶなというのに」
「誤魔化されませんよ!」
一分後には、涙目で座り込んで、不機嫌そうに口をもぐもぐさせているユスティーナがいた。
「食感が嫌なんだ……」
「じゃあ次は、刻んでスープに入れます」
「いやだ、それも無理」
「食感、関係ないじゃないですか」
ディルクが声をあげて笑う。
「イヤイヤ期の本当の子供みたいになってますよ」
ユスティーナは四つん這いで、さかさかとディルクの方に逃げていき、彼の影に隠れる。
「食事の時は、こちら側にいる事にする」
そんな姿を、微笑ましく見ていた。
刹那、コーヘイとディルクは、同時に剣の鞘を左手で掴み、いつでも剣を抜ける姿勢を取った。
ユスティーナはきょとんとした。
ディルクの手が、黒髪の幼女を護るように添えられる。
「ユス、その行動は正解です。僕のそばから離れないでください」
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